13 ソーラのように


「忘れっちくれん。ちぃば気弱ったん」


 スクスの器にスプーンを取り落とした一真に、ヘマが言った。


「ウェルプトもニーネにも勝てンかったと。

 あだしに出来る事ん、なんかあるばと思っちが、結局ン見た目だけだっとね」


 スプーンを握るヘマの手が震えている。

 俯いて、眉を寄せ、いつ泣き始めてもおかしくない。

 一真は悲しげなヘマの顔に情を湧かせた。

 下手な同情は、返って傷つけてしまうと思いながらも、何か言わないといけない。

 そんな気にさせられた。


「ヘマ」


 一真が名を呼んだ。

 次に言うことを考えながら、ヘマの様子を見る。


「なんとよ」

「何故、逃げたいの?」


 ヘマが顔を上げた。

 表情を抑え、一真の目を見つめている。


 逃げる、という言葉を使ったのは一真の勘だ。

 どうにも、今の立ち位置から離れたいように思ったからだ。


「理由、言えばさろぅてくれるンか?」


 質問に答えず、頭を下げて一真を見上げるようにヘマは聞いてきた。

 ヘマの苛つくような、拒むような目に、一真は不安を覚える。

 どうしても触れられたくないところだったら、これで終わってしまうだろう。

 ヘマの目から逃げたくなる気持ちを抑え、少し訊き方のトーンを抑えることにした。


「言いたくなければ言わなくていいよ。

 そして掠うつもりはないよ」


 一真の返しにヘマは顔を背けて口元を歪める。


「ハッ、んだら」

「だけど」


 一真はヘマの言葉をさえぎった。

 話を終わらせたがっているような気がしたからだ。

 そうして終わらせてしまったら、一生後悔する。

 何となく、一真はそう思った。


「悩みは聞くよ。

 辛いことがあったのは、何となく分かる。

 忘れろとも言えない」


 一真はソーラの笑顔を思い浮かべ、ヘマに手を差し出す。


「けど、生きてこそ、だと思うんだ。

 君が生きるために必要なら、手を貸そうと思う」


 戦うのはかつて受けた恩を返すためだ。

 だけど、その恩を他の人に分けるのも、ソーラの思いを広げることに繋がる。

 一真はそう思っていた。


「聞かせて欲しい。

 君は、今の自分から逃げたいんじゃない?」


 一真の問いかけに、ヘマは顔を真っ直ぐ一真に向ける。

 言葉はない。

 怒っているようだった眉の上がりが、次第に下がってきているように思えた。

 無言の肯定かなと、一真は考える。

 そして、もう一度聞いた。


「何故、逃げたいの?」

「あだしは、あだしの力ば生きたい。そンだけっちゃね」


 微かな違和感。

 一真はこの世界のことをあまり知らない。

 だが話を聞くに、ティルドでは女性が売られるというのは珍しくないように思えた。

 それに、ヘマが育ったのはスラム、貧民街だ。

 その日の食べ物ですら覚束ない、一真はスラムにそんなイメージを持っている。


 だが今のヘマは細くはあるが頬は痩けていない。

 髪も艶やかで、袖口や襟元から見える肢体はほどよい肉付きで、柔らかそうだ。

 今の彼女は栄養が足りている。

 少なくとも、飢えるような状況ではない。

 神機の奏者に選ばれたから、それとも。


 自分の力で生きたいからと言って、いや、そもそもそんなことを思うだろうか。


 情報が足りない。

 他人を、他の世界を、自分の中の常識で測ってはいけない。


「自分の力、というのは」

「あだしは、力なか」


 ヘマの頬を雫が伝う。


「力が、ない?」


 言葉の意味を確認する一真の問い返しに、ヘマは頷くだけで答えた。


 少しずつ、心を開いてくれている。

 そう一真は手応えを感じた。


「力、でも君はまだ、いや。賢くて強い女の子だと思う。

 どういう力が無いっておもうの?」


 言葉を選びながら、一真はヘマを促す。


「ままの用意さしとんね。

 身も守れんと。べべさ貰いもんだ。

 なんもねえ。あだしにはなんもねえさ」


 声も、体も微かに震えていた。


「かかも、隣さガキんどもも、売られんさきの貴族さどもも。

 だぁもかぁもキラキラしちゃる」


 雫が落ちてヘマが食べていた粥の器に入る。


「ただそこで飾りになっちょれと。

 人形さなっちょれと。やンさ。みじめちゃ」

「だから、自分の力で生きたい、っていうことかな?」


 ヘマの頭が一度だけ下がった。

 頷いたのか。


「ヘマ」

「なんとよ」


 一真が呼び、ヘマが声を震わせながら答えた。


「逃げてもいい。逃げなくてもいい。そう思う」

「なんさな」


 顔を上げたヘマは目を細めて一真をにらんでいる。


「生きてれば学べる。料理も裁縫も戦い方だって学べる」

「無理やき。かかさも旦那さんもあだしになんも求めてなか」


 一真は椅子から腰を上げ、手を伸ばしてヘマの手を握った。


「ヘマ、君は強い心を持っている。

 自分に力が無いことを認めることも、考えて前に進もうとすることもその証拠だよ」


 両手を添えて、少女の手を包むようにして温める。

 手の中で、ヘマの手がゆるんで力が抜けるのを感じた。


「君が頑張れば、何だって学べるし、出来るようになる。

 きっとね。前を見て、進んで行くことを、まずは決めればいいんじゃないかな?」


 あまり上手く言えない、と一真は自分でも思っている。

 だから伝わるように、言葉を選んで重ねた。


「その、なんだ。

 知りたければ、俺でよければ何か教えてもいいよ」


 ヘマは袖で目元を拭って一真を見上げる。

 目は赤いが、涙が新たに滲むことはなかった。


「さろぅてくれんば終りっちゃに。カズマな教えン欲しかやできたが」

「あーうん。ごめん。よく分からなかった」


 一真は頭の中での変換が上手くいかず、聞き返す。

 ヘマの言うことは大筋分かるようにはなったが、それでも分からない箇所も多い。


「あー」


 ヘマは視線を逸らし、照れたように顔をスコアし赤くする。


「カズマに、教えて、欲しい。いろんなこと。これでいいが?」


 顔をカズマに向け直し、ヘマは言った。

 眉間に皺はなく、口元は緩く上がっている。


「それならわかる。俺でよければ」


 やっぱり魅力的だ一真は思った。

 この小柄な少女は、美しく、可愛らしく、そして強い。


 だからこそ。


「でも、戦ってから、だ」


 負けてられないな、と思った。


 ヘマは瞬きを二度ほどして、目をまん丸にして一真の顔を見つめる。

 一呼吸置いて、ヘマは一真の手を振りほどいて胸を張り笑った。


「ふふ、はははは!」


 笑いながらヘマは一真に指を突きつける。


「いいが?

 あだしが勝つきに。

 勝っておまんにいろんなこつ、習うかンな」


 そうだ。

 自分も、彼女も戦いに来たのだ。

 だからまず戦って、勝負を付けたい。

 それはヘマだけではなく、一真も同じだった。


「俺も」


 一真は優しく声を出す。


「なんぞ?」


 ヘマも優しい歌のような声を返した。


「俺だって負けないさ。いや、勝つよ。勝って」


 君の人生を救う、と言おうとして、やめた。

 ヘマの人生を救うのはヘマ自身だ。

 だから、できるのは手助けだけだと、一真は言い直す。


「勝っていろんな事を君に教えるよ」

「んださ。楽しみんすとっきね」

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