第4話 感情

「フランシスカ様、フランシスカ様っ」

「探せ!具合が悪いのかもしれぬ」

「衛兵によると、誰も城外へは出ていないそうです!」

 庭園の各地から、切羽詰まった声が飛んでいる。

 フランシスカに扮したノエは、茂みからこっそりと顔を出した。

(うわあ、やばいことになってる・・・)

 フランシスカに教えてもらった抜け穴は、この庭園の茂みの奥に隠れていた。あれだけ騒いでいるのであれば、抜け道はバレていないのだろう。

 ノエは自分の服装を確認した。フランシスカと交換したのは、今まで着たことのないような高級な薄桃色のドレスだった。

「よし、行くぞ」

 ノエはつぶやくと、茂みの中から人々がざわめく方へと、一歩を踏み出した。

 歩き始めて早々に、足がぬるりと滑って転びそうになる。慌ててふんばり、足元を見ると、そこにはぬかるんだ泥がたまっていた。

 召し使いが片付けている最中だったのか、近くには泥の入ったバケツが置いてある。

「あっぶなー」

 ドレスを汚さなくてよかった、とほっと胸をなでおろしていると、前から野太い声が聞こえた。

「おお、フランシスカ様ではないですか。」

 見ると、でっぷりと腹の出た中年の男が、ノエに向かって歩いてきていた。

 ゆったりとした短い半ズボンとジャケットには金銀や宝石がたっぷりとつけられていて、まさに貴族という服装だ。

 小さいころからの貴族への嫌悪感が、ノエの心の中で鎌首をもたげる。

「フランシスカ様、どこへいらっしゃったのですか?みなが心配しておりましたぞ」

「・・・失礼ですが、あなたどちらですか?」

 男の顔が真っ赤に変わる。男は唾をとばして、勢いよくしゃべった。

「なっ、覚えていらっしゃらないのですか?まあ、しっかりとお会いしたのは先日だが・・・最も有力なバロンの、ロイだ。」

 バロン。ロイ。

 ノエの頭に、フランシスカの話がフラッシュバックする。

 婚約者。キス。昨日。

 心の中で最悪の想定を懸命に振り払うノエに、ロイは下卑た笑い声をあげた。

「でも、昨日のことはお忘れになっていないでしょう。もう婚約者なのですからな」

 がん、と頭を殴られたような気がした。

(うそだろ、こんなおっさんがフランシスカの婚約者!?)

 思わず後ずさるノエに、ロイは一瞬不審そうな顔を見せたものの、なぜか納得したようにうなずいた。

「ああ、私の妻のことを心配なさっているのですか?大丈夫、フランシスカ様と結婚した暁にはあなた様を正妻にして、彼女らは側室にしますのでご心配なく」

 それを聞いて、ノエはもう一歩後ずさった。

(こんな最低野郎のことをフランシスカは我慢していたんだ。私は何も知らないまま、ひどいことを言っていた)

 目の前の男と、自分自身に対する怒りがわいてくる。

 そんなノエもつゆ知らず、ロイはノエのそばに近づいてきた。にやけづらを浮かべたまま、ロイがひっそりと声を出す。

「どうです、昨日は召し使いに邪魔されましたが、続きを」

 ロイの手が、ノエの腰のあたりにのびる。

 そのとたん、ノエの中で何かがぷちっとキレた。

 ノエはももを上げ、すばやくふりあげた。蹴りがやつの股間に命中する。

 ロイがくぐもった声を上げ、その場に崩れ落ちた。

「な、なにをっ」

 間髪入れずに、ノエは近くにあったバケツを手に取る。バケツの中に入っている泥を、ロイの顔めがけてぶちまけた。

 おっさん顔が茶色い泥で見えなくなる。

 ロイは、ダメージのせいか息も絶え絶えに言葉を吐いた。

「な・・・なにを、する。私の力がなければ、お前の父親など滅びるだけなのだぞ」

「知ったこっちゃないね」

 ふふん、と笑うノエに、ロイが激昂して向かってきた。

「王女だからと言って頭に乗るな!」

 ノエは思い切り息を吸い込んで、悲鳴をあげた。

「きゃあああっ」

 唖然とするロイを無視して、叫び続ける。

「な、なにをしている・・」

「きゃあああああっ」

 次々に他の声が聞こえた。

「王女様の声だ!」

「フランシスカ様、ご無事ですか!」

 庭園の木々をかき分けて、屈強な兵士たちが駆けつけてくる。

 ノエはおびえた表情をしながら、ロイに指を向けた。

「そ、その者が、私をおそってきたのですっ」

「なにいっ、曲者め」

「侵入者か!」

 ロイは憤慨したように言った。

「なにを言う。私は最も偉いバロンのロイであるぞ。婚約者に向かって無礼ではないかっ」

「なにを言っている、泥をかぶった変態め」

「そうだ、ごまかすつもりか!」

「なっ・・・」

 泥をかぶったロイは、誰にも気づかれることはなかった。見る見るうちに兵士たちに拘束されると、罵声をあげながら連れられて行く。

 遠ざかっていくロイと兵士たちを眺めながら、ふと、別れる前のフランシスカの声がよみがえった。

『いいですか、絶対に目立つ行動はしないでくださいませ。怪しまれないように、絶対にですわよ』

 何度も念を押していたフランシスカに、ごめん無理だった、と心の中でわびる。

(はてさて、何が待っているのやら)

 目の前にそびえ立つ大きな城を見上げて、ノエはにやりと笑みを浮かべた。

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