一日目

鬼畜魔境#1


 かごの中に一匹の鳥がいた。


 鳥は生まれたその時から闘いに魅入られていた。


 籠の編目の隙間から天高く浮かぶ栄光の星々を仰ぎ見て、ついには己の脚で星にいたりたいと願い、自らの羽を燃やした。


 鬼となって仲間と共に士族クランを作り、皆で星々の中心――〈エリュシオン〉に鳴り物入りで飛び込んだ。全てをして士族戦争クランウォーに身を投じ、永き闘争の果てに、ついには世界のいただきに上り詰めた。


 鬼は栄座スローンに満足しなかった。熱狂冷めやらぬ中、己が力に傾倒し、無謀にも六道冥府りくどうめいふの化身《けしん》に挑んだ末に禁断の装具を作り出した。鬼は怨嗟えんさに追われるがまま、栄華の舞台から孤独に去った。


 ハーミット・カゴメは鬼である。


 鬼とは、怒り、恐れ、恨み、悲しみなどなど。とにかくそういった人間の陰気いんきが溜まったよどみから生まれる精霊の一種だ。鬼に親はなく、子もいない。ただ、人知れず生まれては消えていく。


 出自がそういったものだから、鬼を忌避きひする者も多い。しかし実際のところ、その性質は多様だ。


 地獄の獄卒として“勤勉に”亡者をさいなむ真面目な鬼が多くいる一方で、土着の地霊として敬われ、その神力じんりきで土地に恵みをもたらす鬼もいれば、助けを請う者に慈悲深く手を差し伸べて行脚あんぎゃする鬼もいる。一方、夜な夜な人を食らって嘲笑あざわらう鬼もいれば、ひたすらに闘争を求める鬼もいた。


 ハーミットが転生した鬼は、まさに闘う鬼だった。


 鬼の進化が行きつく先はいくつもあるが、ハーミットはその中でも近接戦に特化した鬼。すなわち〈闘鬼とうき〉だ。それは鬼が自らの神懸かみがかり的な力を一切捨て去って、その全ての成長性を肉体の強化に注ぎ込んだ真正しんせいの戦闘狂が行きつく果て。


 鬼の神力じんりきは角に宿る。その力の根源たる角を自ら手折たおって魔力を全て捨て去ったのが闘鬼だ。故に、ハーミットには角がない。


 闘鬼は剽悍ひょうかんな種族だ。その純粋なフィジカルは一般的な種族を圧倒する。だが、魔力の喪失とは戦いにおいて特大の欠点にもなる。


 世界には魔力が満ち溢れていた。魔力はありとあらゆる超常現象を引き起こし、味方に恩寵おんちょうを、敵対者に災禍さいかを与える魔法となって顕在けんざい化する。近接戦士ですら、多くの技の発動に魔力を使う。


 その魔力が使えないということは、もはや獰猛な猛禽もうきんたちが飛び交う三次元戦闘の場面に放り込まれたにわとりも同然。


 ――されど、何よりも鋭く研ぎ澄まされたその蹴爪けづめこそ、ハーミットが夢見たものだった。


 そして今、その屈強な闘鬼の肉体がおぞましい異形どもの猛火に晒されている。


「ぐっ……!」


 ハーミットの口からくぐもった声が漏れた。側面からぶつけられた肉塊の、想像以上の重みにバランスを失い、思わずその場でたたらを踏んで足を止めてしまった。


 直後、待ってましたと言わんばかりに、地中から鋭い一本の槍が伸び上がり、仰け反ったハーミットの頬を掠めて鮮血を散らせた。


 離れた場所にいた、その槍の持ち主――背中から沢山の尾節びせつを生やしたさそりのような魍魎を睨み付け、ハーミットが空気をはじいて突きダガーを放つと、直進性の空刃くうじんがサァッと音を立てて走り、その魍魎の尾を付け根から切り飛ばした。


 戦果は確認しない。息つく暇もなくハーミットは背後に迫った白亜の餓狼に意識を切り替えた。なかば勘で身体を反転させながら、回し蹴りハルバードでその飛び掛かり迎え撃ち、鋭い鉤爪を振り上げて迫る餓狼の両腕を切り飛ばした。


 ハーミットが両脚で大地を掴んで餓狼に正対せいたいした時、餓狼は腕から血を吹き出してバランスを崩していた。それを見たハーミットが、足の裏から伝わる拳気けんきを踏み込みに乗せて、餓狼の脇腹に鬼の豪腕メイスを叩き込むと、直撃を受けた餓狼の巨体は乾いた音を立てて脇に飛んだ。


 すかさず先ほど肉塊を飛ばしてきた、歩く大砲のような魍魎に目を向けると、その魍魎は既に別の餓狼に襲われているところだった。


 目まぐるしく変わる戦況の中、ハーミットが自分へのマークが緩んだことを察して、すかさず包囲網から抜け出すべく地面を蹴った時と、視界に白い壁が広がったのは同時だった。その瞬間、顔面に強い衝撃を感じ、大きく後方に跳ね返されたハーミットの身体が、枯れ木の合間を軽々と飛ばされていく。


 ハーミットの飛んだ先には運悪く餓狼が二匹いた。飛礫つぶての如く飛んだハーミットの身体が片方の餓狼に衝突し、そのままもつれ合って地面を転がると、地表に覗いたカラフルな硝子が土埃と共に巻き上げられて、きらきらと光を散らした。


 もみ合いになった末に偶然ハーミットが上を取って停止した。混濁した意識の中、ハーミットが歯を食いしばって血まみれの鉄拳メイスを餓狼の喉仏に打ち据える。一撃では十分な効果が得られず、ハーミットは馬乗りの姿勢のまま、組み敷いた餓狼の喉が潰れるまで何度も【メイス】で滅多めった打ちにした。血まみれの脊椎せきついが露わになるほど喉の肉を削り取っても安心できず、最後に体重を乗せた一打が骨をへし折って地面を叩き、餓狼の首がほとんど千切れた状態になってようやく手を止めた。


 がっくりとひと息ついたハーミットだったが、すぐにはっと我に返って立ち上がる。もう一匹の餓狼は既に目前に迫っていた。瞬時に体制を整えたが、その飛び掛かりには対応が間に合わず、肩口に噛みつきを許してしまう。その時、餓狼の黒く塗りつぶされた眼球が至近距離で見えた。それは深海鮫しんかいざめにそっくりな無機質で冷たい眼球で、角度によって眼底が金属メダルのような鈍い光を放った。


 このまま地面に押し倒されれば、あの輝く羅刹にしてやられたように窮地きゅうちに陥る。転倒だけは防がなくてはならない。ハーミットは肩にかかる圧力と痛みをこらえ、体幹に鋼の緊張をくれて踏ん張った。


 押されてハーミットの両脚がガリガリと地表を削る。餓狼の牙は闘衣に阻まれて肉には食い込んでいなかったが、唸り声と共に加えられる恐るべき咬合力こうごうりょくによって鎖骨がきしみ始めており、危機感を覚えた。


 ようやく両脚が地面の上でぴたりと静止し、靴底がしっかりと土を噛んだのが感覚で分かった。その瞬間、ハーミットは肩に噛み付いている獅子なみに大きな頭部を逆に両手で抱え込み、体幹に秘める闘鬼の瞬発力を総動員した膝蹴りジョーブレイカーを餓狼の腹部に見舞った。


 マシンアーセナル・スキル【ジョーブレイカー】による破壊は、ハーミットに噛み付いていた餓狼の上半身を一拍の重低音と共に打ち砕いて無数の肉片と化し、血飛沫しぶきと共に宙に四散させた。ふっと力を失った餓狼の頭部がハーミットの肩から外れ、きたならしい唾液を引きながら地面にずるりと落ちた。


 ――まだ視界が揺れている。先ほど跳ね飛ばされた“白い壁”は効いた。


 鼻から垂れた血を手の甲で拭うと、手と顔に激痛が走った。手は灼け爛れて血まみれで、きっと顔もそうなのだろう。視界の一部に朱が混じっているのは血が目に入ったのか、あるいは眼窩から出血しているのか。


 ハーミットを打ち据えた白い壁の正体は外骨格型の餓狼だった。腕が肥大化してぱんぱんに膨らんだ蟹のはさみのようになっている。あれで手酷く殴打おうだされたのだ。


 白亜の外骨格に埋め込まれた色硝子の数が多い。強敵だ――これは自分でも幼稚な推論だと思う。だが、餓狼の強さは埋め込まれた硝子の数に比例しているとしか思えなかった。硝子の数が多ければ多いほど、強い。そして硝子の角が生えていれば極めつけだ。ハーミットはそれを羅刹と呼んだ。


 あの白い蟹の餓狼は硝子の角こそ生えていなかったが、羅刹に匹敵する敵かも知れない。


 だが、その外骨格型の餓狼も今や別の魍魎に襲われている。四脚多節の下半身を持つゴリラとも言うべき魍魎だ。あれは、大きい――。


 ひとたび足を止めてしまうと、こういう事態になる。この森で足を止めてはいけない。もう何度も死にかけた。“密度”が尋常ではないのだ。


 今、ようやく襲撃が途切れたことに気が付いたハーミットは全力で駆け出した。瞬時に最高速に達し、そのまま周りの騒乱を縫って光が差してくる方向に疾走を再開する。


 ハーミットが走る地面は灰のように色味のないサラサラした表土に覆われていた。所狭しと色硝子が頭を出している。地表よりも硝子の面積の方が多いくらいだ。そのおかげで足場は悪かったが、森のしげりがないことから視界は通った。しかし、ひとたび地表を踏みつけてしまえば表土が舞い上がり、乱闘でも起ころうものなら、あっという間に五里霧中の状態になってしまう。


 横から陽光が差した枯森は、全体的に色彩が稀薄だった。舞い上がった表土でもやがかかってチンダル現象を起こしており、ぼやけた陽光が閑散とした枯木の隙間から、カーテンを引くように光線と影でもって森全体を描き出していた。


 薄暗い枯木の森と、前方から差し込む光によって爛々と輝く色とりどりの硝子。それらのコントラストは絵画的で、もし静かに佇むことができたならば、あるいはこの自然の美に心を奪われただろう。


 ――だが、無理だ。


 この森は異形どもに満ち溢れていた。枯森に踏み入ってから、もうかれこれどれくらいの時間追い回されているのか。


 十歩進んでは会敵エンカウント。比喩ではない。紛れもなく、十歩進んでは会敵エンカウントだ。ハーミットは辟易へきえきするほどに延々と襲われ続けていた。


 ハーミットはかつて数え切れない領界りょうかいと呼ばれる地におもむいて戦った。その中でも魔境まきょうと呼ばれる壮絶な難易度の領界も幾度となく経験した。しかし、これは――。


(難易度がぶっ壊れてる!)


 ハーミットは胸中で吠えた。しかし声には出さない。少しでも周囲の注意を引きたくないからだ。


 不意打ちも、挟み撃ちも、何でもあり。


 ルール無用の枯森は、文句無しの鬼畜魔境だった。


 無数の白亜の餓狼が徘徊し、その姿を見かけないことがない。餓狼どもはハーミットの姿を見つけると、しめたとばかりに図太い雄叫びを上げ、飢えた野獣の如く地面を揺らしながら寄ってたかってくる。


 とにかくもう、この数がどうしようもない。枯森突入当初は律義りちぎに相手をしたハーミットだったが、もうきりがないと、とにかく走ることを優先したのだった。


 それでもハーミットの身体には回避しきれなかった攻撃によって傷が増え続けている。先ほどの白い蟹鋏かにばさみによる顔面への痛打で、視界の一部が赤く染まり、“ひび”が入ってしまっている。今の自分の眼球の状態など、想像したくもない。



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