第14話 結界
休校が終わり、明日から学校が再開する日、透子は光来山の中腹にある神社でお祓いを受けていた。
「……払え給い清め給う事を、天つ神、国つ神、八百万神等共に聞こしと……」
多分ありがたいのであろう言葉なのだけれど、ひどく早口である上に古語で聞き取りづらく、さらに神職個人の独特な訛りが強いために、透子には言っている言葉の意味を外郭ぐらいしか理解できていなかった。そもそもこういう雑念を持つのはいいんだろうか、いや、雑念を持つなって肩を叩くのはお寺だったか、など至極どうでもいいことが透子の頭でぐるぐる回っていた。
そして透子の右隣には空太がいて、さらに空太の右に敬介がいた。空太は澄ました表情で目を瞑っており、敬介はどこか退屈そうだった
どうして透子が今ここにいるかというと、郵便局に留められた荷物を、母親からお願いされて取りに行った帰りに、たまたま敬介と空太に遭遇したからだった。どういうわけか二人は光来山の神社にお祓いを受けに行くと言っており、さらになぜか透子も誘われることになった。
そのお祓いを受ける時、そういえば智美から近づくなと言われていたことを透子は思い出した。が、まあ昼ならいいだろうという軽い気持ちで透子は二人に付いていった。お祓いに興味もあった。
「じゃあ、桜川さんとは相談したんだ」
「ああ、昨日電話が来た。昨日は遅かったし今日はここへ来る予定があったからな。明日、学校で詳細に見てもらうことになった」
神社の鳥居を潜り、県道へ続く長い石階段を下りながら、透子と空太が話していた。昨日、優華と透子で話したことを伝えると、空太はそれを既に知っていた。
「仕事速いなあ、桜川さん」
透子は感心するように言った。
「必要となれば、預かってもらうかもしれない」
「野々宮くんはいいんだ」
「ああ、流石に対処の範囲を超えるものが現れるとなればな」
空太は冷静に答えた。わだかまっていることはあるけれど、それを抑えている口ぶりだった。
「で、二人はなんで神社でお祓いなの?」
「あーいう物の怪が出てくるのは、気の持ちようが大きいからな。そういうときは、専門家に任せるのがいいんだ」
透子が興味深そうに聞くと、敬介が答えた。
「私は気の持ちようも何もなかったけどね。ある日いきなり出てこられたんだけど」
「どうにもならん時もあるさ」
「それでいいのか神職の後継者」
呆れ顔で透子が敬介に言った。
透子が今日初めて知ったことだが、敬介は神社の神職一族、その親族だった。敬介の母方の祖父がその神職である。
「こっちはまだ習ってもいないからな」
「適当だなあ」
「だいたい後継者でもないからなあ。爺ちゃんは一応俺に継がせたいらしいけど、まずやりたいかどうかよく考えてから決めろ、そうでなきゃ何も教えられんと言ってるしな」
「そうなんだ」
そこまで聞いて、透子は他に聞きたいことに話題を変えた。
「で、このお祓い、効果はあるの?」
「効果があるかどうかは問題じゃないな。僕が真剣に祓われたと思うかだ」
空太が敬介に替わって透子に答えた。
「へえ?」
「理屈では効果も何もないだろうことは理解している。でも、やっておくことで気構えはできる」
人にものを教えるように、丁寧に空太が言った。
「それができたのなら、十分意味があると思う。正直、非科学的ではあるけれど」
「科学じゃどうにもならんものをどうにかするのが、昔から神職一般の仕事だからな。宗教宗派を問わず」
「ふむふむ」
透子は感心しながら聞いた。確かに、普通に考えてどうしようもないものに対しては、お守りを買ったりする。小さい頃、塩がお化けに効くということを知って、塩をサランラップにパッケージして持つことで、その当時は怖かったお化けから身を守れると信じて寝れるようになったことを思い出した。
もっとも、インカナは破壊力からして直接的かつ現実的な脅威でもあるのだけれど。
そんなことをあれこれ話しているうちに、三人は県道まで降りてきた。
透子は止めておいた自転車に乗ろうとして、もう一つ言うべきことを思い出した。
「そうだ、聞いていると思うけど、昨日セレラーンに会ったよ。早急にどうこうすることはやめたけど、絶対連れて行くって言ってた」
透子がそう伝えると、空太は小さくため息をひとつ吐いた。
「迷惑な」
「迷惑でなければ、かわいい子だと思うけどな」
「外面はね」
透子が苦笑しながら言った。
「なんでそこまでして野々宮くんを連れ去りたいんだか」
「そういえば理由はまだ聞いてなかったな」
「しまった、聞いとけばよかったか」
透子の言葉に、空太が首を横に振った。
「どうせそのうち僕の前に現れるから、その時に聞く」
「まだ会うつもりはあるんだ」
「こっちに無くたって向こうにあるならどうせそのうち来る。それならその時に向けて備えて置く」
「確かに、来る事はほぼ確実だね」
「だから今は自分がどうしたいか考えておく。それでいい、と思う」
覚悟を決めたような空太の台詞に、透子は感心した。どうせそのうち来るならその時に先延ばしにしない、そんな意思を感じた。
「そっか」
「それにあのSFっぽい剣をまだ返していない」
「ああ」
笑いながらその話を聞くと、透子は自転車のスタンドを外して
「それじゃ、また明日」
と言って、自転車に飛び乗ろうとした。
「あ、そうだ野々宮に白野」
そこに敬介が思い出したように言った
「ん?」
「今日はもうここに近づくんじゃないぞ」
「え?」
あまりに唐突な話だったので、透子は怪訝な顔で敬介を見た。
「どうしてだ?」
「どうしてもだ」
「……なんかあるの?」
「ああ」
敬介が苦笑しながら透子を見た。表情に見て解る含みがあった。
「白野、またアイツに会いたくないだろ」
それを聞いて透子は一瞬で何が起こるのかを悟った。このさい詳細は不明のままでよく、確かに関わったらロクなことになりそうだと思った。
「そういうことね」
透子も引きつり笑いを浮かべながら答えた。
「できれば光来山そのものに近づくなってとこかな」
「えらく範囲が広いな」
「そんだけの範囲が危険ってことだよね」
「ああ」
ふと敬介を見直すと、その表情は真剣だった。
「危険なら仕方ないよね。じゃ、今日はもう家でおとなしくしているよ」
「僕もそうするか」
「それじゃ、また明日」
そこで透子は自転車に乗り、県道をそのまま下り始めた。
透子の姿が見えなくなるまで見送ると、空太も県道を下り始めた。
「それじゃあ、僕も帰る。今日はわざわざ手間を取ってもらってすまなかった」
「いいってことよ」
空太も見送ると、敬介は石階段をまた上り始めた。今日の夜が来るまでに、やらなければならないことが、彼にはあった。
「2番!」
「4番!」
透子と茜が叫んだ。
テレビには芸能人によるクイズ番組が放映されており、その問題に対して二人がほぼ同時に答えた。
無意味に長い間を取った後、司会者が大袈裟に、2番、と言った。
「むー」
むくれる茜に対して、透子はテレビに向かってにやりと笑った。
「お姉ちゃん、これまで全問正解だね」
「たまたま今勉強しているところだったからね」
そういいながら、透子は何処か得意げだった。
そんな姉妹の様子を見て、母親がようかんを切り分けながら笑った。
「透子は本当、いろいろ知っているわね。はい、これ」
「まあね。色々調べものするのも楽しいし。ありがと」
(そのせいかどうか、知りたくもないことも色々知ってしまったんだ)
と心の中で思いながら、透子は母親から切り分けられたようかんを受け取った。
透子はそれをフォークで細かく切り分け、茜はひと差しにするとワイルドにかじりついた。 時間からして今日最後の問題が、テレビ画面に映し出されている。
「全然わかんない」
早々に茜がギブアップした。透子も思い切り頭を捻った。すでに司会者が回答を言う段階になっていて、そこで不必要なCMに切り替わった。
切り替わったCMでは、ピンク色の球状をしたマスコットキャラが新しいお菓子の宣伝をしていた。
(インカナもこいつと同じくらい無害ならなあ)
その瞬間、透子の頭の中で急速に最初にインカナに出合った日のことが思い出された。クイズの答えがそこにあった。
「ロココ!」
「え?」
叫んだ透子を茜が見た。
CMが空け、司会者がまだ少し溜めた後、正解を言った。それは確かにロココと言った。
「よっしゃあ!」
「すごいすごい! 今日全問正解!」
透子はガッツポーズを決め、茜が拍手しながら褒め称えた。
「よく知ってたわね、透子」
「私もよく覚えてたなって思ったよ。よし、じゃあ私は部屋に行くからね」
ティーカップとようかんの乗っていた皿を台所に片付けてから、透子はリビングを出ようとした。
「あ、透子、明日から学校が始まるでしょ。ちゃんと準備しなさいよ」
「はーい。わかってるって」
そう母親に返事すると、透子は二階への階段を上がった。
部屋に戻ってから、透子はクリーニングされた制服をすぐに着れるよう準備し、学生カバンの中には明日使うであろう教科書やノート、筆記用具を詰めていた。
「久しぶりの学校かあ。ま、でも夏休みや冬休みよりは短いし、何か変わっているなんてこともないよね」
『安全が確認されたので、学校を再開します』ということが書かれたプリントを見ながら、透子はつぶやいた。
(私の周辺環境はその前から激変している気がするけどね)
と内心思いながら、まとめたカバンを閉めて、机の横に置いた。そして、机に肘掛けて、カーテンを見つめた。
カーテンに何かが点いているわけではなく、ただただそこを見つめていた。
(今週はまだ落ち着いていたな)
セレラーンによる放火(?)事件を除けば、透子の身には何も起きていない。いや、単に学校に行っていないからかも知れないが。
しかし、厄介事のタネはあちこちに散らばっていることは知ってしまっていた。
「でもねえ、私が出て行っても何も出来ないしね」
透子は苦笑いを浮かべながら言った。
四人に関係することは、どれも一般人な透子には手に余ることばかりで、本当に話を聞くしかできない。
話を聞いた以上、気になることは沢山あるけれど、自分が出て行って事態を変えられることもない。
そこまで思い至って、小さく一つ息を吐き出した。
「そう、だから気にするな、私」
首を横に振って思考を振り飛ばすと、両手をぱちんと叩き合わせた。
そして本棚からマンガを一冊取り出そうとした。
そのとき、世界が変調した。
音はしなかった。
多分、物理的に何かが動いてはいなかった。
それでも、何かが起きたことを透子は感じていた。
フリーフォールの絶叫マシンが落ちたときに感じる、身体が持ち上がったような感覚。
「……もう、なんだよ」
そうつぶやきながら、透子は午前中のことを思い出した。
直感的に、光来山のあるほうの窓のカーテンを開けて外を見た。
が、光来山は、透子の家からは他の家、特に数件向こうのマンションが邪魔でよく見えない。
「……見えない」
そう一人言を言って、透子はカーテンを閉めた。
(ちょっと見るだけだから)
誰にするでもない言い訳をして、透子はクローゼットからコートを取り、外へ出るのに必要なものを身に着けて部屋から出た。
「お母さん、ちょっと……」
靴を履こうとして、違和感に気が付いた。
リビングから人の気配がしない。そういえば、隣の部屋にいるはずの茜が妙に静かだった気がする。
こっそり、物音を立てないように透子はリビングに近づいた。
いるはずの両親がそこにいない。
とすると、茜もいないかもしれない。
(ならば)
透子は、不安を抱きながらまた玄関へ向かった。靴を履いて、ひとつ深呼吸をした。
(開かない、はずだよね)
これまで、特に最初にインカナに遭遇したときは、様々なドアが開かなかったことをあったことを思い出しながら、透子はドアノブを回した。
いつもどおりの感覚を手に残して、家のドアはすんなり開いた。
(なんで開くんだよ)
心の中で毒づきながら、心拍数が跳ね上がるのを透子は感じた。
ドアを開けた先、見た目の世界は変わらないが、音が世界から消えている。
「……ちょっとそこから見に行くだけだから」
そうつぶやき、透子は夜道を歩き出した。
おっかなびっくり、音を立てないように近所の公園へ歩いた。
何にも出会うことなく、自分以外の音を聞くことも無く、透子は公園にたどり着いた。そこに設置してある遊具に上る。
遊具の頂上について、暗闇の中へ視線を向けながら小声で言った。
「……行かないからな」
そう言って両眉をひそめながら、透子は光来山を見つめていた。
音の無い夜景の中で、紅く見える月が照らす光来山は、普段見るときより遥かに禍々しく見えた。
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