03 名前を教えて

「ソーラ。ソーラ・ゼクセリアこれが、私の名前です」


 美しい人が、名乗った。


 胸に手を当て、胸を張って、名乗った。


 輝いて見えるほど、美しい女性は天使ではないという。


 聞いたことのない国名、天使ではない女性。

 ここは天国でも地獄でもないらしいと、一真は結論づけた。


「俺は」


 口を開く。

 自分は。


「たしか、あの車、トラック……? あぁ!」


 一真は悲鳴を上げた。

 思い返して、思い出して、しまったのだ。

 目が覚める前、ここに来る前、つまり、父のことを。


「父さん、父さん、父さん! うわああああああ!」


 一真は蹲り、頭を抱え、涙を流す。


「いやだ、いやだ! なんで、父さん!!」


 落ち着いていた感情は再び沸騰し、次から次へと止まらない。

 声がかれるほどに叫んでしまう。


「ふぐっ、う、うぅぅ」


 泣き叫ぶ一真の背に、温もりが添えられた。

 一真が泣き声をかみ殺しながら見上げる。

 ソーラが眉尻を下げて自分を心配そうに見つめているのを、一真は見た。


「あなた、とても悲しい事があったのですね」


 ソーラは両手を広げ、優しく一真に微笑みかける。


「来なさい。落ち着くまで、私の胸を貸してあげます。さ」


 一真は嗚咽を漏らし、ソーラの胸に頭を埋めた。


 ぬくもりと、特有の柔らかさが一真の頭を受け止める。

 一真の背にソーラの腕が回され、抱えられた。


「落ち着くまで、こうしてあげますから」


 そしてまた、泣き叫んだ。



*********



 一真はゆっくりと目を開いた。

 知らない天井が見える。


「起きられましたか?」


 声のした方を見ると、ソーラが小さな本を閉じて小さいテーブルに置いたところだった。


「ここは?」


「宮殿の居室です。

 使われていない空き部屋ですのでお気になさらず」


 一真は体に掛けられたシーツをめくると、自身がスーツを着ていないことに気付き、胸の辺りをぱたぱたとさわる。

 肌触りの良い長袖シャツだ。


「服が」

「上等な服ですもの。

 シワにならないように着替えさせてもらいました」


 そう言ってソーラは手で指し示した。

 一真が指の先を見ると、木の棒を組んで作られた服掛けにスーツが掛けられていた。

 自分のスーツだ、と一真は安堵する。


「ありがとうございます。

 ご迷惑をおかけしました」


 言葉使いを丁寧にして一真はお礼を言った。


「いえ、大したことではありません。それに、稀人の保護は努め、ですから」


 ソーラは胸に手を当てて微笑む。


「まれびと、ですか?」


「ええ。

 具体的にどこなのかは存じませんが、この国でも大陸でも無い、

 どこか遠くから来た人々のことを指して、稀人、と呼ばれています」


 あなたはそうなのだと、目が語っているようだと一真は思った。


 ここは地球ではない、それどころか世界すら違うのだ。

 一真は否応なしに再認識させられた。


「稀人には誰かに喚ばれて来た喚ばれ人と、そうでない訪れ人がいます。

 喚ばれ人は来た理由を知っている場合が多いのですが……」


 ソーラは言葉を切って一真の目を見る。


「理由、分かりますか?」

「い、いえ。知らない。知りません」


 一真はソーラの視線に少しひるみ、否定を絞り出した。


「では、訪れ人ですね。きっと」


 ソーラは何かを納得した様子で頷くと、手のひらでこの場を指し示しす。


「しばらくはこの部屋で暮らすと良いでしょう」

「この部屋、って」


 一真は部屋を見渡す。


 一真が今いる簡素な印象のベッドが隅にあり、他に木製の椅子や机が置いてあった。

 一真の感覚で4メートル四方だろうか。

 天井には照明器具のたぐいはない。

 代わりに机とソーラの近くにあるテーブルに、それぞれランプが置いてあった。

 ベッド近くの窓は板を並べたような蓋をつっかえ棒で上げ、開け放たれている。

 箪笥や装飾のたぐいはなく、本当に空き部屋だったのだろう、と一真は思った。


「帰る方法、分からないでしょう?

 私たちにも帰す方法は分かりません。

 街で住むには常識もお金もありません」


 稀人とは、最初はそう言うものだとソーラは述べる。


「そう、ですね」


 帰れない。一真はその一言に、俯いた。


 父は死んだ。

 必死に働いていたのは父に恩返しするためだし、父ともっと話したかった。

 父が居ない世界など、一真には世界そのものには未練がない。


 だが、父の遺体はそのままだ。

 葬儀どころか、吊られたまま。心残りだ。

 それだけをやるために帰りたい。


「帰れない、のか」


 ソーラは椅子からゆっくりと立ち上がって、そのまま一真が横たわるベッドに腰掛けた。

 一真の手に触れて、軽く握る。


「稀人は、何かを成すために現れる、とは昔の人の言葉です。

 ですが、私はそんなことないと思います。

 ただ生きて、暮らせば、何か得るものもあるでしょう」


 きれいで、滑らかな手という印象だった。

 だが一真の手に沿わされたソーラの手のひらには、硬い部分がある。

 テーブルには杖が置かれていた。


「何か、辛いことがあったのはわかります。

 忘れろとは申しません。

 ですが、生きてこそ、だと私は思います」


 一真からはソーラの顔は見えない。

 トーンを落とした声色に、深い悲しみがあるように一真は思った。


「万全な五体があるのです。

 生きていれば良いこともあると思いますよ」


 声を震わせながら、ソーラは一真に顔を向ける。

 愛らしい笑顔に一真は微笑んだ。


「そう、ですね。

 死ぬつもりもないですし、この世界で、生きていきます」

「ならよかった。

 では教えていただきたいのですが」


 ソーラはベッドについた手で体を支えながら立ち上がり、椅子に座り直す。


「あなたのお名前、まだお聞きしてませんでした。

 教えて下さいな」

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