エルナータ編「最後の祈り」 第2話

 私が地上に降り立ち五十年余りが経過した頃、やっと魔物達の襲撃が治まった。

 生き残った人々は、勿論私も、とてもとても喜んだ。これで地上は平和になると、誰もがそう信じて疑わなかった。

 けれど、誰もが望んでやまなかったこの長い戦いの終わりこそが――。


 ――人間と地上に降りた神々にとっての、本当の悲劇の始まりだったのだ。



「何と言われようと、私はもう兵器を造る気はない! 帰ってくれ!」


 階下から響く、フォボスの苛立った怒鳴り声。続けて乱暴に扉を閉める音が聞こえ、その剣呑さに私は部屋を出て一階にいるフォボスの元へ向かった。

 フォボスはこちらに背を向け、玄関の方を見つめながら肩で息をしていた。そんなフォボスに、私は恐る恐る声をかける。


「あなた……」

「……エルナータ、私が呼ぶまで部屋にいろと言っただろう」

「ですが……」

「しつこい奴らだ。人間同士の戦争に使う兵器など、私は作らないと言っているのに……」


 振り返ったフォボスが眉間の皺を深め、苦々しげに呟く。人間としては老齢に入るフォボスだけど、その理知的な銀の瞳だけは今でも年齢を感じさせない輝きを放っている。


 ――世界が変わり始めたのは、それまで人々の先頭に立ち人間を守り導いてきた英雄リトが没してからだった。


 英雄リトが没すると、それを待っていたかのように力ある人間や、神々と人間の間に産まれた混血児達が次々と国を興し始めた。まだ何人か生き残っていた英雄リトの仲間達は地上に幾つも国を興すのはまだ早すぎると苦言を呈したけれど、それを聞き入れる者は誰もいなかった。

 それどころか彼らは世界の成長を妨げるとして、英雄リトの仲間達の生き残りを次々に捕らえては処刑した。誰よりも体を張って戦い、世界の平和に貢献してきた者達をだ。

 最も地上で力を持っていたアンジェラ様が眠りに就き、今まで彼らを抑えられるだけのカリスマ性を発揮していた英雄リトも没した今、彼らを止められる者はもう地上には存在しなかった。今にして思えば、彼らはずっとこの時を待っていたに違いない。

 国を興し弱き民を支配した彼らはそれだけに飽き足らず、自国以外の国も奪って領土にしようと互いに争い合うようになった。魔物達に振るわれていた魔導兵器はそのまま人間を大量に殺す為の殺戮の道具と化し、世界中で多くの人々が魔導兵器の力により命を落とす事になってしまった。

 ――何故、こんな事になってしまったのか。こんな世界を作る為に、私達は戦ってきたのか――。

 人間と、その血を受け継いだ自分達の子に失望した他の神々は一人、また一人と人々の前から姿を消した。その後の行方は、私にも解らない。

 そしてフォボスもまた、魔物がいなくなってもなお兵器の研究を止めない研究所の方針に反発して研究所を辞め、私を連れて海辺の廃村に打ち捨てられた家屋に住み着き隠遁生活を送っている。娘のティセはずっと前に旅の詩人と駆け落ちしたきり、今はどこで何をしているかも定かではない。

 暫くの間は、二人きりの穏やかな暮らしが続いた。けれど最近になって、どこで私達の事を知ったのか近隣の国からこうして使者がやってくるようになった。

 フォボスが研究者として優秀だった事は、魔導兵器の研究に携わった事のある者の間では有名な話だ。彼らはフォボスを自国に引き入れ、新しい兵器を作らせようとしているのだ。

 何度フォボスが断っても、彼らは諦めようとはしない。最初はただ厚待遇を約束するというだけだった勧誘の言葉も、最近では半ば脅しに近くなっているようだ。


「やはり、この家を離れるべきなんじゃありませんか? あなた」

「しかし……この家だってやっと見つけたんだ。次の住処がすぐ見つかる保証もない。私はいいが、そんなに長い間お前に大変な思いをさせる訳にはいかない」

「私の事なら心配しないで下さい。それにこのままでは、あなたを従わせる為にあちらもどんな手段に出るか……私は、それが心配なんです」

「……うむ……」


 私の提案に、フォボスが腕組みをして考える。何かあっても私は戦えるし少しくらいの傷ならすぐに治るけど、元が研究者の上今は老齢のフォボスはそうはいかない。

 フォボスの言う通り、次の住処がいつ見つかるかなんて解らない。けれどもいつまでもここに住み続けるよりは、きっと安全だと思うのだ。

 そんな私の思いが通じたのか。やがてフォボスは顔を上げ、真剣な顔でこう言った。


「……解った。なら行動は早い方がいい。今夜のうちに荷物を纏めて、ここを出よう」


 私はそのフォボスの言葉に、静かに頷き返した。



 夜も更け、空に星の瞬く頃。私達の旅立ちの準備は、漸く整った。

 荷物は持てるだけの食物と、調理用ナイフや火口箱といった最低限必要な物だけ。それだけあれば、二人静かに暮らすには十分だった。


「――それじゃあ行こう、エルナータ」


 フォボスが玄関の扉のノブに触れながら、私を振り返る。私がそれに頷き、一歩を踏み出した時だった。


 ――玄関の扉が突然外側から吹き飛び、フォボスの体は宙を舞った。


「あなた!!」


 私が悲鳴を上げると同時に、扉のなくなった玄関から大量の黒い人影が雪崩れ込んでくる。その人影はあっという間に倒れるフォボスに近付き、その身柄を拘束した。


「フォボスから離れなさい!」


 フォボスを拘束する人影に対し、私は咄嗟に水を生み出し攻撃しようとする。けれどそれよりも早く、フォボスを拘束したのとは別の一団が不気味な赤い光を私に当てる。


「……っ!?」


 次の瞬間、全身から急激に力が抜けて私はその場に倒れ込んだ。そんな私を複数の人影が押さえ込み、フォボス同様に拘束する。


「残念ながら力は使わせませんよ、フォボス博士の奥方殿」


 黒い人影の中から、金色の目だけを出した男が歩み出て得意気に告げる。私はその目を睨み付けながら、やっとの思いで声を振り絞る。


「何を……したのですか」

「神であるあなたの力を一時的に封じて、自由を奪わせて貰いました。素晴らしいでしょう? 今の技術は、こういった事も出来るのですよ」


 愉悦に歪む醜い瞳を、けれど私は睨み返す事しか出来ない。そうしているうちに男が今度はフォボスに近付き、身を屈めて言う。


「あなたがいけないのですよ、フォボス博士。あなたがあまりに強情なので、こちらもこういった手段に出ざるを得なくなってしまった。我々の要求を飲まないだけでなく、まさか逃げ出そうとするとはね」

「何故……私達が逃げるつもりだった事が解った……」

「以前の訪問の際に、この家に我々が開発した遠く離れていても声が聞こえる装置を仕掛けさせて頂きました。あなた方の動きは、最初から筒抜けだったのですよ」


 何でもない事のように言う男に、私は驚愕する。人は、私達神の御業にまで近付いているというの……?


「さて、改めてお願いさせて頂きます。フォボス博士、我々の国の研究所で是非その頭脳を活かして下さいませんか。でないと私達、もっと酷い事をしなければならなくなります」

「断る……例えこの身に責め苦を受ける事になろうとも、私はもう兵器は……!」

「……やれやれ、思ったより察しの悪い御仁だ。……あなたに酷い事をすると、誰が言いました?」


 そう言うと、男が私の方を向き瞳を弧に歪めた。――ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。


「!? まさか……待て、それだけは止めてくれ!」

「相手は神だ、多少の傷では死なん。……やれ」


 男の号令と共に、私の右腕を拘束していた人影が大振りのナイフを取り出す。そしてそれを大きく振りかぶると、躊躇いなく私の右手の甲を突き刺した。


「あああああああああっ!!」

「エルナータあああああっ!!」


 ナイフは容易く私の掌の肉を貫き、深々と貫通する。痛みに耐え切れず悲鳴を上げる私を、男は嗤ったままの目で見つめていた。


「ついでだ、神の体がどこまでの苦痛に耐えられるか試してみるか。そいつが気を失うまで刺し続けろ」

「解った! お前達に従う! だからこれ以上、妻には手を出すな!」


 今度は左の人影が同じようにナイフを取り出した時、遂にフォボスがそう叫んだ。暗がりに見えるその顔には、細い涙が光って見える。


「……最初から素直にそう言えばいいのですよ。おい、ご夫妻を外へお連れしろ。丁重にだ!」

「あなた……いけない、あなた……」

「すまない……すまない、エルナータ……」


 力なく男達に家の外へと連れ出される私達を、白い月が冷たく見下ろしていた。

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