第13話

 二年七組のクラス展は展示型だった。生徒一人一人が、自分の過去から未来の姿を、様々な方法で表現していた。絵を描いた生徒もいれば、詩を書いた生徒もいた。自分の幼いころ、現在、そして恐らく父と祖父の写真を並べている生徒もいた。彼はきっと、自身の頭髪の将来を気にしていて、神に無言の抗議をしているのだろう。男子生徒の切実な想いが、四枚の写真から滲み出ていた。

 教室の奥まで進んだ時、一際大きな絵が私の目に飛び込んできた。一本の木が、成長し、葉を茂らせ、果実を実らせる。そして、木の割れ目に小動物が住み着き、やがて朽ち果てていく様が一枚のキャンバスに描かれていた。作者は五十嵐だった。全体的に薄い色使いが、反って五十嵐の心象風景を的確に表しているように見えた。


「ねえ、この木って、なんか見覚えない?」瀬川が言った。

「そうですか?」私はぴんと来なかった。

 瀬川は窓の外を見渡して、「あ」と小さく声を漏らした。私も窓に向かい、視線の先を追った。校舎と体育館の間に、大きな木が植えられていた。「あれじゃない?」確か、メタセコイアだ。生きた化石として知られる落葉樹、その時はすっかり葉が落ちて、枝ばかりの姿になっていた。

「言われてみれば、そうかもしれません」

「あの木だよ、絶対。ほら、あの割れ目に鳥の巣の跡が見える」瀬川が窓に指を押し付けた。幹の中程から伸びる枝の付け根の部分に大きなくぼみがあり、そこに細い枝やワイヤーが敷き詰められていた。

 中庭に静かに佇むその大木は、五十嵐の描いた木の最期に良く似ていた。




 文化祭のフィナーレは、校庭で行われるファイアーセレモニーだった。ピッチャーマウンドのあたりに大きな櫓が建てられ、激しく炎が立ち上っていた。今時、学校でこういうことができるのかと、少々驚いたのを覚えている。櫓の周りにはたくさんの生徒が輪になっていた。炎に照らされて、生徒たちの体は穏やかな光を放ち、影がゆらゆらと放射状に伸びていた。秋風に時折炎が揺れる。火の粉が木の爆ぜる音に合わせて飛び上がった。空には薄い雲がかかり、オレンジ色に光っていた。


 私はそのファイアーセレモニーを校舎の窓から見ていた。日が沈みかけ、校舎の中は薄暗かった。私は外の景色を見ながら、ゆっくりと歩いた。私がいたのは二年生の教室があるフロアだった。文化祭が終わりに近づき、もう一度五十嵐の描いた絵を観たいと思ったのだ。翌日に片付けをする時間が設けられているため、ほとんどの教室にはクラス展の気配が色濃く残っていた。二年七組の教室にも、昼間と変わらず入り口にはカーテンが引かれていた。


 私はカーテンを開け、教室の中に入った。

「先生。忘れ物ですか?」教室の奥から五十嵐の声が聞こえた。私ははっと息を吸い込んだ。心臓の鼓動が早くなる。

「ああ、びっくりした。ええ、ちょっと探し物を」私は五十嵐の問いかけに乗り、嘘をついた。「五十嵐くんは、外に行かなくていいんですか?」

 教室の中は廊下よりも更に暗かった。教室の後ろの席に人影が見えたが、ドア近くにいた私には、その姿をはっきりと見ることができなかった。五十嵐の声がしたところまで歩き、近くの席に腰を下ろした。ようやく、五十嵐の顔が見えた。


「あんまりお祭り騒ぎが好きじゃないんです」五十嵐は、静かな声で答えた。しかし、授業中と違って心ここに在らずという雰囲気ではなかった。彼の顔は真っすぐ私に向けられていた。そんなことは、思えばその時が初めてではなかっただろうか。

「それにしたって、電気も点けないで何をしていたんですか」

「空を見ていたんです。さっきまで茜色だったのに、また少しずつ青色が濃くなって。空を見ているのが好きなんですよ」


「授業中も、ですか」私はつい嫌みを言ってしまった。

「そうですね。授業中に、そういうのはやっぱり駄目ですよね。すいません」五十嵐は苦笑いをした。「あの時は、空じゃなかったですけど。ずっと木を見ていました」

「木というのは、あの木ですか」私は、教室の外のメタセコイアを指した。それと同時に、五十嵐の描いた絵が頭に浮かんだ。自分の過去から未来の姿を、木の盛衰に重ねた五十嵐の言葉に、私は耳を澄ませた。


「枝の根元に鳥の巣があったんですけど、ちょうどあの日は、ひなが巣立つ時で」五十嵐の視線が窓の外に移った。「今にも雨が降り出しそうで、心配だったんです」既に外は暗く、木は黒い塊となって、その場所に密かに立っていた。五十嵐の目は、そこにある木ではなく、あの時、あの仮定法の授業の時、梅雨空の下で野鳥の巣立ちを人知れず支えていたメタセコイアの愛情を見ているようだった。

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