09 共に歩むために


 エルミスに連れられ、一真はソーラが使う部屋の前に来た。


 ノックもせずにエルミスはドアを開ける。

 一真は無言で部屋に入るエルミスに驚きながら、その背を追った。

 しかし直ぐに入り口で立ち止まる。


 ソーラの部屋は前に入ったときと、然程変わりない。

 部屋中央の天蓋付きの寝台と家具や敷布もそのままだった。

 ただ、寝台の近くに水の張られたタライと、換えの包帯がお盆の上に載せられている。


 ソーラは寝台に横たわり、目を閉じて微かに胸を上下している。


「ソーラ、連れてきましたよ」


 エルミスは寝台に歩み寄り、ソーラを揺すった。


 ソーラは胸元まで覆われたシーツの、右足部分だけがめくれ、晒されている。

 石膏か何かで覆われ太くなった右足が、包帯で幾重にも巻かれ隠されていた。


「エル、ミス? あぁ」


 ソーラの声は、衣擦れみたいな小さくて掠れるような音だ。

 ゆっくりと顔が動いて一真と目が合った。


「カズマ、ああ……」

「ソーラ」


 一真は名を呼び、部屋の中に入った。

 笑顔に出来ているだろうかと思いながら。

 哀れみの表情は、ソーラの望むところではない。

 そのはずだと、一真は思っている。

 この部屋で最後に会った時、ソーラは怯えていた。

 周囲の哀れみに心を削られたのだろうと。

 だから一真は、笑顔になるよう顔に力を入れる。


 ソーラの表情は笑顔だ。

 微笑みに近い。

 が、活力といったものが抜け落ちている。


 顔と表情だけでも、ソーラが憔悴仕切っているのが一真には分かった。


 ソーラのベッドに近づいて、しゃがんで視線を合わせる。


 細い金の髪が、ソーラの額に貼り付いていた。汗の名残か。


「わたし、いきて、うん。あなた、そう」

「ええ。貴方は生きています」


 呻くような、囁くような、小さなソーラの声を遮って、一真は言った。


「もう、石になって死ぬことはありません」

「うん……そう、よ? ね、ね。わたし」


 ソーラの目が閉じられる。

 何かを言おうとしているのだろう。

 しかし、ただでさえか細いその声は、次第に小さくなり、呼吸の音に変わった。


「薬で痛みを感じないようにしています」


 エルミスが言う。一真は立ち上がってエルミスに相対した。


「強い薬です。しばらくは思考も鈍ってまともな会話は出来ないでしょう」

「それじゃあ」

「ソーラの願いです。貴方に会いたいというのも、薬のことも」


 エルミスはしゃがみ、手を伸ばしてソーラの頭を撫でる。


「この子、痛みを堪えながらカズマを呼んでって。

 何度も。声を上げる度に痛みで悲鳴を上げて」


 額に貼り付く髪をはがし、頬に手を当て、また頭を撫でた。


「それでも、貴方には謝りたかった、みたいですよ?」

「謝り、いやそんな」

「貴方に酷いことを言ったって。貴方が勝つまで祈ろうともしなかったのに」

「それでも!」


 一真は声を張り上げ、エルミスの言葉を遮る。


「それでもいい。俺は、俺が、助けたかった。だから、頑張った。それだけです」

「そう」


 一真の言葉に、エルミスは短く返した。


「まったく、切ってしまった方が処置も早いし痛みも早く無くなるのに、ね。

 貴方と一緒に歩きたいんですって」


 優しい声色に、呆れたような口調だ。

 一真は何と返せばいいか、分からない。


「ああ、私ももちろん、感謝していますよ。

 ほんとに、酷い頼み方をしてしまったのに。

 文句も一つ言わずに成し遂げてくれました」

「それは」


 一真の脳裏にはしっかりと刻まれている。

 自分で石になった指を割ったエルミスの叫びと、顔を、覚えているのだ。

 あれがなくてもソーラの足や石化病はいずれ知っただろうとは、一真は思っている。


 だが、あれがあったからこそ、あの日戦う決意をしたのだ。

 戦う訓練も、戦うための魔術も、あの日から用意したから、間に合った。


 一真はしゃがみ、エルミスの顔に手を添えて振り向かせる。


「エルミス」

「何です?」


 正面から名を呼び、見つめ合った。

 エルミスはいつものような冷たい視線を返してくる。


「お前のお陰で勝てた。ありがとう」

「えっ!」


 エルミスが弾かれるように身を引いた。

 バランスを崩して後ろに倒れかける。


 一真は慌ててエルミスの手を掴んで引っ張る。

 強く引きすぎたのか、エルミスが一真に倒れ込み、一真はエルミスを抱き留めた。


 ちょっと急に言い過ぎたなと反省しながら、一真は謝る。


「わ、ごめん」

「い、いえ……」


 一真はエルミスの声から、許してくれたのだろうと思った。

 表情は見えない。

 が、肩に置かれたエルミスの腕には突き放すような力は込められていないのだ。

 きっと気をゆるしてくれているのだろう。


 説明が足りなかったのかと、一真は言葉を繋げることにした。


「エルミスのお陰で早く訓練を始められたんだ。

 戦儀が始まるまでの時間、ずっと鍛えられたんだ」

「あ、そういうことですか」


 分かってくれたと一真は安堵する。

 安堵して、自分が「お前のお陰で」と言った事を思い出し、気付く。

 これは愛の告白に聞こえたのでは、と。

 ならば、エルミスが慌てて転びそうになったことも頷ける。


「そう。そうなんだ」


 慌て、一真は考えた。

 愛の告白じゃないと否定するために。


「だからその、なんだ。感謝。そう、エルミスには感謝している」

「そう、ですか」

「うー」


 一真とエルミスは同時にソーラに振り向く。

 ソーラの目は開かれていた。

 笑みもなくなっている。


「かずま、えるみす」


 小さな声なのに、しっかりと聞こえた。

 一真とエルミスは慌てて互いから離れる。


「姫さま、ちがうのです」

「そう、ちがうんだ」


 慌てて弁明しようとして言葉を選んでいると、ソーラの目が再び閉じられた。


「あの、ですからね」


 二人はソーラを揺する。なんとか目を覚ましてもらって話をしなければならないのだと。



 その日、ソーラが目を覚ます事は無かった。

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