第二章

第7話 第二章(1)

 次の日。文芸部部室にて僕が書類を手渡すと、恵はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。


「ありがとう! あなたがそう言ってくれて、私はとても嬉しいわ。……ところで、今回の入部は、飯塚真凜先生も何か言っていたかしら?」

「……何も言っていないと言ったら、嘘になるけれど」


 僕は、全てを打ち明けた。

 母さんから、蛙の子は蛙なのかな、と言われたということを。


「それって、褒められたってことじゃないの? 私にとっては、もしそれを受けることがあったら感涙ものだけれど」

「そりゃ、ファンはそう言われたら嬉しいかもしれないけれど……、僕と母さんの関係はあくまでも『親子』だ。そんな関係である以上、母さんからの言葉を無碍にする訳にもいかないし、放置する訳にもいかないし、烏滸がましいと思う訳にもいかないし、かといって、どうするべきかって悩むのが当然の問題なんじゃないか? 例えば、君は魔女だけれど……」

「魔女だって、ただの人間よ。そりゃ、異世界生命体ということで言ってしまうのなら、私達魔女は異世界からやって来た、この世界特有の人間ではないということになるのだろうけれど」


 難しいことを言っているように見えるが、僕はそれを放置する。


「とにかく、僕はこれを君に提出する。これで僕は晴れて文芸部の部員という訳だ。そうだろう?」

「ええ。そうなるわね。あなたは副部長の座に任命してあげるわ! 私に何かあったら、あなたが責任もって行動するのよ?」

「何だよ、それ。まるでいつかのタイミングで何処かに消えてしまうような言い方じゃ……」

「可能性は、ゼロじゃないわ」


 彼女は、はっきりと言い放った。

 部室に、静寂が染み渡る。

 そして、その静寂を切り裂いたのは、彼女自身の言葉だった。


「私は、ずっとこの世界に居たいと思っている。けれど、それが叶わない可能性だって充分にある訳。私は魔女として、魔女の子として、この世界に存在することが出来たということの証明をしないといけないの。そのために……」

「そのために……小説を書いてる、と?」


 こくり。彼女は頷いた。


「……そんなことって、」


 聞いたところで、どうすれば良いんだよ。

 僕は――どうあるべきなんだよ。

 彼女は、一冊の本を取り出した。


「それは……?」

「『パノプティコン』という小説よ。これも、飯塚真凜先生の書いた小説」


 白いカバーに、『パノプティコン』と書かれたその本は、とても分厚かった。

 この一冊を、母さんが書いたのか。

 いったい何のために? どうやって? どのようにして?


「……この小説は、全世界監視システムに縛られた男女の恋愛ものとして描かれているわ」


 恵は告げる。

 さらに、彼女の話は続いていく。


「全世界監視システム『パノプティコン』に縛られた男女は、どのように行動するか? ということを念頭に置かれたこの作品を読んで、私はこの作品を書いている人はどんな素晴らしい人なんだろう、と思ったわ」

「いやいや、それは言い過ぎだって……。母さんはただの母さんだよ。それ以上でもそれ以下でもない」

「あなたにとってはそうかもしれない。でも、私にとっては違うの」


 そうなのだろうか。

 いや――そうなのかもしれない。

 僕は、斜に構えていた態度を改めて、彼女の話を聞くことにした。


「私は、先生の小説は全部集めたつもり。この学校に揃っているのは、全部私の蔵書なの。だから、いつかは持ち帰らないといけないかも……と思っていたのだけれど、この際寄贈する手もありかな、と思っていたりするの。飯塚真凜先生の素晴らしさをもっと知って欲しいから。そのためにはどんな努力だって惜しまない」

「……そ、そうか。それは素晴らしいことだな」

「そして、私はあることを思うようになったの」

「……何だ?」

「小説を通して、私の存在を証明したい」


 それは、大きく出たな。

 僕は椅子に腰掛けて、話を聞く態度を取り続けた。

 恵も少しだけトーンを落として、さらに話を続けた。


「私にとって、飯塚真凜先生の存在は神といっても良い。それこそ、魔女が神を言うなどどういう風の吹き回しだ、と思うかもしれないけれど、それは間違っていないの。正しいことだと思っているわ」

「……それで?」

「私は、神に倣って小説を書き続けたい。そう思うようになったの。私の存在意義は、ここにあるんじゃないか、って思うようになったのよ」


 そりゃ、大層な考えを抱いているこって。

 おっと、茶化すのは良くないな。


「あなたはどう抱いているのか分からない。……けれど、私の価値観は変わることがない。仮にあなたがとんでもない悪党だったとしても、私の中の飯塚真凜先生の像は崩れることはなかった。でも、あなたは理路整然とした存在であった。そうあり続けた。それは私にとって素晴らしいことであるというのは、変わりない事実なの。だから、あなたはあなたであり続けてくれて、ありがとう。そう思っている」


 ……何だか急にそう言われると、全身がこそばゆくなるな。


「……だから、私は、私自身を貫きたいと思っているし、そうありたいと思っている。……そのためにも、あなたに協力して貰いたい。私はそう思っているの」


 んん?

 何だか変な方向に舵が取られているような?


「私はね、真央くん」

「うん?」

「――あなたに、小説を書いて欲しいと思っているの。そうじゃないと、やっぱり何事も進まない。そう思っているわ」

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