第10話 学校事件 ③
透子は廊下を走り抜けた勢いそのまま、階段を飛ぶように二段飛ばしで駆け下りていた。
「早い早い! てかあんたそんなに運動できたの!?」
智美が追いかけながら叫んだ。透子の体育の成績は実技含めて悪くないのだが、あまりにも運動神経とかけ離れた外見をしているから、智美には予想外のことと感じられた。
それに答える余裕も無く、透子は手すりを使って踊り場を遠心力で回り、さらにかけ降りる。そのまま一階へ降りられそうだった。
そこに、廊下の影から階段に向かって走る生徒が現れた。
「だぁっ!?」
透子が叫ぶのと衝突はほぼ同時だった。
「きゃあっ!」
「うひゃっ!」
勢いのまま、透子が飛び出してきた生徒を押し倒すような形で床に転がった。
「ご、ごめんなさい!」
「いえ、大丈夫です!」
そう言いながらその生徒は透子を押し退けようとした。
そこで二人は目が合った。
「あ、白野さん」
「桜川さん」
お互いに気が付いたとき、なんとも言えない沈黙が落ちた。
「なーにやってんだ、あんた」
そこで追いついた智美と空太が、呆れるような目で透子を見ていた。
頬を朱に染めながら、透子が無言で起き上がり、その手を優華に伸ばした。優華はその手を取って立ち上がった。
「ごめん、桜川さん。二段飛ばしなんてするもんじゃなかったよ」
「ううん、わたしなら大丈夫!」
笑顔でそう言うと、優華はまた走り出した。
階段を二段飛ばしで駆け上がりながら。
「え、お?」
智美が予想外のことに戸惑う表情で優華を見た。
「なんだ?」
空太も怪訝な顔で優華を視線でだけ追った。
透子はそれを見て、優華の行動に思い当たることがあった。そして、だとすると今起きていることを彼女が知らない可能性も思い当たった。
「ごめん、私忘れ物思い出した! 私も教室行くからみんなは避難して!」
二人に向けてそう言うと、透子も階段を駆け上がって行く。
「……なんなんだろ?」
「……僕に聞かないでくれ」
透子の姿を見送りながら、空太が答えた。いつの間にか追いついていた二人の魔女とセレラーンもその姿を呆然と見送っていた。
透子が自分の教室がある三階までかけ上がり廊下へ出てみると、優華はちょうど教室へ入るところだった。
その向こう側で、黒服の男が何かを運んでいるのが見えた。
(ん?)
一瞬疑問に思ったが、その姿からすぐに別のこと、教室に寝かせていたセレラーンの護衛たちを思い出した。
(その説明もしとかなくちゃいけないかな)
苦笑いしながら早歩きほどの速度で透子は教室へ急いだ。
教室に入ると、そこには優華しかいなかった。
(あれ?)
後ろに並べていた男たちはいつのまにかいなくなっている。
(さっきのか?)
黒服の男たちが何かを運んでいる姿を思い出した。ひょっとしたら、目覚めた男たちが避難したのかもしれない。透子はそう思うことにした。
そう勝手に透子が納得したところ、優華が透子に気が付いた。
「あれ、白野さん。どうして?」
「ごめん。桜川さんに言うことがあったんだ」
「え?」
「今日の敵は、倒せた」
「え、ええっ!?」
「そ、そんなバカな!」
透子の言葉に戸惑いを隠せない優華と、さらにもう一つの声が聞こえた。人形に取り付いている(?)知性体、オキッドだった。
「私がやったわけじゃないんだけどね、ちょっとSFヒーローの人がやっつけた」
「え、ええ、本当!?」
「ありえない……」
オキッドは信じられないという口調で言い、人形の体を身じろぎさせた。
「……本当だ。一体、ここで力を失っている。何があったんだ……」
頭をひねるような人形の動きだった。
「それより、今学校内で……」
透子は、爆発が起きているみたいだから危険だよ、逃げよう、と言おうとして、それを中断するように優華が言った。
「でもね、オキッド」
仲良くなり、いつも話している楽しげな口調ではない、真剣な響きがある。
「うん。まだいる」
オキッドが答えた。透子が、え、と小さく声を上げた。
優華は右腕を頭上にかざし、短く叫んだ。
「変身!」
そこにあったフリスフルが光を放ち、次の瞬間には優華の全身がいつか見た魔法少女の装束に変わった。
「おお」
透子が感嘆の声を上げた。
「一瞬で変わっちゃうんだ。私はもっとこう、長い変身モーションみたいなのが……」
言葉の途中で優華が右腕を透子の真横に鋭く突き出した。優華は洒落っけというものがない、ひどく真剣な表情をしていた。
ひ、と、悲鳴にならない声が小さく透子の口から漏れ出た。
突き出した右腕には、彼女の魔法の杖が握られていたからだった。
(冗談でも言っちゃいけなかったことだったのかな!?)
透子は引きつった表情でそう思った。
優華はそこで急に表情を変えた。すまなそうに笑い、優しく透子に話しかけた。
「驚かせてごめん、白野さん」
そして、優華は左手で杖の先を指した
透子はそのまま、槍と表現したくなる杖の先へ目線を向けた。
インカナが一体、胸を串刺しにされ、色を失うところだった。
透子が目線をぎこちなく優華に戻すと、その後ろに何体ものインカナが形を作っているのが見えた。
「そこで伏せてて!」
教室の入り口を指差して、優華が叫んだ。
「はいいいぃ!」
悲鳴交じりに答えながら透子は優華が指定した場所へ転がった。
優華はくるりと百八十度向き直り、インカナ数体と対峙した。
インカナが腕を振るうたび、机が砕け、椅子が宙を舞った、その腕をかわしながら、優華は杖を振るい、インカナを切り払い、あるいは叩き飛ばしていく。力任せに見える彼らに対して、優華の動きは手馴れたダンスのようで、どう動けば自分の体がどこにあるか、把握している体さばきだった。
一体が空中にハネ上げられ、色を失った。その背を襲おうとした個体の攻撃を、左足を軸に体そのものを振り回して避けながら柄で殴りつける。一箇所に留まらない動きで優華はインカナたちを翻弄し、そして倒していた。
(やっぱり、桜川さんはすごいなあ)
飛んでくる破片を小さな悲鳴を上げつつ机の影でやりすごしながら、透子はそう思った。
同時に、さっき訓練されていた(はずの)男数人と光線銃と光線剣をもって、やっと一体を倒せたということが頭に思い浮かび、ひどくバカバカしいような思いもあった。
(浅木さんや野々宮くんがいたとしても、桜川さんが来るまで逃げてるのが正解かもね)
「うっきょわあああああああ! 出た! 出た!」
「下がれ、浅木!」
(うん、そうだ、下がるのが正しい)
突如廊下から響き渡った声に相槌を打って、そこで透子は声が誰なのかに気が付いた。
こっそりとドアを開け、廊下を覗き込んだ。
そこには、既に逃げて校舎を出ているはずの智美と空太がいた
「だああ! こっちにもいる!」
智美は透子からは背中が見えた。そのさらに向こう側には、インカナがいるのが見えた。
「こっちに二体!」
前、つまり透子の教室のほうを見ながら空太が言った。実際に、そこに二体がいる。
発狂したような叫び声を上げながら、智美は何かを床に叩きつけて何事かを小声でつぶやき出した。
それと同時に、植物のツタのようなものがあっという間に繁茂した。それが壁となって遠くのインカナを見えなくさせた。
「だああミスった! 仕方ないから片方斬って速攻ダッシュ!」
智美が後ろ手で空中に文字を描き、小声で別の言葉をつぶやきながら言った。
「ああ!」
空太が柄を構え、エネルギーの刃を形成する。正眼に構えて一歩前へ出た。
そこに更に一体が床から染み出した。
「増えた!」
剣を横にひと薙ぎして牽制しながら空太が叫んだ。
「ちょちょちょちょぉ!」
その後ろで智美が悲鳴を上げた。二人の向こう側に生成されたツタの壁がインカナの手でこじ開けられ、向こう側から表情のない顔が二人を覗いていた。
その様子を見て透子が優華に向けて叫んだ。
「桜川さん!」
優華はその言葉を待つまでも無く、室内最後の一体を杖の石突で跳ね飛ばすと、机の上を跳ねる様に駆けて出口へ向かっていった。そしてドアをキックで破壊しながら廊下に飛び出した。
「何だ!?」
空太は、三体のインカナの向こう側に、ひしゃげた教室のドアと、廊下に飛び出した白色のドレスを纏った少女を見た。
優華は杖を真っ直ぐに前へ向けて構え、廊下を駆け抜ける。
「伏せて!」
そう叫ぶと同時に、槍の穂先にも似た杖の先端から光弾が打ち出された。
光弾は三体のインカナをふり向かせ、光弾に気付いた彼らはそれをブロックして防ごうとした。
光弾が着弾する。
ブロックしたためか、インカナたちにはさしたるダメージを与えてはいないようだった。
しかし、優華がそれらの目の前まで走ることを許していた。
「やあああっ!」
駆ける勢いをそのままに、気合とともに優華は中央の一体へ真っ直ぐつき進んだ。その穂先が、それのあるとするならば体の中心を捕らえていた。そのインカナは避けられず、杖に貫かれた。
中央をやられた二体はすぐに反撃を繰り出そうとした。その意識は優華にしか向けられていなかった。
優華から見て右のインカナが、突如として二つに分かれた。いや、斬られていた。
優華の言葉通りに伏せた空太が、自分に背を向けた一体を斬り上げたのだった。さっき苦労したのが嘘であるかのように、入ってしまえばケーキを切るように柔らかに切れた。
残った左が腕を振り下ろした。それを優華は杖で受け止め、流れるように回し蹴りをその頭に叩き込んだ。蹴り足の先には打ち出した光弾と等質の光が込められていた。それが直撃すると、左も色を失って崩れていく。
「ふう」
見える分を倒して、優華は小さく息を吐き出した。
「大丈夫?」
優華は、空太と智美に、透子を初めて助けたときと同じように優しく話しかけた。
「いやこっちなんとかして!」
不明な単語を呟き、指先で文様を描きながら智美が叫んだ。
インカナが、繁茂するツタの壁を両手で毟り倒している。
「よっ」
優華はその小さな隙間に杖を素早く打ち込んだ。
すると、ツタを毟る音も聞こえなくなった。
「今度こそ、いなくなったかな?」
確認するように、優華が二人に微笑みかけながら言った。その優華を、智美と空太は信じられないものを見るような目で見ていた。
「さすが桜川さん」
教室から廊下に出てきながら透子が優華に話しかけた。
その声に優華がふり向いた。ちょっと困ったような表情だった。
「あ」
透子はあわてて両手で口を押さえたが、既に手遅れだった。
「ごめん」
「ま、いっか。じっと見られると判ることだし」
謝る透子にそう言いながら、優華が変身を解除する。たちまち制服姿の優華が智美と空太の前に現れた。
「大丈夫? 二人とも」
「あ、ああ」
空太が戸惑いながら答えた。
「今のはなんなんだ、桜川」
「そ、そうそう。あれは一体なんなの? さっきも襲われたんだけど。あと今の衣装とかって何なの? あなたも魔女なの?」
勢い込んで智美が優華へ質問を投げつけた。
優華はそれを押さえるようなポーズをした。
「それについては長くなりそうなので、一旦落ち着けるところでお話しません?」
ぱん、と胸の前で両手を合わせて優華が言った。透子がそれに話を続けた。
「そうそう。この際だからみんな自分のこと説明したほうがいいかもね。そのSFなビームみたいな剣のこととか、ツタの魔法のこととかさ」
「これは魔術。魔法じゃない」
透子の言葉にトゲのある言い方で智美が答えた
「こだわるね」
透子は苦笑しながら言った。
「というか、その感じだと白野さんは桜川さんのことも知ってたね?」
「うん」
「じゃああの化け物もよく知ってたんだ。今思えば、急にあんなのが出てきたのに普通の子がすぐに反応できるわきゃないか」
「ごめん。約束で秘密にしてたんだ。思いっきり台無しにしちゃったけど」
透子はそう答えると優華へも頭を下げた。
「本当にごめん、桜川さんも」
「いいよいいよ。真正面から見られたらすぐ気付かれちゃっただろうし」
優華は手をひらひらさせながら答えた。
「それじゃ、一旦学校から出ようか」
「あ」
そこで透子が、インカナとの戦闘で注意が逸れていた、今学校で起こっているはずのことを思い出した。
「お話とかはちゃんとやるから、さっさと逃げないと!」
「あ!」
「ああ!」
空太と智美もつい十分前、インカナと再遭遇する前に起きたことを思い出した。
「えっ、なに、なんのこと?」
「そういや桜川さん、走って上へ来てたけど、爆発のときどこにいたの?」
「爆発? なにそれ?」
今度は優華が驚いた表情になった。
「わたしはインカナの気配がすごくしたから、帰っている途中で戻ってきたんだけど……。そういえば、みんな慌てて出て行くからおかしいなとは思ったんだ」
そう言って、優華の形のいい眉が困ったようになった。
「細かいことはあとでまとめて整理しながら話そう。今は学校を……」
空太がそう言って話を切りあげようとした時だった。
ごしゃっ、とドアが破壊される音が廊下に響いた。
「何ごと!?」
透子たちは慌てて音のしたほうを見た。
いくつかの教室を隔てた先の廊下に、少年が一人転がり出てきた。
少年の姿かたちを一目見て透子は頭を抱えたくなった。
白髪の赤井敬介という姿をしている少年、ロトがそこにいた。
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