第4話 さんざんな日



 透子は自分の部屋のベッドで目を覚ました。

(あれ?)

 透子はその当たり前のことに大きく違和感を感じた。

 寝る前、家に帰ってきた時間、昨日学校であったことの記憶が曖昧だった。

(ああ、そうだ。学校裏の森で迷って、浅木さんに見つけてもらったんだ)

 頭に手を当てて、記憶の片隅から自身の行動を思い出す。

(……なんで森で迷ったんだ? なんで浅木さんに見つけられたんだっけ?)

 透子の記憶は、あちこち曖昧だった。そして妙に頭が重い気がする。

(まあいいか。着替えよう)

 そう思い、サイドデスクに置かれた眼鏡をかけて、ベットから立ち上がった。

「~~~~~~~~~!?」

 起き上がって右足に体重がかかった瞬間、足の裏から千切れるような痛みが襲って来て透子は声にならない叫びを上げ、床に転がった。

 右足を両手で押さえながら転がり回る。押さえた右足には包帯と湿布が巻かれていた。

(なんだこれ!)

 どうしてこうなったのか、またもやかなり記憶があやふやである。が、それ以上に強烈な痛みが透子を思いっきり苛んでいた。

「お姉ちゃん、大丈夫!?」

 部屋を転がり回った音が聞こえたのか、妹の茜が透子の部屋に入ってきた。

「だ、大丈夫……」

 明らかに大丈夫ではない声の調子だった。

「足ヤバいんだから無理しないほうがいいよ」

「う、うん」

 転がった状態からどうにか床に座り込んだ態勢を取って、透子は答えた。

「あのさ、なんで足こんなんになってるんだっけ?」

 透子の質問に、茜は心配そうな表情で答えた。

「靴を無くして裸足で森の中歩いてたってお姉ちゃん自分で言ってたよ?」

「……いつ?」

「昨日、帰ってきた時だよ」

「帰ってきた時……」

(いつだ?)

 そう疑問に思った。昨日家に帰って来た記憶が本当にない。

「昨日、私何時頃帰ってきた?」

「七時ぐらいだったよ。浅木さんって人に連れられて帰って来たよ」

「浅木さんか……」

(えっと、森で迷った時に助けてくれたのが浅木さんで、家に運んでくれたのも浅木さん……)

 頭の中で話を再整理する。だんだん、記憶が詳細になって来た。

「ああ、そうだ、浅木さんだった」

 今度こそ確信を持って思い出した。曖昧だった記憶はそこで一気に鮮明になった。 そう、彼女に送ってもらって、家に帰って来たのだった。

 母が平謝りしていた。お風呂に入り、傷口にお湯や石鹸が浸みていた。ようやく記憶がはっきりした。透子はそう思った。

「なんとなく思い出して来た。もう大丈夫」

「わかった! じゃあ、わたしは先に下行くからね」

「うん。着替えたら私も朝ごはんにするよ」

 その言葉を聞くなり、茜は階段を降りていった。透子はその姿を見届けると、部屋のドアを閉めて服をはだけた。

「じゃあ、着替えを……」

 独り言をつぶやいてセーラー服を手に取った時、また右足に痛みが走る。

「~~~~~~!」

 またも声にならない叫びを上げながら、透子はベッドに腰掛け、足を宙に浮かせながら着替え始めた。

(一体何してんだ昨日の私。遊んでて落っこちてあんな小さな森で迷うなんて)

 記憶が次々に鮮明になっていく。

 それが、今自分の頭で作られた幻想の記憶であることに、まだ透子は気がついていない。彼女はまだ、昨日自分の身に降りかかったことを知らなかった。



 ひょこたん、ひょこたんと、右足をかばう不自然な歩き方で透子は通学路を歩いていた。

 母親からは学校まで送っていくと言われたのだが、いや大丈夫と言って普段より二十分近く早い時間に家を出た。

(素直に送ってもらえばよかった)

 丁度学校まで半分ぐらいのところまで歩いて来てから、透子はそう思った。

 痛くない歩き方がつかめてきた代わりに、今いる場所まで普段の倍、時間が掛かっている。学校へ到着するのは大体いつもと同じ時間になるだろう。

(明日からは治るまで素直に送ってもらおう)

 中学生から高校生の間というのは、自分自身が発達する時間であり、それは自我、あるいは見栄というものも同時に拡大していく時期である。透子もちょっとした見栄を張ってしまい、今日ちょっと苦労している。

(あんまつまらない意地を張ることでもないしね)

 そう思いながらひょこひょこ歩いていると、一人の男子生徒が透子を追い抜いていった。その男子生徒に見覚えがあったので、透子は挨拶した。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 野々宮空太が振り向き返事をした。そのまま彼は学校へ向けて足早に歩き去っていった。

(野々宮君、朝早いなあ)

 赤井敬介の右隣に席がある彼も、透子のクラスメイトである。桜川優華と同じぐらいに成績優秀で品行方正な、理知的な印象を与える歳の割りに落ち着いた少年である。

(いつも私より早く教室にいるわけだ)

 そう思いながら角を曲がる空太を透子は見ていた。それに二分ほど遅れながら、透子も同じ角を曲がった。



「おはよー」

「おはよう……って、なんか歩き方おかしくない?」

 ひょこひょこ歩きながら教室に入ってきた透子を見て、ちぐが透子に問いかけた。

「昨日、遊んでたら崖から落ちて、あの森の中を彷徨うことになったんだよ。靴無くして歩いたら、傷だらけになっちゃってね」

 透子は頭に手を当てて、たははと苦笑いした。

「それ、大丈夫なの?」

 優華が、心配そうに透子に話しかけてきた。

「右足がかなり大丈夫じゃないけど、大丈夫」

 そこで優華は更に透子に近づいた。二人の顔が近い。

(やっぱかわいいっていいよなあ)

 少しどきどきしながらそう思った透子に、優華は小声で尋ねた。

「インカナに襲われたの?」

「いや、これは完璧に私のドジ、無関係」

 苦笑いしながらの答えだった。

「あそこ、結構高さあるよね、よく大丈夫だったね」

 みっちが感心したような声で言う。

「いや本当、無事で良かったと思うよ」

 右足が全然無事ではないけれど、大体五体満足であるのは幸いだなと思った。

 そこに赤井敬介がやってきた。普段からギリギリで教室に入ってくる彼が早い時間に現れたのを見て、透子は珍しいことがあるなと思った。優華、ちぐ、みっちも同じことを思っているようだった。

「白野」

 そして教室に入ってくるなり、透子に声をかけた。

「赤井くん、今日はえらく早いね」

「ああ、お前に謝らなくちゃいけないからな」

「私に?」

 透子は首をかしげながら聞き返した。今の透子には、敬介から何か謝られることがあった記憶が無い。

「ああ、そうだ。 あいつのせいで、あと間接的に俺のせいでひどい目に会わせちまったからな」

「……誰? あいつって?」

 怪訝な表情で透子は聞き返した。

「昨日のあいつだよ。 ロトのことだ」

「だから誰? 赤井くんの知り合い?」

 今の透子には、敬介が言っていることが理解できなかった。その様を見て、敬介も深刻な表情となっている。

「昨日私は……」

 何かを言おうとした透子の言葉を終わりまで待たず、敬介は透子の肩を掴んで彼女に迫った。

「白野、お前、覚えてないのか? 天井から吊るされてたりしただろ! そう簡単に忘れるわけないだろ!?」

「吊るされてた?」

「ああ、あいつに襲われて裏山の倉庫にさらわれてただろ。 その後一人で逃げていってもらっただろ」

(倉庫?)

 そう言われると、昨日森で迷ったのは、倉庫のような建物からだった。

(そうだ、そこから私は逃げて道に迷ったんだ。 逃げた理由は……) 

 記憶にない光景が、フラッシュバックのように頭に浮かぶ。それは、実際にあったことのように写った。同時に、今日の朝思い出した『昨日の出来事』が、徐々にぼやけていくような感じがした。

 買い物に行く最中出合った、敬介そっくりの男。

 高いところにいる風景。

 敬介と別の男が何かで戦っている。

 森の中で迷った。右足を傷つけている。

 そして、一軒家で微笑む誰か。

 次々と、記憶の中で画像が浮かび上がっていく。

 その瞬間だった。

 透子はまるで鈍器で頭部を殴られたような衝撃を受けた。

「ぎっ!?」

 透子は短く叫ぶと、頭を両手で押さえて床に転がった。

 尋常じゃない痛みだった。

 例えるなら、頭の内側で昆虫が無茶苦茶に暴れまわっているような。

「お、おい!」

「白野さん!」

「透子!」

「大丈夫!?」

 敬介と優華、ちぐとみっちが透子に駆け寄る。

 透子は返事も、身じろぎも、考えることも出来ずそこで頭を押さえながらいることしかできなかった。痛みに耐えかねたうめき声だけが、かろうじて口から漏れ出すのみだった。

「とにかく、保健室に運ぼう」

 野々宮がそう言うと、四人は頷いて行動を始めた。

「とりあえず運ぶぞ」

「わたし、保健室からタンカ持って来る!」

「わかった。エレベーターから降りるからそのあたりで準備してて、桜川さん」

「わたしも保健室行く。先生に言っておくから」

 敬介とちぐが左右から透子を持ち上げ、優華とみっちは保健室へ走った。

「透子、透子、大丈夫?」

「……痛い……」

 ちぐになんとか透子は答えた。透子の声はかろうじて搾り出したように弱々しかった。

 ふらふらと、左右を敬介とちぐに支えられながら、透子は教室から出て行く。

 窓際の席で、浅木智美はその騒擾を、冷ややかな目で見つめていた。



「白野さん、大丈夫?」

 保健室の先生が、透子に優しく問いかけた。

「……あまり、大丈夫、じゃ、ないです」

 ベッドの上で、両手で頭を抱えながら透子は答えた。

 得体の知れない何かが頭蓋骨の内部で暴れまわっているような、滅茶苦茶な痛みはかなりマシになったため、優華たちには教室に帰ってもらったが、代わりに強力な接着剤でくっつけられた指をむりやり引き剥がすようなイメージの痛みが、断続的に頭へ響いている。

 その痛みが響くたび、昨日起こったことを透子は思い出していた。

 昼に買い物をしようとしたらさらわれた事、どこかの倉庫で人質にされたこと、敬介がロトという敬介そっくりな人間と戦ったこと、そこから逃げ出して迷子になったこと、最後に、浅木智美が魔女だと言っていたこと。その薬を飲んで以降、記憶が非常にあいまいだったこと……。

 もっとも、それらのことを深く考えようとすると頭痛はどんどん強くなっていく。透子にはできるだけ深く考えないようにして耐えるしか方法がなかった。

(なんでこんな目に会ってるんだろう、私)

 一昨日の件も含めると、超常現象三連発だ。しかも、優華と(秘密の)友達になれた以外、透子に良い影響がもたらされたものがない。

 そんなことを考えていると、丁度一時限目が終わった。そこからほとんど時間をおかずに、誰かが保健室にやってきた。

「白野さん、います?」

「ええ、奥にいるわよ」

 入口で透子の在室を知ると、つかつかと誰かが透子のベッドへ向かってきた。

「おはよう、白野さん。ご機嫌いかが?」

 やってきたのは浅木智美だった。

 透子の顔が強張った。何をされたのはか解らないが、この頭痛の原因はほぼ間違いなく、昨日、彼女の家で振舞われたお茶に入っていたはずの薬だからだ。

 わざわざ壁のほうに視線を逸らすため、透子は寝返りを打った。その視線の先に、そのことを読んでいたかのようにするりと智美が入ってきた。

「驚いたなあ。あれは会心の出来だったのになあ」

「……何の?」

「記憶阻害の魔法薬。フォムトって草を石のナイフで刻んで酩酊した人の……」

「そんな、専門的なことはいいから、この頭痛、止めてくれる?」

 透子は、楽しそうに『薬』の説明をする智美を遮った。さっきから思いっきり恨みをこめて睨み付けているのだけれど、涙目では威圧感もあったものではなかった。

「うん、ちょっと無理かな。持ち合わせがない。それなりに会心の出来だったからね、あれは」

 少し残念そうに智美は言った。

「ここにあるものと手持ちでもできるけど、それを使うととても楽しいことになるよ。痛みが消える代わりにどんだけ記憶が飛ぶか、予想できないね」

「……このやろう」

 説明の様がどうにも楽しそうなのが実に腹立たしかったが、透子には呪詛を込めた単語を少しづつ切り出す以外に出来ることはなかった。

「ところで」

 智美は透子の枕元に思い切り顔を近づけて、興味深そうな声で聞いた。

「どうして記憶阻害の薬が効かなかったのか、思いつく節はないかな?」

「あるわけないでしょ」

「見てた限り、朝はちゃんと効いてたんだよね。とすると、やっぱり赤井くんかな?」

 つっけんどんな透子の回答は、しかし智美にはあまり重要ではなかったらしい。ぶつぶつと原因になりそうなことをつぶやいては、自分でうんうんと頷いている。

「ねえ、昨日赤井くんと何かあったのかな? 忘れられないぐらい、衝撃的なことだったのかな?」

 興味深そうに智美が聞いてきた。その言葉の中に、魔術とか真理とかいう高尚なことをのたまっていたのとはまた違うことへの興味があるのを、透子は感じた。だんだん、怒りが溜まってきた。

「あったけど言いたくない」

 だから、トゲのある言葉で透子は答えた。

「えー」

「えー、じゃないでしょう。自分のやったことを考えて」

 意外そうな声に苛立ちを感じた透子は、さらに突き放した態度で智美に当たる。それに気付いているのかいないのか、智美は可愛らしく腕を組んで考えるそぶりをした。そして、制服の内ポケットから、何かを取り出した。

「実は、ここにひとつ、痛み止めがあるんだけどね。話してくれると、私もこれを渡したくなっちゃうかも」

「いらないから帰って」

 もはやその何かを見ることもなく、拗ねたような仕草で透子は智美に背を向けた。

「お、昨日のことちゃんと覚えてたんだ」

 何処となく嬉しそうな声で智美が言うのを聞いて、透子は首だけで振り返った。

「魔女の言うことなんか信じちゃいけないって。えらいえらい」

「いいから帰れ!」

 揶揄するが如き智美の言動にとうとうぶち切れた透子は、頭痛も気にせず体を起こして、大音量で怒鳴りつけた。智美はちとやりすぎたかな、と思った。眼鏡越しの視線は本気で怒っていた。

「はいはい。それではわたしは教室に帰りますよ。そうそう、一応、夕方までは家に帰らないでね。何かあると私が何もできないし、さすがに寝覚めが悪いから」

 保健室の先生が怒号に反応して透子のベッドまで来た。その横をそそくさと智美は退散していった。

「あの、白野さん、何があったの?」

「なんでもないです、あと以後今来た女子を絶対にここに通さないで下さい」

 それだけ言うと、起こしていた上半身を大げさに落とし、布団を被った。一瞬の怒りが落ち着いてくると、また頭痛がじくじくとうずき始めた。

(なんて日だ)

 透子はおとなしく目を閉じた。頭痛を無視して寝てしまおうとしていた。

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