レジーナ編「砂塵に散った想い」 第14話

 カスター兵の目を掻い潜り、私達はやっとコレアロの東の区画へと辿り着く。東は西よりも人気が少なく、灯りの点いた家は殆ど存在しなかった。

 やがて民家が途切れ、オアシスがその姿を現す。そのほとりに、他より大きめの建物があった。

 無言で手をかざし制止を促すサークに従い、全員が足を止める。遠目に映る建物の入口に、見張りが二人立っているのが見えた。


「無事にここまできたが、さてどうするか。見張りを倒すのは簡単だが、騒ぎになってしまえば元も子もない」


 そう口にしながら、サークに視線を遣る。我ながらサークに頼りきりになっているのは否めないが、こういう隠密行動は私よりもサークの方が得手と見た。


「そうだな……こういう時はやっぱり……うん、いつもの手だな」


 サークは見張りから視線を外さず一人頷くと、町中の偵察に使ったのと同じ碧色の子供の精霊を呼び出す。そして小声で何かを命じると、精霊は見張りの死角になる高さまで飛び上がってから建物へと向かっていった。


「何をしたんだ、サーク?」

「風の精霊にあいつらの周囲の音を遮断するよう命じた。これであいつらは悲鳴も上げられないって寸法さ。盗賊退治で見張りを片付ける時、よく使う手だ」

「……便利なものだな」


 思わず、感心の言葉が口から漏れる。エルフの魔法とは、こんなにも融通が利くものなのか……。


「別に、使えるものを使ってるだけさ。そんじゃ行くぞ。奴らが音が出ない事に気付く前に」


 素っ気なくそう言って、サークが再び先頭に立って動き出す。私達もまた、その後に続いた。

 間も無く、見張りがこちらに気付いたようで声を出そうと口を開く。しかし声が出ないと解ると、構えも忘れて慌てふためきだす。


「悪く思うなよ。恨むなら今日見張りに立ってた自分を恨みな」


 素早く曲刀を抜いたサークが呟き、見張りの一人の首を一息に切り裂く。私もまた剣を手に取り、もう一人の見張りの喉を一気に貫いた。

 抵抗する間もなく、血を流しながら砂の中に倒れ伏す二人。サークは弱々しく悶える見張り達の体から鍵を探し出すと、私の方に投げて寄越した。


「俺は壁のどの辺りから抜けるか検討してくる。住民救出は任せた」

「解った。気を付けろよ」


 建物の向こう側に駆けていくサークを見送り、入口の扉の前に立つ。サークから受け取った鍵を差し込むと、がちゃりと重い音を立てて扉の鍵が開いた。

 中の様子を窺うように、ゆっくりと扉を押し開ける。やがて見えてきたのは、地獄のような光景だった。


 漂ってくる、血と膿みと糞尿と腐臭が全て混ざり合った臭い。


 床にこびりついた、変色した血溜まりの痕。


 部屋の隅に積み上げられた、老人や子供の死体。


 そして壁にもたれ掛かり、力なく項垂れ座り込む血と膿みにまみれた裸の女達――。


「うっ……うげえっ!」


 己の見たものに耐え切れず、誰かがその場に踞って吐いた。無理もない。戦場に慣れている筈の私ですら、反射的に逃げ出したくなったくらいだ。

 人間とは、ここまで残酷になれるものなのか。ただ自分の国の人間でないというだけで――。


「――酷ぇな、これは」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、いつの間に戻ってきたのかサークが立っていた。その顔からは、嫌悪感がありありと見て取れる。


「これだから兵士って奴は好きじゃねえんだ。力のねえ奴には何してもいいと思ってやがる。ルリアの兵士達はそういう事はねえみたいだが」

「サーク……ぬ、抜け道を作る場所の当たりは?」

「つけてきた。……おい、意識はあるか?」


 私達を追い抜き、サークが女達の群れに近付いていく。それに反応し、女達の一人がのろのろと顔を上げた。


「……誰……?」

「ルリア軍に所属する冒険者だ。この町を解放しに来た」

「……この町を……?」


 女の昏く澱んだ目が、サークを見返す。唇は荒れてひび割れ、ろくに水すらも与えられていないようだ。


「……もう遅いわ……この町に助けられるべき人間はいない……もう誰も……」

「あんた達がいる。俺達があんた達をフーリへ逃がす」

「無理よ……私達にはもう、砂漠を越える体力なんてない……ここであいつらの玩具になって死ぬだけよ……」


 サークの言葉にも、女達の目に宿る絶望が取り払われる事はない。……それだけ深い絶望を抱くだけの仕打ちを、この町が占領されてよりずっと受けてきたのだろう。


「……なら、こっちはここでカスター兵共を皆殺しにするだけだ」


 しかし次にサークが放った一言に、女の肩がぴくりと震える。私も、何かを聞き違えたかと思わずサークを見る。

 サークがこんな事を言う事は、今まで一度もなかった。この戦が始まってからずっと、いつだって冷静な判断を下してきたというのに。


「……出来るというの? あなた達に?」


 女の声に、初めて微かに感情が宿った。小さく震えたその声から感じ取れるのは強い怒り、そして――憎しみ。


「出来るかじゃねえ。やる・・んだ。俺があいつらを、誰一人として逃がしはしねえ」

「本当に……?」

「ああ。何なら全員分の首でも切り落として持ってくるか?」


 そこで気付く。サークは……怒っている。彼女達を襲ったこの理不尽に、激しい憤りを感じている。

 正直、私も同じだ。あの子が受けていたかもしれない仕打ちをこうして目の前にして……憤らずにいられる訳がない!


「……して……」


 女の目から、一筋の涙が零れた。他の女達の目にも、僅かな光が宿り始めている。


「お願い……殺して……あいつらを。あいつらは殺したのよ……あたしの娘を、まだ産まれて間もない小さな娘をなぶって、弄んで、虫けらのように殺したのよ……!」


 それはか細い声だったが、まさしく魂の叫びだった。彼女の怒り、苦しみ、憎しみが、ありありと伝わってきた。

 絶望にまみれた目は、もうそこにはなかった。あるのは身を駆け巡る憎しみに、ギラギラと輝いた目だけだった。


「あいつらが全員死んでくれるなら、あたしは何でもする……何だってしてやる……!」

「なら、一旦町の外に出てくれ。この町は、これから全体が戦場になる。あんた達は生きるんだ。生きて、あいつらが死ぬのを見届けたいだろ?」

「勿論よ! あいつらの死体を踏みつけてめちゃくちゃにしてやるまで死ねない……!」

「一応こっちも護衛はつける。困ったら、彼らに頼ってくれ。……さあ、外に出よう。誰か! 彼女達を背負うのを手伝ってくれ!」

「は、はい!」


 サークの号令に我に返った兵達が、次々にその場にいる女達を背負いだす。私もそのうち一人を背負ったが、痩せこけた体はまるで老婆を背負ったかのような軽さだった。

 ふと足を見ると、足に付いた傷がすっかり化膿して膿みだらけになっていた。こうなると魔法では塞がらず、医者に掛かるしかなくなると以前聞いた事がある。


「……相手が外道で良かったぜ。お陰で俺も、容赦なく残酷になれる」


 薄明かりの中でサークが浮かべた笑みは、ゾッとする程に冷たかった。

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