二日目
まどろむ魔境
餌をせがむ
地平から到来する横殴りの
暑くもなく、寒くもない。風もなく、雲も見えない。無表情な自然。
偽りの
だが、ハーミットの鼻に届けられるヘドロと有機溶剤の混じったむせ返る異臭が、この鬼畜魔境の嘘を告発している。ここは異形どもがひしめく狂乱の森。四方八方に餓狼どもが徘徊し、ハーミットの僅かな隙も見逃さんとする純然たる殺意が、死角の闇に生々しく息づいている。
夜が明けた東の空に、不思議な模様が出来上がっていた。
――
藤色の娘が示してくれた約束が示す先を、今は想像すらできない。
ハーミットは凝り固まった身体をほぐしながら餓狼の様子を窺っていたが、餓狼どもは一向に動かなかった。大きな口蓋を上に向けてぱっくりと開いて、ガクガクと全身を震わせている様子は、歯車がかみ合っていない狼のおもちゃが、遠吠えの動作に繰り返し失敗している風にも見え、どこか無機質だった。
やがてハーミットは依然として寝静まっている枯森を走り始めた。風を切って
この夜明けの時間は餓狼も魍魎も活動していない。まるでこの魔境全体がまどろんでいるかのようだった。理由は知れないが、もうずっと、そうやってじっとしていて欲しいと願うハーミットだった。
この思いがけず与えられた貴重な時間で、ハーミットは白く立ち枯れた木々を猛スピードで走り抜けた。一秒でも早く東へ向かいつつも、左右に
逆に、これだけ全力で動き続け、血と汗を流し続けても、息が上がる程度で済んでいるこの闘鬼の肉体には感謝すら覚える。我ながら恐れ入る体力だ。今のところ空腹感はない。今日一日は持ちそうな雰囲気ではある。しかし、飲まず食わずをこのまま続けられるわけがないことは明らかだ。にもかかわらず、植物の
突然周囲の木々が途切れた。川の跡特有の、丸い川石が転がった地形に踏み入ったようだった。川の跡に色硝子が濃密に散っていたため、まるでビー玉の川が出来上がっているようにも見えた。立ち止まって
ふと、ついでにと、川底に転がっていた色硝子を手に取ってみた。断崖から今に至るまでこの硝子を見ないときがない。いい加減ただの硝子でないことは察していた。
地下に餓狼が埋まっているのかと思ったが、引っ張った色硝子は何の抵抗もなく持ち上がってハーミットの手に収まった。その結果、ハーミットはこの色硝子に対する自分の認識を修正することになった。
「重い……」
水筒ほどの大きさの黄色い柱状の硝子だったが、想像以上に重量がある。硝子も軽い物質とは言えないが、これは重たすぎるだろう。ダンベルさながらの重さだ。
試しにもうひとつ、拳大の赤い硝子を持ち上げてみて両手でかち合わせてみると、キィン……という硬質な音が響いた。続いて黄色い硝子を前方に放り投げ、踏み込んで
ハーミットの【サーベル】をもってして切断できないこの硬さ。普通の硝子ではありえない。ある種の結晶か何かではないかとハーミットは
この色硝子は、餓狼の身体の一部ではなかろうか。
死んだ餓狼が腐り果て、この硬い結晶が残された。餓狼どもの強靱な身体の一部と考えればこの硬さは納得がいく。この色硝子は元々あの餓狼どもの組織の一部――つまり餓狼硝子だ。
ハーミットは赤い硝子を下に落として、
その時、餓狼が一匹森から飛び出して、枯れ川を横切って反対の森に飛び込んでいくのが視界の端に映った。いつしか、餓狼どもが再起動していたのだ。野獣の吠え声がひとつ、またひとつと、どこからともなく枯森の空で重なっていった。
鬼畜魔境が目覚めたのだ。これから始まる死闘を想像し、ハーミットは気を引き締めると、赤く焼けた空に向かって進路を取った。
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