レジーナ編「砂塵に散った想い」 第1話
――薄暗い照明に、上等なウイスキーの香りが漂う店内。客は皆口数が少なく、黙々と酒を口に運んでいる――。
レムリアに赴任して以来、飲む時はいつもこの店を使っている。大衆酒場で騒がしく酒を飲むには、私は少し年を取りすぎた。
「何だ、早いな。もう来てたのか」
不意に背後から声をかけられ、振り返る。何年経っても変わらない、張りのあるその声を私が聞き違える筈がない。
「やあ、久しいな、サーク」
「どうも。光栄だね、敏腕と名高きレムリアのレジーナ支部長様に飲みに誘って貰えるなんざ」
「ここではその呼び名は止めてくれ。これでも公私の区別はきっちりとつけているつもりだ。今日は純粋に、久々に会う旧友と親交を深めたいと思って呼んだんだ」
「そりゃ悪かった。隣、いいか?」
「ああ」
私が頷くと、サークが私の座るカウンター席の隣の席に腰掛ける。そして私の手元のグラスを一瞥すると、バーテンダーに声をかけた。
「彼女と同じものを」
バーテンダーは無言でウイスキーのボトルを取り出し、グラスに注いでサークに渡す。サークはグラスを受け取ると、顔だけをこちらに向けグラスを差し出した。
「それじゃあ、十年ぶりの再会を祝して」
「ああ。乾杯」
グラスを合わせた、軽い音が響き渡る。互いに一口を喉の奥に流し込むと、私は気になっていた事を口にした。
「ところで、連れがいたそうだな? どうしたんだ? 旅の連れ合いを作る気はないと、以前は言っていただろう」
「ちょいと預りもんでね。一人前の冒険者になれるよう、面倒を見てる」
「他人の人生を預かるなんて面倒臭いと、散々ぼやいていたお前がか」
「ダチの頼みだ。仕方ないさね」
サークはそうシニカルに笑って答えるが、どうやらそれだけではないらしい事は瞳に僅かに浮かんだ優しい色から見て取れた。これでも、それくらいの感情なら読み取れる程度の仲ではあるつもりだ。
「お前から見てどうなんだ、そいつは? 使い物になりそうか?」
「力は年齢以上のものがあるな。だが中身はまだまだ、やっと殻を脱いだヒヨコってとこだ」
「それは教えるのに苦労しそうだな」
「解る? これがまた人の話を聞かねえ餓鬼でさあ、こっちは胃が痛いのなんのって」
言葉とは裏腹に、その口調は随分と楽しそうで。彼にとって、その連れとの出会いが良いものであったと十分に知る事が出来た。
「……本当に、お前とこうしてると思い出しちまうな。あの頃を」
と、不意に、それまで笑っていたサークが視線を落とし呟いた。私も釣られるように、視線を残り少なくなったグラスの中に落とす。
酷い毎日だった。いつ明日が消えてなくなるか、解らないような日々。
「ホント、あれは絶望的だったよな。こうして生き延びれたのが不思議なくらいだ」
「そうだな。……きっとお前がいなければ、私は今ここにいなかった」
言いながら、サークの横顔に目を向ける。あの頃、サークにはどれだけ助けられたか解らない。
そう、あの頃、私とサークは共に戦場の真っ只中にいた――。
「傭兵部隊、準備はいいか! この拠点を守れるかは、諸君らの手に懸かっている! ここが落ちれば、我がルリアに未来はない!」
鉄の甲冑を身に纏った壮年の将軍が、私達を見回し声を張り上げる。緊張で震えている者、功を立て名を上げようと逸る者。平静な状態で将軍の声を聞いている者など、どこにも見当たらなかった。
それもその筈だ。ここにいる者の殆どは、私のように傭兵を専業としている冒険者ではないのだから――。
砂漠を往く旅人の中継地点である小国ルリアが隣国のカスター王国に攻め入られたのは、今から十日前の事。カスターはルリアの周辺諸国を抱き込み、ルリアを事実上の孤立状態へ追いやった。
世間にはあまり知られていない事だが、ルリアの地下には貴重な宝石の原石が大量に眠っている。それを狙い、カスターがルリアを攻めた事は明白だった。
この戦争の勃発により困ったのが、ルリアに滞在していた冒険者達だ。ルリア周辺の国境が総て封鎖されてしまった事により、ルリアから出る事が叶わなくなってしまったのだ。
そこにルリアが冒険者ギルドを介し、傭兵の募集をかけた。傭兵になれば滞在中の寝食が保証されるとありその募集に大半の冒険者達が食い付き、こうして冒険者による急造の傭兵部隊が結成される事になった訳だ。
――この戦争は、負ける。私はそう見ている。
カスターとルリアではそもそもの国力が違うし、それに加えて周辺諸国も皆カスター側についているときた。周辺諸国の協力は国境の閉鎖と輸入物資の差し止めだけで兵までは投入してきていないが、それでもルリアのような小国には大きなダメージになり得る。
後はカスターとルリアの正規兵にどれほどの練度の差があるかだが、例えルリアの兵が精鋭揃いだったとしても大局はそう簡単には覆るまい。戦争の大局を決めるのは、いつだって兵の数。長い傭兵生活で、私はよくそれを把握している。
ならば。勝てないと思いつつ、何故私はここにいるのか。
それは私が傭兵専業の冒険者だからに他ならない。傭兵とは、求められればどんな戦場にでも馳せ参じるもの。例えそれが、勝ち目のない戦いであっても。
恐らく私は、この戦争で死ぬだろう。これまで数々の戦場を渡り歩き、いつしか『不死身のレジーナ』と呼ばれるようになったこの私。
いつの間にか死に場所を求めて戦うようになっていた私の、ここが散り際だと言うのなら――それもいい。それならせめて、一人でも多くを道連れにしてやるとしようか。
(ん……?)
その時私の目が、ある一人の冒険者に止まる。それは深緑色のバンダナを額に巻いた、長身のエルフの青年だった。
通常森の中で人と関わらずに暮らすエルフが冒険者としてここにいる、それだけでも珍しい光景だったが、特に私の目を引いたのはその青年の顔付きだった。と言っても、整ったその顔に見惚れていたとかそんな色っぽい理由ではない。その青年は他の者達のように緊張も浮わつきもせず、私と同じようにただ静かに周囲を観察していたのだ。
――何者だ? エルフの傭兵などというものがいたらもっと噂になってもいいと思うが、私はそんな話は聞いた事がない。
恐らくは、傭兵などした事はない冒険者。それが何故、このように平静を保っていられる?
私はいつしか将軍の話に耳を傾けるのも忘れ、出陣までの間そのエルフの青年の様子を窺う事に集中していた――。
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