01 朝露の森にて

 晴れやかな朝の光が、宮殿の壁を白亜から更に白銀のように光らせている。

 朝露に草は濡れて、歩きやすいだろうと、ソーラは外へ続く階段に左足を降ろした。


「姫様、お待ち下さい」


 後ろから馴染みである侍女の、少し苛ついた声がソーラの気を引く。


 杖を突き、腕で体を支えてからソーラは振り向いた。


「段を降りるときには余り声をかけないでと言ったでしょう」


 白い城の開口部から外の地面に降りるだけの階段で、段数も少ない。

 それでも、杖を突いたソーラにとっては慎重を要する場所だった。


「そんなこと言ったって、一人だけで出かけるだなんて。そちらの方が危ないですよ」


 侍女はそう言って駆け寄り、ソーラの体を右から支える。


 ソーラは「大丈夫なのに」と呟き、ため息を一つ吐いた。

 右足を上げて、左足が乗る段に降ろす。


「ほら、震えてるじゃないですか。指が固まってから日が浅いんですから」


 侍女は優しく、いたわるように言って、ソーラの体を支えながら一段降りた。

 ソーラも少し遅れて左足を降ろし、続けて右足もゆっくりと上げて、降ろす。


「民や兵のために見栄を張るのはよろしいですが……」


 侍女が降りて、ソーラが左足を降ろした。


「それ以上は聞きません。何も言いません」


 右足を上げて、降ろす。


「分かりました。

 ですがもう一言だけ。

 穏やかで、あまり快活でない元の姫様でも、彼らはきっとついてきてくれますよ」


「言わないでと言ったでしょう」


 数度、繰り返して、よく手入れされた芝生にソーラは歩み降りた。


「それに、貴女だって」


 ソーラは侍女を見る。侍女の右手は大きなミトンに覆われていた。


「私は、いいんです。手ですし仕事だって、出来てますから」


 侍女はソーラから離れて、右手を体の後ろに隠す。


「そう」


 ソーラは短く答えて、森へと体を向けた。

 その背に、侍女は言う。


「歩き慣れるための散歩も良いですが、せめて一人だけでも連れて行って下さい」


 左足を踏み出し杖を少し先に突いて、ソーラは止まった。


「ですが」

「姫の一人歩きは褒められた行動ではありません。

 例えそれが宮殿敷地内でも。

 手入れはされていますが森は森です」


 反論をさえぎって述べられる侍女の言葉に、少しだけ考えて、ため息を一つ。


「じゃああなた、付いてきて」


 首だけで後ろを向いて言い放つと、前を向いて杖を突いて歩き始めり。


「分かりました。

 ですが急いではいけませんよ。

 ゆっくりと、です」

「私は大丈夫。心配ないわ」


 姫と侍女は毎日のやりとりを終えて、森へと向かい歩いた。


 宮殿の森は、庭師と森師によってよく手入れされている。

 散策や薬師が使う薬草採取のため、歩きやすく、風通しもよい。

 木漏れ日も各所で気持ちよく降りてくる。


 ソーラ姫は足の調子を確かめるため、ここのところ毎日森を歩いていた。


 ルートも毎日同じ道だし、供も同じ侍女だ。


 森に通じるこの出入り口からでて、手近な道に入り、道なりに進んで池のほとりを通り、池から流れる小川と流れ込む小川に掛かる橋をそれぞれ渡り、また道を通って戻る。

 常人にはお茶を入れるには長く、焼き菓子を焼くには短い程度の、そんな道のりだ。


 無論、ソーラにとってはその程度では済まない。


 この国の穏やかさが形となったような森は、宮殿の皆に好まれている。

 ソーラも、その後ろを歩む侍女も、そうだ。

 だからか。

 二人がこの日課を初めてから、あまり長くはない。

 その長くはない経験故か、森に入ってしばらくして二人は気付いた。


「ねぇ姫様」


 調子を落とした声で、侍女が呟く。


「今日、何か変じゃありません?」

「何か?」


 ソーラは立ち止まって短く返した。

 周りを見渡して、森を見る。

 いつもの森に見えた。


 どこも木々は変わった様子はないし、道にも変化はない。

 ただ、小鳥の声がいつもより少ない気がした。

 ただ、変というには、変化にとぼしい。


「変わったところはないように、見えるけど」

「そう、ですか?」


 侍女は素早く右左と視線を向ける。

 彼女がそんなに不安そうなのは珍しいわねと、ソーラは呟いてまた足を進めた。


「ま、待って下さい。一人では」

「だから貴女が来てくれるのでしょう?」


 体を前に進めながら、姫は言葉を出す。


「ですけど」


 侍女はソーラを追い越し、先導しはじめた。


「やはり、何か起これば事ですので」


 息を深く吐いて、ソーラは返す。


「そこまで言うのなら、任せます」


 森はいつもと変わらず歩きやすかった。

 一歩一歩、前を見て、歩く。


 先に気付いたのは侍女だった。


「あら?」


 続いてソーラも気付く。


「何かしら」


 道の先、池のほとり。黒い大きな何かが落ちていた。


「エルミス」


 ソーラは侍女の名を呼んだ。


「先に様子を」

「はいっ」


 侍女エルミスはソーラの手を離し、横たわる黒い何かにむけて早足で駆けた。

 ソーラは転ばないようにゆっくりと歩く。


「あっ、ひ、人です!

 人が倒れています」


 エルミスがソーラに向けて叫んで、黒い誰かに走り寄った。

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