第16話 引き裂かれた帳



 空太は静か過ぎることに気が付いた。

 国道が近い安アパートは、車が通る音が途切れることはほとんどない。まだ八時を少し回ったこの時間では、しょっちゅう車の音が聞こえていいはずだった。

 怪訝な表情で玄関を開け、アパートの廊下から周囲を見渡す。

 まだ八時を少し過ぎたぐらいだというのに周囲の道に一人の人も歩いておらず、車の走行音も一切しない。

(何が起きた?)

 あまりに不審な事態に、コートを羽織って周囲を観察しようと、部屋の中に戻ろうとして、空太はぎくりとして姿を隠した。

 そこにインカナが数体いた。

(いきなりか!)

 外に出て様子をうかがったことが思いがけない幸運だったと空太は思った。

 気付かれないようにちらりと部屋の中を覗いてみる。

 既に、やつらはそこにいなかった。

 開け放たれた窓から、冷たい風が吹き抜けて空太のいる玄関へと抜けていった。

 慎重に様子をうかがい、中に何かが残っていないことを確認し、空太は室内へ戻った。

 荒らされた様子もない。ほんの少し、机の上が乱れているだけだった。一つのものだけを除いて、なくなったものはない。

「……なんとなく、そんな気はしていた」

 空太は呆れたような声で独り言を吐き出した。

 唯一無くなっていたものは、指輪だった。明日、優華に見せるつもりだったものだ。

 空太はため息をひとつ吐き、

(あんな怪物でも窓は開けるのか)

 と、今ではどうでもいいことを思いながら窓を閉めた。

 勉強机の椅子に腰掛けると、少しそのまま腕を組んで考え事をしたが、すぐに携帯電話を取り出して優華に連絡をしようとした。

 携帯には「圏外」の文字が躍っていた。

「……」

 それを目にして空太はまた固まった。何も言わずに携帯を折りたたみ、頭を抱えた。

 どうしたものかと思案して、ふらふらと部屋の中を歩き、もう一度玄関のドアを開けた。

 その目の前にある道を、インカナとは違う何かが走っていった。

 その姿にどこか見覚えがあった。

「浅木!」

 空太はその何かに声を掛けた。

「えっ!?」

 智美は振り返って空太を見た。

「野々宮くん、家ここだったんだ」

「何をしてる?」

 思わぬ発見をしたという智美に対して、空太が質問した。

「ちょっとお仕事中」

 そう答えると、智美はまた走り出そうとした。空太がそれを強く呼び止めた。

「ちょっと待て、何があった?」

「んー大丈夫だよ何もないよ」

「今うちにあの化け物どもが出てきたが、その関係か?」

 空太の言葉に、智美は走り出そうとしていた姿勢から急停止した。

「うぇ、マジ?」

「ああ」

「よく大丈夫だったね……」

「全くだな」

 苦笑しながら空太が答えた。

「それで、何があった? 僕のところにあれが現れて君がその格好で夜の道を走っている。この時間に人の往来が全くなくなって、だ。関連がないとは思えない」

「ああ、まあ、そうか」

 諦めたような口調で、智美は肩をすくめる仕草をした。

「しょうがない。小走りしながらだけど、道すがら話すでいいかな」

「わかった、ちょっと待っていてくれ」



「よくもまあ、そんな乱暴な事を」

 智美が「やらかした」内容を聞いて、空太が呆れかえった。魔術うんぬんはどうでもいいが、その小さな身体でどこまで元気で乱暴な行動を取れるのか、かえって感心する。

「物理力に勝るものはないんだよ、わたしたちは物理の世界に住んでいるんだし」

「魔女が言う言葉とは思えん」

「わたしは現代的な魔女なのさ」

「それ、適当に言っているだろう」

「わかる?」

 ペロリと舌を出して智美が言った。空太はため息を一つ吐き出し、仕切り直した。

「で、それを止めたら、あいつらが湧き出てきたということだな」

「うん。襲ってくるもんだと思ってたらどっか行っちゃったからちょっと拍子抜けしたけど」

「それがどうして、僕のところにも現れた?」

「さあ? ただ、野々宮くんが持っている指輪、なんか変な力を感じたから、そのせいかもね。もしかしたら、持ってかれたのはそのためかな?」

 心から解らない、という仕草と口調で知美が答えた。

「明日、それについて桜川さんに聞くつもりだったんだがな」

「一歩遅かったねえ」

 そう言って笑おうとして、これまで空太に先行していた智美が唐突に足を止めた。

「待って」

 壁の向こうをやぶ睨みしながら智美が空太を静止した。

「どうした」

「そこの壁の向こう、何かいる」

 そういうと、智美は手の仕草で何かを呼び寄せた。

 空太の後ろから大型犬が音も無くするりと抜けて、智美の横に着いた。

 空太は唐突に現れた大型犬を怪訝な目で見た。

「スフレ!」

 智美がスフレの頭を一撫でして叫ぶと、スフレは矢のように壁の向こうへ走っていった。

 数瞬後、よく通る悲鳴が上がった。

 そして白熱した光線が、壁の向こうの反対側へ突きぬけ、そこを破壊した。

「ほへっ!?」

 智美が変な声を上げた。その光線に、空太はすぐに思い当たった。

『待て、撃つな! 僕だ!』

 そう言って、空太は壁の向こうに飛び込んだ。

 そして、壁の向こうにあった光景に、どんな表情をしていいものかわからなくなった。そこでは、スフレに女性が組み伏せられていた。

「……言う必要は無かったか」

『ソラタぁ……』

 組み伏せられていたのはセレラーンだった。バサバサに乱れた髪と服装がなんとも哀れみを誘った。 少し離れたところに、光線を撃った銃が転がっている。

「あ、タカビーな宇宙人女カッコカリ」

「そのよくしつけられた犬、どかしてやれ」

「ほいほい。スフレー」

 難しい表情で促した空太に、智美は気楽に答えた。智美の声と手差で、スフレがするりと智美の後ろまで移動した。泣きそうな顔で倒れているセレラーンに、空太が手を伸ばした。

『その、ありがとう』

『ああ』

 その手を取って、ゆっくりとセレラーンが立ち上がった。

『何があった、は聞くまでも無さそうだな。あいつらか?』

『ええ、ついさっき急に現れて……おかげで、皆とはぐれてしまって』

 空太は白い目で智美を見た。智美は口笛を吹くように唇を尖らせながら視線を宙に浮かせた。

『その、皆とは連絡が付くのか?』

『ダメですね。通信機はまるで動作しません』

 左腕についている腕時計のような機器を指差しながらセレラーンが答えた。

「ところでこれいいの?」

 転がっている銃を拾って智美が聞いた。

「ふーん、やっぱり未来っぽくないね」

『返しなさい!』

 様々な方向からまじまじと光線銃を眺めている智美に、セレラーンが語気強く言った。

「復活早いな、あ、へー。これはこれは」

 セレラーンの言ったことを無視しつつ、引き金を引かないように注意しながらいじくる智美を空太はどうしたものかと見ていた。その背中に、黒ではない何かが見えた。

「浅木!」

「ほぎゃ!?」

 空太は智美を突き倒した。

 セレラーンがまた悲鳴を上げた。智美が抗議の声を上げるのとインカナが真後ろにいたのに気が付いたのがそれと同時だった。

「何するんだっひゃあ!」

 智美も悲鳴を上げて地面を転がって逃げた。

銃もその場に転がった。

「こっちにこい浅木!」

 空太がフォースソードを構えた。

 しかし、指輪がない今では効かない事がわかっている。

 可能性があるものは、相手の向こう側に転がっている。

(どうする?)

 が、現れたインカナは全く予想外の行動を取った。くるりと後ろを向くと、銃を引っつかみ走り出したのだった。

「あれ?」

 智美が頭にハテナマークを浮かんでいる表情で言った。

 一方、セレラーンは押し黙ったままだった。不安そうな表情で、それが遠くへ走っていくのを見ていた。

「……なんだったんだ、今のは」

 空太も首を捻っていた。そこへセレラーンが話しかけてきた。

『ソラタ!』 

『何だ?』

『実は数日前、あなたの友達に聞いたことがあるのです』

『あれが出てくる理由か?』

 セレラーンが首を縦に一回振った。

『それなら僕も聞いている。そうか、それが理由と言いたいわけか、あの銃に君自身の秘石を装着していたんだな』

『ええ』

「しかし、そうして僕たちから秘石を取ってどうする?」

 独り言をして、空太は考え込んだ。出てくる理由かも知れないが、なぜそれを取得したいのかは本当にわからない。

 そう考えていると、

「当たり!」

 という声とともに、薄桜色のドレスを纏った少女が降ってきた。

「あ」

「桜川」

 降ってきたのは魔法少女に変身した優華だった。優華は心配そうに三人へ話しかけた。

「大丈夫だった? あちこちに反応があったから、できるだけ急いで来たつもりだけど」

「僕たちに被害はない」

「そっか、よかったぁ」

 空太の言葉に、優華はほっと肩を撫で下ろした。

「ただ、例の指輪はあいつらに盗られたな。ついでに、彼女のも盗られている」

 親指でセレラーンを指差しながら空太が言った。

「む」

 優華は難しい顔をした。

「やっぱ、何かあるのかなあ。見つけたら、ちょっと調べさせてもらうかも」

「わかった」

「ところで、なんか三箇所ぐらいからすごくインカナが出てきた感じがしたんだけど、何か心当たりある?」

 それを聞いた空太は無言で智美を促すような目線で見た。

「もしかしたら、解らないでもないかもしれないことを知ってるかもしれない、なあ」

「もういいだろう。専門家が来たんだからおとなしく話せ」

 視線を泳がせながら言った智美を、空太は厳しい目で睨みつけた。

『ちょっと待って、通信が繋がりましたの』

 そこで、急にセレラーンが割り込んで言った。腕についているデバイスから聞こえる声に応答をしている。何度かやり取りをして、ある瞬間、急にひどく動揺した。何かを早口でまくしたて、相手の返事を聞くと大きくひとつ息を吸った。通信終わり、というニュアンスを感じる応対が終わった後、セレラーンは三人に向き直った。

『えっと、上から見ている連絡機からの話ですの、落ち着いて聞いてください』

『どうした』

『この街のあちこちに、あの化け物が出ていることを確認したそうです』

「なんだって!?」

 空太が思わず日本語で言った。その声に驚いたセレラーンに向かって、咳払いをひとつしてから今度は英語で聞いた。

『どういうことだ』

『わかるわけないでしょう』

「どうなっている、浅木」

 空太の問いかけには応じず、あちゃー、という表情で智美は宙に視線を泳がせた。

 そこで、今度は優華が何かに気が付いたようだった。

「ここは表だ」

「表?」

「閉鎖空間じゃない……」

 どのような変化があったのか。そう考えて、空太は路地ひとつを挟んだ国道で車が行きかう音が聞こえてくることに気が付いた。

 確かに、周囲に異常があったさっきよりは普段の世界に近かった。

 それに気が付いたとき、優華が取り乱したように叫んだ。

「オキッド! どうしよう! とうとうあいつら世界を割ったんだ!」

「落ち着いて、優華。まだ完全には割られていない。でもそうするために彼らは動いているはず。あとはあいつらが何をするのか解れば」

 その時智美が大声で叫んだ。

「光来山神社!」

 その声に三人は彼女へ振り向いた。智美は優華へ言った。

「理由はあとで話すけど、何かあるならそこにあるはず!」

 いつになく智美の表情は真剣だった。深刻そうな優華を見たからかも知れない。

「わかった! わたし、行ってくる」

 そしてそのまま優華は駆け出そうとした。

 それを空太が大声で止めた

「ちょっと待て、その格好で街中を走るつもりか?」

「う」

 そう言われて優華は周囲を見た。

 ざわついた周囲の状況を知ろうと、色々な人が窓を開けたり外に出てきている。

 流石に、そんなに人の目がある状態で町中を突っ走るのは気が引けた。

「う、でも、元に戻るとパジャマに……」

 しかし『普通』に戻った姿はもっと話にならなかった。

 仕方ない、という表情になった空太は、羽織ったコートを脱いで優華に手渡した。

「これを貸すから、使ってくれ」

「ありがと、じゃあ行ってくる!」

 優華は魔法少女のままコートを羽織ると、優華は走り出した。

(あれはあれで騒ぎになりそうだ)

 揺れる薄桜色の髪と、ふちがはためくグレーのコートというよくわからない組み合わせの少女の後姿を見ながら空太は思った。そのままやパジャマで町中を歩かせるよりは数段マシだろうが。

 それを見届けてから、智美が空太に聞いた。

「……どうするの?」

「とりあえず、僕は追いかける。桜川さんだし着いたころには終わっているかも知れないけれど」

「んじゃ、わたしも行くか。もともと、今日起きたことはわたしが起こしたみたいなもんだしね」

 仕方ない、という表情で智美は言った。

『君』

 空太がセレラーンに話しかけた。

『君は帰ったほうがいいな。もう銃もないんだから』

『でも……その……秘石を盗られたままでは……』

 セレラーンは、歯切れ悪く答えた。

『取り返せそうなら取り返してくるから、避難しておいてくれ。宇宙とか王族とかの話は、その後で聞くだけは聞くから』

 そう言ってセレラーンを抑えると、空太と智美は光来山へ向けて歩き出した。距離を考えてか、小走りに近い。

 その様子をセレラーンはただ立ち尽くしながら見ていた。

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