02 天使は彼を見つけた

 エルミスが走り寄っても、黒い誰かは動かない。

 エルミスはしゃがみ込んで、それにむけて手を伸ばす。


 ソーラも倒れているのが人だとわかる距離に入った。


 黒い服に身を包んだ、男だ。

 意識はないようで、うつぶせに倒れたまま動かない。


「息は、あるようです」


 口元に手を当てたエルミスが言う。

 エルミスは男の体の下に左手を差し込んで力を込める。


「んっ! ふぅ!」


 左手だけでは力が足りず、男の体はわずかに持ち上がるだけだ。


「私も手を貸します。待ってて下さい」


 ソーラは左足を引きずって急ぐ。


「ですが」

「つまさきに力を入れなければ大丈夫よ」


 男の側に来ると、ソーラは両膝をついて男の下に両手を挿し入れた。


「同時に行くわよ」


 ソーラとエルミスはタイミングを合わせて力を入れる。

 男の体が半回転し、仰向けになった。


「ふぅ、変わった服装ね」


 ソーラは息を整えながら言う。


 男の服装を今まで見たことがない物だと思った。

 縫製から上等な衣服だとは考えていたが、男が仰向けになったことでソーラの知識にないものであることが明らかになったのだ。


 今し方付いたであろう土以外は汚れのない真新しい生地を全身に使い、縫い目が真っ直ぐで職人の技量の高さをうかがわせる。

 胸の辺りまで襟が開いた上着に、両足それぞれを筒に通すような形の乗馬着にも似た脚着。上着の下には汚れの少ない真っ白なシャツに、結んだ布を襟から前に垂らしている。


「窮屈そうな衣装ですね」


 エルミスが簡潔に述べた。


「まさか、訪れ人でしょうか?」

「そうね、こんな場所に倒れているんだから。

ただ喚ばれ人の可能性もあるわ」


 エルミスの推測に、ソーラは同意と、別の可能性を示す。


 どちらも来訪者のことだ。来訪者といっても、外国や他の街からの旅人のことではない。


「時期的にも、そろそろでしょう?」

「喚ばれ人がこんなところに喚ばれるでしょうか?」


 ソーラとエルミスは顔を見合わせる。


「あっ」


 ソーラは声を漏らして口元を手で覆った。


「エルミス、あなたは人を呼んできて」

「あ、はい、かしこまりました」


 宮殿の方を指して支持したソーラに、エルミスが応えて駆けだす。


「男性を何人か!」

「は、はい!」


 駆けていく背に声を掛けて、ソーラは座ったまま男を見た。


 体格は、きっちりとした服装のせいか分かりにくいが、良い方だろうか。

 首の太さからみると、騎士ほど筋肉質ではないだろう。

 短い黒髪は何かを塗っているのか、よく整えられている。

 少しだけ幼く見える顔立ちはあばたがなく、日焼けも少ない。

 生業はなんだろうか。


 二人きりになって、手持ち無沙汰からか観察する余力がでたのか、ソーラはじぃっと男の顔を見る。


「もし」


 声を掛けた。


 男は静かに横たわっている。

 目を覚まさない。

 硬く薄い布に覆われた胸がゆっくりと上下し、呼吸音が続く。


「もし、あなた」


 ソーラはよく分からない感覚を覚えていた。

 急かされるような、火照るような。

 ただ、このままの時間が続くのを、止めたかった。


「もし、起きてくださいな」


 声を掛けて、男の胸にソーラは手を置く。


「うぅ……」

「きゃっ」


 男の身が震え、呻いた。ソーラは反射的に手を離して身を引いた。


「あ、大丈夫、ですか?」


 身じろぎをする男に声を掛ける。

 閉じられた男の目に力が入り、少し、開いた。


「うぁ」


 ソーラは身を乗り出して男の顔を覗き込む。

 男の口から声が漏れ、白い歯が見えた。


 男の目がソーラを見返す。

 黒い、すこし茶色が買った瞳はこの国にはあまりない色だ。


「天使……か?」


 男が喋った。

 ソーラに向けて何かかどうかを聞いているようだ。

 ソーラにも分かる言葉だが、意味は分からない。


「てんし? いえ、てんし、ではありませんが……」


 てんし、とは、なんだろうか。

 ソーラは疑問を感じながら、聞かなかった。


 男が地面に肘を突いて身を起こす。

 ソーラは身を引いて、声を掛けた。


「意識は戻られたようですね」


 笑顔で言えただろうか。

 男の意識がはっきりしてきていることに安堵を感じながら、ソーラは男をみる。

 男は首を振ってあちらこちら見てから、ソーラを見返した。


「ここは」


 男の視線がソーラの顔から体へ行き、また顔に戻る。


「どこだ?」

「ゼクセリアの宮殿裏にある森ですが」


 男が聞いて、ソーラは応えた。


「きみは、いや、君の名前は」

「ソーラ」


 問おうとした男に、ソーラはすぐに応えた。


「ソーラ・ゼクセリア。これが、私の名前です」


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