08 夜に話す


 寝付けず、一真は外に出た。


 王子セレンと話をした夜のことだ。


 これから先のことを話して、準備ができ次第出立、と言うことが決まり話は終わった。


 ゼクセリア以外の国を回る旅路は長い。

 それに、外交も兼ねている。

 準備も戦儀中に進んでいたとは言え、まだ暫くかかると、一真は聞いた。


 一真自身の用意はない。

 精々下着や着替えくらいのもので、財布の中身も少しだけ。

 旅行経験も少なく、必要な物はセレンにお願いしたのだ。


 そうして、夜も更けて部屋も片付いて、寝ようとして、寝付けない。

 まだ興奮が冷めやらぬのか、これからの不安ゆえか、一真には分からなかった。


 ただ眠気が一切ない。

 だから、一真は少し散歩することにしたのだ。


 一真が訪れたのは、城の中庭だ。

 樹が植えられ、花壇が数面、彫像が一つ置かれただけの広くはあるが簡素な物だ。

 灯りなど窓から漏れるわずかなものしかない。


 一真は灯りの魔術を使った。

 《てらすあかり》という、かなり明るい光の球を作り出す魔術だ。

 そうして照らされた中庭を一真は歩いた。


 中央には彫像が飾られている。

 胸から上だけの裸婦像だ。


 一真には芸術をあまり解さないが、見事な像だなと、見上げて思った。

 滑らかな表面、美しい造型。

 ゆるくウェーブを描いた髪など細かいところも凄まじいまでの技術で象られている。


 一真は過去、中庭には来たことがあった。

 その時は簡素で寂しいところぐらいの感想しかない。

 戦儀に向けた特訓のさなか、息抜きの訪れた時のことだった。

 精神的な余裕もあまりなく、彫像の存在もあまり気にしていなかったのだ。


 続いて、視線を彫像から空に向ける。

 青黒い幕に金銀の粒を大量にこぼしたかのような夜空だ。


「あれは、オリオン。なんてな」


 一真は冗談めかして呟いた。

 適当に言っただけだ。

 もちろん、オリオン座などこの世界には存在しない。

 一真が見る夜空にも、それらしき配置は一切ない。

 天の川らしき星が帯状に密集したものはあるにはあるが、それだけだ。


「オリオン、ご存じなのですか?」

「っ!」


 一真は後ろから突然声を掛けられ、驚き振り返る。

 魔術の灯りに照らされた顔は見覚えがあった。


「君は、エルミス。久しぶり」

「ええ、英雄殿。お陰で若く死なずにすみました」


 エルミスは冗談めかしながら言って、ミトンに包まれた右手を顔の前に上げる。


「まだ少しは痛みますが、こうして出歩ける程度には引きましたし」


 分厚い布の向こうに、一真を決心させた指の痕がある。

 根元から割れて欠けた薬指が。


「早い内にこの手袋をしていたお陰で、削れやヒビの部分が少なかったようです」


 一真はエルミスの言葉に安心しかけ、嘘だと思いなおした。

 エルミスの右手はよく覚えている。

 欠けた薬指だけではない。

 腐って肉がそげた3本の指も石化が解けて痛むはずだ。


「そう、か」


 エルミスが強がっているように、一真には見えた。

 だから、心配されるのは嫌だろうと、一真はあまり顔に出さないように返事をした。


 エルミスは一真にとってはクールで冷静な印象で、あまり表情の変化がない。

 そんな女性だ。

 ほとんどがソーラの近くにいて、一真自身はあまり交流はない。

 だからどう声をかければいいのか、分からないのだ。


「ええ。あなたのお陰ですよ」


 そう言うエルミスの口元が、少しほころんでいるように一真には見えた。

 微笑みだ、と一真は遅れて理解する。


「えっと、オリオンって?」


 先ほど、エルミスが気になることを言った。


「え? ご存じでは?」


 エルミスが眉を顰めながら言う。


「神話に残る英雄ですね。神に仕え戦儀の提案をする審判者」

「あー」


 やっぱり違うかと一真は思い、ため息を吐いた。


「名前が一緒だけみたいだね。前居た所にそういう名前の英雄がいたんだ」

「そうですか」


 一真が説明すると、エルミスは何でも無いかのように返事だけを返す。


 二人の間に沈黙が横たわり、一真は何か聞かねばという焦燥感に襲われる。


「それで、どうしてここに?」


 微笑みを返しながら一真は聞いた。


「それは私も言いたかった言葉ですね。私は貴方を探していたのですから」


 ああ、と一真はちょっとした罪悪感を抱く。

 まだ指が痛むだろうに、それを押して探させてしまった。


「ごめん。ちょっと寝付けなくて」

「それで、お母様を見に来たのですか?」

「ん?」


 エルミスが言った言葉を一真は飲み込むのに時間を掛けてしまう。


「お母様?」

「ええ、そちらの方です」


 エルミスが左手で指し示すのは、一真の背後だ。

 一真の後ろには、彫像しかない。

 胸から上だけの美しい裸婦像しか。


「えッ!?」


 一真は口元を抑えて叫び声を抑える。

 夜だ。もう寝ている者もいるだろう。

 大声は迷惑だ。


「ああ、知らなかったのですね」


 エルミスの言葉に頷いて、一真はエルミスと彫像の顔を首を何度か振って見比べた。

 確かに似ている、気がした。


「え、なんで」

「いえ、別の国に嫁いだのですが、石化病に侵されてから帰ってきたのです。

 幼い私と一緒に。

 それで、お母様たっての願いで石化病を進行しきってそのようなお姿に」


 石化病は通常、死亡によって進行は止まる、と一真は聞いていた。

 だから、この彫像、いや女性の状態は不自然だ。


「え、でも」

「ええ、通常ならこうなる前に死んでしまいます。

 なので仮死状態にして体の外側だけ石化を進め、死亡次第加工してこのように」

「えぇぇ」

「忌避も反対もありましたが、強い願いによって施術されたと聞いております」


 一真は本気で何と言えばいいか、分からず混乱した。

 嫌悪感を抱くが本人の願いならと頭を振る。

 だがここに飾られているのはどういうことかと空を仰いだ。


「変、ですよね。頭おかしい。私もそう思います」

「え、うん。まぁ」


 エルミスの言い様に一真は答えに窮する。


「えっとその、それでなんで俺を探していたんだ?」


 一真は困り果てて話題を変えることにした。

 エルミスが自分を探していたのなら、何か用があるはずだ。


「ああ、そうでした。姫様が、ソーラが貴方に会いたいと」

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