輝く化石#2


「――――かっ……」


 寸刻、意識が飛んだ。


 じんわりと視力が回復するに伴い、全身が砕け散ってしまったかのような未知の痛みが襲ってきた。


 ハーミットは目を白黒させながら、両手をぐっぱと動かして神経系の異常の有無を確かめた。両脚にも感覚が残っていることを確認すると、かぶりを振ってすぐさま立ち上がる。


(――魍魎だったのか……?)


 空気を求めて喘ぐハーミットの目に映った黒く輝く恐竜の化石は、餓狼の類いとは思えなかった。魍魎ともどこかが違う――そう、あれは恐竜の骨なのだ。口があり、眼窩があり、背骨に腕と脚があって、尻尾まである。魍魎の類いであれば、そんな生物感は許されない。


 予想外の形で現れた恐竜の化石という第三勢力に対峙し、ハーミットは身体を少しひねって状態を確認する。僧帽そうぼう筋を特に酷く痛めており、自身の動きに合わせて鋭い痛みが走り、その度に小さく息が漏れた。尾骨おぼねで手痛く打たれた腹から肩にかけても、深刻な打撲があるようだった。


 黒い骨の化石恐竜が原色の煌めきを伴ってハーミットめがけて突撃を開始した。その一歩一歩がクレーターを揺るがす度に、ハーミットの足がふわりふわりと浮いた。苦痛と緊張が混じり合った汗が一滴、こめかみを伝った。


 大きく開かれた化石恐竜のあぎとが、地面を抉りながら、下からすくい上げるようにハーミットに襲いかかる。その様子を正面に見据え、“あえて”迫り来る顎に向かって飛び込むハーミット。ガキンと鋭い恐竜の牙が打ち鳴らされた時、既にハーミットは火の輪くぐりのようにして口を飛び抜けた後だった。一般的な骨格のとおり、下顎の底は抜けていたのだ。


 ハーミットは飛び込んだ姿勢から空中で前転し、浴びせ蹴りでアックスを振るって白刃の車輪を身にまとうと、上を通り抜けていく恐竜の肋骨を下から切り裂いた。捉えた肋骨が何本か砕けて背骨から抜け落ちたのが見えた。


 化石恐竜の股下に着地したハーミットは、同時に脇に飛び、地面を削りながら追ってきた尻尾を躱した。こうして駆け抜けていった化石恐竜は、そのまま減速せずにクレーターの傾斜を走って転進してくる。


 ハーミットがそれに向き直って正面から迎撃の構えを取る。その時、白い体毛に覆われた太い手が、足元の地面から突き出してきて脚甲やつふさを掴んだ。ぎょっとして視線を落とすと、自分の股下から白亜の凶相が大口を開けて地中から這い出してくるところだった。


 見渡してみれば、このクレーター中の色硝子がガタガタと振動していることに気が付く。餓狼どもが、湧き出して来たのだ。


 ――そうだ、この色硝子が埋まっているところからは餓狼が沸いてくるのだ。


 この鬼畜魔境における、ごく基本的かつ極めて重大なルールを失念していたハーミットは「くっそ……」と悪態を漏らした。脚甲やつふさに噛みついていた餓狼の頭を苦々しく靴底アンヴィルで踏みつけて、その脳漿のうしょうを足元にぶちまけると、既に立ち上がっていた周りの餓狼どもがハーミットの不作法ぶさほうとがめるように吠え散らかした。


 タックルをかましてきた別の餓狼を、パルクール然と片手を突いてひらりと飛び越えたハーミットの視線の先で、化石恐竜が屈みこんでいた。その長い腕の先には、あの波打つ模様のウォーアックスが収まっていた。


 ハーミットの背中にひやりとしたものが走った。


 化石恐竜の骨格が黒く妖しい光を放ったように見えた。その直後、恐竜は大地を蹴って高く飛び上がっていた。ハーミットのあごが上を向くほど高い跳躍だった。恐竜の脚に取り付いていた数匹の餓狼が、枯草のように蹴散らされて宙を舞っていた。あのウォーアックスが、空中で大上段に構えられている。


 ハーミットが慌てて地上を駆けると、たちまちハーミットがのがれた場所で爆発が起こり、重い炸裂音がクレーターを駆け巡った。わんわんという耳鳴りの中、ハーミットが籠手で顔を覆い、色硝子の飛礫つぶてを防ぎながら土埃が収まるを待つと、やがてそこには戦斧を構えた黒い恐竜の化石が堂々と姿を現した。


 化石恐竜の骨格が形取る完成された姿勢は、熟達した戦士の構えそのものだった。


「まじかよ――!」


 恐竜が雑草を刈るように、手にした戦斧で地上を撫で切りにすると、餓狼どもの肉片と臓物が風に吹かれた木の葉のように軽々と散った。恐竜は大きな歩幅で更に一歩踏み込み、返す刃で戦斧をハーミットに叩き付けてくる。


 油断していたつもりはなかった。しかし、力任せに襲い来る異形どもの対処に慣れ始めた頃、突如として放たれた卓絶たくぜつした斧撃ふげきに完璧に対応することは、さしものハーミットであっても不可能だった。それは間違いなく戦士の動きだった。エリュシオン一流の戦士に匹敵するほどの。


 ぐんっと加速した恐竜の姿が、虹色の閃きと共に膨張して見えた。その隙のない体捌たいさばきに目を奪われてしまったハーミットは、なすすべなく鋭い斧の一撃を両腕の籠手やつふさで受け止めることしかできなかった。


 八房とウォーアックスの衝突はストロボを炊いたようなまばゆい閃光を生み出し、接触点では圧縮された空気が歪み、爆発的に膨張した。そこから生み出された怒濤の爆風が、ハーミットのみならず寄せていた大量の餓狼も巻き込んで放射状に吹き飛ばしていく。


 ハーミットはきりもみしながら飛ばされて、姿勢の制御もままならないうちに餓狼の群れギャラリーに突っ込んだ。朦朧とするハーミットに殺到する餓狼ども。上から押さえ込まれたハーミットは、握り締めた拳マインフレイル遮二無二しゃにむに地面に振り下ろした。


 一瞬へこんだ地面が、内部にため込んだ拳気けんきと共に莫大な土砂を地下から噴き上げ、覆い被さっていた餓狼ごと高く吹き上げて、辺りに散らした。


 自爆気味に放たれた【マインフレイル】に巻き込まれたハーミット自身も、身体中に数多くの瓦礫の直撃を受けた。


『おおおおおおおおおおっ‼』


 降り注ぐ礫土れきどの中で、ハーミットは立ち上がって腹の底から雄叫びを上げていた。するすると滑り落ちていく意識を無理やり引き留めると同時に、【鬼哭おになき】の効果を乗せて全身の筋力を一時的に飽和させる。


 ハーミットの雄叫びおになきがクレーター内部で残響していた爆音を外に押し出していった。その余韻を切り裂いて、空気を力強くかき混ぜる連続音がハーミットに飛来する。


 墜落したヘリコプターのブレードが、空間を真っ二つに切り裂きながら飛んでくるシーンが、ハーミットの視界に重なって見えた。その現実の姿は、人の手には負えないあの巨大なウォーアックスが、凄まじい速度でぐるぐると回転しながらハーミットの脳天めがけて急襲してくるところだった。途中で接触した餓狼の血肉が、脱穀機に巻き込まれた哀れなネズミのように無残に飛び散っていた。


 ちかちかと未だに星が舞っている視界が邪魔をして、投擲されたウォーアックスを認識するのが一拍遅れた。


 ハーミットが息を止めて籠手やつふさを頭上で交差させ、再び斧の一撃を受け止める。しかし、【鬼哭】で強化された肉体をもってしても、戦斧に込められた莫大な運動エネルギーを受け止め切ることはできなかった。


 ウォーアックスの重く鋭い刃が、ハーミットを両腕の上から押して左肩にのし掛かってくる。それでもまだ刃は止まらず、押し込められて、鎖骨の辺りから割り箸が折れる音が骨を伝って鼓膜に届いた。戦斧のモーメントはハーミットを前のめりにはたき倒し、ハーミットの顔は再び土を舐めることになった。


 餓狼の体液に濡れた地面に顔面を押し付けられ、短時間に重ねられたあまりのダメージ量に視界が混濁し、昏倒しかける。口に飛び込んで来た泥の苦味と、口蓋が汚される不快感が気付け薬となり、辛うじてハーミットの意識をつないでくれた。


(――なにこれ、まじしんど……)


 自分を徹底的にさいなむこの事態を、どこか遠くの出来事のように感じながら、ハーミットは両手を突いて身体を起こした。左肩に疼痛とうつうを感じ、上手く腕が上がらなかった。喉の奥の違和感に咳き込むと、口の中がざらざらとして舌に苦みが残った。鼻に抜けるヘドロと溶剤の匂いが嫌で、口の中の泥を唾液に混ぜて吐き出したつもりが、それは自分の血反吐ちへどだった。歯が何本か地面についた手の脇に落ちている。


 戦斧はハーミットを轢いてそのまま飛び去り、後方の斜面を爆散させていた。


 あの黒く煌めく化石恐竜の暴力は常軌を逸している。


 だが――。


 ハーミットは四つん這いのまま歯を食いしばって犬歯を剥いた。感情の昂ぶりに呼応して、緋色あけいろの瞳が、鮮やかな唐紅からくれないに輝く。


 顔を上げた時、黒い化石恐竜がきらきらと全身から煌めきファイアを発してハーミットに迫っていた。恐竜が口を大きく開き、下顎をブルドーザーのようにして地面をえぐり取りながら噛みついてくる。その様子をめ上げつつハーミットは立ち上がり、両脚にバネを与え、深い呼吸を繰り返して待ち受けた。


「――ふっ」

 

 恐竜の牙がハーミットの身体を噛み砕く。その直前、ハーミットはタイミングを図って鋭い息を吐き、高く跳躍した。恐竜の頭部が自分の下を通過していくのを見送り、空中で身体を転じながら右脚を目一杯引き絞ると、恐竜の頭上に弓なりにしなったハーミットの身体が浮かんだ。


 ハーミットは極限に高まった全身の緊張テンションを開放し、恐竜の脳天めがけて垂直に鬼の豪脚パイルドライバーを叩き落とした。


 天空から地の底まで一直線に貫く不可視の力が化石恐竜の頭蓋をき、けたたましい衝突音が闇黒の空に響き渡った。あれほどの猛襲を繰り返していた恐竜の頭蓋に亀裂が走り、乾いた朽ち木のように簡単に首からもげて落ちた。


 恐竜の骨は接合部が脆かった。ハーミットは牙や爪が簡単にもげたことからそう予想していた。


 頭部を失った恐竜の動きが緩んだ。


 ハーミットは未だ動き続ける黒く輝く骨格の下に着地すると、即座にその場で倒立の姿勢を取った。左肩に鋭い痛みが走ったが、【鬼哭】で強化された筋肉が折れた鎖骨の補強をになった。


 両手で大地を持ち上げたまま、ハーミットが両脚を風車かざぐるまの如く振り回すと、つま先が空気中の塵を撫でて紫の光環コロナを発生させた。虚空に描き出した紫の光環コロナが敵の骨を断ったことを確認したハーミットがその動きを一気に加速させると、両脚が更に複雑な軌道を描き出していく。やがて次々と現れた光環コロナが、ハーミットを中心に幾重にも張り巡らされて紫電の巣パルベライザーを作り出すと、黒く煌めく恐竜の骨が、朽ちた廃屋が自壊するように【パルベライザー】の内側に沈み込み、粉砕されていった。


 やがて脚に手応えを感じなくなると、ハーミットは両脚を揃えて綺麗な倒立姿勢になってから膝をかがめ、ぴょんと両手で跳ねた。しかし、その着地は全身の苦痛に阻止された。がっくりと両膝をついたハーミットの周りでは、粉々になった黒い骨の欠片が虹色の反射光を撒き散らしていた。


 開けっぱなしになった口からは犬歯がちらりと覗き、呼吸を繰り返す喉はヒューヒューと笛の音を鳴らしていた。身体を巡っていたアドレナリンが失われていくに従って、その影に隠れていた痛酷つうこくが身体の芯から湧き出してきた。ハーミットが我慢できずに苦悶の表情を作る。


 だがここに至っては、もはや随所に受けた損傷は些事さじ。左手のひらに空いた穴も、鎖骨が折れて上手く持ち上がらないその左腕も、朱に染まって割れた視界も、灼けた肌も、くまなく負ったむごい打撲に裂傷も、逃げていく血液さえも。


 目下、ハーミットの心配事は“下半身が動くかどうか”に絞られつつあった。


 ハーミットの攻めの主力は蹴りだ。蹴るのにも、走るのにも脚がいる。言い換えると、下半身が壊れたらそこでゲームオーバー。自分は呆気なく死ぬ。


「――まだ……大丈夫、まだやれる……」


 ハーミットは覚束おぼつない自分の肉体を説得し、立ち上がると、息つく暇もなく餓狼の群れに突入した。それはアドレナリンを得るためだった。ブレカートは攻めて、守り、躱すことで体内にアドレナリンを蓄積する。このアドレナリンを技の対価として不可視の武具を生み出し、己の動作に破壊の効果を上乗せするのだ。そして、そのアドレナリンには痛みを和らげる副次的効果があった。


 まだ戦える。しかし肉体に宿る精神が、魂ごと身体を引き裂かんとする痛みに屈しそうになるのだ。今アドレナリン切れを起こせば、二度とハーミットは立ち上がれないだろう。


 ハーミットは飛び蹴りチャージランスで餓狼の群に突っ込んで道を切り開くと、委細構わずクレーターの斜面を駆け上がった。途中、何度も餓狼どもの爪が頭部に、頬に、肩にかかって鮮血を散らしたが、その全てを振り払って一直線にクレーターの外へ。勾配が急激にきつくなったところで、一息に飛び上がってクレーターを脱した。


 ここからは、逃げるだけでは駄目になった。積極的に当たっていかなくてはならない。アドレナリンを常に補給しなければ、ハーミットの四肢は油が切れたように痛みに錆びついてその動きを止めてしまうだろう。


 こうしてまたひとつ難易度を上げた鬼畜魔境をハーミットは独り駆ける。


 依然として太陽は昇らない。



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