10 そして彼は


「ソーラの足も、こんな」


 一真は石化した指の断面を突きつけられながら、声を漏らした。


 鼻を突く異臭。

 エルミスがいつも香水をつけていたのには、気付いていた。

 近くに寄る度に違う香りがして、少し彼女のことが気になっていたのだ。


 目線を少しずらせば、黒ずみ、硬くなった指先がある。


 一真は、人の体が腐る、などという現象に戸惑いを隠せない。

 だからか。


「い、痛い?」


 意味の無い問をしてしまう。


 エルミスは一真の言葉に、少し瞬きをしてから答えた。


「ええ、とても」


 エルミスの口元が少し微笑み、目元から力が抜ける。


「でもね」


 エルミスが一真の頬から手を離した。


「あの子は足先からの進行が速かったの。

 だから、壊死した指は、親指だけよ」


 一真はよろけ、一歩、後ずさる。


「ソーラも」


「そう。痛むのに。

 元々、大人しくて篭もりがちの子だったのに」


 エルミスは一真に背を向けた。その声は震えている。


「皆に心配させないようにって。毎日歩いて皆に自分の元気な姿を見せて」


 エルミスの言葉に、一真はソーラと過ごした日々を思い返した。

 魔術の授業以外、全て立っているか歩いているか、だったように一真の記憶にはある。


 あのときも、あのときも、全て、強がりだったのか。


「いえ、余計な事を言いました」


 エルミスは一真に振り返る。

 目元は少し、うるんでいた。


「このお願いは私からのものです。

 私だけのお願いです。

 あの子は関係無い」


 一真を迂回するようにエルミスは歩いて、一真の後ろにあるドアの前に立つ。


「だから、カズマ。乗って下さい。

 そして、戦って、勝って下さい。お願い」

「エルミス!」


 待って、と一真が言うより速く、エルミスは開けた扉の隙間から滑るように出た。


「待ってくれ」

 一真はエルミスの後ろを追おうとするが、ドアは目前で閉まる。


 何故かは分からない。

 一真は今、エルミスを追わなければいけない気がした。


 ドアの向こうから走り去る足音。

 一真はドアを開いてエルミスを追うべく、廊下に飛び出た。


「きゃ!」

「わっ」


 そこには顔見知りの侍女が立っており、一真はぶつかってしまう。


「す、すまない!」

「ちょっと、何?

 エルミスがさっき走って行ったんだけど」

「だから追わないと!

 ごめん!」


 謝罪もそこそこに、一真は走り出そうとした。


「待ちなさい」


 侍女に腕を捕まれてしまう。


「は、離してくれ!

 追わないと」

「何があったかは知らないけど、ってまさか!?」


 侍女は手を離した。

 解放されたと知るやいなや、足音が去って行った方向に一真は走り出す。


「エルミスならその先を右よ!」


 何かを察したのか、侍女は一真の背に向け大声で叫んだ。


「ありがとう!」


 一真も走りながら礼を言った。


 魔術の灯りを消して追う一真。

 魔術の灯りは明るいが、影も強くなる。

 日本と違い、月は大きく明るい。

 星も満天で、まったくの闇ではない。

 灯りがない方が、逆にエルミスの姿を発見しやすいと思ったのだ。

 それに、灯りをみて逃げられたり隠れられたりといった心配も無くなる。


 その心配は無用だった。

 角を曲がってすぐ、一真は廊下に倒れているエルミスを発見したからだ。


「エルミス!?」

「うぅっ」


 エルミスは蹲っていた。


「大丈夫か?」


 一真はエルミスを抱き起こす。

 エルミスは胸元に右手を抱え、右肩を押さえ、呼吸は荒い。


「だ、大丈夫です。

 だから、放っておいて」

「《てらすあかり》」


 一真は魔術の光を灯し、エルミスが左手で押さえる肩を見る。

 廊下に敷かれた布の、赤い毛が擦れるように付着していた。

 床を見ると、絨毯が寄って波になっている。

 走ったまま曲がろうとして敷布がずれ、そのままの勢いで転んでしまったのだろう。

 右手をかばい、左腕だけでは支えきれず。

 結果として肩を強くぶつけた。一真はそう推測した。


 一真はエルミスを抱き上げ運ぶべく断りを入れる。


「立てるか?

 立てない――」


 そこに後ろから声を掛けられた。


「どうしたの?」


 一真が後ろを見ると、先ほどの侍女がカンテラを持って立っている。


 怪訝な顔をする侍女に、エルミスは顔を背けて何も言おうとしない。

 一真はエルミスの代わりに説明した。


「転んで肩をぶつけたらしい」

「昔から慌てて走ると転ぶのよね。

 懐かしい。あら?」


 侍女はエルミスの正面まで歩いてくる。


「あなた、ミトンは」


 エルミスの前でしゃがんで、侍女は言った。


「そう、話したのね。

 まあいいわ、立てる?」


 何かを察したのか、侍女はため息をつる。エルミスに肩を貸した。


「カズマさんは姫のところに行ってあげて」

「ロディット!?

 あなた」


 侍女がカズマを見ていった言葉に、エルミスは声を荒げた。


「おだまり。

 自分の指を盾に人を期待もされてない戦儀に出そうだなんて。

 度が過ぎるわ」


 キツい口調で言いながら、侍女は立ち上がり、エルミスを立たせる。


「ですが、姫様は」

「いいのよ。

 姫も少しは溜め込まないで発散させたほうがいいに決まってるんだから。

 いつもいっつも良い子ちゃんで。

 少しは人と会話させて、不満を言えばいいの」


 侍女はため息を吐いた。


「ま、カズマ。

 姫をよろしくね。

 それと、戦儀なんかに出る必要は無いわ。

 あんな無手、誰からも期待なんでされてないんだから」


 一真に釘を刺して、侍女はエルミスと共に廊下を歩き出す。


 一真は二人を見ていることしかできなかった。


「期待されてないのは分かってる」


 小さな呟きは誰にも聞かれない。

 一真にも分かっている。

 調べて、その理由も知っていた。

 ただ一真の胸には、もし優勝できたら、という熱が燻っている。

 この気持ちに気付かないふりなど、一真にはできない。


「だから、だから……よし」


 一真は燻りを保留した。侍女にも言われたとおり、姫に会う。

 まずそうすることにした。




「姫、起きていますか」


 一真は姫の私室ドアに付いたノッカーを使い、ドア越しに声を掛ける。

 夜という時間や姫の私室という事実に躊躇いはした。

 したが、早くに決着をつけることを優先したのだ。


「カズマさん?

 あっ、その!

 なんで来たんですか!?」


 部屋の中から物音と、ドア越しにくぐもった姫の声がする。

 珍しく、声量は大きく、口調もきつい。


 当然か、と一真は思った。


「エルミスに聞きました」


 一真はドア越しに声を掛ける。


「エルミスにって、まさか」


 中から物音がして、一真は落ち着くまで待った。


 少し時間が経って、中からソーラが声を掛けてくる。


「入ってください」


 と、短く一言だけ。


 一真はその言葉に、少し変な感じを受けた。


 しかし一真は首を振って、ノブに手を掛ける。


「開けますよ」


 声を掛けて、一真は部屋に入った。


 初めて入る姫の部屋は広い。

 中央に天蓋と、天蓋からカーテンのような布が吊られたベッドがあった。

 そこにソーラが腰掛けている。


 敷布は落ち着いた色合い。

 家具やインテリアも、ソーラの年代や立場にしてはシックで簡素なデザインだ。


 一真はあまりキョロキョロしないように気をつけながら、歩を進める。


 ソーラは部屋着なのだろうか、簡素なシャツを着てガウンを羽織っていた。

 腰から下は薄い布を掛けて覆っている。

 足元には姫の靴があった。

 左右で違う靴だ。

 左は小さく淡い色合いの、可憐なもの。

 右は黒く大きく、そして重いのだろう塊のようなものだった。

 足首のやや下から足首の上まで靴紐で編んで締め固定するタイプのブーツ。


「カズマさん」


 ソーラは一真に、感情を押し殺したような声をだした。

 そして腰から下を隠す布に手を掛ける。


「エルミスに聞いたのは、この事ですか?」


 布を引いて、ソーラは足先を晒した。


「はい」


 一真は短く答え、ソーラの1m手前辺りで立ち止まる。


 視線の先はソーラの足。


「どうです?

 醜いですか?

 汚いですか?」


 ソーラが問うてくる。


 左足は、白く細く、滑らかだ。甲には青い欠陥の筋が浮いて、白さが際立っている。

 形のよい爪は切り揃えられており、ツヤがあった。


 対して右足は。

 白い石膏のように滑らか甲と指が3本。

 中指と薬指は赤黒く変色しており、硬くぼろぼろになっている。


 一真は考えた。考えて、答えた。


「見せるのが辛いなら、隠して下さい」

「何を」


 ソーラの表情は歪んでいた。

 笑みの形の口元に、見開いて引き攣ったような眼。

 不安と恐怖を一真は感じ取ったのだ。


「やめなさい」


 ソーラは布を引く手を挙げ、胸元を隠すように抱え込む。


「その顔を、やめて」


 一真には今自分がどんな顔をしているのか、分からない。

 少なくとも笑みではないだろうし、ソーラが気に入る表情でもないのだろう。

 それでも顔を背けたり、後ろを向いたりだとかは、一真にする気はない。


 ソーラは一真から顔を背ける。


「やめて、やめて。その顔を……」

「ソーラ」


 一真は初めて、強く名前を呼んだ。


「私、いや俺は、貴女を助けたい」


 その方法が、か細い希望が、自分の手にはある。

 だからと、一真は言う。


「私を!

 私を哀れんでいるのでしょう!?」


 ソーラは声を荒げた。


「ならば!

 あなたは綺麗だとか!

 おかしなところはないだとか!

 言ったらどうなのです!?」


 眼をきつく閉じて顔を背けるソーラに、一真は歩み寄る。


「言いません」


 声の近さを感じたのか。

 眼を開けて見上げるソーラは速かった。


「で、では、あの」

「今の貴女はいつもと違う」


 一真はソーラを抱きしめる。


「そんなに辛そうな顔を、しないでください」


 優しくささやく一真に、ソーラは強く一真の体を押すことで拒んだ。


「やめて、やめなさい!」


 ソーラの力では、一真は彼女を手放さない。体を揺すっても、一真の腕は解かれない。


「嫌い……」


 抵抗を止めて、ソーラは嗚咽を漏らす。


「何故です?」


 自身の胸で泣き出すソーラに、一真は聞いた。


「何故、貴女は私から嫌われようとしているのですか?」

「ッ!」


 びくり、と。

 一真の腕の中にいるソーラが、震えた。


「気付いて」

「気付かないわけがないでしょう」


 ソーラが身じろぎするのを感じて、一真は優しく言う。


「あまりにも、荒れていますから」


 腕を解き、一真はソーラの両肩に手を置いて、正面から目を見た。

 青い瞳の周りが赤くなっている。

 擦れて赤くなった目元に、金紗の髪が貼り付いて。

 髪にそって涙の雫が集まっていた。


「そんなに泣いて」


 一真は涙の雫に指をやって、姫の柔かな頬に右手を添える。


 ソーラは目を閉じて、口を開いた。


「乗って、欲しくないから」


 ソーラは体から力を抜いて、漏れ出るように答える。


「神機に、乗って欲しくないの」

「そう、ですか」


 予想がついていたのか、一真はため息気味に言った。


「理由を聞いても」

「だって、どうせ負けるでしょう?」


 ソーラは目を逸らして答える。


「あんな無手で、体にも何もついていなさそうな」


 事実だ。

 この国に与えられた神機は、そういうものなのだから。


「あなたが乗って、出れば、期待してしまう。

 勝手に期待して、勝手に希望を託して……そして」

 ソーラの眼から再び涙がこぼれた。


「そして、負ければ!

 勝手に幻滅して!

 勝手に裏切られたようになって!」


 顔を背けず、眼を閉じて溢れる涙をそのままに、ソーラは叫ぶ。


「あなたは、なんにも悪くないのに!

 罵倒してしまうの!」


 一真はソーラを見つめ、黙って姫の感情を浴びた。


「なんて浅ましい!」


 ソーラは自分の頬に添えられた手に、自分の両手を重ねる。


「それでも」


 その手を持って、自分の顔を隠すようにした。


「私は、母様のように苦しんで死ぬのは、怖いの」



 二人はそうして、暫くそのまま過ごしたのだ。





 そして一真は――


―― 第一章 「 彼は戦うことを決めた 」 終

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