06 水の民の王


 一真達一行はバハル村を出て以降何事もなく目的の島に到着した。


 食料もキャリウス車キャビンから釣りを行ったし、波も荒れなかったのだ。

 更に言及すれば、水上に出たフィーアの人々に村に誘われることも一切なかった。


 大きい。

 一真はそんな印象を島に抱いた。

 一真は元々海には出ない生活を送ってきた。

 そのため、比較対象を持っておらず、どのくらい大きいか分からなかった。

 ただ王城があって、周囲の土地があって終わり、という島ではない。


 水平線の向こうからひょっこりと山のてっぺんが見えた。

 その山がどんどん大きくなり、だが一向に近づかない。

 山のてっぺんが見えてから半日掛けてようやく島の港に着く。

 そんな島だ。


 港の周囲には倉庫や戸数こそ少ないが町があり、その奥には大きな建物があった。


 地味でお城と呼ぶには華がない。

 そんな建物が、王城だという。

 セレンが言うには人夫が足りず、大がかりな工事が難しいため大きさだけなんとか体裁を取り繕っている、らしい。


 そもそもこの世界における王城の条件というのは決まっている。

 一真はセレンにそう教えられている。

 セレンによると、神機を授与される神域を含めた建物のことだ。

 その建物は信託を受ける神官を兼ねた王の住処。

 そして国によっては政治の場所でもある。


「だから、みすぼらしくても落胆しないでくれるか?」


 会うなり一真とセレンにそう言い訳を、フィーア王である男は言った。

 よく日に焼けた肌で、前をボタンで留めた紫色で薄手のシャツに短いズボンの男だ。

 金色の杖と簡素なデザインの冠がなければこの島の町でよく見た格好だった。


 ここが日本ならトラックを運転してたり競馬場にいそうな男だ。


「いやしませんから」

「前も言われましたがしませんから」


 一真とセレンはフィーア王に言い返す。


「本当に?」


 一歩近づいてフィーア王は一真とセレンの顔を交互に見つめた。

 何度も見つめられた一真は気圧され一歩引く。


「しません」「大丈夫です」

「そっか……」


 フィーア王は安心したように一息ついた。


「良かった。えっと君はゼクセリアの奏者だね。いいなぁ、客人の奏者いいなぁ」


 差し出されたフィーア王の右手を見て、一真は少しためらいながらも握る。

 すかさずフィーア王は両手で一真の右手を握り返し、にぎにぎした。

 杖が床に落ちてカランカランと音を立てる。


「いいなぁ!」

「ひゎっ!」


 一真はびっくりして背筋にぞわぞわしたものを感じながらも、握手に応じつづける。


「いやほら、うちの人々、戦儀に全然興味ないから。

 今の生活が一番な性格だから。ほとんどが」

「いやまぁバハル村の人たちみんなそんな感じでしたけど」


 執拗なにぎにぎに辟易としながら一真はこの国での思い出を言った。


「バハル村……あー、サマクくんの。あそこはまだマシだよ……」


 フィーア王がまたため息をつく。

 表情がころころと変わる愛嬌のあるおじさんだ。


「このままなら先はないってのに」


 一真の手を握ったままうつむくフィーア王。

 手の震えが、一真に伝わってきている。


 陰鬱に話すフィーア王の言葉が気になった一真は聞いてみることにした。


「……あの、先はない、とは?」


 ようやくフィーア王は一真の手を離す。


「そのままの意味だよ。人間、普通に水の中で暮らす生き物じゃないからね?」


 フィーア王はここ謁見の間の片隅からテーブルを持ち出して、床に足を開いて置いた。


「おーい、お茶持ってきてくれ」

「はーい」


 入り口の方にフィーア王が大声で呼びかけると、女性の声が返ってくる。

 テーブルそばの床にフィーア王は直接腰を下ろしてあぐらをかいた。


「ま、座りなさい。ゼクセリアの奏者くんもセレンくんも」

「えっと」


 一真がためらっていると、セレンは構わず座る。


「一真、話が進まないから座って欲しい」


 床は木張りで、テーブルはカーペットの上だ。

 フィーア王もセレンもちょうどカーペットの上に座っている。

 一真もカーペットの空いたスペースに座ることにした。


 一真が座ろうとすると、女性がやってくる。


「お茶です」


 木製のコップが3つ、テーブルの上に並べられた。


「あ、ありがとうございます」


 礼を言って、改めて一真は座る。


「いやね、そもそも生魚だけ食ってて健康的な訳ないんですよ。海草食ってても」


 一真が座ると、フィーア王はそう切り出した。


「率直ですね」


 セレンが若干引き気味に言う。


「というか生魚、寄生虫いっぱいいるし。

 うんことかも水ん中でやってるから特定の場所とはいえ拡散して普通に汚いよ!!」


 順当に考えればそうだよな、と一真は思った。

 順当過ぎて考えがそこまで至らなかったのだ。


「流れが少ないところに住みたいのは分かるよ?

 でも水が淀んで余計に汚いじゃない!?」


 フィーア王はお茶を飲んでコップをテーブルにたたきつけた。


「あとね、若い子が毒魚食べて死んでるんだよ。報告聞く限り結構な数」

「それはどういう」


 フィーア王は声音を抑えて急に神妙な語り口になる。

 一真は相づちを打って続きを促した。


「初めての漁とかで動きの遅い毒魚捕まえてその場で食うの。教えてあげてよ!?」


 0から100まで一真はフィーア王に同意する。

 どういう魚が危険なのか、食べてはいけないのか、程度は教えてあげて欲しい。

 一真は強くそう思った。


「絵とか特徴とか紙にでも書いて教えれば良いと思ったでしょ?」


 教育について考え始めた一真を目ざとく気付いたフィーア王は、問いを重ねる。


「え、えぇ、まあ」

「無ぅ理ぃなんだよねぇえええええ!

 紙は溶けるしインクはにじむ!

 水中で教育とか無理なんだよ!!」


 酔っているのかこの人。

 思わず一真はそんな感想を抱いてしまう。

 居酒屋での愚痴のような口調でまくし立てられ、体ごと後ろに引き気味になった。


「土板に刻んで焼くとか木材が貴重な我が国ではできません!」


 フィーア王は叫んでコップのお茶を飲み干し、机に突っ伏す。


 そういえばお茶を貰っていたんだと、一真はコップに手を伸ばした。


 コップの中を覗くと、コップ自体の色と液体を通した色に違いがあまりない。

 一真はお茶を口に含み、味を確かめる。

 ない。

 ぬるま湯だ。


「あの、これ」

「お茶、切らしてるんだ。実は」


 どういうお茶なのか一真が聞こうとすると、間髪入れずにフィーア王が答えた。


「土地の貴重な我が国じゃあお茶の葉っぱなんか作れないんだよ……」


 悲しそうにフィーア王はコップの中を見つめる。


「輸入はしてるけど高くてね、たまにしか。って、お客様に出すのに白湯!?

 どういうこと!?」


 フィーア王が一真の目を見て疑問形で言った。

 一真には答えようがない。

 とりあえずは引き気味に曖昧な笑顔を送ることにした。


「ほらぁ! お客さんも困ってんじゃんー!」


 フィーア王は謁見の間入り口の方に向かってコップを掲げて振る。

 一真とセレンは慌ててフィーア王に抑えるように両手のひらを向けた。


「あっ、いえっ! お構いなく!」

「白湯でもうれしいですから! 生水怖いですからね!」

「そ、そう? ならいいけど」


 残念そうに、しかし不服そうにコップをテーブルに置いてフィーア王は座り直す。


「そうそう。あとね。知能が落ちてきている。みんな」

「と、いうと?」


 セレンはフィーア王の言葉に続けて訊いた。

 一真はピンと来なかったが、セレンは気になったようだ。


「感覚的なものでちゃんとした証拠とか統計はないんだけどね。

 こう、なんて言ったら良いんだろう。

 思慮が足りなくなって、知識を蓄えることも少なく、計算もめったにしなくなる。

 言ってしまえば全体の水準が下がってきている、気がするんだ」

「ああ、それで」


 フィーア王が言葉を選んで話すと、セレンが納得したように頷いた。


「何か気付いたのかい?」


 セレンの様子に気になったのかフィーア王が訪ねる。


「……水中の集落を見て気付いたのですが、家屋に石が使われていますよね」


 ためらいながら、セレンは切り出した。

「その積み方が何種類かあったんです。

 石を加工して、泥か何かを塗りながら重ねる。

 拾ったそのままを重ねて間に泥を塗って塞ぐ。

 そのまま積むだけ。

 どれくらい時間が経っているかは水中なので分かりませんでしたが」


 ただの気のせいでは、と一真はいぶかしんだ。

 さすがにうがちすぎだろうと。

 作る人によっても違うだろう。

 用途というか造る目的によっても作り方は変わってくる。


「それは……そうかもしれないね」


 フィーア王が頷いた。

 マジかよと一真は思った。


「私は陸上にいる人たちの仕事を覚える早さとか、字を読み書きできるようになるまでとかでなんとなく体感しているだけだけど」


 長く人々と接しているからこその、考えである。

 今自分がやっているような、ふらりと訪れて見るだけでは分からないことだ。

 一真はそう思った。そして王が言ったことは、事実なのだろう。


「それに、王になって信じられないくらい頭が回るようになったんだ」


 王様になっただけなのに、何故。

 一真にはよく分からなかった。


「それは!」


 セレンが驚いたようにテーブルに手をついて王に身を乗り出した。


「どういうことよ?」


 一真はセレンとフィーア王が言っている意味が分からず、大きめの声を出して訊く。


「……ああ、そうか。言ってなかったか。言う必要もなかったからな」


 セレンが一真の方を見て、落ち着きを取り戻した。

 姿勢を正し、一真の顔をまっすぐ見て言う。


「王は神託を受け、奇跡を願う。

 その責務は代替わりか、老衰か、殺害によってのみ遮られる。

 病気は治るし、怪我もたちまちに癒える。

 そしてなにより『歪み』による異常が消える。まったくの正常になるのだ」

「それって」


 一真は驚愕に、言葉を続けられない。

 口を何度かぱくぱくと開閉し、お茶を飲んで気持ちを落ち着かせた。

 考えがまとまらない。

 王様は歪みの影響を受けない。

 王様だけが、呪いから逃れられる。


「この国の歪みって」


 なんとか、一真はそれだけを口から出せた。


「らしい。私も何だろうと、疑問には思っていたが」


 フィーア王は目を逸らし、うつむく。

 フィーアでたった一人の、内向的で思慮深い男は、ため息をついて、言った。


「そうだね。もしかしたら、イルカみたいな水の中に住む人間だった生き物になる。

 未来のフィーアの民は、そうなるのかもね」

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