輝く化石#1


 ハーミットは地面を転がされた。


 ゴロゴロと何度も身体を回しながら勢いを殺し、すぐに両手を突いて土まみれになった身体を持ち上げると、目の前には広大なクレーターが現れた。クレーターの内面には無数の色硝子が顔を出していて、色とりどりのモザイク状に輝く様子は、光り輝くすり鉢を思わせた。


 横から到来する陽光によってクレーターの縁から斜めに影が走り、その光と影のコントラストがカラフルな光の粒で塗りつぶされたこの窪地に秘境的な印象を与えていた。


 遠く見えるクレーターの中心には斧が突き立っていて、その近くには黒っぽい何かが光っていた。


 ハーミットは突然開けた煌々こうこうと吸い込まれる景観を望み、呆けた。


 打撲に苦しむ脇腹に顔を顰めながら立ち上がると、その痛みがハーミットを現実に引き戻した。


 はっと我に返ったハーミットが森の方角、クレーターとは逆の方向に向き直ると、森の奥から一本の柱が音もなく水平にかっ飛んできた。ハーミットが即座に籠手やつふさを構えてそれを受け止めると、カァンというビリヤードのブレイクショット音がクレーター中に大きく木霊こだました。あまりの衝撃にたまらず弾き飛ばされたハーミットは、クレーターの中に大きく放り込まれる形となった。


 八房に衝突してきた柱の両脇には昆虫のはねように薄くて透明な膜が一列に並んで生えており、その表皮では数々の斑点が膨張収縮を繰り返し、体表面の色が続々と変化していた。柱の先端はイカの“えんぺら”を彷彿ほうふつとさせる三角形だったが、それは鋼鉄のやじりなみに鋭く硬かった。ハーミットは随分長い間、このイカとスカイフィッシュを足したような柱状の魍魎に追い回されていたのだ。


「――っ!」


 柱の魍魎が宿した、大砲の砲弾に匹敵する信じがたい運動量を余すことなく受けたハーミットが、クレーターの奥深くまで飛ばされる。またしても宙に浮かされてしまった。ハーミットは小さく舌打ちし、続いて自分に襲い来るだろう魍魎の一撃に備え、空中で身を丸めた。


 だが追撃は来なかった。


 腕の隙間から恐る恐る様子を確認すると、柱の魍魎は徐々にハーミットに向かって速度を上げ始めているところだった。どうやら再加速には時間がかかると見えた。


 ――ならば、一手ねじ込んで主導権イニシアチブを取る。


 空中で滅茶苦茶に回る身体を、すかさず全身のバネを使って伸身の宙返りに動きを整えたハーミットが、そのままぐるぐると縦回転しながら身体を反らし、ムーンサルトの形で両脚をそろえて虚空を蹴り飛ばす。


 両脚から同時に放たれた二発の空弾ツイン・ジャベリンの内、一本の【ジャベリン】が魍魎の胴体に見事に命中し、その肉は驚くほど呆気なく弾け飛んだ。魍魎の先端は八房とかち合えるほど硬いにもかかわらず、その他の部位は柔らかかったのだ。


 それで始末できたはずだった。しかし、その魍魎はこれまでに見ないほど、しぶとかった。


 ハーミットがクレーターに片膝を突いて着地すると、追ってその周囲に魍魎の中から弾け出した桃色の内臓がビチャビチャと散乱した。すると、てらつく臓物ぞうもつおのずと寄せ集まって互いが互いを編み合い、瞬く間にワイヤーフレーム・モデルを思わせる形状を構築する。立ち上がったその姿は中身がスカスカな人間そっくりだった。


「げ、にキモい……」


 げんなりするハーミットを余所よそに、網目の魍魎はひも状の頼りない指を揃えて貫手ぬきてを一直線に突き刺してきた。意表を突かれたハーミットは咄嗟に左の手のひらをかざして、その“ひょろい”突きを防いだ。しかしその直後、ハーミットの眼前で手の甲が血を噴き、肉を破って伸びてきた爪が、速度を落とさずにハーミットの眼球に迫った。


 予期せぬその事態にハーミットが鬼の反射神経を見せた。すかさず貫かれた左手を握り込み、そのまま拳をねじって魍魎の腕を巻き取ると、魍魎の身体を背負い投げの要領で荒っぽく反対側の岩肌に叩きつける。それは見た目通り軽く、ハーミットは簡単に敵の行動を制圧できた。


「――ぬぉおおおお!」


 ハーミットは足元で伸びた魍魎を脚甲やつふさで踏みつけると、地引き網を引く要領で力任せに臓物の身体を引きちぎった。そのまま両手でやたらめったらに引き裂いていくと、気味の悪い液体を吹き出しながら魍魎はブチブチと音を立てて千切れ、やがてハーミットが両手に臓物をたんまり巻き取った時、魍魎の活動はいつの間にか停止していた。


 ハーミットが姿勢をそのままに油断なく耳を澄ましたが、クレーターには耳が痛いほどの静寂だけが残されていた。ゆっくりと深呼吸をしつつ、ハーミットは身体の緊張を解いて、だらりと弛緩した魍魎の臓物を下に落とした。


 魍魎のぬらつく臓物がハーミットの左手を貫いたままだった。ハーミットがうんざりした顔で桃色の内臓を右手で掴んで力を込めると、左手から身体中の神経が引きずり出されていくような喪失感と激痛が同時に全身を駆け巡った。濃厚な血液と共にずるりと引き抜かれた魍魎の内臓を、鬱憤を晴らすように足元に投げつけ、憎々しげにわめく。


「――っああ! いっっつー……っ!」


 当たり前だが、傷つけばハーミットも痛い。ごく当たり前のことだったがこれが問題だった。躊躇ちゅうちょが次の動作の支障になる。


 闘鬼の肉体は強靱だ。この程度の傷であれば“安静に”しばらく休めば治る。痛みを我慢しさえすれば穴の空いた手でも殴れる。しかし穴が空いて血が噴き出している手で拳を作り、異形どもに叩きつけるなどという行為は切々せつせつと遠慮願いたい。


 痛みに耐えかねて右手で左手首を強く握り締めると、脈に合わせてどくどくと溢れ出していた流血が少し収まった。下唇を噛んで鼻息を荒くし、更に強く締め付けると痛みも少し和らいだようだった。


 手のしわが見えなくなるほど赤く濡れそぼった左手から視線を上げると、すぐ目の前には見上げるほど大きな恐竜の骨格が静かに佇んでいた。


 その骨はいわゆるティラノサウルスの類いに見えたが、腕が人間に似て長かった。その腕を目一杯前方に伸ばした姿勢で、恐竜の骨はクレーター中央に突き刺さった斧の柄を握り締めて倒れていた。


 恐竜の骨は炭のように黒かった。ただ、その骨格には虹色のフレークが数多く混じっていて、クレーターの縁から差し込んだ陽光を受けて複雑に光っていた。


「これは……すっごいな……」


 見たこともない化石を前にして、左手の痛みがハーミットの意識の外に押しやられた。


 獰猛な牙が生えそろったあぎとはハーミットを一口で飲み込んでしまいそうなほど大きく、頭部の骨格は重機のようにゴツゴツと分厚く力強い。一言で言うと格好いい。籠目は子供の頃から恐竜の化石が好きだった。恐竜という力の象形しょうけいにも、化石というロマンにも、魅力が溢れている。ハーミットの緋色あけいろの瞳に好奇心が灯った。


 左手首を圧迫していたはずの右手が、いつの間にか左手小指の指輪を撫でていた。その右手を恐竜の牙に伸ばすと、手に付いていた血液がべっとり骨に付着した。ざらざらと硬くて冷たい骨からは、ずっしりとした重量感が伝わってきた。


「――あっ」


 ハーミットが少し力を入れて牙を左右に揺すってみると、それはキィン……というやけに甲高い音を立てて折れてしまった。


 綺麗な牙だ。黒いのは黒いのだが、半透明状なのか、取り込んだ光が中で複雑に反射を繰り返している。内部にぎっしりと散った虹色のフレークが迷走する光を外に弾き出し、見る角度に応じて七色の変化を見せて、クジャクの羽を思わせる青緑の輝きや、種火に近い赤い輝きをむことなくちらつかせていた。それは万華鏡のような、いつまででも見ていられそうなほど愉快な色彩の祭りだった。


 この恐竜には悪いが、せっかくだからと、ハーミットはその折れた牙をベルトのオープンホルダーに収めようとした。しかし、片手では掴みきれないほどの太さがその邪魔をした。


 それではと、ティラノサウルスにしては妙に長い腕の先まで歩いて行き、斧を掴んでいる恐竜の指に手をかけた。その爪は同じように簡単に手折たおれた。


 コンバットナイフほどの大きさの、少し反った円錐形の爪だった。ハーミットは満足げにその爪をひとしきり眺めた後、ベルトのオープンホルダーに納めた。ハーミットのベルトには薬液ポーションの類いを入れるスロットとしてオープンホルダーが左右にふたつずつ付いていたが、今は全て空だった。恐竜の爪はちょうどそのホルダーに収まる大きさだった。


 この恐竜が掴んでいる斧は戦斧ウォーアックスだった。ハーミットの背丈を超える大きさの両刃の斧だ。でかい。複雑な意匠が彫り込まれた柄の先に、青みがかった波紋を浮かせた、くすんだ銀色の刃が、クレーターの底を断ち割ったまま突き刺さっている。


 ハーミットはその斧に手をかけ、引き抜こうとして、やめた。


 ハーミットは武器が扱えない。己の肉体を武器とするブレカートを修める者の宿命として、一切の武具を習熟できないのだ。鬼の金棒のようにして力任せに振り回すことはできても、それでは栄座スローンを競うレベルの戦闘においては意味を成さない。であれば、ブレカートの技を繰り出した方がよほど有効だ。


 かつての戦いの日々を思い返したハーミットの胸を懐古の念が掠めた。


 ハーミットは背後にきしんだ音を聞いた。


 ギィギィと年季の入ったドアをゆっくり開く音が、何重にも折り重なって背後から聞こえて来る。


 まったく慮外りょがいのその音に振り返ると、


「――え?」


 恐竜の化石が、その骨格を竜巻の如く回転させているところだった。


 それは赤青緑のカラフルな光を激しく明滅させた黒い竜巻だった。


 次の瞬間、突起だらけで太く頑強な恐竜の尾が、ハーミットの腹部から右肩にかけてを、鞭のようにしたたかに打ち払った。


 とてつもないパワーで独楽こまのように撥ね飛ばされたハーミットは、クレーターの斜面に全身を強打した。岩場がぜて、きらきらと色硝子が混じった土の欠片をまき散らし、ハーミットの身体は斜面に少しめり込んで止まった。

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