クラウス編「歩み続けた先に」 第4話

「……」

「おいクラウス、ちゃんとゆっくり周りを見ろよ。そんな早足で前ばっか見てたら、見回りになんねえだろ」

「うるさい、解っている!」


 背後から響くサークの声に、振り向いて怒鳴り返す。僕の大声に驚いたのか、近くの木からバサバサと鳥が羽ばたいて逃げていく音が聞こえた。

 今、僕はすこぶる不機嫌だ。それは、やりたくもない仕事を無理矢理やらされているから!



 初仕事を完璧に近い形で終えた僕に、何故かサークは納得していない態度だった。そればかりか、次の仕事は自分が決めると言って譲らなかった。もし断れば、一ヶ月の試験期間をなかった事にしずっと僕についていくと。

 そう言われては、向こうの言い分を飲むしかなく。そして選ばれた依頼が――シレーナより南、徒歩で二日の距離にあるこの山の、麓(ふもと)の村の猟師が狩りに使うルートの見回りだった。

 ――ふざけている。僕は十人を一人で制圧出来る、冒険者としては相当な腕前の持ち主なんだぞ。そんな僕に、こんな誰でも出来るような仕事をさせるなんて!

 もしやこの男、自分の面子が丸潰れになるのを恐れてわざと簡単な仕事を押し付けているだけなのではないだろうか。だとしたらとんだ根性曲がりだ。何故このような男を父上と母上は仲間にしていたのか、理解に苦しむ!

 ……いかん、一旦落ち着こう。奴の思惑が何であれ、約束の一ヶ月が過ぎれば晴れて僕は自由の身だ。自分の名を上げられるような依頼だけを、思う存分出来るのだ!

 だから、それまでの間だけ辛抱すればいい。幸い一ヶ月ももう半分を過ぎた。こんな意地の悪い仕打ちになど、断じて屈してなるものか!



 そう、考え事をしながら歩いていたせいだろうか。ふと気が付くと僕は道を大きく外れ、深い草むらの中を掻き分けるようにして歩いていた。


「……しまったな。早く戻らんと、また奴に何を言われるか解らん」


 意識した途端鼻に付くようになった草の強い匂いに眉をしかめながら、今来た道を振り返ろうとする。だがその時低い唸り声が耳に入り、僕はハッと前方に向き直った。

 草むらの先、草が途切れ小さな崖があるその下にぽっかりと空いた洞穴。そこから一匹の熊が這い出し、こちらを威嚇していた。――不味い、襲い掛かられたらひとたまりもない!


「『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」


 考えるより早く、僕は熊に杖を向けそう詠唱を完了していた。杖から放たれた雷は寸分の狂いもなく熊を捕らえ、その身を激しく焼いた。


「おい! お前、何やってんだ!」


 僕がホッと息を吐いたのと、背後からサークが駆けて来たのとは同時だった。まだうるさく鳴り響く動悸を悟られないようにしながら、僕はサークを振り返る。


「……心配はいらない。たった今危機は去った」

「んな事ぁ聞いてねえんだよ! お前は今! 何をしたかって聞いてんだ!」


 ……顔付きが、明らかに怒っていた。僕はそれに困惑しながらも、今起こったままを告げる。


「熊を、一匹……殺した、だけだ。殺さなければ、こちらが殺されていた」

「ああ、畜生! 悪い予感が当たっちまった! ……おい馬鹿餓鬼、目ぇかっ開いてもう一度あの熊をよく見ろ!」


 サークの剣幕に飲まれるように、今殺したばかりの熊にもう一度目を向ける。大きさ、模様。それらをよく観察し、記憶の中にある一つの生態に辿り着いた時、僕は何故サークがこれほどまでに怒っているか理解した。


「……あれは臆病で、木の実を主食とし、滅多に人を襲う事のない種類……」

「ああそうだ。それが何で、わざわざ巣穴から這い出てきたと思う!」

「……僕が、不用意に巣穴に近付いたから、警戒していた……」


 それだけ気付けば、僕が己の過ちを知るには十分だった。僕は……自分の不注意で怒らせてしまった罪もない動物を、自分の都合だけで殺したのだ。

 どうしよう……僕は、そんなつもりじゃ……! 自分の顔から、みるみる血の気が引いていくのが解った。

 そんな僕に追い討ちをかけるように、洞穴の中から小さな姿が二つ、更に這い出てくる。それは、まだ小さな二匹の子熊だった。

 子熊達は、もう二度と立ち上がる事のない母熊にしがみつききゅうきゅうと鳴いている。それを見たサークが、舌打ちしながら前へ一歩踏み出す。


「ま、待ってくれ。何をする気だ?」

「……処分する。あいつらが人の害になる前に」

「――っ!」


 告げられた残酷な言葉に、思わず目を見開く。まだあんなに小さな子熊達を……処分?


「何故だ! あれはまず人を襲わない種類の熊だって、さっきお前も言ってたじゃないか!」

「本来ならな。だがあいつらは親を人間に殺された。獣ってのは、そういった恨みを一生忘れる事はない。この先、親に頼れず幼いうちに野垂れ死ぬならそれでいい。だが万が一生き延び成長すれば、あいつらは間違いなく人を襲うようになる。だからそうなる前に、災いの芽は早めに摘み取る」

「そんな……他に方法はないのか? 何も殺してしまわなくても……!」


 なおも言いすがる僕を、サークは振り返り冷たい目で睨んだ。そして怒りを抑えた静かな声で、僕に問い返す。


「……クラウス。俺達の受けた依頼は何だ?」

「え……それは……猟師の巡回ルートを見回って安全を確認し、麓の村がこの山で安全に狩りを行えるようにする事……」

「そうだ。なら、あいつらを生かしておいてもし人を襲い始めたらどうなる?」

「……村の猟師の……危険に、繋がる……」


 ここまで言われれば、嫌でもサークの言いたい事は解った。……可哀想だからとこのまま子熊達を放置する事は、結果的に依頼を反故にするのと同じ事……。


「クラウス、お前は前の依頼、真っ正面から突っ込んで盗賊達を駆逐したな」


 そこで何故か、サークが突然話題を変える。戸惑いながらも、僕はそれに頷き返す。


「……そうだ。僕にはそれが出来ると思ったから……」

「なら、盗賊達にさらわれた娘達を人質に取られてたら? それでもお前は魔法が撃てたか?」

「……!」


 ……何も、言葉が返せなかった。そういう可能性だってあった事を、今の今まで僕は考えすらしなかった。

 僕の初仕事の成功は薄氷の上にあったのだと――そう、今更ながらに思い知らされた。


「……もしもの時は、いつでも俺がフォローに入るつもりだった。けど運良く、お前は依頼を完遂しちまった。……今のままじゃ、お前はいつか必ず酷い失敗をやらかす。だから俺は、直接人の命が関わる依頼からお前を遠ざける事にしたんだ」


 そう呟いたサークの顔を、僕はもう見る事が出来なかった。――愚かなのは、僕の方だった。その事に、やっと気付かされた。


「――これからも冒険者を続ける気があるなら、これだけは覚えとけ」


 自分の未熟さに打ちひしがれる僕の耳に、ほんの少しだけ優しくなった声が響く。その声は、まるで自分にも言い聞かせるようにこう続けた。


「依頼を受けるって事は、依頼主の人生の一部を託されるって事だ。それは自分の名声を高める為にあるんじゃねえ。依頼主がこれからも、笑って生きていけるようにする為にあるんだ。……お前のように仕事を選り好みする奴も多いが、ギルドが一旦認可した依頼に、やらなくてもいい依頼なんて一つもないんだよ」

「……っ……」


 痛感した。この男は――サークは、確かに父上と母上が仲間と呼ぶに相応しい人物だと。ただ僕がそれを、頑なに見ようとしなかっただけだったのだと。

 どうしようもない自分に、涙が溢れた。同時に、まず僕がやるべき事もまた理解した。


「……残りの話は、一旦依頼を終わらせて宿に戻ってからだ。先にあいつらを片付ける。まだ母熊の死体から離れないうちにな」

「待ってくれ。……僕がやる」


 そう決意し顔を上げると、サークの顔に僅かに驚きの色が現れた。そして僕の目を見つめ返し、確認するように問い掛ける。


「……出来るのか?」

「自分が起こした不始末は、自分自身の手で責任を取る。それが……一人前の冒険者というものだ。そうだろう?」


 サークはそれ以上は何も言わず、黙って道を僕に譲った。僕は一歩前に進み出、未だ母熊にすがり付く事を止めない子熊達に杖を向ける。

 ――すまない。恨むなら、幾らでも恨んでくれて構わない。せめてお前達の事は、生涯忘れないと誓うから――。


「『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」


 胸を苛む苦しみと共に生み出された雷は。瞬く間に二匹の子熊を飲み込み、その命を絶った。



 熊の親子の亡骸をせめてと巣穴の中で眠らせた後は、特に何事もなく見回りは終了した。村人への対応やギルドでの報酬受け取りの手続きは全てサークに任せ、町と町との移動の間以外、僕はずっと宿のベッドの中に引きこもっていた。

 ――僕がもっと真面目に依頼に取り組んでいれば、山で静かに生きていたあの熊の親子は命を失わずに済んだ。その事実が、頭から離れない。

 毛布を頭から被り心の中で何度も懺悔を繰り返していると、やがて部屋の扉が開く音がした。サークがギルドから帰って来たのだろう。


「……起きてるか? クラウス」


 問い掛ける声に、寝返りだけを返す。今更、どんな顔をしてサークと話せばいいか解らなかった。

 そんな僕の枕元に、サークが何かを置いた。微かに、金属の擦れ合う音が耳に響く。


「お前の分の報酬だ。ここに置いとくぞ」

「……受け取れない。それを受け取るに相応しい仕事を、僕はしていない」


 また胸の痛みが強くなるのを感じながら、僕は報酬の入った皮袋を手で押しやる。そうだ。僕は依頼を果たすどころか……。


「いや、お前はきちんと依頼をこなしたよ」

「っ!?」


 けれどいつもの調子でそう答えるサークに、僕は思わず跳ね起きる。そして胸に詰まったものを、総てぶちまけるように声を荒げた。


「それは慰めのつもりか!? 自分がどれほど駄目だったかなど僕自身が一番よく解っている! 上の空で仕事に就き、いらない手間を増やし、挙句罪もない命を一方的に奪った! これが働いてない以外の何だと言うんだ!」


 言いながら、また目頭が熱くなってくる。旅立ちの日からの自分を思い出せば思い出すほど、惨めな気持ちになっていくのが解った。

 何が父上を越える冒険者になるだ。僕なんて、自分の行動に責任を持つ事すら知らなかったただの子供じゃないか――!


「――けどお前は、そんな自分の引き起こした事に自分の手でケリを着ける事を選んだ」


 だけどサークはそう言って、ふわりと優しく微笑んだ。こんなサークの表情を、僕は今まで見た事がなかった。


「子熊の始末を俺に任せて、責任から逃れる事だって出来た筈だ。でもお前はそうしなかった。自分の過ちと真っ向から向き合って、自分の手で奪った命の重みを背負っていく事を選んだんだ。……どんな奴だって、いつかは何かを間違うもんさ。俺だってそうだった……けどな、大事なのは間違えない事じゃねえ。間違ったその後、自分がどうするかだって俺に教えてくれた奴がいた。今では俺もそう思う。……お前は、自分の間違いから決して逃げなかった。最後まで依頼を全うした。だからこれは、お前が受け取るべき正当な対価だ」


 その言葉と共に、もう一度しっかり握らされた皮袋の重みに今度こそ涙が零れた。これは僕が託された人生の重み……そして、僕が犯した罪の重みなんだ。

 この重みを決して忘れず、強くなろう。何度間違えても挫ける事なく、その度に背負った重みを強さに変えよう。そうすれば僕もいつかきっと、父上や母上、そしてサークのように――。


「ほら、泣くなよ。んっとにお前は泣き虫だな」

「……ぐすっ、うるさい、馬鹿……っ!」


 涙の止まらない僕の頭を撫でるサークの掌は、陶器のような見た目に反してとても温かかった。

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