異形どもの抗争#3


 じっと断崖を見つめ、口中に広がるアドレナリンの味に顔をしかめると、ハーミットは溜息をついた。


 ――想定を超えた敵だった。


 ハーミットの長い戦いの記憶にも、八房を装着した状態の【ハルバード】でかすり傷しかつけられなかった手合いはほとんど記憶にない。ハーミットの極まった蹴撃は、それ自体が研ぎ澄まされた武器であり、エリュシオンの頂点に君臨する戦士たちが持つ最高峰の武具と打ち合えるものなのだ。


 だが、バンダースナッチの装甲はその蹴りを防ぎ切った。あの異形は、ハーミットが持つ至上の装具――〈まが八房やつふさ〉に匹敵する装甲で全身を固めていたということになる。もし断崖がなく、真っ向勝負になっていたなら、ハーミットも犠牲を覚悟で最大火力をもって迎撃する他なかっただろう。


「まぁ、次があればだがな……」


 あんな怪物が何匹もいるなどと――ハーミットは籠手を撫でて縁起でもない想像を紛らわした。


 禍つ八房。それは前腕部に取り付ける籠手と、脛当とブーツが一体化した両脚の脚甲を合わせた四つの金属製装具に付された名だ。八房は至高の性能を誇る世界にただひとつの装具。ハーミットが当時所属していた氏族クランを抜け、単独ソロ活動に至ることになった原因でもあり、この世で最も不吉な装具のひとつ。


 八房は『不壊』だ。八房が、というよりはその素材が、という意味でだ。


 八房は〈ガルボルン〉と呼ばれる最上級金属で作られている。それはあまりに硬いためにほとんど加工できず、一度焼き入れれば、もはや神々ですら壊すことあたわず、と言い伝えられる。


 無論、利点ばかりではない。その硬度と引き換えに一切の魔法的干渉を受け付けないというデメリットを孕んでいる。魔法的干渉を受けないとは、魔法を跳ね返すという意味ではない。魔力が素通りするという意味だ。


 恩恵が付かない、付与魔法がかからない、魔法防御が皆無とあっては、あまりに先鋭的。ガルボルンはどちらかといえば際物きわものとして扱われる金属だった。ハーミットはこの難儀なんぎな金属を、忌まわしい鍛冶によって鍛え上げ、その結果呪われたのだ。


 ハーミットは改めて八房を見た。ひとつの六芒星に二本の尾が巻き付く紋章。それが両手両脛にそれぞれ浮き出しており、全身で計八本の尾が刻まれている。


 故にふさ


 これこそが呪いの刻印であり、怨嗟えんさの象徴。


 なんとなく、ハーミットは八房に語り掛ける。


「お前は、まだおるぅぐぇ――」


 突如視界が流れ、髪の生え際に鋭い痛みが走って息が詰まった。気が付くと、ハーミットは引き倒されて地面に這いつくばっていた。


 頭皮の痛みの原因を目で追うと、全身を色硝子で隙間なく着飾り、輝く三本の角を生やした餓狼どもの英傑――羅刹が長い白髪を掴み、ハーミットのかたわらで立ち尽くしていた。硝子製の狼男にも似た身体をだらりと弛緩させ、ハーミットを見下すその瞳はぼんやりと黒く沈んでいる。


「は――」


 離せよ。そう口に出そうとしたが、再び視界が凄まじい勢いで流れ始めたことで中断された。羅刹がたかぶった雄叫おたけびを上げながら、滅法めっぽうな腕力でハーミットの身体を振り回し始めたのだ。


 空中を旋回して何度も地面に身体を叩きつけられ、付近の魍魎どもに打ち据えられた。辛うじて受け身は取っていたものの、地面から突き出た鋭い硝子突起に骨が直撃するたびに、全身に電気が走り、歯の隙間から呼気が漏れ、息の詰まる痛みが襲ってくる。


 なんとか体勢を落ち着けようとして地面に指を突き立てたものの、無慈悲に引きずられて地面を引っ掻いただけに終わった。両手の爪が剥がれてその跡の上に鮮血を残し、炭火に突っ込んだような熱さに指が焼かれ、手から力が抜けていく。


 カウボーイの投げ輪のように縦横無尽に振り回されつつも、どうにか対処しようと試みたが、身体が宙を舞ってしまっていてはハーミットは文字通り手も足も出なかった。


 ハーミットにとって、浮かされるということは敗北への序曲だった。


 空中姿勢制御のすべを持たないハーミットが宙に浮く。その事態の意味する所は、続いて訪れる嵐のような連撃コンボの先触れであり、あるいは襲い来る痛恨の一撃の予兆でもある。身を丸めてガードを固め、身体が地面に付くまで耐え続けなければならない恥辱の時間なのだ。


「――がっ――はっ――!」


 だが、それにしてもこれはいささか酷い。髪をひっ掴まれて延々ともてあそばれるという扱いは、これまでに経験したことがないものだった。


 ――もし、このまま断崖の向こうに放り込まれたら?


 闇黒に落ちていった藤色の娘の姿が脳裏をよぎった瞬間、ギリリと奥歯を噛みしめる音が漏れ、鋭い犬歯が覗き、こめかみ付近に溜まりに溜まったフラストレーションが爆発した。


「俺の、髪を、引っ張るんじゃねええぇ!」


 地上との衝突が二桁回数を超えたあたりで、ハーミットは“奥の手”の発動を決心する。


「来い――八房!」


 ハーミットが覚悟を決めて八房に向かって命じると、すかさず心臓が一発強く打ち、全身の筋肉という筋肉が引きって激痛が全身を駆け巡り、呼吸が止まった。


 己の魂を糧にして、途方もない質量が両手両脚に宿る。


 八房の素材ガルボルンは、その性質として特殊機能が付かない。だが世の中例外というものがある。八房はその特別な鍛造方法によって付与された呪いという“更なるペナルティ”と引き換えに、あるユニークな機能を獲得していた。


 『質量操作』――八房にハーミットの魂を“つまみ食い”させることで、その重量を大きく変動させられるのだ。


 質量を増加させる際に全生命力の二割を一律に消費するはめになるが、紙一枚の重さから、巨象の目方めかたまで。『超軽量』『軽量』『標準』『重量』『超重量』と五段階で変動させられる。


 ハーミットは動きと手数、瞬間火力をもってして敵を討ち滅ぼす。そのため、極限にまで装備重量を絞った軽量装備で固めていたが、緊急時にはこうして質量を増加させて重量級の戦い方に変貌できるのだ。


 この機能は八房が唯一。固有の機能であり、初見の相手は必ず“引っかかる”。正真正銘の奥の手だった。


 今、ハーミットが八房に与えた質量は、自分を振り回す羅刹の腕力に対抗するための『超重量』。


 ハーミットは己の生命力を糧に得られた四肢の超荷重を、四つん這いになって地面に押し付けて踏ん張った。すると僅かな時間だけ両者の力が拮抗し、バンダースナッチの灼けつく蒸気で痛んでいたりもしたのだろう、ブチブチと嫌な音を立てて髪の毛が根本から引き千切られていくのが感覚で分かった。


 ハーミットの長髪を奪い取った羅刹が、ひと鳴きして無造作にそれを手放すと、ばさりと毛束が地面に落ちた。周りではまだ異形どもの騒乱が続いていた。すぐにその髪は蹴飛ばされ、踏みつぶされて汚泥おでいまみれとなったところで、ハーミットの目前に転がって来た。


 ハーミットはうずくまったまま動けなかった。


「――――っ!」


 殺し合いにおいて、長い髪は邪魔でしかない。このように敵に利用されることもあるだろう。今、こうして処分できたことは僥倖ぎょうこう。これは、いわゆる高い授業料だったのだ――そうだ。そう、自分を納得させようとして、


「こ……んの……クソボケカスが……っ‼」


 両手をついたまま怒気を孕んだ唸り声を上げると、四肢の装具から陽炎かげろうが立ち昇り、八房の質量が元に戻った。


 ハーミットが生まれてこのかた、ずっと伸ばしていた髪の毛だ。鬼に転生するときですらこの髪型は変えなかった。


 かつての仲間たちと共に氏族戦争クランウォーで暴れまわっていた当時、この長い白髪が自身のアイデンティティであり、全身“白色”の闘衣に身を包んだ姿と相まって当時のふたつ名の由来にもなったものだ。こんなむごたらしい終わり方をしていいわけがない。


 もはや頭に血が上っていくのを抑えられそうにななかった。


 地面を揺らしながら勝ち誇った風にゆっくりと近づいてくる羅刹を下からめ上げる。


「おどれも地獄送りにしてやる‼」


 鬼らしい宣言と共に、ハーミットは猛然と駆け出した。


 羅刹の姿は、名状しがたき魍魎どもに比べれば、どうにか人型と見なせる範疇はんちゅうに入っている。よって、ハーミットは攻めのイメージを明確に掴むことができた。


 身長差を生かし、下段の小技から先手を取る。小連撃コンボに繋いでアドレナリンを貯める。十分アドレナリンが行き渡ったら、そのまま大技のマシンアーセナル・スキルで締める。最高位の〈ヘビーアーセナル・スキル〉はこの状況では使えない。だがそれでも、常に敵にたくを迫って先手を取り続ければ削りきれるだろう。


 ろくに構えも取らない羅刹の懐に突っ込んで、ハーミットが身体を下に滑り込ませながら下段蹴りを放った。敵の脚に蹴りが命中したことを確認してから、続く攻めの流れをイメージする。


「浮かせて蜂の巣にしてやるっ!」


 先ほどの意趣いしゅ返しとばかりに羅刹を宙に浮かせる道筋をつけ、身体に染みついた連撃コンボを披露した。ハーミットの流れるような攻めが下段から中段に上がっていく。


 羅刹の体表はカラフルな色硝子でモザイク状に覆われていたが、この硝子はハーミットの目にも留まらぬ連打を受けても、ひびが入る程度でしっかりと受け止めていた。それは驚くべき硬度だった。


 そして、ハーミットがいよいよ羅刹を宙に浮かせようと地面を踏みしめた時、はたと、目の前に羅刹の鋭くきらきらした爪が広がっている事実に目を疑った。


 突き上げる拳が、羅刹のみぞおち付近の硝子面を捉えて硬質な音を立てたのと、羅刹の力強い手がハーミットの首を掴んだのは同時だった。太く鋭い爪がハーミットの喉の皮を割いて肉に刺さった。羅刹はハーミットの連撃コンボにまったく怯むことなく、その大兵だいひょうな身体でハーミットを地面に押し倒すと、そのまま喉元に体重をかけてきた。なすすべなく攻め手を中断されたハーミットは、喉に伸びた羅刹の腕をつかんで気道を確保せざるを得なかった。


 何が起こったのか即座に理解できず、目を白黒させるハーミットに羅刹がのし掛かった。続けて野太い声を吐きかけながら、その暴力的なあぎとを大きく開くと、頭蓋骨ごと丸呑みする勢いでハーミットの頭に噛み付いてくる。ハーミットはすんでのところで片腕をその口蓋にねじ込み、籠手やつふさをつっかえ棒のようにして挟み込んだ。こうして上から押さえつけられたハーミットの頬に、冷たい唾液がしたたり落ちた。


 目の前に広がった昏いうろの奥深くからは、「お゛お゛お゛お゛」という野獣の唸り声が生暖かい風と共に漏れ出して、ハーミットの骨を響かせた。噛み付かれそうというよりは、重機に押し潰されそうな感覚だった。


 鍛圧プレス機械の如きトルクを全身全霊で押し返すハーミットの脳裏に、超強靱ハイパーアーマーの文字が浮かんだ。先ほどの異質な動きはそうとしか考えられない。


 超強靱ハイパーアーマー。それは攻撃を受けても怯まず、先手を取ったはずの相手に対して、強引に後の先を取る、俗に言ういんちきチート特性だ。この特性を持ったやから超強靱アーマー持ちと呼ばれ、読み合いもへったくれもないその特性上、思考停止、脳筋と呼ばれてさけずまれていた。氏族戦争クランウォーにおいても、すこぶる受けが悪く、またこの特性を獲得できること自体が稀だったので、滅多にお目にかかれない特性でもあった。


 ハーミットも過去数度だけ、君竜ドラゴンルーラー空亡コスモイーターといった世界の一角いっかくたる存在が一時的に発動させてくるのを相手にしたことがある程度だった。


 超強靱アーマー持ちに対して無策に攻撃してはいけない。一撃で殺すか、アーマー潰しの策を持ってなければ、一撃離脱を持って相対せねばならない敵だ。


 間抜けなことに、ハーミットは得意面をして意気揚々と、自ら超強靱アーマー持ちに突っ込んでいったのだ。


 恐るべき羅刹――この体躯、膂力に加えて超強靱アーマーを備え、更にはハーミットの攻撃を弾き返す煌めく装甲を身にまとったこの餓狼どもの英傑は、あのバンダースナッチに匹敵するほどの怪物だったのだ。

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