ヒルデ編「事務員さんの平和な日常」

 その日、僕は出会ってしまいました。知的な青い瞳が美しい、あの運命の人に!



 あれは忘れもしない、僕が初めて冒険者になった日の事。レムリア北部の片田舎から王都フェンデルに出てきたばかりの僕の胸の中は、期待と緊張で一杯でした。

 ここから僕の、冒険者としての生活が始まるんだ。でも大丈夫かな。ちゃんとやっていけるかな――。

 僕の故郷と違って流石フェンデルは都会、道行く人達もどことなく洗練されている気がして。田舎者丸出しの自分の姿が、ちょっぴり情けなくなったり。

 いやいや、今日から僕も都会人。ここで生活していれば、自然と僕も垢抜けていくさ!

 そんな事を考えながらね、道端の露店の人に聞いた冒険者ギルドの扉を開けたんです。そうしたら――いたんです。彼女が。


 黙々と書類に目を通す、知的で涼しげな目元。


 長い茶色の髪はアップにして、お団子状に纏めている。


 何より、全身からそこはかとなく漂う気品――。


 もうね、一目惚れでしたね。ハート鷲掴みでしたね。

 時が止まったように感じるって、あの時のような事を言うんだと思います。だってあの時の僕は、本当に何もかもを忘れて彼女を見つめていましたから。


「おい、入口でボーッと突っ立ってんなよ兄ちゃん。邪魔だよ」


 ……まあすぐに、そんな後ろからの声に現実に引き戻されたんですけどね。



 それから暫くは、何て彼女に声をかけたらいいか解らなくて入口の周りをひたすらウロウロしてました。いえね、冒険者登録に来たんだからそう言えばいいだけなんですけど、どうせならいい第一印象を与える振る舞いがしたいなと。

 今思えばそんな試行錯誤の様子がそもそも怪しさ満点だったんですけど、あの時はそれに気付く余裕もなくて。ああでもない、こうでもないと延々と考えを巡らせていました。

 すると、そんな僕を不審に思ったのか。彼女の方から、僕に声をかけてきたんです。


「――そこのあなた。当ギルドに何か御用でしょうか」

「フアッ!?」


 その時の僕の動揺ぶりときたら。声は裏返るわ思わず飛び跳ねるわで、第一印象で言えば最悪だったでしょうね。

 彼女はじっと僕を見て、返事を待っています。僕は内心大いに混乱しながら、やっとの思いでこう言いました。


「ぼ、冒険者登録をしに来ましひゃ!」


 この瞬間、「あ、僕終わったな」って心の底から思いました。



 その後脱け殻になりながら冒険者登録を済ませ、僕の新生活はスタートしました。

 受ける依頼は、雑用中心です。盗賊退治とかは、うん、僕にはまだ早いかなって。

 彼女の名前も解りました。ヒルデさんというそうです。勿論直接聞いたのではなく、他の人がそう呼んでるのをたまたま聞いただけです。

 毎日の宿代を支払うのがやっとの生活ですが、いい事もあります。それは依頼を受ける度、ヒルデさんとほんの少しでも会話出来る事です。

 ヒルデさんは誰にでも平等で、まだまだ冒険者としては新米の僕にも他の人と変わらず接してくれます。そんなところに、ますます夢中になっていったのは言うまでもありません。

 いつか、ヒルデさんの特別になりたい……。次第に僕は、そう思うようになっていました。

 けれど僕には、力もなければ度胸もない。こんな僕じゃヒルデさんだけじゃなく誰も振り向きやしない事は、考えるまでもない事でした。

 悩んだ僕は、誰を好きかまでは言わないで同じ宿に泊まっている冒険者仲間に相談してみました。その回答がコチラ。


「そりゃやっぱ、女を振り向かせるにゃ自分が強くなる事よ。強い男が嫌いな女なんざいやしねえよ!」


 ……うん! 解り切ってた回答ありがとう! ですよね!

 これは……覚悟を決めるしかないのでしょうか。潔くヒルデさんを諦めるという選択肢はない。絶対、ない。

 だって彼女こそ僕の運命の人。何としてでも振り向かせたい!

 でも強くなるって具体的にどうしたらいいんだろう? そこで再び冒険者仲間に相談した結果がコチラ。


「強くなるにはよく動き、よく食べる。これだな! 筋トレなんかも効果的だぜ! 食って動いて寝る、それを繰り返してりゃ自然と筋肉がついて強くなるって寸法よ!」


 脳筋か! とはいえ他にいい方法が浮かぶかと言ったら浮かばない訳で。うう、僕昔から食が細いのに……。

 よし! こうしよう! もしも僕が盗賊退治出来るぐらい強くなったら、その時は思い切って告白するんだ!

 そう思えばきっと頑張れる気がする。愛しのヒルデさんの為なら!

 よーし、やるぞー! えい、えい、おー!



 ――そんなこんなで、あっという間に一年が経ちました。

 あんなにひ弱だった僕が、今ではこんなムキムキマッチョに! ……という訳には残念ながらいかなかったものの、前よりは逞しくなったんじゃないかと思います。

 そして何より! 行ってきました、盗賊退治!

 ……まあ、流石に一人じゃなくて他の冒険者と臨時でパーティーを組んでだけど。あと基本的に逃げ回ってばっかりだったけど!

 でも自分の身を自分で守れるくらいにはなった……かな? これならちょっとくらいは自信を持って、告白に踏み切れるぞ!



 服は、コツコツ貯めた貯金で買った一張羅。手には、ヒルデさんをイメージした白を基調にした花束。

 うん、完璧だ。告白するには、やっぱりそれに相応しい格好でなきゃ。

 今日、僕は、ヒルデさんに告白する。台詞は、ゆうべ一晩かけて考えてきた。

 「あなたのこれからの人生を、僕に引き受けさせてくれませんか?」……ちょっとキザかな。いや、女性はスマートな言い回しに弱い筈!

 入口の扉の前で、大きく深呼吸。……よし。いざ!


「ふざけてんじゃねえぞ、このアマ!」


 ところが突然響いてきたそんな怒鳴り声に、僕は身をすくませる。い、今の声は? ギルドの中から聞こえてきた気がするけど……?

 不安になった僕は、少しだけ入口の扉を開けてそっと中を覗いてみる事にした。すると……。


「報酬は渡せねえってどういう事だ! ここにちゃんと依頼人のサインもあるだろうが!」


 うわっ! 何か凄く厳つい男が、受付に身を乗り出してる!

 この辺りじゃ見た事ない姿だけど、余所の国から来た冒険者だろうか。そ、それにしても凄い筋肉……。


「こちらで保管している書類と筆跡が異なります。確かに依頼人本人がサインしたと判断出来なければ、報酬をお渡しする事は出来ません」

「生憎依頼人は腕を怪我しててなあ。筆跡が違うのはそのせいよ。解ったらさっさと報酬を寄越しな!」


 男はまるで恫喝するように、大声でヒルデさんに迫る。対してヒルデさんは、いつも通りの冷静な口調でそれに応対する。

 ――解ったぞ。あいつ、詐欺冒険者だ。実際にはやってない依頼をやったと偽って、報酬だけを掠め取ろうっていう……。

 前に他の国でそういう奴が出たって、皆が噂してたのを聞いた事がある。それがこのレムリアにも現れたなんて……。

 なんて、のんびり考えてる場合じゃない。ヒルデさんに危機が迫ってるっていうのに!

 ここから見える男の横顔は、殺気に満ち満ちている。今にもヒルデさんに飛び掛かっていきそうだ。

 一方のヒルデさんは全くそれに怯む様子はなく、どこまでもいつも通りだ。いや、本当は逃げ出したいのを、持ち前の責任感で懸命に耐えてるだけだとしたら……。

 た、助けなきゃ! でもどうやって? あんなに強そうな相手に、しかも今僕は丸腰なのに?

 ヒルデさんを助けなきゃいけない。けど今の僕で、あいつに勝てるとは思えない。

 大体他の人は、どうして誰もヒルデさんを助けようとしないんだ。皆あいつにビビってるのか?


「新しい遂行書を発行しますので、本当に依頼を達成したと言うのであればそちらに正確なサインを貰ってきて下さい。今の状態では、依頼を達成したとは認められません」

「このアマ……! 人が大人しくしてりゃ調子に乗りやがって! いいから黙って金出せっつってんだよ!」


 ヒルデさんの対応に業を煮やした男は、遂にはカウンターに拳を叩き付けて脅しにかかる。こ、このままじゃヒルデさんが危ない!

 助けに行かなきゃ! で、でも……怖いよーーー!


「……仕方ありませんね」


 情けないくらい僕がビビっていると、不意にヒルデさんがすっくと立ち上がった。姿勢良く佇む姿も綺麗だ……って、そんな事を思ってる場合じゃない!

 このままヒルデさんがあいつに報酬を支払ってしまったら、きっとヒルデさんの責任問題になる。そうなれば、最悪クビ……。

 ううう……。ヒルデさん最大の危機に、僕は何も出来ないのか!?


「お?」


 けれどヒルデさんは報酬を取りに行くのではなく、逆に受付のカウンターを出て男の目の前に立った。え、え? ちょ、何してるの、ヒルデさん!?

 男もヒルデさんの行動の意図が掴めないらしく、怪訝そうな目でヒルデさんを見る。その次の瞬間。


「――ぐぺ!?」


 ヒルデさんが高速で振り上げた足が、男の顎にクリーンヒットした。


 え……え? ええ!? い、今何が起こったの!?

 ヒルデさんは足を高々と上げた姿勢のまま、微動だにしない。この角度からだとスカートの中が見えな……いやそうじゃなくて!

 な、ななな何やってんのヒルデさん!? そ、そんな事なんかしたら……!

 案の定、男が顎を押さえながら血走った目でヒルデさんを睨み付ける。ま、不味い……!


「こ、んのアマぁ……ブッ殺してやる!!」


 完全にキレた男が腰の曲刀を抜き、大きく振り上げる。あああ、もう駄目だあ……!

 そう僕が絶望した時だった。曲刀が降り下ろされるより早く、ヒルデさんが深く腰を落とし構えを取った。


 そして次の瞬間には、ヒルデさんの正拳突きが男の割れた腹筋に深々とめり込んでいた。


 ヒルデさんの拳の衝撃に、男が一瞬にして白目を剥く。ヒルデさんより頭一つ大きい巨体が小さく浮き上がり、そのまま後ろに吹き飛んでいく。

 それら総てが、僕にはまるでスローモーションのように映った。と言うか、理解が全然追い付かなかった。

 え、僕今何見てるの? 一体何が起こってるのこれ?

 派手な音と共に男が床を転がると同時に、ワッと歓声が上がる。呆然とする僕の耳に、中の話し声が聞こえてきた。


「いやー久々に出たな、ヒルデ嬢必殺の正拳突き!」

「流石『不死身のレジーナ』と呼ばれた支部長の直弟子、そこらの奴とは技のキレが違う!」

「しっかし馬鹿もいるもんだな、この強者揃いで有名なレムリア支部に喧嘩を売るなんざ」


 その話を聞いて、ただ唖然となるしかない僕。だ、だから誰もヒルデさんを助けようとしなかったの……?


「報酬の不正受諾未遂疑惑、並びに禁止行為であるギルド内での抜刀の現行犯。身柄を拘束させて頂きます。皆様、申し訳ありませんが各種手続きは少々お待ち下さい」

「おう! 俺達の事は気にすんな!」


 完全にのびている男の首根っこを引きずり、ヒルデさんは受付カウンターの奥へと消えていった。それをただ見つめる事しか出来ない僕の耳に、また話し声が響く。


「そういや知ってるか? ヒルデ嬢の好みって、素手で自分に勝てる男らしいぜ」

「ヒルデ嬢に素手で勝つって……相当強くねえと駄目じゃねえか? それ」

「ああ。今まで挑んだ男は総て玉砕したとよ」

「だろうなあ。なかなか美人なのに、勿体ねえ話だぜ……」


 そこまで聞くと、僕は中を覗くのを止め入口の扉をそっ閉じした。そしてくるりと回れ右し、足早にその場を立ち去ったのだった。



 ――僕が彼女に告白出来る日は、まだまだ遠い遠い先の話のようです。






fin

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