エルナータ編「最後の祈り」 最終話

 ――あれから、どれだけの月日が流れたのだろう。

 フォボスと引き離された私は、この研究所の一室に連れていかれそこで何かの装置に繋がれた。その装置は私の中にある神の力を、少しずつ吸い上げていった。

 部屋にやってきた研究者達は言った。私から抽出した力は、新しい魔導兵器の開発に使われるのだと――。

 何と恐ろしい事だろう。人間は遂に、私達神の力すら自分達の欲望の為に利用する術まで見出だしたのだ。

 最初のうちは何とかここから逃げ出し、フォボスを助けに行こうとしたけど最早それも不可能。長い間この装置に繋がれていた体は今やすっかり痩せ細り、それだけでなく逃げ出すのに失敗した際に付けられた傷が体中の至る所に残っていた。

 この弱りきった体では、フォボスを助けに行くどころかこの研究所から出れるかすら解らない。いっそ死ねたら楽かもしれないと思うけど、彼らは貴重なエネルギー源である私にそれすらも許そうとはしない。

 ただの道具として、永遠に生かされ続ける苦痛。魔導兵器など作らなければ良かったのか。いや、そもそも私達神々が人間を助けようとした事自体が間違いだったのか。あれからずっと、そればかりを考えている。

 フォボス。フォボスは今頃、どこで何をしているのだろう。フォボスは大切な研究者だから、私のような目には遭っていないとは思いたい。

 ティセ。こうなってしまう前に、もう一度会いたかった。半分は神の血を引くあなたが、私と同じ目に遭っていない事を今は祈るしか出来ない。

 神である私に、祈る先などどこにもないのだけれど。もしこの願いが聞き届けられるのならば、せめて最後に一目だけでも私の大切な人達に会いたい――。


 ――この時は、まさかこの願いが叶えられるなんて思ってもみなかった。そしてそれが――。


 私にとっての真の地獄の訪れであるという事に、勿論気付く筈などなかった。



 その日は何だか、いつもより研究所が慌ただしかった。研究者や守衛が何人も部屋の中へ入ってきては、辺りを物色して去っていった。

 どうやらこの研究所を捨てなければならないような、何か大変な事が起こったらしい。そう思ってはみても、今の私には腕一本自由に動かせる力はなかった。

 何人人が入ってきても停止させられる事のない機械は、未だ私の力を吸い上げ続けている。このままここに打ち捨てられるのだろうかと、私が考えていた時だ。


「うわああああああああっ!!」


 突然遠くに聞こえた、人の悲鳴と爆発音。それは不規則な間隔で響き、更にどんどんこちらに近付いてくる。

 もしかして、研究者達が噂していた他国の侵略がこの研究所にまで及んだ? だとしたら、私はどうなるのだろうか?

 殺されてこの苦痛の日々が終わるなら、それもいい。けれど生きたまま連れ去られ、また力を利用される日々が始まれば……。

 どこの国に行っても、きっと同じ事の繰り返し。ならばいっそ、形だけでも抵抗してみせて殺される方が……。

 そんな事を考えているうちに、響く爆発音はすぐ側まで来ていた。そして私の目の前で、部屋の扉が勢い良く開け放たれる。


「エルナータ! エルナータ、どこへ……」

「あ……なた……?」


 入ってきたボロボロの白衣姿の老人――フォボスと、私の目が合う。フォボスの目が限界まで大きく見開かれ、唇がわなわなと震えるのを私は見た。

 あんなに会いたくて、会いたかった筈なのに。いざ本当に本人を目の前にしたら、何を言っていいのか急に解らなくなった。

 流れる沈黙。いつまでも続くかのような、その静寂を破ったのは。


「あなた……見ないで……」

「う……うわあああああああああああああ!!」


 やっとの思いで絞り出した私のか細い声と、それを掻き消すようなフォボスの絶望の叫びだった。



「――王城が隣国に落とされ、王も殺されたらしくてね。僕も、その混乱に乗じて逃げ出す事が出来たんだ。君の居場所を聞き出す事は忘れずにね」


 私を装置から外しその手に抱き上げると、フォボスはどこかに向けて歩き出した。私の体は、老人のフォボスでも抱き上げる事が出来るほどに軽くなってしまっていた。

 けれど、そんな事は今は問題じゃない。それよりも重大な懸念が、今の私にはある。

 ――フォボスの様子は、明らかにおかしい。ティセが大きくなってからは親として威厳を出さなくてはいけないと自分を私と言うようになり、話し方も変えてきたのに今は昔の、若い頃の口調に戻っている。

 それに、顔つきも私のよく知ったそれとは違っている。いつも理性的な中に優しさを秘めていた顔が、今は笑っているのにまるで地獄の獣のようだ。

 目の前にいるのは確かに私が知っているフォボスの筈なのに、今はまるで知らない人にしか見えない。その事が、私を酷く不安にさせた。


「さ、ここまで来ればいいだろう」


 やがて研究所の奥にある大きな部屋まで辿り着いたところで、フォボスは私を降ろした。何かの開発室だったのか、見慣れない機械が沢山置いてある。

 フォボスはそれらの機械に近付いて、何かを確かめているようだった。部屋にある機械を一通り調べ終わると、フォボスは満足げに頷いた。


「うん、まだ全部生きているね。これなら問題なく使えそうだ」

「あなた……何を……?」


 ますます強くなる不安を押し殺しながら、私はフォボスに尋ねる。するとフォボスは、昔のような無邪気な笑みを浮かべながら答えた。


「研究を始めるのさ」

「研究……?」

「そう、人間を滅ぼす為の研究さ」


 その答えに、私は思わず言葉を失う。……今、この人は何と言った?


「漸く解ったんだ。人間に、生きていく価値なんてない。こんな互いに争い合うだけの劣等種は、もっと早くに滅びるべきだったんだ」


 朗々と語るその目に狂気の色を見た時、私は悟った。――フォボスは壊れてしまった。恐らくは、私の受けた仕打ちを知った事が最後の引き金となって――。


「これをご覧、エルナータ」


 フォボスが、懐から何かを取り出す。それは正六面体の、水晶に似た小さなオブジェだった。


「これはね、神の魂を中に入れて魔導兵器の動力源にするという道具なんだ。何かの役に立つかもと思って、持ってきて正解だったよ。これを使えば、君を生まれ変わらせてあげる事が出来る」

「あなた……まさか」


 その先の言葉を想像して、背筋が震える。まさか、この人は、そこまで……。

 私の怯えなど伝わっていないように、フォボスが満面の笑みを浮かべる。そして私が最も聞きたくないと思っていた、その一言を告げた。


「君の魂をこの中に入れて、僕の作る魔導兵器のコアにするんだ。二人で愚かな人間共を滅ぼせるなんて、素敵だろう?」


 私の愛した心優しい夫は、もうどこにもいなかった。



 それから、私はフォボスの手によって魂をコアの中に取り込まれ、そこからただ総てを見ている事しか出来なくなった。この打ち捨てられた研究所で、フォボスは一人、寝食を忘れて研究に取り組んでいた。

 フォボスの造った兵器は、幼い少女の姿をしていた。それは幼い頃のティセの姿に似ていて、壊れていても家族への愛情はまだ残っているのだと思うと無性に悲しくなった。

 もう私は、フォボスに言葉を届ける事は出来ない。届けられたとしても、その心にまで伝わるかは解らない。

 こうなっても私はなお、人間が滅びる事なんて望んではいない。確かに恐ろしい目には遭わされたけれど、フォボスを始めとした人間達との昔の温かな思い出は今も私の心に息づいている。

 けれどフォボスは違う。フォボスはどこまでも純粋だった。純粋だったが故に人間の変化や自分や私の受けた仕打ちに耐え切れず、人間を憎むようになってしまった。

 最早肉体も声も失った私だけれど、出来る事なら今まで通り、フォボスの命が尽きるまで二人で静かに暮らしたい。けれどその願いが叶えられる事は、今度こそない。

 私に出来る事は、このコアの中でただ壊れたフォボスを見続ける事だけ。それは私にとって、兵器のエネルギー源として力を搾取されていた時以上の地獄だった。

 せめて、フォボスが生きている間にこの研究が完成しませんように。それだけを、私はひたすらに祈り続けた――。



 兵器が完成し、後は稼働させるだけになったその日、フォボスは死んだ。研究を始めた時点で既に高齢だったのもあったのだろうが、何より寝る間も惜しんで研究に没頭し続けていた、その無理が祟った形となった。

 それから暫くは、フォボスの造った兵器の中でその遺体が朽ちていく様を見続けるだけの日々が続いた。愛した人の姿が徐々に変わり果てていくのは悲しい眺めではあったけど、もうこれでフォボスが憎しみに心を歪ませる事はないのだと思うと寧ろ安堵の気持ちすら沸いてきた。

 やがてフォボスが完全に骨となり、静かな時間だけが流れ始めた頃、何人かの人間達が私のいる部屋へとやってきた。最初はどこかの国がこの研究所の研究成果を奪いに来たのかと思ったけれど、それにしては様子がおかしい。

 彼らの断片的な話から推測するに、外では文明の殆どが崩壊した代わりに、長かった世界中の戦争が漸く終結したらしい。そして彼らは、残された人の手には余る兵器を封印して回っているようなのだ。

 私は心から安心した。やっと人間は、自らの過ちに気付いてくれた――。

 彼らは完全な人の形をした兵器に驚いたようだったけど、話し合いの結果、下手に動かすのは危険だとこのまま研究所ごと兵器を封印する事に決めたらしい。但しこの部屋には簡単には来れないようにした上で。

 本当に良かった。これでやっと、静かに眠りに就ける――。

 久しぶりに穏やかな気持ちになりながら、私は彼らが兵器を封印する作業をじっと見守っていた。



 それから長い、とても長い時が過ぎた。魂だけになり兵器に閉じ込められている私は死ぬ事もなく、その長い時を幸せだった頃を繰り返し思い出しながら過ごしていた。

 考える以外何も出来ない孤独は確かに寂しいものだったけど、あの地獄のような日々に比べたら実に軽い、穏やかな時間だった。何の苦しみもなく、ただ楽しい思い出に浸っていられた。

 そんなある日、私の眠る部屋に一人の少年が迷い込んできた。どこか遠い記憶の中で見たような、不思議と懐かしい感じがする少年だった。

 けれどその少年は、偶然兵器の起動スイッチを押してしまった。長い時を経て兵器は目覚め、目の前にいる少年に襲い掛かった。

 何とかしなければいけない。このままでは少年だけではなく、沢山の人々が死んでしまう!

 幸いにも少年は思いの外強く、兵器の猛攻を何とか持ちこたえていた。そこに後から駆け付けた少女も加わったが、兵器を倒すまでには至らないようだった。

 そこで思い至る。この兵器の動力源は私の魂に根差す神の力。それを一気に送り込み、頭脳に過負荷を加えればこの兵器の記憶を初期化する事が出来るのではないだろうか?

 勿論それをやれば、私もただでは済まないだろう。けれどそれに賭けるしかこの少年達を、そして人間を救う方法はない!

 少年達と兵器の戦いを見守りながら、私はじっと時を待つ。狙うのは……次に体に強いダメージを受けた瞬間!

 ――悲しき兵器よ。いえ、私とフォボスの、もう一人の名も無き娘よ。

 やはり、私には祈る先のない祈りを捧げる事しか出来ないけれど。せめてあなたはこれから先、どうか幸せに生きて――。


「……うおおおおおおおおっ!!」


 その時、上から聞こえた叫び声。同時に、全身を揺るがした強い衝撃。

 今だ、このタイミングしかない! 私は全身全霊をかけて、総ての力を絞り出し――。


 ――総ての人達に訪れる幸せな未来を夢見ながら、私の記憶もまた、真っ白に浄化されていった。






fin

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