異形どもの抗争#2


 ハーミットが切った啖呵たんかに真っ向から噛み付いてくるバンダースナッチ。その頭部がすくい上げるように地面を抉った時、ハーミットは既に上に跳んでいた。


 足元すれすれを恐るべき速度で通過していく射干玉ぬばたまの体節を蹴りつけたハーミットが、空中で身体をひねってからシタリと地上に降り立つと、ちょうど目の前には地上で伸びきったバンダースナッチの側面が無防備に晒されていた。


 間近で見た射干玉の体節は、表面にギラつく油膜が張った鉄板を思わせる。


 ハーミットは構わずメキリと音を立てて鬼の拳骨げんこつを作り、目の前の黒く艶めく体節に腰を入れたストレートメイスを見舞った。


「――っ! 硬いな……」


 黒鉄くろがねの機関車に拳を打ち付けたような手応えに、ハーミットは険しい表情で呻き声を上げた。火傷をした拳から血が噴き出して、痺れる痛みが腕に走り、握力が抜ける。


 それならばと、間髪を容れず同じ箇所を回し蹴りハルバードで切りつける。高速で振り抜かれた右脚が空間に白刃はくじんを描き出し、今度は漆黒の装甲に斬撃の跡を残すことに成功した。かすり傷のようなものだったが。


 ――アーセナル・スキルじゃ歯が立たない。


 浅い斬撃痕を苦々しく睨み、ハーミットが喉を鳴らした隙に、バンダースナッチが再び身を縮こませて元の位置で立ち上がった。ハーミットは撒き散らされる灼け付く蒸気を警戒して後ろに下がった。


 まっすぐに倒立したバンダースナッチが掲げた大牙には、いつの間にか白亜の餓狼が一匹咥えられていた。真っ暗な空に掲げられた餓狼にバンダースナッチが鮮血の蒸気を浴びせ掛けると、たちまちその身体が尋常でない勢いで溶け出し、どろどろのゼリー状に変わっていく。餓狼の腹から赤い槍が突き出した。バンダースナッチが赤い海綿体を鋭く伸ばして背中から串刺しにしたのだ。最後に止めとばかりに大牙で餓狼を真っ二つに食い千切ると、バンダースナッチは頭を振り回して周囲に汚らしい肉片をまき散らした。


 それはハーミットの来たるべき運命を見せつける行為に思えた。


「……上等だ」


 その不遜ふそんな行動を一騎打ちタイマンの宣言と見なしたハーミットが犬歯を剥くと、鼻の奥につんとした〈アドレナリン〉の薬臭さが広がった。


 バンダースナッチは縮こませた身体を弾けさせ、今度は身体をくねらせながら地を這い、地響きと共に突進してきた。地中の色硝子が撥ね飛ばされ、土の欠片に混ざってキラキラと無数に宙を舞う中を、射干玉の体躯が血煙を噴き上げながら迫り来る姿は暴走した黒金くろがねの蒸気機関車そのもの。


 ハーミットは再び跳躍で躱そうと腰を落とし――しかし悪い予感を感じて思い切り横に跳んだ。バンダースナッチの大牙が長い髪の先をかすめるのが見えたが、ハーミットは構わずそのまま駆け出して過剰なほど大きくバンダースナッチの進路から逃れた。


 射干玉の機関車が地面を走り抜けていった直後、クジャクの飾り羽のように大きく広げられた五本の尾がその軌道を追いかけていき、進路上の餓狼も魍魎も見境なく巻き込んでミンチに変えていった。


 ――あのぶちかましで猛威を振るうのは、あの五本の尾だ。扇型に広がる五本の尾に生えた数え切れない毒針毛は、一本一本が鋼の硬度を凌駕りょうがしている。


 バンダースナッチはそんな小剣の集合体の如き危険な尾を、器用に地面に突き立てて急ブレーキをかけた。まるで魔神の手が地面を引っ掻いているようだった。停止直後、バンダースナッチがおもむろに長い巨体をまっすぐに立ち上げたかと思うと、そのままハーミットの方に向かって倒れ込んでくる。


 膨大な質量の落下に大地が悲鳴を上げた。そうして引き起こされた小さな地震が収まる暇もなく、バンダースナッチが巨体を地上でロールさせて、あっという間に転進して見せる。大きな体躯に見合わない華麗なターンだった。


 バンダースナッチの突飛な行動に虚を突かれ、ハーミットの反応が遅れた。もはや完全回避は難しいタイミングだった。しかしハーミットの肉体に蓄積された長い戦いの経験が、咄嗟の事態に見事な反応を示す。


 彼我ひがの距離、バンダースナッチの体長、そして速度を計算に入れたハーミットが前方に向けて駆け出した。


 目前に迫ったバンダースナッチの猛進を正面に見据え、その奥の空間に意識を向けると、両脚に全神経を集中させる――その途端、ハーミットの身体が瞬く間に射干玉の巨躯をすり抜けてその後方に出現した。同時に一直線に地面が砕けて破片が盛り上がり、ハーミットが亜空間を走った痕跡を残した。


 【御神渡おみわたり】――それは短距離転移を可能とする鬼の神通力。見えている範囲の地上にしか移動できず、距離はさほど伸びない上、移動後に大きな隙があり、しかも移動軌跡が“ばればれ”になるという問題児だったが、緊急回避の手段としては上等な部類に入る。何より、このスキルは別の有益な使い道があることから、ハーミットの主力技に組み込まれていた。


 転移の勢いがついたハーミットが後方を窺いつつ、片手を突いて地表を滑ると、長い白髪が風に吹かれてたなびいた。


 身体の硬直が解けるのを待ってハーミットが立ち上がった時と、バンダースナッチが五本の尾で大地を掴んで急停止したのは同時だった。立ち位置を入れ替えたバンダースナッチが、断崖に広がる闇黒のスクリーンを背にして、ゆっくりと立ち上がる。


「同じ手を、二度食うかよ」


 この行動に対し、しめたとばかりにハーミットは半身を引いた。土をにじって足元を確かめ、腰を少し落として全身に肉食獣の如きバネを与えつつ、突撃を待ち構える。


 しかしバンダースナッチの次の一手は、ハーミットの予想に反して突進ではなかった――射干玉の巨躯が、その質量に任せて上から覆いかぶさってくる。


 円筒形の大質量が倒れ込んでくるさまは、ビルの爆破解体なみの迫力があった。


 だがハーミットの一手に変更はない。まさに射干玉の巨塔がちっぽけな鬼を押し潰そうとした、その瞬間を狙いすまして身体を転じたハーミットは、渾身こんしん後ろ突き蹴りバタリングラムでバンダースナッチの倒れ込みを迎え撃つ。


 斜め上に向かって突き出される脚甲やつふさの靴底が、カウンター気味に射干玉の胴体を捉えると、不可視の破城槌はじょうついがバンダースナッチを打ち抜いて、荒々しい打撃音が断崖にとどろき渡った。


 鬼の剛脚ごうぎゃくと、射干玉の巨体との激突の結果は、衝突点を中心に爆風が広がって周囲の瓦礫がれきを吹き飛ばし、ハーミットの支持脚が地面にめり込み、一直線の衝撃がバンダースナッチを貫通し、その巨体が跳ね返されて断崖に向かって仰け反り、へし折れた大牙が一本宙を舞う。という形で終わった。


 アーセナルの上位、〈マシンアーセナル・スキル〉のひとつ【バタリングラム】は強大な破砕はさい力を誇る。その蹴りは発生前に大きな隙があるものの、当たれば対象を吹き飛ばし、ガードされたとしても相手を大きく押し返すという出し得技でもあった。


 ハーミットが残心ざんしんの開脚姿勢をゆっくり解くと、バンダースナッチの折れて飛んだ牙が離れた地面にザクンッと突き刺さった。


 流石さすがにバンダースナッチの質量を崖の向こう吹き飛ばすには至らなかったが、弓なりに仰け反った巨体は、今や断崖のきわを越えた向こう側にまで傾いていた――どうやら五本の尾を使い、大地に根を張るようにがっちりと地表を掴んで崖への落下を免れたようだった。


 その仕組みを理解したハーミットは迷いなく走り出す。


 それは兵戈の体現者ブレカートの道を歩み始めた切っ掛けともいえる、思い入れのある技。彼が最も自信を持つ技のひとつ――。


奈落ならくに――落ちろっ!」


 バンダースナッチを引き留めている支点――大地を掴む尾の付け根に向けて照準を合わせ、跳び蹴りチャージランスが放たれた。短距離で爆発的に加速し、瞬時に莫大な運動エネルギーを得た鬼の右脚が目標点を捉えると、着弾点で圧縮された空気が衝撃波となって急膨張し、大地を掴むバンダースナッチの尾を地面ごと根こそぎ抉り取った。


 射干玉の巨体が崖に向かって大きく傾く。


 ハーミットは着地するやいなや、ダメ押しとばかりに握り締めた拳マインフレイルをバンダースナッチの下に叩きつけた。直後、殴りつけた地面が一度へこんでから反転して膨れ、地下で地雷が爆発したように怒涛の勢いで大量の土砂が噴き上がる。その爆圧は射干玉の巨体を少しばかり浮かび上がらせ、崖の向こうに押しやった。


 元から脚もついていない身体だ。もはや、一度落下を始めた巨重をその場に留めることは叶わなかった。


 バンダースナッチの身体はあっけなく闇黒に引きずり込まれていき、最後は抑揚のない重低音を残して崖下に消えていった。

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