第5話東条は優しく諭す。
東条は、大きな溜め息をついたが、彼にしては珍しく、優しげな目線には変化はなかった。彼らの話が終わっとみてから、おもむろに口を開いた。
「私には、海軍戦略の是を評価することはできないが。」
待ってましたとばかりに、自信満々、野村は考えぬいていた言葉を口にした。
「首相の英断は、海軍戦略においても、後世で高く評価されるものであります。」
野村は、以前東条の口出しに口汚いくらいに、非難したことは忘れていた。
野村は、東条が自分の正論を支持してくれるものと確信に近いものを感じていた。しかし、東条が語り始めたことは、それを粉々に砕くものだった。
東条は、
「確かに、海軍の2式特式装甲車甲~丙、3式特式装甲車甲~丙は、総合的に見れば、陸軍の3式戦車にはるかに及ばない、素人的だが、逆に、かえって部分的に優れていて、運用や場所によっては非常に役にたつものだよ。現にインパールでは大いに活躍したのだ。3式が間に合わず、海軍にも無理を言って提供してもらったが、他の海軍提供の兵器共々、例えばだな、肩打ちできず抱えてではないと打てないし、射程の短い歩兵用タ弾発射機も、特に活用した宮崎少将等は激賞しているよ。」
太平洋の島々を不沈空母化する構想には、島々の要塞化とそこに配備する陸戦隊員、そして陸戦用装備が必要になる。戦車、重砲から小銃、拳銃まで。最後の小銃を初めとする兵器は、通常なら陸軍からの供給に頼るべきなのだが、すでに供給する余力がなくなってきていることが開戦前から予測できる状況にあった。また、太平洋の島々、南方は、大陸を主戦場として開発されている陸軍の装備では適していないのではないかという懸念もあった。更に、”陸軍は旧式兵器しか供給しない”という不満、海軍の優れて技術で優れた兵器を、という声が陸戦隊関係者から出ていた。海軍の艦艇、航空機用銃砲の転用、海軍工廠での99式歩兵銃大量量産タイプの量産等から始めたが、当然それではすぐ不足する。そのため、中小零細企業までも動員する一方、海軍が全面支援して生産体制を整える、開発に当たっては中小零細企業の天才職人、発明家や国内にいるドイツ軍人達、機密保持のため、陸海軍とも開発の中枢に近づけないため、せっかくの能力を生かせず不満を抱いていたが、の協力を仰いだ。
「我々は、陸海軍ともに低く視られている。君達の協力を得て、見返したい!」
と代田中佐(開戦前)は言って頭を下げまわったものだった。それでいて彼は、陸軍には事前に了解を取っていたし、陸軍の指定工場と重複が発生しないように陸軍と調整を怠らず、陸軍にも、
「そういうことが発生したら通報して欲しい。海軍は委託を止めるから。」
と伝えていた。かつ、まずは、その工場で生産可能な簡単なものから生産を開始して、次第に技術力を上げていくことと量産性を考慮して計画を進めた。既存の海軍工廠以外の新設する直営あるいは民間委託施設は、初代総力戦司令に就任した永野大将の肝煎りで、規格の統一等生産性を重視した体制を整えた。技術系で、アイデアマンではあるが、アイデア倒れ的なところが多々あり、居眠り大臣とも言われていた彼だが、一別をはじめとする彼のアイデアを理解し、現実化しようと考える部下に恵まれたことと新規に立ち上げる施設と組織で既存の生産工程での慣習等がなく、合理的なやり方、新規機械の導入がスムーズにいった。とはいえ、例えば、比較的製造が容易な81㎜迫撃砲ですら、生産が軌道に乗ったの18年になってからである。戦車、水陸両用の特2式、3式内火艇は別として、は陸軍から提供してもらう97式中戦車の改造から始めた。ドイツの突撃砲型の重装甲長8㎝高角砲装備型、回転砲塔に短8㎝高角砲装備軽装甲(前面50㎜)型、米軍の駆逐戦車タイプの前面のみ重装甲長8㎝高角砲装備型、更に本来のディーゼルエンジンを高馬力の航空機用空冷式エンジンに換装したタイプに改造した。エンジンを換装していない型は、多少の差、28~32㎞/時と、があるものの、オリジナルより低速だったが、小さい島を戦場に想定していることと、95式軽戦車とエンジン換装型との併用で機動力不足は補うと考えることとした。車体からの生産は1式戦車の改造型から始めることにし、更に試作中の4式、5式の資料の提供を受けて、並行して、開発、生産に向け作業を進めた。資材の割り振りは陸軍側との厳しい交渉となったものの、1月毎に実績を見て調整をすることになった。当初は、海軍の生産はなかなか計画通り進まず、当然海軍側配分が余り、陸軍側に回されることとなった。ただ、その見返りに陸軍側は1式戦車、または3式戦車を提供することとなっていたが、そうもいかず、97式戦車旧型の、しかも取り決めより少数の提供にとどまった。17年は在庫もかき集めても不足、18年は生産は工廠を中小に生産は少しづつ伸びていったものの、増加する海軍陸戦隊の需要に対して不足気味、19年に入ると陸軍側からの提供要請や東南アジア諸国独立に伴う各国軍への多少の提供もあり、計画水準に生産が達っしたものの、常に引き渡しがぎりぎり間に合うという冷や汗をかきっぱなしという状態だった。海軍の97式戦車改造車と対戦車砲を、陸海軍参考会で気に入り、きたるインパール作戦に不可欠であるからと言って提供を要請したのは知将とも、猛将とも言われる宮崎少将だった。海軍の戦車をはじめ海軍の陸戦装備が活躍した始まりは、そのインパールとそしてサイパン島だった。
担当者レベルでは、毎日冷や汗滴る昭和19年だった。次々編成される海軍陸戦隊への供給も綱渡りの中、陸軍からの要請分もとなると、どこかで、武器のない部隊が出来かねない。かといって、陸軍から、引き続き供給を受けている物もあり、それなら海軍への供給は停止する、陸軍って足りないのだからと言われたら困る。それに、せっかく関係が良好にすすんでいる中、新兵器のデータも気安く提供してもらっているなどを壊したくなかった。
「どちらが遅くなってもいいではないか。100%でなくてもいいだろう。よく事情を説明して、不足でも送り、遅くなっても、極力早く、出来るだけ定数に近い数を引き渡す。そういう努力をする、流れにまかしてもいいだろう。」
米内、山本大将などが言ってくれたし、その方向で了承、指示を各方面に出してくれた。
「陸軍に贈って、海軍の将兵には素手で戦えと言うのか!」
と怒鳴りまくる、野村中将や長岡大佐を窘めてもくれた。
陸軍側でも、
「約束した三式戦車とかが提供できなかったんですから。」
と海軍側の対応に、担当者が理解を求めると、
「大体三式戦車を開発、生産するから四式の開発が遅れるのだ。火力、装甲増を希望するなら、既存計画の四式の開発ペースを上げるのが筋だろう!」
等と陸軍の戦車開発担当者から不満の声が上がった。東条もその事情を知っているため、海軍側には理解と感謝をしていた。
それが、昭和20年に入ると、海軍側から、
「さらに必要であれば、いつでも提供できますよ。」
と打診が来るようになり、
「満蒙開拓団向けの自衛用火器を。」
を考えていると、どこから聞き知ったか、海軍から提供の提案を持ってくる、
「独立させたアジア諸国向けの兵器。」
の議論があるとリストを持ってくるようになった。
サイパン島では、艦載機搭乗員の練度不足で機動部隊が出撃できない中、陸上航空部隊が果敢に挑み多少の戦果をあげたものの、少数機による夜間、早朝攻撃、魚雷、爆弾攻撃の前に対空爆弾を投下してレーダーなどを損傷を狙ったりもして、大編隊、少数機、おとりの制空隊を組み合わせて攻撃を行ったが、戦果は小破も含め、10数隻の撃沈破にとどまったため、米国艦隊は接近、空が砲弾で覆われた(日本軍談)徹底的な艦砲射撃の後、大量の水陸両用車を先頭に上陸を開始した。もう完全に日本兵は死に絶えたと信じたくなった直後、12㎝噴進弾28連装発射器を始めする銃砲からのスコールのような銃砲弾の雨(米軍談)が海兵隊の上に降り注いだ。上陸作戦第一日目から、死傷者数は毎日3000人を超えた。昼を夜にした砲爆撃(日本軍談)が続いたが、一向に日本軍の攻撃は弱まらなかった。一週間かかって、ようやく第一橋頭堡を確保したが、予定では全島占領しているはずだった。第二橋頭堡確保のため、M4戦車数十両を先頭に日本軍陣地を強襲したが、先込め式で抱えて射撃する(反動が大きすぎて肩打ちできないため)タ弾(炸薬400グラム以上)を発射する2式発射筒(最大射程30㍍)を始めとする射撃に大損害を受けて引き上げることになった日の夜、日本海軍陸戦隊戦車部隊の大々的な夜襲が行われた。1式戦車の車体を利用した特3式砲車が間に合わなかったため、97式戦車改造の特2式砲車各型30両と25㎜機関砲に換装した95式軽戦車と特2式内火艇20両余り、そして支援の歩兵、これには増援の陸軍部隊も加わっていた。戦車砲は長短8㎝高角砲(短の方は、砲身を後付けで延長、寿命が短くなるのを覚悟して発射火薬を増やし、無理矢理初速を2割弱速めていた)の2種類、装甲、形式は3種類、エンジンは一部に航空機用発動機に本来のディーゼルから換装しているときわめ雑多だった。それぞれの長所を活かして協力することになっていたが、実戦ではそうはいかなかった。それでも、M4戦車の砲弾を、バズーカの砲弾を弾き返して、M4戦車を撃破し、米軍のバズーカなどの対戦車砲、歩兵をなぎ倒して、歩兵とともにつき進んだ、かなりの損害を受けながらも。特に航空機用発動機型はスピードが速いだけに突出して進んでしまったが、幸運にも米軍砲兵陣地に突入してしまうことになり、米軍の砲兵を蹂躙することとなった。
「タイガー戦車だ。」
と海兵隊の誰かが叫んだ。厳つい特2式内火艇を誤認したというのが、実際らしいが、米軍側は戦後になっても執拗に、ティーゲル戦車の輸送経路、数量を追及した。
更に、重噴進弾、通称ヤマト弾も使用され、一発で1個大隊が消え去ったという伝説が残るほどの威力を発揮した。それらの結果、米軍は第一橋頭堡を突破され、海岸付近に再び追い詰められた。その後、迷うように、増援の上陸をくりかえしたものの、増えるばかりの損害を見て、遂に米軍は撤退した。
インパールでは、宮崎支隊は海軍戦車14台、2式発射筒、短8㎝高角、95式軽戦車から取り外した37㎜砲を前装式対戦車砲に利用したタ弾(炸薬600㌘)を巧みに運用して英軍部隊を突破してインパールに突入した。戦車部隊からは、海軍戦車は毛嫌いされ、37㎜砲利用のタ弾は
「弾が飛び交い中で、装填するのですか!」
という抗議に、宮崎隊長は、やんわりと
「最初から装填しておいた4門を8㎝高角砲と一体として、タ弾を打ったら8㎝の後方に退いて装填して、また前に出ればいいではないか。」
とやんわり諭す知将ぶりを発揮して縦横無尽に活用して、インパール占領に貢献したのだった。ともにインパールにやって来たインド独立軍は、彼をゴッドゼネラルミヤザキと讃え、海軍戦車をインドラと呼んだという。
「しかも、海軍は僅か数機とはいえ、一式陸攻で宮崎支隊への補給をしてくれたことも、彼は大きく感謝している。他の部隊にも少ないながらも分けあい、そのおかげでインパールに突入できたとも言っている。今、開戦以来陸海軍の一致協力している。君達が心配するような状況にはないから安心したまえ。」
「というように、よく言ってきかせましたよ。」
天皇は、いつもの彼に見られなかった人の良さを面白く思われたのか、少し嬉しそうに微笑まれた。山本五十六は皮肉っぽい微笑を浮かべた。そして、野村達の自分たちが裏切られた、悲劇の主人公だと信じ込んでいる顔を思い浮かべていた。
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