レジーナ編「砂塵に散った想い」 最終話

 それから更に一ヶ月のやり取りの後、以下の条件を盛り込んだ講和条約が成立した。カスター軍が労働力として連れ去ったルリア国民の全解放、そして今後一切のカスター国側からのルリア国への入国禁止。この二つを絶対条件としたところに、今回の戦争に対するルリア側の怒りが窺える。

 この三年間、ただでさえ戦争のせいでルリア経由の貿易ルートが取れなかったところをカスター国のルリア経由での貿易、ひいてはカスター国からルリアを経由するルートそのものが今後永久に使えなくなるのだ。カスター国が被る損害はかなりのものであったが、そんな条件でも飲まなければいけないところまでカスター国内の情勢は逼迫ひっぱくしていた。

 かくしてカスター国内で強制労働を強いられていたルリア北部の男達の帰還をもって、三年間続いたこの戦争は幕を閉じた。ルリア国内に戦勝ムードはなく、今回の戦争での戦没者に対し大規模な国葬が執り行われた。

 私達冒険者に報酬が支払われたのは、その後の事だ。中には正式にルリアの兵としてスカウトされる者もおり、私の元にも同様の話が来たが、丁重に断らせて貰った。

 そうして、無事カスター国以外の国境封鎖も解除され、私達の別れの時がやって来た――。



「こ、これで皆さんともお別れだなんて、少し寂しいですね……」


 ルリア王都アンデルスの南門まで見送りに来てくれたアントニーが、感慨深げに呟く。彼はこのルリアに残り、正軍師として働く事になった。


「こんなに長く一つの国で戦ったなんてなあ初めてだったぜ。色々あったが、俺は隊長や副隊長、ここにいる奴らと出会えて良かったよ」


 ウォルターが全員を見渡し、歯を見せてニカッと笑う。初めは一悶着もあったが、気付けば彼はこの中ではアントニーと並び、サークの次に頼れる人材になっていた。


「結局残ったのはこれだけか。……だから人の人生を預かるなんて、本当は面倒でやりたくねえんだよ」


 初めて会った時のようなやる気のない素振りで、サークが頭を掻く。そうは言っても最初の人数の三分の二近くが生き残れたのは、ひとえにサークの手腕があったからだろう。


「――皆、今までよく頑張ってくれた。もう副隊長でも何でもない私だが、これだけは言わせてくれ。……ありがとう。皆の行く末に、幸あらん事を」

「あんたもな、副隊長。何なら俺んとこに嫁に来るかい?」

「生憎、私にはまだやる事が山程あるのでな。まだ嫁に行く気はないよ」

「ちぇ、ふられちまった」


 肩を落としたウォルターに、皆が一斉に大笑いする。……さあ、名残惜しいがそろそろお別れだ。


「俺はこれでこの大陸を去るが、ここが今よりもう少し平和になったらまた戻ってくるつもりだ。またどこかで会ったら、酒でも酌み交わそうぜ」

「ああ。達者でな、サーク」

「じゃあな、お前ら! 元気でやれよ!」


 そう言って、誰よりも先にサークは去っていった。振り返る事のないその背に胸がまたじくじくと痛んだが、悲しみに暮れている暇はない。

 私は私のやるべき事をやろう。妹への償い、そして、この戦乱の続くアシュトル大陸に平和をもたらす道を見つけに。

 そうして私は、自分自身の未来へと繋がる第一歩を踏み出した。



 ――その後、この戦いは『ルリアの奇跡』として語り継がれていく事になる。そして私は各地の戦を早く治める為の働きが冒険者ギルドに認められ、ギルド上層部に招聘しょうへいされる事となった。

 上層部に招聘されて知った事だが、『ルリアの奇跡』においてサークは『砂色の精霊使い』、私に至っては何と『銀色の戦乙女』などという御大層な名前で呼ばれ、ルリアを勝利に導いた二人の英雄という事にされているらしい。人の噂というものの、何と尾ひれの付きやすい事か。

 英雄と言えば、サークが以前に伝え聞いたリベラ大陸に現れたというドラゴンを倒した張本人『竜斬り』であると聞かされた時は流石に驚いた。同時に、当時サークがその事を絶対に言おうとしなかった理由もまた理解した。

 あいつはどこまでも、一介の冒険者でいたかったのだ。何のしがらみもない、一人の自由な冒険者で。

 サークが他の大陸で英雄と呼ばれる存在だと知れれば、確かに皆を結束させるのはずっと早く済んだだろう。それでもサークは、ただ人より強いだけの冒険者で居続ける事を選んだ。

 どこまでもサークは、自由を愛しているのだ。そんな男を留めておくなど、最初から出来る訳がなかった。

 ギルド役員にならないかというギルドからの誘いを、私は受け入れた。戦を早く終わらせようと各地を巡るうち、一つ気付いた事があったからだ。

 それは、ギルド経由で冒険者達が傭兵として雇われている事自体が戦火を拡大させている部分がある事。自国の兵を消費しなくても戦争が出来るという意識が、いらぬ争いを生み出し失われなくていい命が失われる一因になっているのではないか。

 『ルリアの奇跡』のような状況でもない限り、傭兵となるのは自己責任だと言う者もいるだろう。しかしそもそも傭兵の口さえなければ、進んでそれを選択する者もいない筈なのだ。

 だから私はギルド上層部に身を置き、ギルドの在り方そのものを内部から変えていく事にした。それはただ傭兵として各地を転戦するよりも困難な道だったが、まだ若い役員達を始めとする賛同者も徐々に集まり、遂に、ギルド加入国同士限定ではあるがギルドの戦争への直接介入が禁止される事となったのだった。

 この規則の制定には大きな効果があり、それまで戦争の絶えなかったアシュタル大陸の戦火は一気に縮小する事となった。中には自国の兵士だけでも戦を起こそうとする国もあったが、そうした国はやがて兵士不足に陥り、自滅の道を歩んでいった。

 しかし、その代償はけして安くはなかった。これにより古参の幹部達に目を付けられた私は、大国ではあるがその治安の良さから大した仕事のないレムリアという国の支部長に任ぜられる事となった。事実上の左遷である。

 こうしてギルド中枢から遠ざけられた私だが、残った若者達により今もギルドの改革は進められているという。ならば私も彼らに恥じぬよう、今の自分の務めを精一杯こなそうと思った。

 そして現在に至る、という訳だ。幸い部下達にも恵まれ、なかなか充実した日々が送れているのではないかと思う。



「どうだ? あれからいい男は出来たのか?」


 過去の追憶から戻ってきたところで、サークがグラスを傾け問い掛けてくる。私はそれに、苦笑しながら答えた。


「生憎、お前と別れてからはそれどころじゃなくてな。今ではすっかり行き遅れてしまったよ」

「ははっ、確かにお前、大人しく家庭に入るタマじゃねえしな。並の男じゃ扱えねえか」

「なら改めて、お前が貰ってくれるか?」

「残念、こっちも子育て中でそれどころじゃない」


 お互いに軽い調子で言い合い、笑い合う。十年も経てば、こんな冗談が言えるくらいには気持ちの整理はついていた。


「――そういえば、後から気付いて聞きたいと思っていた事があったんだ」


 ふと私は、サークに聞きたい事があったのを思い出した。それはサークに、初めて己の過去を明かした時の事。


「聞きたい事?」

「昔、私が償いの為に生きると言った時、お前はそれ自体は否定しなかったな。償いなど死んだ者は望んでいないといった月並みな言葉は、一切口にしなかった。何故だ?」


 そう問い掛けると、サークはグラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干した。そして深い息を吐き、真剣な表情になり言った。


「――必要だと思ったんだよ」

「必要?」

「お前が生きていく為にさ」


 サークが空のグラスをマスターに差し出し、無言で次のウイスキーを要求する。そしてグラスを再び飴色の液体が満たすのを眺めながら、言葉を続けた。


「あの頃のお前は、とても危うかった。妹への償いだけが唯一の生き甲斐、俺にはそう感じ取れた」

「そう……だな。確かにそうだった」


 頷き返しながら、思い出す。あの頃の私を突き動かしていたものは、妹への悔恨の念、ただそれだけだった。


「償いなんて必要ないと、お前を諭す事も出来たかもしれない。けどその結果、生き甲斐を奪われたお前はどうなる? 余計命に執着しなくなって、簡単に死を選んだかもしれない。なら例えネガティブな生き甲斐でも、それを保ったまま別の道を示してやる方がいい、そう思ったのさ」

「……そうか」


 グラスに注がれたウイスキーに再び口を付けるサークを、苦笑しながら見つめる。……やはりどこまでも、この男には敵わないらしい。


「さて、辛気臭い話はここまでだ。この十年の事を、今日は色々聞かせてくれよ。話なんて山程あるだろ?」

「そうだな。こちらもお前の旅してきた土地の話に興味がある。……マスター、おかわりを」


 こちらも空のグラスに次の酒を要求し、それからは明るい話題に花を咲かせる。あの頃は分不相応だと思っていたこんな穏やかな時間も、今は素直に受け止める事が出来る。

 それもきっとこの男に――サークに出会ったからこそなのだろうと内心で感謝しながら、私はその夜、とても充実した一時を過ごしたのだった。


 そうそう、自分がアシュトル大陸でも英雄化している事はサークには教えずにおいた。これくらいの意地悪なら、別に構わないだろう?






fin

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