レジーナ編「砂塵に散った想い」 第17話

「――悪ぃな。手間かけさせちまって」


 入った宿の中の、一番入口に近い部屋のベッドにサークを寝かせると、ぽつりとサークが呟いた。私はそれに小さく笑うと、椅子をベッドの横に移動させて浅く腰掛ける。


「無理をしすぎだ、お前は。気持ちは解るがな」

「昔から、キレるとつい後先考えなくなっちまう。悪い癖だな」


 サークが天井を見上げたまま、顔に苦笑を浮かべる。そんないつも通りの会話が、今の私には堪らなく心地好かった。


「……この大陸に来てからずっと、俺はあんな奴らの相手をしてきた」


 不意にサークの顔付きが変わり、真剣な表情になる。私はそんなサークの顔を、食い入るように見つめた。


「ずっと前線で戦い続けてきたあんたは知らないだろうが、この大陸には盗賊も多いのさ。国を失い、依る辺のなくなった兵士共の行き着く先だ」

「そいつらと、お前はずっと戦ってきたと?」

「ああ。奴らは普通の盗賊より、ずっとずっとタチが悪かったよ。力や統率力が下手にあるから尚更だ」


 成る程。傭兵をしていない筈のサークが、やけに兵士相手の戦闘に手慣れている理由がやっと解った。兵士崩れの盗賊達を相手に戦い続けてきたのなら、兵士との戦い方を知っているのも道理だ。


「俺は戦争って奴が大嫌いだ。戦争っていう大義名分があれば、人はどんな残酷な事でもする。敵国の人間なら何をしてもいい、自分は戦争で負けた側だから他人に何をしても許される……兵士なんてやってるのは、そんな馬鹿ばっかりだ」


 その言葉に、少し胸が痛む。雇われの身とは言え、私とて兵士のようなものだ。同じ兵士として、世の中がそのような兵士ばかりだというのはやるせない思いになった。


「……そんな顔するなよ、レジーナ」


 すると、ふっと表情を和らげサークが言った。どうやら、考えが顔に出ていたらしい。


「傭兵専門とは言えあんたは冒険者だ。奴らとは違うよ」

「……しかし」

「あんたと過ごした時間は長かないが、あんたの根底にあるものは俺達と同じだと思ってる。兵士共とは根底から違う」


 自信があるようにそう言い切るサークに、心が揺れる。私が……普通の冒険者と同じ……?


「……私が、どうお前達と同じだというんだ?」

「あんたが戦うのは、お国の為だとかそんな御大層な綺麗事の為なんかじゃない。自分の為、そして自分が許せないと思ったものの為だ。自分の為って言っても、自分が救いたいと思った、笑顔を見たいと思った誰かの為ってのも含んでくるけどな。俺達冒険者は多かれ少なかれ、皆そういうところを持ってる」


 言われてみれば、確かにその通りなのだと思える。自分の為に戦う者こそ冒険者だと言うのなら、私もまた冒険者なのだ。


「……そうか。私も、冒険者だったのだな」

「そうさ。例え傭兵専門だろうとあんたは兵士なんかじゃねえ。冒険者さ」


 笑みを零す私に、サークもまた笑い返した。何だかずっと忘れていた事を、やっと思い出せたような気がした。


「なあ、何か寝物語でも聞かせてくれよ。体は動かねえが、このまま眠るにはまだ戦いの熱の余韻が残りすぎてる」

「……面白い事は話せんぞ」

「何でもいいさ。あんたの話なら」


 そう催促しながら、サークがそっと目を閉じる。私は一つ大きな呼吸をすると、ぽつりぽつりと話を始めた。


「――私の産まれたのは、このアシュタル大陸にあったメレドという小さな国だ。親は二人とも、私が二十歳になったばかりの頃に病で死んだ」

「おいレジーナ、それって……」

「いいから黙って聞け」


 驚いたように目を開けこちらを見るサークを、私は軽く睨み返す。サークは暫く黙って私の目を見つめていたが、やがて顔を上向きに戻し再び目を閉じた。

 それを確認すると、私は再び話し始める。窓の向こうで、眩しい朝日が私達を照らした。


「……私には、妹がいた。私には全く似ない、女の子らしい可愛い子だった。妹を養う為、私は近くに住んでいた父方の叔母に妹を預け、冒険者として金を稼ぐ事にした」

「それが、あんたが冒険者になった理由か」

「ああ。最初は、手当たり次第に仕事をこなしていた。それだけでも、妹一人養うには十分な額が稼げた。だが……私が冒険者になって半年ほどした頃、妹もまた病に倒れた」


 話しながら、私の脳裏に当時の記憶が蘇る。いつもあんなに元気に笑っていたあの子が、寝床から起き上がるのもやっとになった姿は今でも忘れられない。


「両親がかかったのと同じ病だった。治療の為には高い薬代が必要で、それまでの稼ぎでは全然足りなくなった。だから私は……昔から自信があった男にも負けない腕っぷしを利用して、傭兵として戦場に出る事にしたんだ」

「……」

「最初は順調だった。妹の側にいられなくなったのは寂しかったが、それもあの子を救う為だと思えば耐えられた。妹はよくギルド経由で手紙をくれたよ。『お姉ちゃんにまた会いたい』と」


 思い出す。あの子のくれた手紙の、少し歪んだ文字。きっと病床にある中、一生懸命に書いてくれたのだろう。


「そうして二年ほどが経った頃だった。一つの戦争を終え、いつものように妹に仕送りをしようとした私の耳にこんな言葉が聞こえた。……メレドが戦により滅びたと」


 サークが軽く息を飲んだ音が聞こえた気がした。それでも私は、構わずに続ける。


「私は急ぎ、メレドに向かった。何かの間違いであって欲しいと願いながら。だが……辿り着いた故郷の町は、ただの廃墟になっていた。私の家も壊されて、見る影もなかった。ただ、僅かに見える床にこびりついた黒い血の痕だけが、そこで何があったかを示す唯一のものだった……」

「……」

「私は……妹の死に目に会えなかった。あの子が侵略者に地獄のような目に遭わされている時、私はそんな事も知らずに余所の国の為に戦っていた……! そんな私が、心安らかな日々を送っていい筈がない! あの子と同じように戦で死ぬ事、それが私があの子に出来る唯一の償いだ……!」


 いつしか私は、叫ぶように言葉を吐いていた。胸にずっとつかえていた、重たいものを吐き出すように。

 もしかしたら私は、ずっと懺悔したかったのかもしれない。自分のどうしようもない愚かさを、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 サークは目を閉じたまま、静かに私の話を聞いていた。まだ眠っていないのは、呼吸の様子から何となく解っていた。


「――本当に、あんたに出来る償いはそれだけなのか?」


 やがて、サークがぽつりとそう言った。それは咎めるというよりは、あくまでもただ静かに問い掛けるような感じだった。


「そうだ。こんな私が、穏やかに死ぬなんてあってはならない。苦しみの中死ぬ事こそが、あの子への償いになる」

「違うね。あんたはただ、自分が楽になりたいだけだ」

「……っ!」


 しかし続けられた言葉に、私は思わず椅子を蹴って立ち上がる。いくらサークでも、その言葉だけは許せなかった。


「お前に何が解る! 無惨に死んでいったあの子の気持ちなど!」

「ああ、解らないね。そしてあんたにもそれは解らない。自分が辛いから、妹さんもきっとこう思っていると思い込んでるだけだ」

「何だと!?」


 反射的に、私はサークの胸ぐらを掴み上半身を持ち上げていた。一度は吐き出した重たいものが、また胸の中に溜まっていくのが解る。


「ならば言ってみろ! お前は何ならあの子への償いになると言うんだ!」


 そう言って、サークを強く睨み付ける。するとサークは、変わらぬ静かな口調で答えた。


「俺は、妹さんのように戦争で死んでいく人間を一人でも多く減らす事こそが償いになるんじゃないかと思う」

「……!」


 突然冷や水を浴びせられたような、そんな気分になった。そのような考えを持った事は、今まで一度もなかった。

 あの子のように死ぬ者を一人でも減らす……。そうすれば、本当にあの子への償いになるのか?


「なあ、レジーナ。どうせ償いの為に生きるなら、死ぬ事を考えながら生きるより、誰かを生かす事を考えながら生きてみねえか? そっちの方が、大変かもしれないが、より前向きに生きられるんじゃねえかと思うんだ」

「……」


 真っ直ぐに私を見つめるサークの目を、迷いながら見返す。……私は今まで、如何に死ぬかを考えながら生きてきた。けど……。

 いいのだろうか、生きる事を考えても。誰かを救う為に生きるのなら。


「死ぬ事は償いじゃねえ、ただの逃げだ。泥水を飲んででも、這いつくばってでも生きて何かをする事こそ、償いって言うんじゃねえかと俺は思う」

「……そうか。そうなのかもしれないな……」


 サークの胸ぐらから手を離し、自分の胸に手を当てる。私のこれからの道が、少しだが見えた気がした。


「ありがとう、サーク。ほんの少しだが、気持ちが楽になったような気がする。戦で傷付き、死んでいく者を減らすにはどうすればいいか……私なりに考えてみようと思う」

「それがいい。あんたみたいないい女が、戦場で散っちまうのは惜しい」

「なっ……!」


 笑って言ったサークの言葉に、頬が赤くなるのを感じる。い、いきなり何を言い出すんだ、こいつは!?


「はは、あんたでもそうやって赤くなるんだな。てっきり言われ慣れてると思った」

「言われ慣れている訳がないだろう! こんな年のいった筋肉質の女、口説く奴がいると思うか!?」

「確かに最初に会った時のあんた、人を寄せ付けない雰囲気だったなあ。でもあんたならその気になりゃ引く手あまただって」

「そんな訳あるか!? 人をからかうのもいい加減にしろ!」


 そう怒鳴ると、堪えきれないといった風にサークが爆笑し出した。こいつ……やっぱりからかっていたのか!

 治まらない赤い顔のままサークを睨み付けても、サークの笑いはますます大きくなるばかりだ。こいつは……一度きっちりと締めないといけないようだな!


「いや悪い、悪かった。けどあんたをいい女だと思ってるのはホント……って、レジーナ?」

「あれだけ爆笑されて、今更それを信じると思うか? 私はそこまでおめでたい人間ではないぞ?」

「何でそんなに目が据わってるんだ? あと何で指を鳴らしてるんだ? ち、ちょ……」


 漸く私の怒りを察したのか、笑うのを止め頬をひきつらせるサークの肩を私はしっかりと掴む。そしてそのまま、腕の関節を完璧に決めてやった。


「いだだだだっ! 俺動けないから! 怪我もしてるから!」

「そんなもの私だってしている! 人をからかった罰と知れ!」

「ちょ、マジで痛い! 痛いから!」


 サークが悲鳴を上げるが、私は関節を緩めない。それどころかもっともっと強く締め上げてやった。


「ぎゃあああああっ! ギブ! ギブーーーっ!!」


 そんなサークの本気の悲鳴を聞いて、私はやっと少し溜飲を下げたのだった。



 ……なお。この時の様子はバッチリ目撃されていたらしく、後に「隊長と副隊長が痴話喧嘩していた」と噂される事になるのだが、それはまた別の話だ。

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