ランド編「今はまだ遠い夢」

 あの頃の事で覚えているのは、草むらに身を横たえながら見つめた満天の星空。

 それから俺を冷たく見下ろすように輝く、真っ白な月。

 その二つから逃げるように目を閉じ、明日も目が覚めますようにとひたすらに祈った記憶――。



 俺が出稼ぎの為に故郷のカルナバ村を離れ、レムリアの王都フェンデルにやってきたのは十七の時だった。あの頃村では不作の年が続いてて、うちみたいな大家族は特に食い物をギリギリまで切り詰めて何とかやっていけるかどうかってとこだった。

 だから俺は、住み慣れた家を出てフェンデルに出稼ぎに行く事にした。俺が家を出ればその分食い扶持ぶちが減るし、稼いだ金を家族に送る事で生活だってきっと楽になる。

 それに俺には夢があった。小さい頃から、ずっと抱き続けていた夢。

 昔から大好きだった、お伽噺の冒険譚。そんな胸躍るような冒険をして、この手で一攫千金を掴み取るんだ!

 大きな夢と希望。そして自分の輝かしい未来を胸一杯に抱きながら、俺のフェンデルでの新生活は始まった。



 ――が、そんな俺の期待は新生活初日にして木っ端微塵に砕け散った。

 まず念願の冒険者登録は滞りなく済んだものの、一番したかった遺跡の発掘や調査は国からの依頼があった時しか出来ず、更にその頻度は決して多くないのだという。他に纏まった額が稼げそうなのは盗賊退治くらいだったが、自慢じゃないが俺は逃げ足くらいしかならず者に勝てそうな要素がねえ。

 残りの依頼はと言えば、薬草採集や鉱石の発掘、酷い奴だとベビーシッターや畑の草むしり……。それもう冒険って言わねえから!

 とは言え贅沢は言ってられねえ。親父とお袋が持たせてくれた金も、ここに来るまでに底を着いちまった。少なくとも、今夜の宿代くらいは稼がねえと……。

 仕方なく俺は、とりあえず旅費のいらないフェンデル内で出来そうな依頼から一番稼げるものを探す事にした。



 その夜、俺は更なる挫折を味わった。

 無事依頼を終え、くたくたになりながら拠点となる宿を探した俺だったが……俺が行ったどの宿も、泊まれはするが今日の稼ぎが完全に飛ぶ宿代の所ばかりだった。これじゃ働いた意味がねえ。

 悩んだ末、俺は夕食だけを買い街の外の草むらで野宿する事にした。街の中にしなかったのは、石畳よりは剥き出しの地面の方が寝心地がいいんじゃないかと思ったからだ。

 ささやかな食事を終え、草のシーツの上に仰向けになると目に飛び込むのは綺麗な星空。それは故郷で見上げたものと同じものの筈なのに、何だか今の俺には少し冷たく見えた。


(……本当にこの街で上手くやっていけんのかな、俺……)


 そんな一抹の不安と共に、俺の新生活初日は幕を閉じた。



 俺の不安は、だんだん現実のものとなっていく事になる。

 待てども待てども、一向に入って来ない遺跡関係の依頼。フェンデル内で出来るような依頼を一日一つやるだけじゃ、到底まともに暮らしてなんかいけない。

 俺は身を粉にして、一日に依頼を幾つもこなした。その上で野宿は続け、宿代を節約する事で仕送り分の金が出来るようにした。

 疲れ果て、折角買った食事も摂れずにそのまま草むらに倒れ込む事もあった。そんな時は、本当に明日が来るのかと不安になりながら目を閉じた。

 唯一蒼い月の夜だけは宿を取ったけど……仕送りに回さなきゃいけない金を自分で使っちまった罪悪感で食事は味がしなかったし、その日は一晩中眠れなかった。久しぶりの屋根のある寝床を、楽しむ余裕なんてなかった。

 冒険者で身を立てていく事を早々に諦め、どこかに住み込み堅実に働けば良かったのかもしれない。けど俺は、小さい頃からの夢をどうしても捨て切れなかったんだ。

 そんな生活が一月ほど続き、身に吹き付ける風も肌寒くなってきた頃。俺の身に、ある一つの転機が訪れようとしていた――。



「おい、お前。そこの金髪を逆立ててるお前」


 ある日の事。いつものように俺が今日の食い扶持に繋がる依頼を物色してると、突然背後からそう声をかけられた。

 振り返ると、そこにいたのはガタイの良い見知らぬ兄ちゃん。やべ、俺知らないうちに何かしちまったか?


「は……はい。俺、何か失礼でもしましたでしょうか」

「いや、そんな事はないけどよ……お前、よく街の外でテントも使わず野宿してる奴だろ。俺、フェンデルに夜戻る事が多くて、それでお前の事も度々見かけてたんだよ」

「あ、はい。そ、そうなんすか……」


 そりゃまた、随分情けないとこを見られたもんだ。自分の頬が、みるみる赤くなっていくのを感じた。


「お前、いつもあんなとこで寝てんのか?」

「はあ……まあ。金がないもんで……」

「……ひょっとして、お前駆け出しか?」

「は、はい、一ヶ月前に冒険者になったばかりで……それがどうかしたんすか?」


 俺がそう答えると、兄ちゃんはあー、と何かに納得したような表情でうんうんと頷いた。そして、俺にこう提案してきた。


「お前、俺が世話になってる宿に来ないか?」

「え?」


 思ってもみなかった言葉に、思わず目を瞬かせる。もしかして、新手の客引きとか……?


「あ、あのでも俺、マジで金なくて……」

「だからだよ。俺が今世話になってる宿……マッサーの宿って言うんだがな、そこじゃ食うに困ってる新米冒険者を、暇な時は宿の従業員も兼任するって条件でタダで住み込みさせてくれるんだ。俺も一年前は同じように稼ぎが少なくて路頭に迷っててな、そんな時先輩冒険者がこんな宿があるって教えてくれて、以来住み込みさせて貰ってるのさ」

「え……そんな宿があるんすか?」


 願ってもない話に、思わず目が輝く。そこでなら……宿代も飯代すらも気にせず金を稼ぐ事が出来る!


「どうだ? お前が嫌なら無理にとは言わないが……」

「行きます! 是非連れてって下さい!」


 食い気味に、兄ちゃんに返事を返す俺。こうして俺は、マッサーの宿へと足を運ぶ事になったのだった。



 案内されたマッサーの宿は、他の宿からは少し離れたところにあった。成る程、今まで気付かなかった訳だ。


「ただいま、おやっさん」


 兄ちゃんが先に入口の扉を開け、中に声をかける。俺も続けて中に入ると、今は準備中の時間らしく食堂に人影はなかった。


「おやっさん、今ちょっといいかい? 会わせたい奴がいるんだが……」

「……何だ」


 そう兄ちゃんが言うと、カウンターの奥から兄ちゃん以上に厳ついおっちゃんが顔を出した。な、何か想像してたのと違うな……。話を聞く限りじゃ、てっきり優しそうなおじちゃんおばちゃんが主人なのかと思ってたけど……。


「こいつをここで住み込みさせてやって欲しいんだ。っと、そういやお前名前は?」

「あ……ら、ランドっす」

「ランドか。ランドは駆け出しの冒険者なんだが、今までずっと、外で野宿するような生活を送ってたんだ。おやっさんの手で助けてやっちゃくれないか?」

「……」


 無言のおっちゃんの目が、じろりと俺を睨む。うう……やべえ、めっちゃ怖ぇ。


「……お前」


 暫く黙って俺を睨んでいたおっちゃんだったけど、やがておもむろに口を開いた。俺はビビって、思わず背筋を正す。


「は、はい! 何でしょうか!」

「お前、何で冒険者をやってる?」

「え……?」


 思いもがけない質問に、一瞬言葉に詰まる。俺が冒険者をやる理由、それは――。


「――家族の為。でもそれ以上に、叶えたい夢の為っす」

「……」


 誤魔化さず正直に答えると、おっちゃんはまた黙って俺を睨み付けた。や、やっぱり正直すぎたか……?

 兄ちゃんも何もフォローを入れてくれない。気まずい沈黙が続く中、最初に口を開いたのはおっちゃんだった。


「……お前の部屋は一階の一番奥だ。レイノルズ、案内してやれ」

「! それじゃあ……!」

「依頼以外でのサボりは厳禁だ。解ったな?」


 その言葉を聞いて、俺は喜びの余り飛び上がった。これで……宿代と飯代を心配しなくて済む!


「ヒャッホー! ありがとうございます、ご主人!」

「ご主人は止めろ。それ以外ならおやっさんでもとっつぁんでも好きに呼べ」

「じゃあとっつぁんで! えっと、レイノルズさん、早速部屋への案内よろしくっす!」

「ああ。おやっさんに気に入られて良かったな、ランド」


 はしゃぐ俺に、兄ちゃん――レイノルズさんが笑いかける。先輩冒険者って、こんなに頼りになるんだな……これからは見かけたら、もっとどんどん話し掛けてみるか!


「いよーっし! やるぞー!!」


 みなぎるやる気を、我慢出来ずに口に出す。俺の新生活、改めてここから仕切り直しだ!

 このフェンデルで、俺は必ず昔見た冒険譚のような大冒険と一攫千金を手にするんだ!



 ……なんて、そう考えていた時が俺にもありました。

 その後ようやっと遺跡関係の依頼にはありつけたものの、殆どが一度調査した遺跡の再調査で、俺が思い描いていたような大冒険や一攫千金には程遠かった。報酬だけはかなり纏まった額が手に入ったから、たまに入るそれだけやってれば家族への仕送りには全く困らなくなった。

 俺をマッサーの宿に誘ってくれたレイノルズさんや他の住み込みの冒険者達は程なくして皆レムリアから旅立っていき、宿で働くのは俺一人になった。けれどその頃には俺にも顔馴染みの常連客が出来ていて、あまり寂しくは感じなかった。

 ――やっぱり、一攫千金が得られるような大冒険なんて夢でしかないんだろうか。それでも俺は、この淡い夢を捨て切る事が出来なかった。

 そうして幾つもの季節が過ぎ、気が付けばフェンデルで暮らし始めて一年以上が経過していた――。



「おいランド、こっちのテーブルまだ料理来てねえぞ!」

「おーい、酒もっぱい追加だ追加ー!」

「だーっ、いっぺんに言うなよ! 俺ぁ一人しかいねえんだぞ!」


 矢継ぎ早に告げられる注文に、大声で怒鳴り返す。従業員が俺ととっつぁんしかいないってのも、こういう時には困り者だ。

 今日もマッサーの宿は大繁盛。中心街からは外れた位置にあるってのに、よく来るな、皆。

 そうこうしてるうちに、また客が来たみたいだ。俺は横目で、新たな客を確認する。


「ん……」


 入って来たのは、まだ成人前か成人したてってぐらいの見慣れない若い男女の二人組だった。あんまりこういう雰囲気に慣れてないのか、緊張がありありと顔に出てる。

 しゃーねえなあ。こういう時はこっちから声をかけてやるのが、優しさってもんだよな。

 俺はテーブルとテーブルの間を抜け、二人に近付く。そして向こうの緊張が解れるように、努めて明るくこう言った。


「らっしゃい! お、お客さん初めてだね」


 ――勿論この時、俺はまだ気付いていなかった。この出会いが、俺の運命を大きく変える事に――。






fin

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