第6話 第一章(4)

 母さんの妄想から生まれた小説だと言われたら、ファンのどれくらいの人間が失望するのだろう。僕が読んでいる『シャルル』も文庫本が発売されたことで人気になった作品の一つだ。まあ、僕が読んでいるのは初版のハードカバーの本になるのだけれど。


「それにしても、あんたが私の本に興味を持つなんてねえ……。明日は雪でも降るんじゃないかしら?」

「辞めてくれよ、茶化すのは」

「……でもまあ、あんたが本にまた興味を持ってくれるのは嬉しいかな」

「また、ってどういうことだよ?」

「だって、あんた、一度私の本に興味を持ってくれることがあったんだよ。覚えてる?」

「ええ、いつの話?」

「小学生の頃よ。未だ私が『重版童貞』なんて言われていた頃」


 重版童貞。

 要するに重版されない作家のことを言うのだという。あくまで、その単語は公式に使われる単語ではなくて、インターネットでファンが使う単語らしいのだけれど。というか、ファンがその単語を使って良い物か、と思ったりする訳だが。


「その頃、私、あんたに向けて本を書いたの。……と言っても、とうの本人は分からないでしょうけれど」

「ふうん。何の本?」

「『ビースターヒーロー ある英雄の落日』」


 また堅苦しいタイトルだこと。


「それをあんたに見せたら、『良く分からない』なんて言われちゃって。私凹んじゃったのよね」

「……そんなことがあったんだ」

「読んでみる? 未だ初版本が家にあったはずだけれど。あ、先ずはお風呂に入ってよね。それから私が渡してあげる」

「いや、先ずはこの『シャルル』を読み進めていかないと……」


 明日、恵に感想を言わないといけないんだ。

 僕はそんなことを思いながら――先ずは風呂に入ろうと思いつつ――栞を挟むのだった。




 風呂から上がると、部屋の机に単行本が一冊置かれていた。アニメ調のキャラが表紙に描かれている。ははあ、あれが『ビースターヒーロー』か。だから僕は『シャルル』を読み進めないといけない、って言ったんだけれどな……。

 ベッドに横になり、そのまま『シャルル』を読み進めていく。『ビースターヒーロー』は明日でも良いだろう。そう思いながら、僕は栞を取り外し、そのページを開き出す。ストーリーは第三部の佳境に入っており、あとちょっとで終わるんじゃないかな、というところまで来ていた。シャルルが病に斃れ、ナツメが必死に看病する。やがてシャルルの病状は悪化し、シャルルはついに死んでしまう――。そしてエピローグとしてシャルルの運命と、ナツメの未来と子ども達の運命が描かれて幕を下ろす。


「……は?」


 僕は思わず、そんな声を上げてしまっていた。

 正確に母さんの小説を読んだことはないのだけれど、それにしてもこんな悲しい物語だったとは思いもしなかった。もしかしたらいつかのどこかで読んだ記憶があるのかもしれないが、今のところは覚えてはいない。だから、僕にとっては『初見』の感覚でそれを眺めていた訳なのだが。

 僕は鞄から一枚の書類を取り出す。それは恵から受け取っていた入部届だった。恵の言葉通り、僕はどちらに進むのか判断しなくてはならない。

 文芸部に入るか、入らないか。

 正直、彼女の厚意を無碍にする訳には行かない――と僕は考えていた。彼女には色々と教えて貰った。それを考えるならば、今の学生生活を平穏に送るためにも、文芸部に参加せねばならないだろう、と思うのは当然の摂理なのかもしれない。

 けれど、母さんにとっても嬉しいことなのかもしれない、と僕は思った。今まで文学に触れようとは思わなかった僕が、急に文芸部に入ると言い出すのだ。普通に考えて、嬉しいと思うのは当然のことだろう。

 僕はリビングに戻る。自室にテレビを持たない母さんは、テレビを見てお茶を飲んでいた。


「あ、真央。何してるの。今面白いところなんだから」


 僕は入部届を持ったまま、母さんの隣に座った。


「母さん」

「何、どうしたの。改まって」

「僕、部活動に入ろうと思うのだけれど」

「……良いんじゃない? 部活動に入って新たな何かが見つかるかもしれないしね。……それで、部活動は何の部活動に入るの?」

「……文芸部」

「うん?」

「文芸部に、入ろうと思ってるんだ」

「…………何ですって?」

「うん。だから、文芸部。文芸部に入ろうと思ってるのだけれど」

「あんたが文学に興味を持つなんて何年ぶりかしら? ……やっぱり、蛙の子は蛙なのかな」

「いや、そういう訳で入ろうと思った訳じゃないのだけれど……。ちょっと、色々と手伝ってくれた? 人が居て、彼女が文芸部に入ってるのだよね。それで、文芸部に入らないと部活動が同好会になってしまうというか……」

「うんうん、言わずもがな、言わずもがな! あんたが文学に興味を持ってくれて、私は嬉しいわよ! 何かあったら直ぐ私に教えてよね! 絶対教えてあげるから」

「……送り迎えはこれからも続けるつもり?」

「一学期中は少なくとも続けるつもりだけれど? だって、取材が色々と時間がかかるのよね。色々と大変よ、私だって。何せ大量の出版社から原稿依頼が舞い降りてきているから。仕事がある内が花なのよね、この職業って」

「……忙しいなら、僕は自転車とかバスで行き来してもいいけれど? 何せ、バスは走ってるし、自転車だって向こうから持ってきてる訳だし」

「良いの、良いの! 私は好きでやってるんだから」

「好きでやってると言われてもな……。まあ、良いや。母さんに話が出来て良かった」

「そう? なら良いのだけれど。私にも色々と教えられることはあるはずだから、聞いてみてよね。……さてと、そろそろ執筆の時間に入らないと。真央、テレビ見る?」

「いや、僕は自分の部屋に戻るから、消して良いよ」

「あら、そう? なら良いのだけれど」


 そう言って母さんはテレビの電源を切った。

 僕は部屋に戻ると、再び入部届とにらめっこを始めた。僕は何のためにこの部活動に入るのか、何のためにこの部活動で活動していくのか、それについて確認しなくてはならなかった。僕は、どうやって、学生生活を送れば良いか――。

 そして、僕は信楽市での学生生活、その一日目を終えるのだった。

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