ガライド編「家族」 第1話

 小さい頃から、広い世界に憧れていた。地方領主の息子としての暮らしに不足はなかったが、俺の求めているものはそこにはなかった。

 俺は、世界をこの目で見たかった。文献だけではない、目の前で息づく世界を感じたかった。

 十八になった頃、俺は父に見聞を広める為旅に出たいと告げた。父はあまりいい顔をしなかったが、定期的に連絡を寄越す事、帰るよう連絡が来たらすぐに帰る事、この二つを条件に旅の許可は降りた。

 そうして飛び出した世界は、想像していた以上に広大で。目にするもの総てが、どれも新鮮に映った。

 旅の最中は、冒険者を生業とする事にした。旅をしながら路銀を稼ぐには、それが一番都合が良かったからだ。

 冒険者としての生活は楽しかった。大変な事も多かったが、諦めず一つずつ乗り越え続けた。

 少しずつ蓄えた金で憧れだった自分のぎょくを持てた時は、本当に嬉しかった。その日は年甲斐もなく玉を抱いたまま床に就いたのを、今でもよく覚えている。

 そうして、旅を始めて五年の月日が流れた頃――。


 ――俺は、彼女に出会ったんだ。



「これはまた、随分綺麗に整備された街だな」


 目の前に広がるムスラム国の王都レヴィンの整然とした街並みに、思わず感嘆の声が漏れる。この五年で幾つもの王都を訪れたが、ここまで見事に整った街並みは初めて見た。

 大通りを中心に総ての建物が左右対称に、等間隔に並ぶ街。理性を司る太陽神ファレーラ教の聖地らしいと、俺は思った。


「さて、まずは今夜の宿を決めないとな。上手く空きがあればいいが」


 宿を探し、俺は辺りを見回す。今のところ、それらしい建物は見当たらない。

 どうも、この辺りは商業区のようだ。路地を通って、別の通りに抜けた方がいいかもしれない。

 そう思い、足をすぐ近くの路地に向ける。そして大通りを離れ、路地に入り込んだ時だ。


「きゃっ……!」


 不意に聞こえた、そんな悲鳴。同時に伝わる、正面からの衝撃。

 誰かとぶつかってしまったのだ、そう理解したのは目の前に土色のフードを被った頭を認めた時だった。お互い倒れる事はなかったが、拍子に丁度抱き合うような形になってしまう。


「す、すまな……」

「ごめんなさい、大丈夫ですか!?」


 こちらが謝るより前に、慌てた声で相手が謝ってくる。そして相手が勢い良く顔を上げた瞬間、頭を覆っていたフードが外れて後ろに倒れた。


 ――瞬間、目を奪われた。


 絹のように艶やかな、長い金色の髪。まるで雪で出来たような白い肌。それをほんのりと彩る、形のいい桜色の唇。

 そして、透き通るように美しい金色の瞳。

 人を惹き付ける美しさ、とはこういう事を言うのかと思った。俺は言葉も忘れ、ただじっと目の前の彼女の顔を見つめていた。


「……あの……私の顔に何か?」


 不思議そうに問い掛ける彼女の声に、ハッと我に返る。しまった。不躾な男だと思われただろうか。


「い……いや。すまない。俺は大丈夫だ。君は?」

「私も大丈夫です。ごめんなさい、急いでいたからよく前を見ていなくて」

「前方不注意は俺も同じだ、気にする事はない。君はこの街の人か?」

「はい、私は……」


 そう言いかけて、彼女が不意に辺りを見回す。そして慌てたように、ばっと俺から離れた。


「ごめんなさい、私もう行かないと……さようなら!」

「あっ……」


 引き止める間もなく、彼女は俺の脇をすり抜け大通りの方へと消えていった。俺が呆然と彼女が消えていった方角を見つめていると、やがて反対方向からバタバタと複数の足音が聞こえてきた。

 振り返ると、白い外套を身に纏った男達がこちらに近付いてくるのが見えた。男達を俺の方を見ると、どこか居丈高な様子で話し掛けてきた。


「おい、そこのお前。ここで娘を見なかったか」

「娘?」

「金の髪に金の目の、美しい娘だ」


 それを聞いて、すぐにさっきの彼女の事だと解った。この男達に追われていたから、彼女は急いでここから立ち去ったのだ。


「いや、見ていない」


 咄嗟に俺は嘘を吐いた。この男達が何者かは知らないが、彼女が捕まりたくないと思っているのなら尊重してやりたかった。


「そうか。ならばもうお前に用はない」


 それだけ言い捨てると、男達は足早にその場を離れた。……どうやら上手く誤魔化せたようだ。

 しかし、あの男達は何者なのだろう。賊にしては、外套の下の服装がやけに整っていた。

 それに白い外套は、聖職者が好んで着る物だ。とすれば、あいつらは聖職者なのか?

 そして、それに追われていた彼女は一体――?

 

 結局その日一日、俺の脳裏から彼女の姿が消える事はなかった。



「……凄い人混みだな」


 それから三日後、俺はファレーラ教の総本山である大神殿の前を訪れていた。辺りは聖職者の格好をした者で埋め尽くされ、黒を基調とした魔法使い風の服装の俺は些か周囲から浮いて見える。

 今日は月に一度、『聖女』と呼ばれる存在が顔を見せる日らしい。ここにいる者は俺も含め、その顔を一目見ようと集まった訳だ。

 俺が今いる場所は、集まった人の群れの丁度中間辺り。遠目にはなるが、大神殿から出てくる者の顔を見るには支障のない位置だ。

 ……それにしても、聖女、か。噂では稀代の天才にして絶世の美女という事だったが……。


「静かに! 皆の者、静かに!」


 すると大神殿の中から壮年の司祭が現れ、大声で周囲に呼び掛ける。その声に、騒がしかった辺りは徐々に静まり返っていく。


「これより聖女様がおいでになる! 皆の者、くれぐれも失礼のないように!」


 そう言って、司祭が後ろを振り返る。その視線の先から、二人の女性に伴われ純白のローブを身に纏った人影が姿を現す。

 その顔を見た俺は――驚愕した。


「あれは……!」


 絹のような金色の髪。雪のように白い肌。それを彩る桜色の唇。透き通るような金色の瞳。


 三日前、俺とぶつかった彼女が――そこにはいた。


「聖女様! 聖女様!」

「エレノア様! 我々に祝福を!」


 沸き立つ人々の声に、彼女は笑顔で応える。けれどその笑顔は――どこか作り物めいた、人形のような笑顔だった。


「エレノア様ー!」

「聖女様! 我らファレーラ教の希望!」


 人々が一層盛り上がる中、彼女のそのぎこちない笑顔だけが俺の心に残り続けた――。



 ――これが俺と彼女――エレノアとの出会いだった。

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