第二章 神前戦儀 序戦予儀

出陣 武器なく期待なし、しかしそこに


 久々にワイシャツに袖を通した。

 似たような形のものを作って貰ったが、やはり日本のものが着心地がいい。


 一真は今日この日、スーツを着ることを決めていた。

 ゼクセリアの服は、毎日着て着慣れてはいる。

 下着も先日、街に降りて買ったものだ。

 腰の横で紐を結ぶタイプではあるが、ゴムがないので仕方がない。


 ズボンを履いてベルトを締める。

 そう、ズボンだ。

 この国にズボンはない。

 乗馬服、というものがあるらしく、一真も手に入れてはみた。

 重く、動きづらく、特に尻周りがもの凄くごわごわして着心地が悪い。


 実に一月半ぶりに履いたズボンは、自身はこうあるべきとさえ思った。

 この世界で暮らすならいずれお別れしなくてはいけないのだろう。

 だが、これから赴く場には、できるかぎり良い状態で望まねばならない。


 靴を履き替える。

 革靴の技術はあったが靴底がゴムではないせいか、あまり歩き心地はよくない靴だが一真は気に入っている。


 用意してもらった姿見の前に立って、ネクタイを手に取る。


 鏡は金属を磨いたものではない。

 日本にあるものと同じようにガラス越しに銀の鏡面があるものだ。


 一真は襟を立ててネクタイを首に掛ける。

 そして、ややぎこちないながらも慣れた手つきで結んだ。

 青地に白と紺の斜めストライプ。

 就職活動からずっとこれだった。

 それなりに汗を吸いくたびれてはいるが、愛着はある。


 息を短く大きく吹きだし、一真は襟を戻して整えた。


 壁に掛かったスーツのジャケットを、一真手製のハンガーと共につかみ取る。

 ハンガーだけ外して戻した。


 一真は大きく後ろにジャケットを広げ、勢いのままに袖を通す。

 右腕が軽やかに通った。

 続けた左腕も通した。


 ジャケットの前には二つボタンが並んでいる。

 一真はその内、上だけを留めた。

 着始めの頃はついつい、両方留めていたが、父に止められ、やめた。


 まだ教えて貰いたいことがあったと、センチメンタルになりそうになる。

 一真は首を振って考えを振り払った。


 襟と裾をシワがないように正し、一真は着替えを終える。


 彼はこれから、戦いに赴くのだ。


 説明は何度も聞いた。

 戦いは一度だけではなく、これから十二日間続く。

 十二日間で、六度の戦闘儀式を勝ち抜かなければならない。


 十二日間だけ。

 彼はゼクセリアに溶け込むのを拒むのだ。

 拒んだ上で、ゼクセリアのために、いや違う。

 彼が戦う理由はゼクセリアの民のためではない。


 彼は戦うことを決めた。

 全力で勝ちに行く。


 そのためにこの一ヶ月、出来る事は全てやった。


 訓練も、戦い方も、気持ちの整理も。

 他にも全て全て。やれることは、やった。


 あとは、戦うだけだ。


 一真は身を翻し、ドアを開けて部屋を出た。




 朝の廊下には誰もいなかった。

 常ならだれかがいて、掃除や移動をしているはずだ。


 戦士弾や衛兵達には昨日挨拶した。

 激励されて、別れたのだ。

 今更会いに来て声を掛けるような人達じゃない。

 たとえ社交辞令で、期待されてはいないと分かっていても、嬉しかった。


 掃除婦や侍女達は、と考えるのを一真はやめる。

 ただ無心で、戦いに赴き、勝つ。それが今の使命。

 一真はそう思っている。

 不安と、今までの経験を反芻しながら、一真は廊下を歩いた。


 謁見の間まで着て、勝手に大きな扉を開ける。

 この一ヶ月、この扉は一真しか開けていない。

 王様から直々に許可を得て、ここを通り抜けていた。


 元々、政治は貴族任せ。

 王は神よりの託宣を受ける神官として専念していたと一真は聞いた。

 だから、一ヶ月使わなくても、どうという事は無かったのだろう。

 神域への通行は、許可された。


 赤い、短い毛足の絨毯を一真は歩く。

 歩き慣れた道だ。


 玉座の向こう、開け放たれた神域への扉そのまた向こうに、黒い神機が見える。


 短い期間ではあったが、乗り回して操縦になれた相棒の神機だ。


 黒いボディは腰にマントを纏い、二股の三角帽子を被ったよう。

 人と同じ体型バランスの、格闘のための体をしている。

 相手に打撃を与えるであろう手首から先は白くつるりとしていた。

 だというのに、鎧のような装甲で全身が構成されたロボットだ。

 それが、仁王立ちでそこにある。


 一月の間、一真はこの神機に乗って存分に動いた。

 一晩立てば燃料補給も修理も済むのは神の御技か。


 玉座の前、段差に据えられたスロープに足を載せる。

 硬い靴底と木製スロープがぶつかって軽い音が鳴った。


 一月前のあの日、ソーラのために据えられ、ソーラを一真に頼らせたスロープだ。

 一真はこれを、王に頼んでそのままにして貰っていた。

 一真自身が戦う理由のために、忘れず常に心に置き留めるために、頼んだのだ。


 コン、コン、コン、と。三歩でスロープは終わる。

 あのときはもっと掛かった。

 姫はもう普通には歩けないだろう。

 だが一真には奇跡を信じることしか出来ない。

 姫もそうなのだろう。

 いや、違う。


 この国の、石化病罹患者全て。

 その近しい人々全て。

 全員の祈りだ。


 重い。あまりにも重い荷だった。


 少し目を閉じて、一真は前を見る。


 神機は変わらずそこに、あった。


 一真は玉座を迂回して神域に入る。

 神機授与の儀直前の神気、とも呼ぶべきあの感覚はない。

 だが、黒い神機の向こうに光がわだかまる、とも表現すべきなにかがあった。

 光が渦巻いた穴のような何か。

 あれが、戦場か、控え場に繋がるゲートなのだろう。

 一真はそう思った。


 十数歩ほど歩いて、一度だけ、深呼吸をして、一真は見上げた。


「よろしく、アテルスペス」


 一真が言ったそれは、名前だ。

 あの時渡された説明書の表紙に書いてあった。

 カタカナとこの国の言葉と、そしてアルファベットで書かれた、この神機の名前だ。


 意味は分からない。

 少なくとも英語ではないし、この国の言葉にもない単語だ。

 アルファベットがその意味を示しているとは思うが、確証は一真にはない。


 ただ。

 大切な、これから共に戦う相棒の名前だった。


 もう一度、一真は眼を閉じて深呼吸をする。

 終わると見上げ、言った。


「アテルスペス。頼む」


 それは、一真の思いだ。相棒に託す思いだった。


 そして、一真はアテルスペスを動かす単語を口にする。


「開けろアテルスペス」


 一真の口から音が出た瞬間、神機が膝を付いた。

 アテルスペスは膝を突いて屈み、胸の装甲を開ける。

 コックピットハッチのようなものだ。

 その奥には何もない。

 人が一人立って、手足を振りましても問題無い程度の広さの空間があった。


 一真は下部ハッチの装甲に手を掛け、その上に登る。

 するとアテルスペスが動き出し、直立姿勢に戻っていった。


 その姿勢変化に合わせ、一真はハッチの内側、アテルスペスの中に入り込んだ。

 アテルスペス正面方向に向き直り、眼を閉じて、ネクタイを締め直す。

 そうして、両手を前に軽く広げ出して、説明書で読んだ言葉を口に出した。


「アテルスペス、奏着」


 赤い光の線が足先からゆっくりと頭の上まで、一真をなぞっていく。

 頭の上を過ぎた辺りで《SCAN Completed》という声と共にハッチが閉まった。


 手指十本の根元全てに光が集まり、リングが形成される。

 ゆっくりと纏まった光は、弾け、金色の幅広の指輪が残った。

 続いて同じ光のリングが首に集まり同様に金色の細いチョーカーが形作られる。


 指や首だけではない。

 手首足首にはには幅広の。

 太ももと二の腕には金糸のような細くゆったりとした締め付けない。

 腰にはズボンのベルトを覆うように帯のような。

 それぞれ金色の輪がそれぞれ現れた


 そして最後に額。

 計二一の金輪が嵌められ、一真はその場に"固定"された。


 自由に動くことは出来る。

 歩きは元より、飛び跳ね走り、殴りに蹴りに受け身にバク転。

 ありとあらゆる動作は可能だ。

 しかし一真自身の体は、アテルスペス内の空間、その中央から動かない。

 腹、より具体的に述べるならば、一真の丹田だ。

 丹田を中心として、ありとあらゆる行動が一真には可能である。

 だが、一真の空間内における位置は、動かないのだ。

 如何なる原理かは、一真には全く分からない。

 説明書にも記載はされていない。


 深く息を吐き出し、一真はゆっくりと吸いながら眼を開ける。

 見慣れた高さからの神域が、操縦空間――コックピット内側全周に表示されていた。

 顔を横に向ければ、軽く広がったアテルスペスの腕、その内側が見える。


 腕を降ろしながら前を見た。

 アテルスペスの腕も、一真の動きを真似るように下がる。


 一真の動きを、アテルスペスがトレースする。

 ラグも誤差もなく、ただ実直にアテルスペスは動くのだ。


 このアテルスペスを動かす感覚に、最初の三日で一真は慣らした。

 慣れるまで動かした。


 胸の前に右手を上げる。

 一真の目の前に、アテルスペスの右手のひらが写る。


 一真は右手を握ったり開いたりして感覚を確かめると、頷いて、身を翻した。

 アテルスペスも一真の動きに合わせて後ろを動いた。


 脳が混乱しそうになる感覚は、とうに薄れている。

 慣れた、と表現しても、間違いではないだろう。


 一真は神域奥にある光の渦を前に、もう一度だけ深呼吸をした。


 とうにしていた覚悟をもう一度決める。

 そしてアテルスペスの手を挿し入れようと、一真は手を上げ――


「カズマ殿!」


 後ろからの声を聞いた。


 光の渦にアテルスペスの手を触れさせながら、後ろに体を向ける。


 神域の扉の影から、王様と戦士団の団長が姿を現したのだ。

 それだけではない。

 そのまた向こう。

 謁見の間の扉からも戦士団や衛兵達が何人も何十人も入ってきた。

 戦士団はこの一ヶ月、一真の訓練を手伝ったからだろう。

 激励に来てくれたのだと、分かった。


 光の渦に腕を引かれながら、一真は足に力を入れ、留まろうとする。


「我ら一同、勝利を祈っておりますぞ!!」

「カズマ殿!」「お前は強い!」「頑張ってくれ!」「姫を助けてくれ!」「たのんだぞー!」「訓練を思い出すんだ」「熊に勝てるってお前おかしい」「魔術を上手く使えよ」「いつもどおりにやればいい!!」「力を出し切るんだ!」「人に向けるんじゃないぞ!」「お前だったら勝てる!」


 団長の一言に続いて、団員たちがめいめいに叫んだ。


 一真の脳裏に一ヶ月の訓練が光の速さで過ぎっていった。

 魔法拳を編み出したり、組み手をしたり、狩りをしたり。

 語り尽くすにはあまりにも短い時間、あまりにも多くのことをやったのだ。


「みんな」


 光の渦に肩まで飲まれながら、一真は声を出す。


「みんな!

 俺、勝つからな!」


 王は一真に見えるよう大きく頷いて、


「私の娘と、民を助けてくれ!

 頼んだぞ!」


 と一際大きな声で叫んだ。


 一真は彼らに言い返すことも出来ず、光の渦に全身を飲まれ、光に包まれた。

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