ガライド編「家族」 第2話

「うーん……ここにもいないか」


 目の届く範囲を隅々まで見回し、溜息を吐く。肩を落とすと、手に持った猫じゃらしが寂しそうに揺れた。

 今俺は猫探しの依頼で、路地裏を中心に街中を歩き回っている。朝から探し続けているが、今のところ成果はない。

 こういった些細な依頼は嫌がる冒険者も多いが、俺としてはこれも大事な仕事だと思っている。俺が手を貸す事で依頼人が笑顔になれるなら、こんなに嬉しい事はない。

 さて、どうやら場所を変えた方が良さそうだ。そう思い、俺が歩き出すと。


「きゃっ!」


 悲鳴と共に、横合いから伝わる衝撃。方向が方向だけに、軽く流されるようによろけてしまう。

 何とか踏ん張り衝撃の加わった方を見ると、こちらは衝撃に耐え切れなかったのだろう、女性が尻餅を突いて倒れているのが見えた。その顔を見て、思わず目を奪われた。


 この街に初めて来た日に出会った彼女が――『聖女』エレノアが、そこにいた。


「いたた……ご、ごめんなさい、大丈夫ですか……」


 尻餅を突いた体勢のまま、こちらを気遣う言葉を口にする彼女。俺はその声に我に返ると、慌てて持っていた猫じゃらしを左手に移して右手を差し出した。


「俺は大丈夫だ、君こそ怪我はないか?」

「はい、腰を少し強く打っただ……け……」


 俺の手を取り、立ち上がった彼女の言葉が途中で止まる。その目は何かを確かめるように、俺の顔をじっと見つめている。


「あの……あなた……」

「おい、そっちにはいたか!」

「!!」


 何かを言いかけた彼女の声が、突如響いた怒声と共に止まった。そして不安げに、自分の今来た方を振り返る。


「……っ、こっちだ!」


 咄嗟に俺は繋いだままの手を引き、声がしたのとは反対方向へ走り出した。彼女は最初引きずられるようにして走っていたが、やがて自分の意思で俺に付いていく事を決めたのか強く手を握り返してきた。

 幾つかの路地を、出鱈目に移動していく。暫く走った頃には、背後にもう気配は感じなくなっていた。


「はあ、はあ……上手くまけたようだ。これで当分は大丈夫だろう」


 そう言って振り向くと、彼女は苦しそうに肩で息をしていた。しまった。つい自分のペースで走ってしまった。


「す、すまない。慌てていたから君のペースに合わせる事を忘れていた」

「いえ……ありがとう……ございます……助けてくれて……」


 苦しげに呼吸を繰り返しながら、それでも彼女は俺の謝罪に懸命に首を横に振って応える。俺はそのまま、彼女の息が整うのを待った。


「……あの……」


 そうしていると、彼女がまたじっと俺の顔を見始める。何だろうと首を傾げる俺に、彼女はおずおずと問い掛けてきた。


「……不躾な質問をしてしまいすみません。以前、どこかでお会いしませんでしたか?」

「ああ。五日前だったかな、今日のように出会い頭に君とぶつかった」

「ああ! あの時の! 凄い偶然ですね!」


 俺が答えると、彼女は無邪気に瞳を輝かせた。……皆の前で見せた人形のような笑みではなく、とても純粋で素直な表情。


「あっ、ごめんなさい。助けて頂いたのにまだ名前も言ってなくて。私……」

「知っている。エレノア、だろう?」

「……!」


 けれどその表情は、俺が告げた名前に瞬時に固まった。そして目に悲しげな色を宿らせると、小さく俯いてしまう。


「そうですか……ご存知なんですね……私が何者なのか」

「ファレーラ教始まって以来の稀代の天才。何者にも慈悲深く接する聖女。……そう、聞いてるな」

「……」


 彼女の顔が、一層憂いを増す。そんな彼女に、俺はこう続けた。


「だが俺の知る君は、街角で出会ったただの女の子だ」

「!!」


 俯いていた顔が勢い良く上がり、まじまじと俺の顔を見る。その真っ直ぐな視線に、少し気恥ずかしくなるのを感じる。


「その女の子が困っているようだった。だから助けた。……特別な事でも何でもない事だ」

「……あなたは……」


 大きく見開かれ、今にも涙が零れ落ちそうに潤む瞳。そしてその顔は、やがてくしゃりと破顔した。


「……ありがとう、ございます。遅くなりましたが、お名前をお聞きしてもいいですか?」

「ああ、こちらこそ名乗るのが遅れてすまない。俺はガライドという」

「ガライドさん……ふふ、ガライドさんは不思議な方ですね。今まで会った誰とも違う」

「変わっているとはよく言われるな。あまり気にしてはいないが」


 俺もまた、彼女に笑い返す。二人の間に、温かな空気が流れた気がした。


「そうだ、どこへ行く途中だったんだ?」

「はい、ちょっと街外れまで……」

「なら、俺も行っても構わないか?」

「え?」


 俺の提案に、彼女が目を瞬かせる。それを見ながら、俺は笑みを深めた。


「二人連れという事にすれば、万が一さっきの奴らに見られても誤魔化しが聞くだろう。それに俺も依頼の為に街中を歩き回る必要があるんだ。ついでと思えばいい」

「……いいんですか?」

「構わないさ。ここで会ったのも何かの縁だ」


 そう頷き返すと、一拍置いた後に彼女がまた顔を綻ばせた。そして、握ったままになっている俺の手を引く。


「ありがとうございます、ガライドさん! 街外れはこちらです、ついてきて下さい!」


 先程とは逆に彼女に引っ張られ歩きながら、俺は胸の奥に甘い疼きが宿るのを感じていた――。

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