サーク編「受け継がれていくもの」 最終話

 ――ドラゴンが死んだ、その後がまた大変だった。

 怪我を負った生き残りの中には動けない奴も多く、治療役のエレノアを残し動ける全員で一度山を降りる事になった。俺はと言えば、ダメージの重さもそうだがそれ以上に精霊を呼ぶのに精神を酷使しまくった無茶が祟って、立ち上がる事の出来ない程の極度の疲労状態に陥ってしまっていた。

 ドラゴンが死んだ為か騒いでいた炎の精霊達も落ち着き、まだ少し地熱が残っていたが冬らしい寒さが辺りに戻ってきていた。俺は額の傷に腰布を当てて血を抑え、傾いていく陽を見ながら他の怪我人と共に救助の到着を待った。



 麓からの救助隊がやってきて死んだドラゴンの姿を見ると、あっという間に大騒ぎになった。俺とガライド、そしてエレノアはドラゴン退治の中心となった人物として特に持ち上げられる事となった。

 俺を始めとした怪我人の傷が癒えると、改めて国を挙げた壮大な宴が開かれた。エヴァスターの重鎮達は俺達三人を国の英雄として奉り上げたかったようだったが、そんな御大層な立場に立ちたくなかった俺達は早々にエヴァスターを離れ、気ままな三人旅に戻った。

 ――否、戻れると思っていたんだ。最初のうちは――。



 違和感に気付いたのは、次に訪れた国の王都にある冒険者ギルドに着いた時だった。俺達がギルドの扉を開けた途端、その場にいた全員が俺達を見てしんと静まり返ったのだ。

 その光景に面食らう俺達をなおも見ながら、今度はひそひそと小声で何かを囁き始める辺りの冒険者達。俺達はなるべくそれを気にしないようにしながら、依頼を見に掲示板に向かおうとするが。


「あ、あのっ!」


 不意に近くにいた冒険者が一人、俺達に話しかけてきた。まだ成人して間もない感じの、幼い顔立ちの少年だ。


「どうした? 俺達に、何か用があるのか?」


 ガライドが振り返り声をかけると、少年は何か言いたげにモジモジと俯いてしまった。その様子を俺は苛々しながら見ていたが、やがて少年は顔を上げこう言った。


「あの、あなた達がエヴァスターでドラゴンを倒したっていう噂の英雄様達ですか!?」


 と。



 ドラゴンが現れ、そして倒されたという噂が広まるのは俺達が思っていたよりもずっとずっと早かった。そしてそれをやったのが、俺達だと知れる早さも。

 黒衣の魔法使い『竜殺し』。それに付き従うファレーラ神のシスター『炎の聖女』。そして額に傷持つエルフの剣士『竜斬り』。いつの間にか、俺達はそんな二つ名で呼ばれるようになっていた。

 困ったのが、路銀を稼ぐのに手頃な依頼が受けられなくなった事だ。他の冒険者達だけでなくギルドの職員まで、『英雄様達にこんな小さな仕事をさせるなんて恐れ多い』と依頼を受けるのを承認してくれなくなった。

 それで食事や寝床に困るかと言えばそんな事はなく、どこに行っても俺達の素性が知れると『英雄様達からお金を頂くなんてとんでもない!』と代金の受け取りを拒否される始末。いくらちゃんと払うからと俺達が言っても、聞き入れては貰えなかった。

 俺達は、俺達の意思に反して、どんどん最強の魔物を倒した英雄としての地位を確立していった。ただ気ままに、三人で旅をしていた頃には――もう戻れなくなっていた。



 ガライドの親父さんが病に倒れたという手紙がギルドを介して届けられたのは、丁度そんな時だった。グランドラという今いるリベラ大陸の中央部に位置する国の地方領主の息子であるというガライドの身分は、この一年の間にガライド自身の口から聞かされていた。


「……どうすんだ、ガライド?」


 例によってタダで泊まらされた宿の一室で、俺はガライドに聞いた。……ガライドが何と答えるかは、聞かなくても解っていたが。


「国に帰る。元々この旅も、次期領主として相応しい見聞を身に付ける為という名目だったからな」

「……それでいいのか?」

「今はこの通り、自由に旅も出来ない身の上だ。……潮時、という事なんだろう」


 そう自嘲気味に笑った瞳は哀惜に満ちていて。本当は気ままな旅人の身の上に未練がある事は、容易に想像がついた。


「エレノアの事はどうする気だ? まさか置いていくのか?」


 重ねて俺が問うと、ガライドの顔が更に曇った。二人とも口や態度には殆ど出さなかったが、ガライドとエレノアがお互い好き合っているのはこの一年間ずっと二人と共にいた俺には解り切っていた事だった。


「……悩んでいる。エレノアを正式に妻として迎えたい気持ちはある。だがそれは、エレノアを地方領主の妻という型に嵌めてしまうという事だ。俺はエレノアに広い世界を見せてやりたくて、籠の中から連れ出したのに……俺の我が儘で彼女の自由を再び奪ってしまって、本当にいいんだろうか……」


 俯き、真剣に悩み出すガライドの頭を、俺は左手を添えそっと上げさせた。そして短く刈った前髪の下にある剥き出しの額に、右手で思い切りデコピンを喰らわせてやる。


「つっ!? サーク、何をする!?」

「お前ってさ、頭いいし物知りなのに肝心なところが時々馬鹿だよな。エレノアはただ世界を見て回りたいんじゃねえ、お前と・・・一緒に世界を見てえんだよ。お前と離れてこのまま旅を続けたって、きっと世界の魅力の半分も伝わりゃしねえ。エレノアならきっとこう言うぜ、お前のいる場所が自分にとっての世界だ、ってな」

「……サーク……」


 にやりと笑って俺の考えを告げてやると、ガライドが無防備な、ポカンとした顔で俺を見た。その後で、今度は突然クスクスと笑い出す。


「……おい、今の話のどこに笑いどころがあったよ」

「いやっ、悪い……まさかお前にものを教えられる日が来るなんてと思ったら、つい……」

「どういう意味だよそれ!」


 あんまりな言い種に軽く憤慨すると、クスクス笑いはますます大きくなる。けれどその顔からは――もう、迷いは消えたようだった。


「――ありがとう、サーク。今夜、エレノアにプロポーズする。もし断られればそれまでだが、受けて貰えたなら……エレノアを連れて、グランドラへ帰る」

「……そうか」

「お前はどうするんだ、サーク? もしお前が望むなら、お前を我が家の客人として迎えるが」


 やっと笑うのを止めて、ガライドが静かに俺の返事を待つ。そんなガライドに、俺は、小さく首を横に振った。


「俺は旅を続ける。一人ならこの傷を隠して他の大陸にでも渡りゃ、英雄様だなんだと騒がれなくて済むだろ」

「そうか。……お前なら、そう言うと思っていた」

「何も言わねえんだな。お前を一人にするなんて心配だとか何とか、絶対言われると思ってたのに」

「言わないさ。お前はもう、俺達がいなくてもやっていける」


 俺達の顔に、同時に笑みが浮かんだ。その時俺は、ふと気になった事を聞いてみた。


「ガライド。……俺はまだ、泣いてるか?」


 俺の問いに、ガライドは一瞬目を瞬かせ。それから嬉しそうに笑って、答えた。


「いや。とても眩しい、いい顔をしていると思う」


 それを聞いて。俺は心から、満たされた気分になった。



 ガライドのプロポーズを、エレノアは喜んで受けたらしい。報告を聞くまでもなく、プロポーズを終え部屋に戻ってきたガライドの表情を見ればそれはすぐに解った。

 二人のグランドラへの出発は翌日の朝と決まった。慌ただしい出発となったが、これ以上強引に無料で宿泊させられるのも心苦しいと二人の意見が一致した為こうなった。実に誠実な、二人らしい意見だと思った。

 そうして迎えた別れの朝。俺と、ガライドとエレノアの二人は、王都と外を隔てる門の外で向かい合っていた――。



「サーク、ご飯は毎日ちゃんと食べるのよ? それとこれからは一人なんだから、あんまり無茶な依頼は受けない事。それから――」

「エレノア、その辺にしておけ。サークが困ってるだろう」


 放って置くといつまでも終わらなさそうなエレノアの言葉を、ガライドが途中で遮る。エレノアはそれに不満な様子で、ぷうと頬を膨らましガライドを軽く睨み付ける。


「だって、ガライド! 可愛い可愛いサークの一人立ちなんですよ? 姉代わりとしては、心配して当然じゃないですか!」

「サークももう立派に一人前なんだ。一人でもちゃんとやっていけるさ。なあ、サーク?」

「お、おう……この会話、何か親子みてえだな……」


 昨日のうちに買った深緑色のバンダナ越しに頭をぼりぼりと掻きながら、つい正直な感想が漏れる。二年前、ラヌーンの森を出る時も従姉のエリスとこんなやり取りがあったなと、そんな事を不意に思い出した。


「海に面した一番近い国は東側。北の内陸に向かう俺達とは行き先が別だ。これでお別れなのは名残惜しいが……」

「何、今生の別れって訳じゃねえ。ほとぼりが冷めたら、またこの大陸に戻って来るさ」

「もし何か困った事があったら、いつでも私達の所へ来なさい? あなたは私達の大切な親友なかまで、家族なんだから」

「エレノア……ああ、そうだな。そうさせて貰うよ」


 エレノアの手が、ぎゅっと俺の体を抱き締める。こんな風にエレノアに抱き締められる事ももう当分ないのだと思うと、何だか急に目に熱いものが込み上げてきた。


「……旅先から手紙を送るよ。お前らの分まで、色んなものを見てくる」

「ああ。楽しみにしている」

「幸せにやれよ、二人とも。子供が産まれたら、俺にも教えてくれよな」

「ええ、絶対に」


 今俺が泣いてしまえば、互いに別れがたくなる。だから俺はそう伝えると、くるりと二人に背を向けた。


「――離れていても、俺達はずっと親友なかまだ、サーク!」


 背に向けられる、そんな力強い声。それを受けながら俺は、新たなる旅への第一歩を踏み出した。


「ありがとうな、ガライド、エレノア!」


 最後に振り返らずそう言った俺の目に、昇ったばかりの冬の太陽が眩しく輝くのが見えた。



 それから二人とは、手紙でのやり取りが続いた。

 別れて二年後に、子供が産まれたという知らせも届いた。元気な男の子で、クラウスと名付けたとそう手紙には書いてあった。

 そして俺がソロの冒険者、二人が領主夫妻となって数え切れないほど幾つもの季節が過ぎ去った頃。急いで会って話がしたいという二人からの手紙が俺の元に届いたのは、偶然俺がリベラ大陸に戻ってきたその三日後の事だった――。



「久しぶりだな、サーク。急に呼び立てたりして悪かった」


 二人の暮らすグランドラ国内にあるアウスバッハ領にある屋敷を訪れた俺は執事らしき男に応接間に通され、そこでガライドと十六年ぶりの再会を果たした。別れた頃は若く精悍だったガライドの顔は随分と年を取り、あれからもうそれだけの年月が流れたのだと俺に痛感させた。


「いや、どうせ宛てのない旅だ、気にすんな。エレノアは元気か?」

「ああ。お前に会いたがっている。今は二人で話がしたいから、席を外して貰っているが」

「そんなに大事な話なのか? わざわざこうして呼び出すぐらいだから、ただ昔話に華を咲かせたいって訳じゃねえのは理解してるけどよ」


 ジェスチャーで勧められたソファーに腰掛け、ガライドの顔を見る。ガライドは俺の向かい側のソファーに掛けると、真剣な顔になって言った。


「単刀直入に言う。お前に息子を……クラウスを預けたい」

「……どういう事だ?」

「今このグランドラは、非常に不安定な状態にある。お前も旅すがら耳にしたかもしれんが、最近この国ではクーデターが起き前国王が処刑され、息子のエンデュミオン王子が即位したばかりだ」


 確かにそれなら俺もここに来るまでに話に聞いていた。グランドラで大規模なクーデターが起き、国王を始めとした中央の政権が一新されたと。ひとまずアウスバッハ領には影響はなさそうだったので、ホッとしていたが……。

 それと二人の息子と、何か関係があるのか。疑問に思う俺に告げられたのは、衝撃の一言だった。


「クラウスは……俺達の子ではない。処刑された前王の遺児、現国王の腹違いの弟だ」

「……何だって?」

「この事はごく限られた人間しか知らず、現国王すら知る事はない。だがもし間違ってその事実が世に知られれば、グランドラ国内は更なる混乱に見舞われるだろう。現国王は民衆には圧倒的な支持を得ているが、即位するや否や貴族連中の反対を押し切り急速な軍拡を進めるなど内外合わせて争いの火種には事欠かん。クラウスを、そんな醜いいざこざには巻き込みたくないのだ」


 苦渋に満ちた顔で、静かに言葉を紡ぐガライド。その表情からは、心から息子の事を案じる気持ちが見て取れた。


「本人には、どこまで伝えてあるんだ?」

「あの子は何も知らん。タイミング良く向こうから家を出て冒険者になりたいという申し出があったので、表向きはその意思を尊重した事にしてある」

「……隠し通すつもりか?」

「可能ならば。本人に伝えるには衝撃が強すぎるのもあるが……何より、俺達があの子の親のままでいたいのだ」


 そう言って、悲しげに笑うガライド。……ガライドのこんな弱気な表情を見るのは、初めての事だった。


「話は解った。けどどうして俺なんだ? あれから俺がずっとソロでやってきてた事は、お前だってよく知ってるだろ?」

「それは勿論、お前が最も信頼が置けるというのもあるが……そうだな。実際に見て貰った方が早いだろう。少し待っていてくれ」


 俺が疑問を口にすると、ガライドは立ち上がり部屋の外に待たせていた執事に何事かを命じた。執事は部屋を離れてどこかへ消え、それから暫く経って扉をノックする音が聞こえた。


「父上、クラウスです。何かご用でしょうか」

「来たか。お前に会わせたい者がいる、中に入れ」

「かしこまりました」


 扉が開き、一人の年若い少年が中に入ってくる。その顔を見て――俺は、言葉を失った。


 ――泣いていない筈なのに、その顔は、まるで泣いているようにしか見えなかった。


 直感で察した。二人が俺にこいつを託そうとする、本当の理由。

 かつて同じ顔をしていた俺ならば、こいつの心を救えるかもしれない――そんな願いが、今ここに俺を呼ばせたんだ。


「父上、この者は……?」


 まじまじと自分を見つめる俺を訝しんでいるのだろう、少年――クラウスが眉根を寄せてガライドに問いかける。ガライドはそんな俺達の様子に苦笑しながら、クラウスに俺の事を紹介した。


「彼はサーク。かつて私と共に旅していた、今ではベテランの冒険者だ」

「父上と共に旅を? という事は、もしや伝説の『竜斬り』……」


 その説明に、クラウスが目を見開き俺の顔を見る。成る程、冒険者になりたいと自ら言うだけあって自分の父親の素性は既にご存知らしい。

 俺は立ち上がり、クラウスの前に立つ。そして戸惑った様子のクラウスに右手を差し出した。


「はじめまして、サークだ。ガライドからお前と共に旅するよう頼まれた、よろしく頼むな」


 クラウスは、差し出された手をじっと見つめ。やがて手を伸ばしてきたかと思うと――思い切り、俺の手を払い除けた。


「『竜斬り』だろうと何だろうと、僕は誰にも教えを請う気はない! 僕は僕の力だけで、冒険者として大成してみせる!」


 俺を睨み付け、そう言い捨てるとさっさと部屋から出ていってしまうクラウス。手を叩かれた姿勢のまま固まる俺に、ガライドが大きく溜息を吐いた。


「……すまんな。あの子は幼い頃から周囲に俺と比べ続けられたせいで、今では何でも自分一人で出来るようにならなければ一人前にはなれないと思い込むようになってしまった。お前にも簡単に心を許しはしないだろうと、解ってはいたんだが……」

「いや……これぐらいの気骨があった方が俺も付き合いやすい。心を開かせるにゃ骨が折れそうだが、やってみるさ」

「あの子の事、頼まれてくれるのだな?」

「ああ、あいつに教えてやるよ。世界は冷たいばかりじゃねえって事をな」


 そうだ、今度は俺が教えてやるんだ。ガライドとエレノア、二人からかつて俺が教わった事。

 信じ合える誰かがいるってのは……こんなにも温かくて、自分の力にもなるんだって事を。


「さあて……これからは賑やかな旅になりそうだ」


 冬のものから春のものに変わろうとしている窓の日射しを眺めながら、俺はクラウスと二人で旅をする近い将来に訪れるだろう日々を思った。






fin

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