第12話 祭りの後で



「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい。茜も気を付けてね」

 玄関から聞こえる元気な声に、透子は落ち着いた声で答えた。

 普段なら透子も通学しなければならない時間なのだが、彼女はパジャマのまま着替える事もなく、リビングで朝食後のコーヒーを飲んでいた。

 テレビでは一年以上前からニュースを騒がせている贈収賄疑惑について、結論も証拠もない議論がスタジオで続いていた。それがようやくひと段落し、次のニュースに移った。

「続いてのニュースです。神奈川県城上市の高校で、爆発が起きました。爆発は複数の場所で発生し、現場には火の気が無かったことから、警察は事故の可能性は低いと見て調べています……」

 そこでニュース番組の映像は現場に移った。

 ひかりが丘高校の校門を背景に、報道用のジャケットを来た男レポーターが、警察の発表によりますとという前置きをして、昨日学校で起きた事を話し始めた。

 放課後の時間に爆発が起きたこと、それが複数回あったことなどを、レポーターは違う言葉で繰り返していた。合間に学校の制服を来た生徒の証言を挟んでいる。それは、すごい音がした、怖かったなどの、証言というよりは感想が並んでいた。

「あら、映っちゃってる」

 洗濯物を干し終えて、二階からリビングに降りた透子の母親がテレビ画面を見ながら言った。

「大変なことになっているね」

「そうだね」

「透子は大丈夫だったの?」

「無事じゃなかったら今私はここにいないよ」

 テレビの画面からは目を離さず、苦笑いしながら透子が答えた。

「いったい何が起きたんだろうね」

「さあ? それは私が知りたい」

 真面目な声で透子が言った。

「それはそれとして、そろそろ着替えなさい。学校が休みだからって、だらだらしようとしないでよ」

「解ってるよ」

 そう言うと、透子はリビングから自分の部屋に戻った。


「……はあああぁぁぁぁぁぁ」

 肺の底から吐き出したような溜息をついて、透子は床へ大の字になって寝そべった。

 何気ないふうを装っていながら、透子は母親に一切合財をぶちまけたい欲求に駆られていた。それをどうにか抑えて部屋に戻ってきたのだった。

 いったい何が起こったのか?

 爆発については誰が何を起こしたのか、はっきりとわかっている。

 テレビの真面目な証言では恐らく出てこないだろうが、生徒たちの間ではすでに広がっているUFOの話題も、校舎から湧いている謎の物体についても、ちぐとみっち経由で透子は知っていた。

 なんとなれば、学校のあちこちにある謎の植物やらに警察は頭を惑わすだろう。  ひょっとすると、目撃された学校の生徒じゃない女子やら、不審な黒づくめの男とかが犯人として注目されるかもしれない。

 それらすべてについて、透子は目撃者となっていた。

 爆発騒ぎは、炎を操れる男子生徒が、その双子みたいな少年と戦っていたから。

 UFOはそのまま宇宙人のお姫様が乗っている。彼女は地球に住んでいる遠い親戚の少年を連れ戻しに来た。

 謎の植物は魔女の仕業。

 怪生物は謎の侵略者で、それを退治するために変身する少女がいる。

「言えるわけないじゃない、そんなこと」

 透子の声は冷静に聞こえた。

 そっと、枕をベッドからつかみ、抱きしめるようにする。

 平静だったのはそこまでだった。

「言えるわけないだろー!」

 枕を顔に当てて、音が漏れないようにしながら全力で透子は叫んだ。

「レポーターさんうち来てよ! 見たこと全部言ってあげるよ! 起きたこと全部見たからね! 私が言えば全部解決だよ! 大スクープだよ!」

 心に溜まっていた思いを全部枕に吸い込ませながら、力いっぱい、ひと息で言い切った。

 そして枕から顔を離して、大きく息を吸い、そして思い切り吐き出した。

「言ったら大ほら吹き扱い確定だよ」

 今度はひどく落ち着いた声になっていた。ひと息に叫んだことで、透子の心はかえって落ち着いていた。昨日、自分の目の前で起きたことすべてを思い返し、そしてそれを誰かに言ったときに自分がどう扱われるかを冷静に思い浮かべることができるぐらいには。

 そのまましばらく虚空を眺めながら枕を抱きしめ床に寝そべっていたが、昇ってきた朝日が顔に当たるようになってから、のっそりと起き上がった。

「しゃあない」

 独り言を言いながらクローゼットから着替えを取り出す。

 パジャマから黒いズボンとカーキのシャツという地味な服へ着替えながら、透子は昨日のことを思い出していた。特に、すべてがようやく終わったあとのことを。



「……というわけで、わたしはあの化け物からみんなを守るようになったのです」

 優華がそう言って話を締めくくった。

 そこにいる誰もがひきつり笑いを浮かべていた。

 ここは以前優華が透子にインカナのことを話した、国道沿いのファミレスである。

 その一席に透子、優華、智美、敬介、空太が座っていた。


 あの後、インカナはあれほど出てきたのが嘘のように消え去った。まるで時間切れであったかのように、突如その姿が減り、そして残ったものはすべて倒された。

 その騒擾の中で、ロトはいつの間にか姿を消していた。

 二人組の魔女は、パトカーのサイレンを聞いて、智美に

「お楽しみはこれからですからあしからず」

 などと言い捨てて、足早に立ち去った。

 残された透子たちは、智美の家がある森のほうから、面倒を避けるように脱出した。実際、もう警察などに関わるのも面倒なほどみな精神的にも肉体的にも疲れていた。実際にあった事を言ったとしても、信用ならない視線を受けるだけでもあっただろう。

 全員が口数少なく国道に出てきて、そこでやっと、ずっと引き伸ばしていた、後で話す、ということをやっているのだった。


 智美、空太、敬介の順にすでに一座に話していて、最後に優華が自分のことを語った。

 透子を除いた三人の引きつった笑みを見ながら優華は微笑みを絶やさなかった。

 そのまま、一分近い沈黙が訪れた。微笑んでいた優華も、だんだんと表情が固くなっている。

「白野さん~助けて~」

 こらえきれず、涙目になりながら優華が透子に言った。

 その言葉で、今度は透子に全員の視線が集まる。

 ひきつり笑いのニヤケ面を見せないよう、つとめて平静を装いながらコップの水をゆっくりと飲んでいく。

 ほぅ、とひと息ついて、ゆっくり透子はコップを下ろした。

「ま、そういうわけで、みんな不思議な力を持っているんだね、ってことで」

 ぱん、と両手を打って透子が出来る限り明るく、能天気な声で言った。

「無理やりまとめたな」

 敬介が苦笑いしながら言った。

「超能力者に宇宙人、魔法少女ね……」

 紅茶にミルクを入れ、マーブル模様を作りながら智美がつぶやいた。

「一体なんなの、これ?」

「それは私が聞きたい」

 投げ出すような口調で透子が智美に答えた。

「しかしまあ、なんというか」

「漫画のような、とでも言えばいいのかな」

 敬介と空太がともに肩をすくめながら言った。敬介は実際に口に出して、空太は表情で、やれやれと言った。

「その漫画とかだと、ここでパーティーを組んで共通の目的に向かって一致団結するんだけどねえ」

「今のところ、相手の目的や行動も見事なまでにバラバラだな」

 しみじみといった口調の透子に敬介が合いの手を打った。

「一つの巨悪は存在しない、か」

 空太は宙に視線を泳がせながらつぶやいた。

「ま、困ったときはお互いに協力すればいいんじゃないの? 実際、野々宮くんと浅木さんはよく連携してインカナを倒してるし」

「うん、それはすごいと思う。力を合わせればきっと大丈夫なんだっていい話だよ」

 透子の言葉に頷きながら優華が答えた。

「で、白野さんは?」

「ん?」

「白野さんは何もないの?」

「ああ、魔法とか超能力とか実は宇宙人とかあるいは異世界から来たとか、私がそういうのかってこと?」

 透子の質問に智美が軽く頷いた。優華も興味深そうな目で透子を見ていた。

「さんざん巻き込まれたけど、力が覚醒したり、妖怪に変化したりとかはしてないから、ないんじゃないかな。ロトはなんか知らないけど納得したっぽいし、もう私が狙われていることもないだろうね」

 淡々と透子は言った。

「……できればそうであってほしい」

 うって変わってどんよりとした声だった。透子の切実な願いだった。



「本当、もう私は出番の終わった脇役であってほしいよ」

 着替えつつ窓の向こうを見ながら透子はそう呟いた。そこにインカナかロトがいるんじゃないかと、ふとそんなことが頭に思い浮かんでしまったからこそ、それを否定したい心からの言葉だった。



 透子はその日の午前中を、本来の授業で受ける内容の予習に使った。

 透子にとっては特に難しいものではなかった。ただ、勉強に集中できれば、昨日起こったことを考えなくてもよくなる。だからあえて教科書を開き、参考書を引いて、しっかりと勉強していた。

 気が付けば正午を回っていた。

 昼食を取りにリビングに降りると、冷凍庫から適当に食べられそうなものを選んでレンジにかけた。テレビを点けると、またひかりが丘の様子が映し出されていた。

 それを見て今日何度目かのため息を吐いたとき、机の上にメモがあることに気が付いた。

 昼間にスーパーで買い出しをしておいて欲しいという、母親からの書置きだった。大した数ではなく、自転車の前カゴにすべて乗る程度の量だ。

「一応外出も自粛したほうがいいらしいんだけどね」

 透子はそう言いながらも、スーパーの近くにどのような店があったか、頭の中で思い出していた。



 自転車でスーパーからの帰路を走っているとき、ふと、ホームセンターから出てくる、見覚えのある後姿が見えた。さて誰かと思って、その横に合わせて歩いている犬を見て一瞬で誰かが解った。透子の顔が引きつった。

 その大型犬の主でもある智美は、なにごとか呪詛じみた(実際そうなのかもしれない)言葉を恨みがましく呟いていた。透子がその横を通過すると、そうでありながらその表情は不自然なほどに福福しく笑っているようだった。傍目から見てもかなり異様で、一言で言ってしまえば危ない精神状態の人間だと周囲に見られかねない状態だった。

 よろよろと自転車を操りながら、声を掛けるかどうか透子は少し迷った。無視して通り過ぎることもできたのだが、一応知り合いでクラスメイトでもあるのにそれはどうだろうという思いもあった。

 結局、透子は自転車を止めて智美に話しかけた。

「浅木さん」

「ふぇっ」

 唐突に話しかけられて、智美が邪悪な笑みから一転して戸惑った表情になった。

「あ、なんだ、白野さんか」

「そ、こんにちは」

 自転車を押して、透子は智美の横に並んだ。スフレが自然にその間に挟まった。一瞬透子は表情を強張らせたが、とりあえずこの往来で何かするようなことはないだろうと言い聞かせて落ち着きを保った。

「奇遇だね」

「そうだね」

「何してんの、こんな日中に」

「お母さんから買い物頼まれてたから、向こうのスーパーで買ってきてた」

 前カゴに乗せられた荷物を指差して透子は答えた。

「へえ」

「浅木さんはなんでこんなところから出てきたの?」

 と、透子がホームセンターを指すと、

「ん? 何で私がここから出てきたかって? 私が何を買ったか興味あるって?」

 妙に嬉しそうに智美が聞き返してきた。

「聞きたい? 聞きたい?」

「……やめとく」

 その無意味に高いテンションに関わらざるべきものを感じて透子がそう答えると、智美はふっと小さく笑った。

「そうだね、やめとけやめとけ。魔女は嘘も吐くからね」

「浅木さんは嘘はそんなに言っていないと思うけどね。隠し事や事前説明不足はやってるけど」

「白野さんだって隠し事や説明不足したでしょうに」

「まあ、ね。でもま、積極的に聞かれなかったし。聞かれたら答えてるよ、浅木さんみたいに」

「ぐ」

 透子にそう言われて、智美は思わず唸った。

「白野さん、もう一度魔女の怖さを知ったほうがいいんじゃないかな?」

「今は怖くないかなあ」

 車が行きかう国道と、人が歩いている歩道などを見ながら透子が答えた。

「ちっ」

 同じ風景を見て、智美は忌々しそうに舌打ちに聞こえる声を出した。

「わたしんちの近くは人がいないからな、覚悟しとけよ」

「多分その前に分かれるよ」

「じゃあ隙を見せないことだね」

 けけけ、と悪い笑顔を浮かべながら智美が言った。

「もうなんかいちいち言うのはなんなんだけど、浅木さんて、話してると全然印象どおりじゃないね」

「生まれつきこんな性格なんだけどね。だから外行きの性格を作らないとみんなからいじめられるよ、ホント」

 けらけらと、悪い笑顔を変えないまま言うと、智美は急にかしこまった表情になった。

「実は、魔女じゃない人で私が魔女だって知っているのは、白野さんが初めてだったんだ」

「そうだったんだ」

 漂々として言っているようで、

「基本的にあんま人と関わらないようにしてきたからね。それに森に入って来れるのは基本、魔女の同類だけだったから」

「そっちには仲いい人とかいないの?」

「残念ながら全員敵。この前みたいに油断すると人を襲ってくるとんでもないやつらだ」

「浅木さんが人のことを言ってはいけないと思う」

 苦笑いを浮かべながら透子が答えた。智美はあいまいな笑みを浮かべてその答えを流すように言った。

「それで、そのことをあの家でしゃべれたのは嬉しかったんだ。相手が魔女じゃ言っても仕方ないことばかりだしね」

 智美はそこで一旦言葉を切った。

「んで、だからこそ次の日記憶を勝手に取り戻したのは驚きだったし、自分の力に疑問持ったりもしたけど、また話せるって嬉しくもあったんだよね。結果はまあ、最悪だって思われたみたいだけど」

「当たり前だ」

 引きつった苦笑いはそのままに透子が言った。智美は両手を合わせて透子に頭を下げる仕草をした。

「悪かったとは思ってるよ」

「どうだか」

 眉間にシワを寄せながら透子は答えた。

「……ま、話ぐらいならいつでも聞くよ。実験は絶対勘弁だけど」

「そう?」

「桜川さんとはそうしてるからね。あ、浅木さんも桜川さんとお話するといいんじゃないかな」

「え?」

 意外そうな表情で智美は透子を見返した。

「桜川さんは聞くのも話すのも上手だよ。今更隠す必要ないし、」

「あー、でもわたし、桜川さんは苦手というか……」

「そうなの?」

「ぐいぐい来られると、ちょっと反応に困る」

「自分からは結構押してくるのに?」

「それは白野さんだからかな」

「おい」

 眉を跳ね上げながら、透子は精一杯ドスを利かせた声を出した。



 森のほうへ向かう道へ続く交差点へ来た時だった。

「白野さん」

「ん?」

「しばらく私のいる森、あと三条台と光来山へは近づかないほうがいい」

 三条台は『あの倉庫』がある場所で、光来山はそれよりもう少し街より離れている位置にある小高い山だった。光来山は城上市を見渡せる電波塔があり、その観光客目当ての売店や公園がある場所だった。春には花見で賑わうが、今の時期はそれほど人が入らない。

「森にはもともと近づく予定はないし、三条台には近づくつもりもないけど、光来山はどうして?」

「白野さんを使った連中がいたでしょ、そいつら関係の話なんだけどさ。そいつらそのへんでまだ危ないことやってるみたいだから、捕まらないように気をつけてねってこと」

「ああ、そういえばいたね、そんなやつら」

自動車が二人の横を通り過ぎたので、透子はちょっと大きめの声で言った。

「もう白野さんにあれこれやることはないと思うけど……って」

 自動車が走り去る音と共に、がちゃんと透子の自転車が倒れる音がした。智美が透子を見ると、ふらふらとした動作で、足取りおぼつかなく、智美にゆっくりと近づいている。

「そういやこれの解呪、してなかったな」

 智美はそうつぶやくとスフレに何事か話しかけ、そして手に何かを束ねたものを持った。


 三十分ほど後、透子はよろめくように走る自転車に乗りながら、自宅への帰路についていた。手に持たされた『頭痛薬』の袋を焦点が定まってない目で見ながら。

「たまご買いなおさないと……」

 非常に暗い表情で、透子はとぼとぼとスーパーへの道を走り始めた。よろよろと、すぐに倒れてしまいそうな不安定さだった。

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