輝ける羅刹


 一晩中闇黒くらやみの腹の中でじっくり考えたことで、ハーミットは異形どもに対して落ち着いて対処できるようになっていた。


 自分の肉体リソースには限りがある。無計画に戦い続ければやがてガタがくる。すなわち、敵の殲滅は下策。足止めと逃走こそが正解だ。


 この枯森の異形どもは、おしなべて強力なものの、四肢はそこまで頑強ではない。今日のハーミットは大技を封印し、隙が少なく破断力の高い技を選んで敵に先制し続けた。


 餓狼は思考停止しており、回避も牽制も無しに超強靱ハイパーアーマーで突っ込んでくる。技巧派のハーミットにしてみれば部位破壊を狙うのは簡単だった。魍魎は死角から襲い掛かってくることから、どうしても後手に回るが、大雑把に下の辺りを破壊すれば足止めできた。


 こうしてハーミットは暴力の波に飲み込まれないよう慎重に、かつ迅速に立ち回った。この戦略は功を奏し、被弾回数は昨日に比べて劇的に減った。


 もっとも、全身を餓狼硝子で覆い、更には頭部から硝子の角を何本か生やした輝ける餓狼どもの英傑――羅刹は別だ。


「うっ――」


 立ち枯れた木々をなぎ倒しながら突っ込んできた、餓狼よりも更に二回り以上大柄な羅刹。そこには重機の如き迫力があった。ハーミットが間一髪で跳び上がり、見事な体捌きでその頭上を飛び越すと、羅刹の鋭い角が彼のしりを掠めていった。


 宙で翻って着地したハーミットが、ぴかぴかと全身スパンコール状態の巨漢を睨み付ける。膨れ上がった四肢からは猛獣の凶暴性がにじみ出し、ハーミットを一口で食いちぎれそうな鰐口わにくちにはぎらついた歯牙が荒々しく並んでいた。


 魍魎の外見は奇々怪々ききかいかい。外見から危険度を測ることは困難。その点、餓狼はシンプルで、体表に見える餓狼硝子の数でおおよその強さが分かる。


 そして全身に色硝子の装甲をまとい、雄々おおしい硝子の角を生やした羅刹は単純に強い。


 まず身体が硬い。あの硝子装甲に阻まれてアーセナル・スキルではダメージが通らない。次に膂力りょりょくが半端ではない。一度でも掴まれてしまうと抜け出すのは至難のわざだ。断崖で振り回された時は髪の毛を犠牲にして抜け出し、組み伏せられた時はバンダースナッチの流星雨でたまたま形勢挽回できた。しかし、あのような幸運はもう起こらないだろう。今考えてみても相当ツイてたと思う。


 ハーミットは大上段の蹴りで貫通性の空弾ジャベリンを飛ばし、羅刹の膝を狙ったものの、不可視の槍は羅刹の表皮に当たってあえなく散った。ハーミットが扱う遠距離技の中では最も破壊力がある技だが、やはり羅刹相手には牽制にもならなかった。


 では、こいつを無視して先に行くのかというと、それは悪手あくしゅだ。羅刹はしつこい。餓狼とは比べ物にならないくらい粘着質だ。一度狙われたならば、その場で決着をつけなければ次の戦闘で背後を取られかねない。


 おりしも静まった枯森の中で睨み合った両者の間に一騎打ちタイマンの気配が渦巻いた。強敵を前にしたハーミットの瞳が強い昂ぶりに応じて光を増し、唐紅からくれないに彩られる。


 羅刹がハーミットに向かってスタートを切った。両手を大きく広げ、野太い雄叫びを上げながら猛然と色めき輝く身体を躍らせてハーミットに迫る。羅刹が大兵だいひょうな図体で地面を蹴るたびに重い振動が大地を伝ってハーミットの骨を震わせた。


 ハーミットは全身に柔軟な律動りつどうをくれて、羅刹の突進を待ち受けた。


 左右から掴みかかってくる両腕をハーミットが屈んで躱す。そのまましゃがみ込んだ姿勢から地面に片手を突き、ハーミットは両脚で羅刹のみぞおちに狙いすました三連脚トライデントを送った。小気味よい快音で生じた強い衝撃が、羅刹の身体を数歩後ろに押し戻す。


 羅刹は超強靱アーマー持ちだ。しかし『押し返しノックバック』、『昏倒ダウン』、『打ち上げローンチ』、『吹き飛ばしブロー』といった拘束はきっちり効果がある。


 羅刹は脚を滑らせた先で、たまたま近くにいた海ぶどうの寄せ集めを思わせる魍魎をむんずと掴み、ハーミットめがけてフルスイングした。その反撃にハーミットは素早く反応し、横殴りの魍魎を籠手で受け止め、その勢いを利用して後ろに飛んで羅刹から距離を取った。


 憐れにもバットにされた魍魎は、羅刹の腕力と八房の硬さで肉を弾けさせ、ぬめった体液を汚らしくまき散らした。その時、魍魎は果敢にも羅刹に絡み付いて反撃を試みていたが、しかし魍魎が身体中から突き出した無数の刺胞しほうは羅刹の装甲に通じなかったようだ。羅刹の獰猛な牙で噛みつかれた魍魎は胴体を食いちぎられて、その不気味な活動を終えた。


 そうして羅刹が魍魎に気を割いた、その余分な一手で生じた主導権イニシアチブをハーミットは見逃さなかった。


 思い切り地面を蹴って一足飛びで羅刹の懐に飛び込むと、地表を滑りながら、しゃがみ込み下段の後ろ払い蹴りサイズで羅刹の脚を刈り取った。巨岩の如き図体がバランスを失って、ぐらりと前屈みに傾く。


 ハーミットは倒れ込む羅刹と入れ替わりに立ち上がり、身体をくるりと回すと、片脚を円弧を描くように振り上げて、眼前に下りて来た羅刹の頭部に漆黒の脚甲ハンマーを叩き込んだ。


 この世で最も硬い踵が羅刹の脳天を捉えると、大槌おおつちを打ち下ろしたように羅刹の頭部が軽々と地面に叩き伏せられ、鈍いインパクトが地面を走った。ハーミットが続け様に靴底アンヴィルに全体重を乗せて羅刹の頭を踏みにじると、ゴバァという音を立てて足元にクレーターが作り出され、獅子なみに大きな羅刹の頭部がクレーター中心にうずまった。


(――やっぱりだめか)


 断崖でバンダースナッチの光弾を受け、息もえだえになっていた羅刹は【アンヴィル】で頭部を潰せたが、この足元の羅刹は今だ健在だ。この攻めは万全な羅刹相手には決定打とはならなかった。とはいえ、【ハンマー】と【アンヴィル】の常套セオリー連撃コンボが与える『気絶スタン』は効果を発揮しており、羅刹の動きは一時的に止まった様子だった。


 しめたとばかりに握り込んだ拳マインフレイルを足元に振り下ろすハーミット。直後、地中で発破をかけたように勢いよく土砂が吹き上がり、倒れていた羅刹の巨体が膨大な破片と共に浮き上がった。


(重たい!)


 通常、【マインフレイル】の爆風は対象を木の上まで打ち上げる。そこに飛び付いて空中で追撃を加えるのが常套セオリーな攻めだ。しかし、羅刹の筋骨隆々とした超ヘビー級の肉体は、ハーミットの頭の高さにまでしか持ち上がらなかった。


(――なら、もういっちょ!)


 ハーミットが踏み込んで、片脚を矢の如く引き絞り、足刀蹴りクレイモアで浮いた羅刹を下から突き上げると、その巨体が空中で跳ねて更に高く浮き上がった。


 落下点に先回りしたハーミットは、周りに餓狼も魍魎もいないことを確認し、大きく息を吸って地上で羅刹が落ちてくるのを待った。


『――ぉおおおおおお!!』


 タイミングを見計らって【鬼哭おになき】を一息で発動させると、鬼の絶叫に応じて総身そうみの血潮が沸き立ち、全身の筋肉が余すことなく張り詰めた。鬼の目には落下してきた羅刹の身体が一時静止して見えた。その瞬間、輝ける羅刹を撲葬ぼくそうしょするべく、ハーミットが一歩前に踏み出す。


 それは機関砲のビートを刻みながら放たれる、あらゆる“武器”による乱舞。


 空間に描き出された数多あまたの白刃の中心で、ハーミットが恐るべき鋭さを秘めた闘舞を披露すると、羅刹の重々しい身体がその圧力に押されて宙を運ばれていった。空中で滅多打ちにされる羅刹から硝子がはがれて血液が噴き、牙は折れ、煌びやかな巨体が徐々に崩れていく。


 ハーミットの全身を武器と化した幾十を超える乱撃のリズムは、全身全霊の後ろ突き蹴りバタリングラムで終止され、羅刹の身体は木々をへし折りながら大きく水平に吹き飛んでいった。


 【神楽かぐら】――便宜的にハーミットがそう名付けた乱舞技だ。言ってしまえば、ただ単にアーセナル・スキルで滅多打ちにするシーケンスに過ぎない。よってこの【神楽】はその時々で内容が違うし、最後の締め技も自由に組み替えられる。本来はこの乱舞で溜まったアドレナリンを使って、ヘビーアーセナルの締め技に繋げるのが最も強力。しかし今はそれを我慢し、ハーミットは自分の身体への負担が比較的少ないマシンアーセナル・スキル【バタリングラム】を選択した。


 地表を長く滑って、大量の土埃を巻き上げながら停止した羅刹を一瞥いちべつしてから、ハーミットは周囲を見渡す。【鬼哭】は自身のステータスを短時間上昇させる闘鬼のスキルだ。しかし、挑発トーントの効果も併発してしまうため、付近の敵意ヘイトを同時に集めてしまうという副作用があったのだ。案の定、枯森の奥から餓狼や魍魎が顔を出してきた。


(やっぱり、これは危ないな……)


 ――この鬼畜魔境の乱戦で無策に使うと死ねる。そう心のメモに書き留めた。


 吹っ飛んだ羅刹は【神楽】を全弾受けたにもかかわらずしっかりと立ち上がっていた。頭部の角の数を減らしており、体中の至るところの餓狼硝子が剥げ落ちていたものの、まだまだ殺気は衰えていない。やはり羅刹のタフネスは別格だ。


 【鬼哭】の効果が切れる前に、ハーミットが駆けた。


 戦塵せんじんが漂う中、それを迎え撃つ羅刹は自分の角を一本バキンと手折ると、それをハーミットに全力投球してきた。虚を突かれたハーミットは慌てて顔をそらせたが、飛来した輝く角に耳を抉られて鮮血が尾を引いた。


 その引き換えに、鬼の健脚が僅かな距離でその身体を最高速に乗せた。ハーミットは風を切る勢いに身を躍らせ、羅刹の頭に狙いをつけた飛び蹴りチャージランスで真正面から突っ込む。


 飛び込んできたハーミットを掴もうとしたのか、羅刹の爪がハーミットに向かって突き出された。しかしそれよりも一瞬早く、一発の弾頭と化したハーミットが放つ超常の蹴りが羅刹の顔面に炸裂し、見事な手応えと共にその頭部を“刈り取った”。輝く巨体は首から血を噴き出して力を失い、重苦しい音を立てて仰向けに倒れた。


 【チャージランス】は元々アーセナル・クラスの【ランス】と呼ばれるスキルだが、“跳び蹴り”に異常なこだわりを持っているハーミットによって鍛え上げられ、上位のスキルに匹敵するほどに昇華しょうかした技だ。ガードの上からでもノックバックを与え、ヒットすれば吹き飛ばして気絶スタンさせる。そもそも貫通力が高く、やわい相手なら一撃で部位を抉り取って勝負を決められる。ハーミットが全幅の信頼を置く技だ。


 ハーミットの見立てでは、この【チャージランス】では仕留めきれず、再度スタンさせたところで強力な技に繋げる予定だった。ところが羅刹の首はねられた。嬉しい誤算だった。もともと人体においても脆い部位だ、【神楽】によって装甲を剥がされた状態では【チャージランス】の衝撃に耐えられなかったのだろう。


 ――よーいドンで一騎打ちタイマンなら、羅刹相手でも問題なくたおせる。


 幾らか自信を回復したハーミットは、近くに転がっていた羅刹の頭部を持ち上げて千切れた胴体に近づき、少しだけその死体を検分することにした。


 血液は赤い。首の断面には骨が見え、千切れた食道や、未だに血を吹き出す血管などは総じて生き物に見える。胸部の硝子に指をかけて力をかけても、腕力だけでは硝子を剥がせなかった。それは強固に癒着しているようだった。


 羅刹の頭部に残されていた角を根元から折り、手に持ってその角を確かめる。縦にちょうど半分ずつ赤と青に別れた、透き通った円錐形の角だ。ふたつの硝子が接着されているのではなく、ひとつの硝子の色が途中で転換しているような、そんな不思議な色合いだった。その時ふと、この色硝子の表面に妙な模様が浮かんでいることに気がついた。角の側面に光が当たると、数本の交差する筋が見えるのだ。光の当たる角度に応じてその筋の位置や形は変化したが、筋の数自体は変化しなかった。


 ハーミットは首をかしげた。早朝、枯れた川底で見た色硝子にはこういった模様は浮かんでいなかったと思う。やはりこの角は羅刹の特別な部位なのだろうか。


 興味が湧いたハーミットはその赤と青の角をベルトのオープンホルダーに納めた。ほふった敵から報酬を頂戴する行為は、エリュシオンの戦士達にとって当然の権利だった。ハーミットは腰のベルトに未知なる重みが増えていくことに、わずかばかり心が躍った。この魔境で戦い続けるのにあたって、割に合わないながらも正当な報酬だと考えた。


 そんなことをしていたら、あっという間に異形どもが追いついて来た。先頭の魍魎を前蹴りで跳ね返して後続に押し付けると、ハーミットはもっとじっくり羅刹の身体を観察したい好奇心を抑えて、再び走り出した。


 相変わらず太陽は昇っていなかった。だが、昨日よりは若干明るさが増したようだった。



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