第5話 第一章(3)

 パソコンを立ち上げ、ソフトを確認する。学校で元々使われていたパソコンを使っているためか、ワードもエクセルもパワーポイントも入っていた。

 ワードが入っているなら充分執筆の環境は構築出来るだろうに。そんなことを考えながら、僕はワードを立ち上げた。


「……部員は何人居るんだ? 今は恵一人しか居ないようだけれど」

「……一人だけ」

「…………何だって?」

「だから! 私一人しか居ないんだって」


 それって、部活動として成立しているのか?


「一応確認なのだけれど……、文芸部ってちゃんとした部活動なんだよな?」

「ええ、そうよ。……もっとも先輩が卒業してしまったから、私が便宜上の部長兼会計的役割に立っていると言えば良いかしら」

「それって、器用貧乏ってことなんじゃ……」

「いいや、違うわ。これはただの怠慢よ。私が部員を集めきれなかった怠慢」

「じゃあ、どうするって言うんだ……。僕は入らないぞ、言っておくけれど」

「どうして? あなたなら立派な部員になれるはずなのに!」

「立派な部員、って……。文芸部で立派な部員ってどうすれば良いんだ?」

「そりゃあ、勿論。小説を書くことに決まっているでしょう」


 ……それ、本気で言っているのか?


「僕は小説を書かないぞ、絶対にだ」

「……それ、さっきも言っていたような気がするけれど、どうして?

「どうしても何も、書きたくないのだから仕方ないだろ。……それとも、何か確認したい事柄でもあるのか?」

「いや、そういう訳じゃないけれど……。でも、あなた勿体ないよね。あの飯塚真凜先生の息子なんだから絶対に良い物が出来るはずなのに」

「……蛙の子は蛙、とは言うがな」


 僕は窓から外を眺める。

 外では陸上部が練習をしているようで、何か声を上げながらグラウンドを走っていた。見ると、平田先生が陸上部の指導をしていた。ああ、そういえばあの先生、陸上部の顧問もやっていると言っていたような……。


「で、どうするつもり?」


 恵が、僕に声をかける。


「あなたが入りたがらないという気持ちは分かった。でも、私は絶対にあなたを文芸部に入れる。……というか、それは決まっていることなのよ。私にとっても、あなたにとっても」

「僕にとっても?」


 そりゃいったいどういう風の吹き回しだ?


「そう。あなたにとっても。……これ、読んでみて」

 そう差し出された本の表紙には、母さんの名前が書かれていた。


『シャルル』。それは十年前に母さんが書いた小説だった。十年前、というと僕は未だ五歳か六歳ぐらいだったと記憶しているのだけれど、その時も母さんは小説を書いていた。

 原稿用紙に万年筆。

 古き良きスタイルで書いていた母さんの姿に――今思えば、憧れのようなものがあったのかもしれない。

 けれど、僕は今――それを否定している。


「……どうしたの?」

「……何でもない」


 ちょうど、LINEの通知が来たタイミングだった。

 僕は恵に了承して貰い、そこで電話に出た。


「……もしもし」

『もしもし、真央? 今、何処に居るの? LINEで連絡しても全然反応ないんですけどー? 取り敢えず、あと三十分でそっち行けるから、帰る支度しておいてね。じゃ、後よろしくー』


 そう言って、一方的に母さんは電話を切った。


「……誰から?」

「母さん。あと三十分でこっちに着くって」

「嘘! 飯塚真凜先生が迎えに来てくれるの? それって超優遇されているってことじゃない!」

「……僕にとっては、辞めて貰いたいことなのだけれどね」

「とにかく! 帰るなら、やるべきことはやっていってよね」


 そう言って、彼女は書類を僕に差し出した。

 入部届。

 それは僕が文芸部に入るために必要な書類。


「……保留にさせてくれないか」

「保留、って?」

「明日、話をさせて欲しい。取り敢えず、それから」

「……分かったわ。強制はしない。あなたの自由意志によるものだからね。……けれど、真央くん」

「うん?」


 今日、初めて彼女が僕の名前を呼んだような気がした。


「私、あなたには才能があるって信じているから。飯塚真凜先生の息子として、立派なものを書いてくれるって信じているから」

「……それは、まあ、追々」


 考えさせて貰うことにして。

 取り敢えず、僕は書類を受け取って鞄に仕舞おうとした――その時。


「これも」

「うん?」


 渡されたのは、さっき恵が僕に見せてきた『シャルル』だった。けれど、どうして?


「これ、読んでおいて」

「……いや、でも」


 本なんて、嫌になるぐらい家に置いてあるのに。

 況してや、初版本から再版本まで数多く存在しているというのに?


「良いから、絶対に読んできてよね。感想もよろしく」


 そう言うと。

 彼女は原稿用紙とにらめっこを始めてしまった。未だ僕が教室に居るというのに、そんなの知ったこっちゃない、と言わんばかりの行動だった。


「……何なんだよ、まったく」


 僕はそう呟きながら。

 未だ時間があったので、恵から渡された『シャルル』、その一ページを開くことにした。



『シャルル』はフランスと日本を舞台にした恋愛小説だ。大学に留学してきた青年シャルルと、大学の文芸サークルに所属する柊木ナツメの日常を、第一部で描いている。

 第二部では、第一部で描ききった日常を膨らませながらも、途中でフランスに帰ることになってしまったシャルルに会いに行く場面が描かれている。

 そして第三部、シャルルとナツメのフランス生活が描かれ――。


「真央、そろそろお風呂入っちゃいなさい」


 そう言われて、僕は思考を中断させた。

 自室にて、僕はずっとベッドに横になりながら、ハードカバーの本を読み耽っていた。しかし久しぶりの読書になるから、なかなか脳が追いついてこない。僕はそんなことを考えながら、母さんの言葉を聞いていたのだが――。


「うわっ。『シャルル』じゃない。真央、ずっと部屋に籠もってると思ったら、こんな古い小説読んでたの?」

「……今日、学校で渡されたんだ。感想を、言わないといけないんだ」

「ふうん。友達が出来たんだ」


 母さんは椅子に腰掛けて、僕が持っている『シャルル』を眺めている。


「それにしても懐かしいなあ。昔のことよ。もう父さんとは結婚してたけれど、私にとってはその頃の思い出を想起させるような出来事だったのよ。……とは言っても、父さんはフランスに居た訳じゃないけどね」

「妄想、ってこと?」

「手厳しい言い方をするわね。……でもまあ、そういうことよ」

 

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