第8話 学校事件 ①
それからさらに数日が過ぎていた。
ロトに襲撃(逃げなければそうならなかったかもしれない)されたことさえ除けば、誘拐事件からずっと、一見すると何も無い日々だった。
実際には動きが怪しい人間(透子には見覚えのある、おそらく警官)が学校周辺に姿を見せており、時々正体不明の影という噂が上がる。敬介はどうしようもなく遅刻することが増え、よく話を聞くと迷うはずの無い林道で迷った人間が何人か。
関わってしまった『何か』の痕跡を見せられているようで、透子は日々、気が気でない。
一応すべて単に巻き込まれただけなので、彼女を積極的に狙う動機は何処にも存在しないはずなのではあるが、気になるのは仕方ないし、何かの拍子にまた巻き込まれる可能性は案外高い気がしているのだった。
あれこれ考えているうちに思考のるつぼにはまりこみ、どうしようもなくネガティブな推測と楽観的な予想を振り子のようにゆらつかせながら日常生活を送っている透子は、正直疲れきっていた。ただ生きているだけで疲れることってあるんだな、と知りたくも無い世界の嫌な面を体感してしまってた。
そんな透子の様子は、彼女の友達からも見て取れたらしい。その日の放課後、ちぐとみっちが心配そうに透子へ話しかけてきた。
「透子、大丈夫? 心配事とかあるなら何でも聞くよ」
「そうそう、ここんところずっと心、ここにあらずって感じになってるよ」
「うん」
わかっているよ、と言いたげにゆっくりとうなづき、また透子は宙を見ている。
「重症だね……」
みっちが放り出すように、ちぐに言った。
「透子を元気にできればいいんだけどなあ」
「元気かあ。たまにはカラオケにでも行く?」
「カラオケかあ」
幾分上の空なところはあったが、そういえばそんなところには最近行っていなかったことを思い出した。
(たまにはいいか、気分転換になるし)
「うん、そうする」
一応漫画研究会の活動日ということにはなっているのだが、そこで何をするかのルールはあって無きがごとしである。部長である透子が活動をカラオケと決めてしまえば、三人の中に反対者はいなかった。
結果から言えば、これで大分透子の気分は晴れた。ヘンな出来事に頭悩まされることもなく、日ごろ心に溜まっていたものを歌として吐き出した透子は、二時間の間にずいぶんと元気になれたのだった。こんな楽しい時間を過ごせるならまだまだ人生捨てたモンじゃない。そう思うぐらいには気力が回復していた。このときさっさと帰ればよかったと思うのは、ほんの僅か先のことだった。
楽しい二時間が終わり、透子はバスに揺られて家の近くで降りた。
一人ではあるが、住宅街の中だったので、透子はそこまで何かを恐れることなく、歌い損ねていた曲を口ずさみながら、ゆっくりと歩いていた。
「素敵な歌ね」
唐突に、声が聞こえた。
それは耳元でささやかれたように、小さく、それでいてはっきりとした声だった。
はっとして周りを見回すが、そこには透子以外、誰もいない。
「歌は私たちも大好き、歌えば詩は道に沿って、どこまでも広がっていく」
別の声が、またささやかれるように聞こえてくる。誰も、透子の近くにはいないというのに。
「素敵なお嬢さん、あなたにお願いしたいもコトがあるの」
さらに別の声が目の前からした。透子はきょろきょろと周囲を見回すが、見えるのは住宅街に立ち並ぶ普通の家と道、そして街灯ぐらいのものだった。
(あーもー!)
またも発生した不可思議な現象に、透子の怒りが急激に燃え上がった。普段の落ち着いている状態であればもっとしおらしい態度になっていたのかもしれない。しかし、久しぶりに楽しい気分を味わった後で、家に帰る前でのこの仕打ち。透子がヒートアップするのも仕方ないと言えた。
「もーいい! 出て来いこの野郎! 今度はオバケか妖怪か!」
カバンを両手でぶんぶん振り回しながら透子は大声で周囲を威嚇した。もう周囲の家に住む人間にどう思われようが構わない、そのくらいまで怒りが燃え上がっていた。最も、その姿は傍から見るとなんとも滑稽で、可愛らしくも見えたので、実際に誰かを脅しつける効果はゼロだったのだが。
重いカバンを女子がそうそう長いことふり回していられるわけもなく、ほんの僅かな時間で透子はカバンを下ろし、肩で息をしていた。ぜぇぜぇ、と荒い息を吐きだすと同時に、段々と落ち着きを戻してきていた。
(……もしかして、いなくなったかな)
不可思議な気配はなく、周囲に人影もなし。もしかしてうまく行ったかも。そう思って透子は大きく息を吐き出した。
「ダメだよ、そんなはしたない言葉づかい」
その瞬間、言葉と共に透子は後ろから何者かに抱きしめられていた。
「ひぎゃっむぐ」
蒼ざめた顔で上げようとした叫び声は、同時に右腕に抱きついた長髪の少女に口を塞がれて上げられなかった。
「言葉は大事にしませんと。それは最も強い剣にして盾ですの」
「あなたの歌はとても素敵よ。だからその口から紡がれる言葉は穢れなき言葉でないと」
左腕に抱きついたショートボブの少女が透子の鼻先に人差し指を当てて言う。
「我ら三人、道の魔女」
歌劇の台詞回しのような、右腕の女の声が後ろから聞こえる。
「真理の魔法を求めるもの」
「あなたにお願いしたいことがあるの」
声を発しているものと声の方向が一致しない。言葉と目に見える光景が一致しない。ゆらゆらと頭が揺れている感覚の中で、透子の意識は徐々に暗闇に落ちていった。
最後列窓際の席は、浅木智美が手に入れた理想の場所だった。
適度に学校の様子が見通せ、校庭もなかなかいい角度で見られる。図書館やらコンピューター室やらで何やらやっている人間がよく見えるのは楽しいし、何より一番大事なのは先生からも見えづらいからノートで好きなだけ魔術理論を考察することができることだった。傍目には勉強熱心な生徒にしか見えまい。智美はそんな特別席で毎日を過ごせていたのだった。
かように素晴らしい席ではあるけれど、智美の人生からすると、そこは重要な場所ではなかった。確かにあれこれ見通せるのはとても楽しいが、彼女にとって最も大事なのは魔法へ至る事だ。そのために必要なものが取り揃えられているのは森の中にあるわが家である。
というわけで智美は基本的に放課後になったらすぐ帰宅しているのだが、今日はたまたま見えてしまった、コンピューター室内での修羅場を見届けていた。
女二人が怒って男に詰め寄っているのがよく見える。
智美は窓を開け、葉っぱを一枚、軽く宙に浮かせ、小さく何かを呟いた。
すると、智美には、離れている上に窓まで閉めてあるコンピューター室内の会話が、明瞭に聞こえるようになった。
「あんたにとってあたしたちってなんなのよ!」
「ま、待ってくれよ」
「ふざけないで!」
遠く離れているはずの光景が、まるで間近で繰り広げられているような臨場感だった。
「やってるやってる」
智美は実に楽しそうにつぶやいた。
浅木智美は魔女である。本当の魔法を捜し求めるもの、自らを真理の探究者であると信じて疑っていないもの。
の、はずではあるが、それは彼女が世間から自由であるというわけでもない。
むしろ、このようなゴシップ話には人一倍興味を持っていると言える。
透子と敬介の間にあることを聞きたいと思ったのは、むしろその方面への興味が大きかったからだった。
「そうだ、改めて白野さんに赤井くんのこと聞いてみるかな」
正面から行けば、まずまともに話してはくれないだろうが、そこは人外に足を踏み出すべき道を歩く魔女。そのものの意思に寄らずに解答を得て、しかもそのことを感づかせない手段は百を下ることはないのだった。智美が使えるのはそのうちいくつかだけではあるけれど。
智美に調子外れな鼻歌が聞こえてきたのはそのときだった。
ある時はまったく抑揚のない音がただひたすら流れ、逆にある瞬間はシャープとフラット、ピアノとフォルテを織り交ぜた奇怪で複雑な旋律を奏でている。
その歌を歌う何者かが教室に入ってきた。
透子だった。
智美はなあんだ、と思った。変な歌からして何かおかしな人間が入ってくるかと警戒していたのに、入ってきたのが彼女では何もなさそうだった。肩透かしを食らった気分だった。機嫌がいいときにはこんな奇行をしてるんだな、と、意外な一面を見た気がした。
「あら、白野さん」
と、智美は透子に挨拶した。透子はそれに返答せず、調子外れな歌を歌ったまま、自分の机に向かった。
智美は内心、あたしに対してはまだ機嫌悪いのかな、と思い、なんとなくばつが悪くなったので視線をコンピューター室の修羅場に向けた。
その瞬間、違和感を感じた。
聞こえてくるはずのコンピューター室内の音が聞こえなくなっている。意図的に切らなければ、その魔術はそれなりに長い時間継続するものだった。
はっとして、智美は透子へ振り向いた。
透子は右腕を大きく振り上げて、持っている何かを智美に叩きつけようとしていた。
「げっ!」
咄嗟に右手で透子の手首を掴み、それを止めた。
透子の右手には、鈍い光を放つ、刃渡り十五センチほどのナイフが握られていた。柄は見事な装飾が施されており、その中に埋め込まれている宝石が夕日に照らされ、きらりと輝いている。
調子外れな歌を歌いながら、無表情に透子はナイフの刃を智美に押し付けようとしていた。
「このっ!」
智美は口元で何事かを囁いた。それは身体能力を一時的に強化する魔術を行使するための言葉だった。それで一気に透子を跳ね除けようとした。
が、そこで発揮されるはずの身体能力は全く強化されず、智美は上から押し込む透子に押されてしまっている。椅子に腰掛けている状態では、その力に対抗できなかった。
「やばい、その歌が魔術封じか!」
ようやく智美はそのことを理解した。
魔術を封じる手段はいくつかあるが、この歌はより奇怪な事象を起こすことで、魔術の発動に必要な要素をそれに引っ張り込み、別の魔術を阻害する手法だと推測した。強力な電波で他の放送を妨害する、電波ジャックの手法に近い。
学校の中にはそこまで強力な仕掛けを施しているわけではないし、手元にあるものはそれこそ簡単な手法である。とはいえ、ド素人の歌一つに封じられるほどではないはずだった。
透子は無表情なまま、より強くそのナイフを智美に押し付ける。
「このやろっ!」
智美はたまたま手元に転がった筆箱を透子に叩き付けた。大したダメージを与えたようには見えなかったが、その筆箱に引っかかって透子の眼鏡が外れた。
カラン、と軽い音を立てて、透子のメガネが教室の床に転がった。吊り目気味の三白眼が、焦点の合っていない目で智美を見ていた。
それを見て、誰だこいつ、と智美は思った。そこにいたのはセンスの欠片もないような丸眼鏡の地味な少女ではなく、整った顔立ちをしている、一見するとクールな印象を与える、いわゆる寒色系の少女だった。眼鏡一つでここまで変わるのかと、信じられない思いだった。
「……あれ?」
歌が止み、透子の口から困惑の声が出てきた。
きょろきょろと周囲を見渡し、そして困惑している声で大きく叫んだ。
「見えない! 何処だここ! 眼鏡どこ!」
智美に迫っていたナイフが力なく床に落ち、透子は体中をぺしぺしと叩いて眼鏡を探す動作をしていた。目の前にいる智美にも気が付いていないようだった。
「すいません! 誰かいたら私の眼鏡をください!」
取り乱している透子を尻目に、智美はとりあえずナイフと眼鏡を回収して透子から距離を取った。だいたい机三つ分ぐらい。
智美はまずナイフを調べてみた。絡みつく蛇が柄に彫られており、目に小さなガーネットが埋め込まれている。刀身はおそらく銀。刃は落とされているが、鈍く光る刀身は向けられるとやはり原始的な恐怖を覚えさせられるようだった。智美が柄を持つと、刀身に隠されていた刻印が浮かんだ。その文字を追い、知識の中から意味するものを探した。
「物理的に切ることをイメージソースとして、精神か魔力かにダメージを与える術式かな? 触れられてるとヤバかったかも」
そう小さくつぶやくと、刀身をそのへんにあった雑巾でくるんだ。物品の価値を知る人間から罵声が飛びそうだが、今は安全第一だった。
「あ、浅木さん? あの、私の眼鏡そのへんに転がってない?」
小さなつぶやきだったが、透子は聞き逃さなかったようだった。まるで見当違いの方向を向いているが。
「んー……」
どうしたものか、と智美は思案した。眼鏡には魔法的なものは感じられなかった。そもそも普段の透子が使用している眼鏡である。とすると、透子本人に何か魔術がかけられていることになりそうだった。
「そうか、視界か」
「はい?」
「白野さん、ちょいと我慢して」
そういうと、智美はするりと透子の後ろに回りこみ、その両腕を後ろ手に縛り上げた。
「ちょ、ちょい! 何するの!」
「自分のやったことを考えろ。……といっても白野さんは今多分覚えてないか。まあいいや」
そう言いながら、今度は透子の正面に回りこんで眼鏡をかけてあげた。
「何を……」
そこで透子の言葉は途切れた。
また調子外れの歌を歌い始め、後ろ手に縛られた体をほどこうと体をよじらせている。
その様を見ながら、智美は彼女にかけられた魔術を大体理解した。
「視界、というか脳の認識かな? わたしを認識したら、わたしを襲うように術をかけたんだろうね。ん? もそうすると日中私に襲いかかってこなかったのはどういうことかな?」
もぞもぞと動く透子を目の前にしながら、智美は頭を捻っていた。
「……何をしているんだ、お前ら?」
その声と共に野々宮空太が教室へ入ってきた。
「はへ?」
透子も一瞬で歌うのをやめた。また自分の状況を認識した透子は大声で言った。
「あれ、これ、どうなってるの? ってそうだ、浅木さん、いきなり何するの!」
「なるほどなるほど、あたし一人の時だけ、って限定もかけられてたのか」
クラスメイトに、一人になった時だけ自分を襲う魔術(あるいは催眠術か)をかけた。普段は特に反応しないから警戒もないし、一人のときはあの歌で智美の魔術を封じながら襲う。なかなか考えられた攻撃だった。
魔女は人外である。少なくとも、そのうちそこへ行くことを目指している。だから一般人の透子を使って攻撃を仕掛けて来る事は、彼女の倫理観では大したことではない。問題は、誰が、何の目的で自分を攻撃してきたか、だった。あと、今この状況を二人にどう説明するべきか、だ。
透子は椅子に座らされていた。
目の前には向かいになってやはり椅子に座っている智美がいる。智美の頭の上からは教室の扉があり、そこから空太が二人のことを見ていた。
「これから女の子同士のとても大事な話をするので、教室の外にいて。でもしっかりわたしたちを見ているように」
智美にそう言われたときは何を言っているのかわからなかったし、実際何もわかりはしないのだが、詳しく聞こうにも、大事な話だから、で押し通されて空太は仕方なく教室の外で二人をじっと見ていた。傍から見れば不審な光景である。
その教室の中で、智美は銀のナイフを弄びながら透子に言った
「さて、これは一体どこで手に入れたのかな?」
「……本当に、私が持ってたの?」
透子には、そのナイフを持っていたことも、それで智美を襲ったことも、全く記憶に無かった。怪訝な表情で、ナイフを見つめている。
「記憶にないんだね。まあ予測はついてたけど。とすると、やっぱり記憶阻害されてるのか」
「記憶阻害?」
その言葉に、透子は思わず体を強張らせた。智美の家で、記憶をいじるという薬を飲まされ、次の日に地獄のような頭痛を味わってからまだ半月は経ってなかった。
「そう。全然覚えていないだろうけど、ここ数日で白野さんに、誰かが魔術をかけた。白野さんはそれを忘れさせられて、しかも条件が揃ったら私を襲うという魔術をかけられていたんだ。残念ながら証拠を出しているとき、つまり白野さんが魔術にかかっているときの記憶は白野さんにはない。だから証明もできない」
そういって、智美は両掌を上にして肩をすくめた。
「だって、魔女の言葉なんか信じちゃいけないからね」
今度は両手で拍手を一つ打った。
「とはいえ、このままでは私はとても困る。白野さんもいきなり自分の体が奇行に走ったら嫌でしょう? だから……」
智美はカバンをごそごそと漁り、中からひとつの錠剤を取り出した。
「これ飲んで」
「やだ」
透子は即答した。
「やだじゃない、飲みなさい、むしろ飲め」
「いーやーだ! 今度は何をされるんだ!」
「今日はスフレはいないけど、素人に言うことを聞かせる方法は沢山あるんだよ。自発的になったほうが、きっと……」
「……何をやっているのかはわからんが、嫌がっている人間に強引なことがよろしくないぞ、浅木」
楽しそうに透子に迫る智美に対して、空太が軽くドアを開けて言った。
「むう。わたしにとっちゃ一大事なのに」
智美は不満そうな表情を空太に向けた。
「だがな……」
空太が何かを言おうとしたとき、別の声が聞こえてきた。
「失敗失敗。いけると思ったんだけどなあ」
「考え方は悪くなかったけど、使い手を考慮しないといけなかったね」
くすくすと笑いながら、長身で短髪の少女と、矮躯といっていい小さな体に腰まで伸びた長髪の少女が教壇の前に現れた。
いつの間に教室へ入ってきたのか、透子たちにはまったくわからなかった。透子たち三人が怪訝な顔で見ていることに如何な満足を覚えたのか、にんまりと笑みを浮かべて二人は踊るようにして一歩前へ出た。
「さて、久しぶりですね森の魔女」
「今日こそ復讐なるとき。今宵は喜ばしき夜ぞ」
それは二人の少女から、歌うように宣言された。
「……誰だっけ?」
名指しされた智美は、しかし頬に人差し指を当てて、まるで心当たりがないように振舞った。
その言葉に、二人の余裕さえ感じられた笑みがそのまま余裕ごと凍りついたようだった。
「一年前のあれほどのことを覚えてないと言うかお前ぇ!」
長身のほうが、あっけなく地金を晒して怒声で吼えた。
「ゆずちゃん、ブレイクブレイク」
それを矮躯の少女が抑えるように身振りした。
そして智美は、はっとした表情で両手をぽん、と叩いた。
「あー! あの時のうすらバカどもの仲間か!」
「思い出したようで何よりです」
「道は森を切り開く。今日がその喜ばしき日」
「あの三人はこてんぱんにしてやったと思ったけど、そうか、後釜がもう来たか。懲りない連中だね道の魔女ってのは」
気を取り直して歌うような言葉遣いになった二人に、自然体で智美は答えた。同時に、両手を複雑に、空中に何かを描くように動かしている。
「あのー、もしもーし」
小声で透子が智美に話しかけた。智美はそれによって、透子の状態を思い出していた。
「あ、そうか。このままは危ないな。野々宮くん、白野さんを押さえといて」
「押さえる?」
「マスト重要だからね、白野さんが走ったりしたらすぐにとっ捕まえて。危ないから」
誰が何に対して危ないかは言わずに、智美はそう言った。
「白野、彼女たちは何をやってるんだ?」
「知らないし知りたくない」
引きつり笑いを浮かべながら透子は答えた。
「ところでさ、わたし、今持ち合わせがないから一旦仕切りなおしにしない? 一時間後ぐらいに」
「そう出来るならそうしてますのよ」
長身の少女がそう言って手を上げた。
「えっ!?」
それと同時に、透子が間の抜けた声を上げた。
「白野!?」
空太も驚愕の声を上げた。
すぐ隣にいたはずの透子が、いつの間にか離れていたはずの智美の近くに音も無く居て、その右手を振り上げていた。
何がどうなっているのか理解することも出来ないまま、透子はそのしっかり拳を握った右手を智美に振り下ろしていた。
ごっ、という鈍い音と共に、智美の頭に透子の右手が落ちた。
ぐっ、と押し殺した声が智美の口から漏れる。
「ご、ごめん浅木さん! 体が勝手に動いた!」
透子は智美に謝った。頭の中ではどうやって自分が智美の頭に拳を落としたのか、まったく解らないことに恐怖を感じていた。
(浅木さんが言っていたことってこれか!?)
透子はそこに考えが思い至った。そこで、数日前の夕方に起きたことを連鎖的に思い出した。三人の少女に突然組み付かれて、そのまま記憶があいまいになっていることを。
「あ、あなたたち!」
その三人のうち二人が、今彼女の目の前にいることを思い出した。
智美から目を一度切って、二人の少女、数日前、道の魔女と名乗った二人を見た。
「んがっ……ゴホゴホゴホっ!」
「ん? あ、あらら?」
透子が見ると、長身の魔女は智美の直前で、顔面に何かを浴びて思い切りむせこんでおり、矮躯の魔女はそれをみて戸惑っていた。
「タネが割れてれば見破るのも止めるのも簡単なんだマヌケが!」
思い切り叩かれた頭を押さえながらも、智美が喜色満面で答えた。
「片方陽動でもう片方が本命なら、派手な音が鳴るほうが陽動。白野さんが派手に動いたときから目は切ってなかったからね!」
そう言いながら、智美は五センチほどの球を手で弄んでいた。その中身が、智美に接近するために近づいた長身の魔女の顔面に直撃していたのだった。
「ゴホゴホっ、さ、催涙ボールとか、卑怯だろ!? もっとまっとうに、魔女なら魔術で勝負をしろって!」
「やなこった。それに、これはこれでわたしの研究成果なんだから、魔術でもあるよ」
手元にあるボールを弄びながら、智美が答えた。
「後ろを見させて正面から接触させることで何かを使おうとしてたね。悪いけど古典的すぎるでしょ」
からから笑いながら智美が言った。長身の魔女は、それを証明するように片手にお札のようなものを持っていた。
その様を横目に見ながら、透子はこっそり空太の隣に戻ってきた。
空太は頭に大量の疑問記号が浮いているような表情で透子に聞いた。
「なあ、白野。今は一体、何があったんだ?」
「私もよくわかんないけど、多分、魔法」
「魔法?」
「魔法じゃないよ、魔術だよ」
腰に手を当て、余裕の表情になっていた智美が空太に答えた。
「魔法と魔術の違いはこの前言ったでしょ」
「んなのいちいち覚えていられないって。それにその時の記憶を消そうとしたのはどこのどいつだったっけかな!?」
教師のような口ぶりの智美に、透子は苛立った声で答えた。
「……なあ、白野、浅木。なんなんだこれは。そういう劇の練習か何かなのか?」
「それならどれだけよかったかわかんない」
疑るような声の空太に、透子は遠い目をして、実際に窓の向こうの遠くを見て答えた。
向かい側の校舎には、落ち始めている太陽がオレンジ色の陰影を押込み、その上で浮いている銀色の物体にも、その色を映していた。
(……浮いている?)
目をぱちくりさせて、もう一度窓の外を見てみる。
ほんの一瞬だが、空に溶け込もうとしている何かの輪郭が見えた気がした。
(気のせい? いや、これ、作劇のパターンだと……)
透子が未確認飛行物体らしきものを見て考えていると、智美が二人の魔女につかつかとにじり寄っていた。
「さて、どうしてくれようかね」
指先を細かく動かしながら、煽るような言い方だった。
『何をしているのかわかりませんが、下がりなさい』
そこに、綺麗な声だが、たどたどしい英語が教室に響いた。
「げ」
聞き覚えのある声に教室の入り口を見て、透子は思わずうめき声を上げた。
「……勘弁してくれ」
同じ所を見た空太は、頭を抱えながらつぶやいた。
教室の入口には、セレラーンが男数人を引き連れて立っていた。
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