クラウス編「歩み続けた先に」 最終話
――それからは、暮らしていくのに十分な報酬が得られる依頼を選り好みせずやった。
苦手な人付き合いが必要な依頼もあったが、そんな時はサークが必ずフォローを入れてくれた。サークと二人協力し合いながら、僕は色々な事を経験していった。
そうして気付けばあっという間に、約束の一ヶ月目はやって来た――。
「……さて、お前の出した結論を聞こうか」
朝の支度を済ませ、サークと真正面から向かい合う。静かに僕の返事を待つサークの紫色の瞳を見つめ返しながら、僕はキッパリと言った。
「僕の考えは変わらない。僕には仲間など必要ない」
その答えを聞いたサークの目が、少しだけ悲しそうに歪んだ。けれどすぐに笑顔を作ると、やれやれといった感じで大きく息を吐いた。
「なら、俺はお役御免か。短い間だったが……」
「――だが」
しかし僕は口を開きかけたサークを遮り、更に言葉を続ける。そう――僕はまだ、最後まで答えを言い終わっていない。
「貴様も知っての通り、僕にはまだ色々と足りないところもある。だから、その……もし貴様が、それが心配で心配で仕方ないと言うのであれば……特別に、仲間としてついて来る事を許可する。……以上だ」
今度こそ最後までしっかりそう言い終えると、僕はふいとサークから目を逸らした。……顔がみるみる赤くなっていくのが、自分で解る。
暫しの沈黙。それを破ったのは、サークの小さな笑い声だった。
「何それ……何それお前、素直じゃなさすぎるにも程があんだろ……普通にこれからもよろしくお願いしますでいいだろ……ククッ……」
「う、うるさい! それで、ついて来るのか来ないのかどっちなんだ!」
「えー……どうすっかなあ……俺に任せるって言われちゃったしなあ……プ、ブフッ」
「き、貴様、性格悪いぞ!」
僕が顔を戻して怒鳴ると、遂に耐え切れないという風に大声でサークが笑い出す。そして今まで見た事のないような満面の笑みで、僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「しゃーねえなあ! そんじゃ、これからもついてってやるよ! こんな風に一緒にいて下さいってお願いされちまったんじゃあな!」
「なっ……誰がそんな事を頼んだ! 貴様がどうしても僕といたいと言うから一緒にいさせてやるんだ、勘違いするな!」
「はいはい、そういう事にしといてやるよ。いやー、この素直になれない年中上から目線のお坊っちゃんの事俺心配だー、俺凄ぇ心配だわー」
「心が籠ってない! あと子供扱いをするな!」
完全に人をからかいに入っているサークに一瞬自分の発言を後悔しかけるが、これもサークとの距離が一歩縮まったという事なのだろうと思い直す事にする。……素直に思いを伝える事が苦手な僕の、今はこれが精一杯だ。
いつか。いつかもっと素直になれる日が来たら、その時は心からの「ありがとう」を――。
そう決意する僕を、春先の柔らかい朝の日差しが包み込んでいた――。
――そんな事を、旅立ちの日に歩いた道の真ん中に立ちながら思い出す。
あの頃と比べ、背は随分伸びたが内面はそれほど変わった気がしない。そんな自分に焦るあまり、同じ失敗を何度も繰り返したりもした。
けど今は、そんな未熟さも含めて僕という人間なのだと思う事が出来る。僕に一番足りなかったもの、それは、誰より僕自身が僕という存在を認める事だったのかもしれない。
屋敷へと通じる道の先を、改めて見据える。するとまだ遠くに、先程まではなかったこちらに近付く人影が見えた。
その人影に向かって、大きく手を振ってやる。向こうもそれで僕に気付いたらしく、慌ててこちらに向かって駆け寄ってくる。
「クラウス! お前……!」
「遅かったな、サーク。待ちくたびれたぞ」
驚愕の表情を浮かべるその人物――サークに、にやりと笑みを返す。いつもサークにしてやられている分、漸くやり返せた感じがして胸の透く気分だ。
「遅かったなじゃねえよ! 何でお前がここにいんだよ!?」
「ふん、そんなに気まずいか? ……僕を置いて一人、旅に出ようとした事が」
「……っ」
図星を突かれたといった感じで、サークが小さく顔を歪める。普段は上手く本音を見せないよう立ち回るサークだが、僕と二人の時は割と素直に考えが顔に出る。それに気付いたのは、ごく最近の事だ。
「……俺はお前に言ったな。お前はもう、一人でもやっていけるって。あれは死に際に吐いた嘘なんかじゃねえ。紛れもない本心だ。お前はもう、俺に縛られる必要はねえんだ」
「そうだろうな。お前はいつも、僕に対しては嘘や誤魔化しを口にしなかった。からかう事はあってもな」
「なら、何で……」
戸惑うサークに、僕は今度は自分から歩み寄った。そしてサークの目と鼻の先に立つと、僕より少しだけ上にあるその目に視線を合わせながら言った。
「サーク、お前は僕の世界を広げてくれた。自分の周りしか見えていなかった僕の目を覚まし、様々なものに目を向けさせてくれた。お前と旅をしていなかったら、僕は心を閉じ続けたまま、世界を、そこに生きる人々の事を何も知ろうとはしなかっただろう」
「クラウス……」
これまで口にした事がなかった本心を、一つ一つしっかりと言葉にする。僕がこんな風に素直に思いを口に出来るようになったのも、この旅で出会った友人達のお陰なのかもしれない。
「アウスバッハ領の復興がある程度まで進んだらまた旅に出る事は、前々から父上と母上にも話してあった。お前には知らせないでくれ、と念を押した上でな」
「あいつら……それで俺に何も言わなかったのか……!」
「父上に追い付くように、アウスバッハ家の後継者として相応しい人間になるようにと肩肘を張るのはもう止めた。これからは今まで知らなかった土地、知らなかった景色、そんなものを探しに行く旅をしようと思う。そして――」
そこで僕は一度言葉を止め、大きく呼吸をし直す。それから自然に浮かんだ笑みを誤魔化さず、ハッキリと今の自分の気持ちを告げた。
「僕の見たもの、お前の見たものを二人共有出来たなら、それはきっともっと素晴らしいものになる……そう、思ったんだ」
無言で見つめ合う僕達の間を、早春の爽やかな風が吹き抜ける。暫くは呆けたように僕を見つめていたサークだったが、やがてくしゃりと表情を破顔させた。
「……ははっ。餓鬼ってのは、こんなに急に成長しちまうもんかね。ちょっと前まで、生意気盛りのただのお坊っちゃんだったのに」
「そうやって僕を子供扱いするなと、いつも言っているだろう」
「ああ……そうだな。少なくとも俺が思ってたよりは、ずっと成長してた。近くにいすぎると見えなくなるものってのも、どうやらあるらしい」
サークが目を細め、眩しそうに僕を見る。そして僕の目の前に、ゆっくりと右手を差し出した。
「なら、来てくれるか、俺と一緒に。俺の――正式な相棒として」
僕は頷き、迷わずその手を握り返す。掌から伝わる熱が、酷く心地好かった。
「ああ。お前の相棒として、恥じない働きをすると誓おう」
「期待してるぜ? もし失敗しても、昔みたいに泣きじゃくんなよ?」
「なっ……そんなのはもう三年も前の話だろう!」
「どーかなあ。お前泣き虫だからなあ。死にかけた俺にすがり付いてわんわん泣いてた事、まだ忘れてねえぜ?」
「くっ……そ、その話はもういいだろう! それで!? どこに向かうつもりなんだ!?」
人をからかうようにニヤニヤと笑い出すサークを睨み付け、握っていた手を払いのけるように離す。くそ……少し人が素直になったらこれか!
「そうだな……久しぶりに東のアシュトル大陸にでも行ってみるか。冒険者ギルドのお陰で長かった戦乱状態も落ち着いたこったし、昔行った頃からどう変わったか見てみてえしな」
「東大陸か……海賊退治で船に乗った事はあるが、本格的に他の大陸に渡るのは初めてだな」
「船酔いすんなよー? 苦しいっつっても助けてやれねえぞ?」
「誰がするか! ……ああ、そういえば」
不意に、僕は一つの事が気にかかり、聞いてみた。それは今更と思えるほど、抱いて当たり前の疑問だった。
「何故、お前は僕を見捨てなかった? 僕のお前に対する態度は、その……最悪などというものではなかっただろう」
「んあ? ああ……それな」
先に歩き出し始めていたサークの足がぴたりと止まり、再びこちらを振り返る。それから大袈裟に肩を竦め、言葉を続けた。
「まあなあ。お前基本的に人の話聞かねえし、思い込みも激しいし、だから何べんでも同じ失敗繰り返すし。呆れて放り出したくなった事も、一度二度じゃ効かねえわな」
「……う……」
「……でもな」
そこでサークの目が、ふっと優しくなる。どこか見覚えのあるそれは父上や母上と同じ……まるで自分の子供を慈しむかのような目。
「信じてたからな。ガライドとエレノアの子であるお前なら、きっといつか解ってくれるって。世界はお前が思うほど、冷たいもんなんかじゃないって事」
「……そうか」
また、自然と顔に笑みが浮かんだ。……僕と父上達に血の繋がりがない事を知っていてもなお、サークは僕が二人の子供だと認識してくれていたのだ。
血や才能ではなく、二人の意志を継ぐ者として。その事が、僕にはたまらなく嬉しかった。
「――ありがとう、サーク」
小さく、小さく。風に掻き消されるほどの小さな声で、そう呟いた。
案の定、サークには今の呟きは聞こえなかったらしく。目を瞬かせながら、僕の顔をまじまじと見つめた。
「……今、何か言ったか?」
「このお人好しがと言っただけだ。聞きたい事は聞いたしさっさと行くぞ。東大陸ならレムリアから便が出ている筈だしな」
「おい酷くね? そこは俺に感謝するとこじゃね? これだから素直じゃねえお坊っちゃんは……」
サークの文句を聞き流しながら、立ち止まったままのサークを追い抜き早足で歩き出す。……ひとまずは、これがあの頃よりは素直になった今の僕の精一杯。
ごめんなさい、をきちんと伝えられるまでには一年かかった。
ありがとう、をとりあえず口に出来るのには二年かかった。
そして、一番の恩人に感謝を言えるようになるまでにはこうして三年もかかった。
まだ、ハッキリとは口には出来ないけど。きっといつか、ちゃんと聞こえるように言える日が来る。
それはきっと、僕自身が成長した証でもあると思うから――。
「ほら、早く来ないと置いていってしまうぞ。それとも年寄りには若者の歩みに合わせるのは辛いか?」
「あ、お前言っちゃならない事言ったな。俺はエルフ年齢じゃまだ全然若者なんだからな。餓鬼なんかに足で負けるかよ!」
「なら僕に追い付いてみるんだな。年寄りの冷や水にならんようにな」
「おま……まだ言うとはいい度胸だな。こうなったら絶対ぇ追い付いて〆る!」
……まあ、とりあえず今は。こんな感じで楽しく旅をしていこうと思う。
猛然と走り出したサークから逃れるべく、僕は笑いながら大地を強く蹴った。
fin
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