サーク編「受け継がれていくもの」 第3話

 その場にいた全員が、金縛りに遭ったかのように動けなくなった。

 蜥蜴を家よりも大きくし、二本足で立たせたような姿。まるで全身が燃えているかのような真っ赤な鱗。頭には左右対称に二本ずつの角があり、背に生やした蝙蝠のものに似た翼を大きく羽ばたかせている。

 それは、伝説上に語られた最強と呼ばれる魔物――ドラゴンの姿に他ならなかった。


「あ……あ……」


 誰かが膝を着いた音がする。理解が追い付かない。何であんなものがここにいる?


「……っ、皆、散れ!」


 その時ガライドの声がして、俺は我に返る。見ればいつの間にか開かれたドラゴンの口の中で、灼熱の焔が赤くたぎっていた。


「ちっ!」


 俺は咄嗟に近くのエレノアの手を引き、その場から可能な限り離れた。直後、降り注いだ火炎の息がさっきまで俺がいた場所を一瞬にして包み込む。


「ぎゃああああああああっ!!」


 悲鳴に振り返ると逃げ遅れた奴らが数名、全身火だるまの姿でもがき苦しんでいた。我に返るのがあと少し遅ければ自分もああなっていたと思うと、助かってホッとした以上にゾッとする。


「悪ぃ、ガライド、助かった!」

「こっちこそ、エレノアを助けてくれて感謝する。しかし……まさかあんなものが出てくるとは……」


 今も空に羽ばたき続けているドラゴンを見据えながら、ガライドが精悍な顔を歪ませる。ドラゴン――伝説の中の生き物だと思っていたそれが、今ここにいる。

 村からの連絡がぱったりと途絶えたのも、様子を見に来た奴らが誰も帰って来なかったのも道理だ。こんなものを目にして、普通の人間が生き延びられる筈がない――!


「う……うわああああああっ!!」


 沸き上がる恐怖に耐え切れなくなったのだろう、今の焔を逃れたうちの何人かがドラゴンに背を向け逃げ出した。馬鹿野郎、今迂闊に動いたら……!

 俺が止める間もなく、ドラゴンが空を飛び今逃げ出した奴らを追い抜いていく。そして俺達が今登ってきた麓へと続く山道を塞ぐように着地すると、逃げ道を塞がれ立ち竦む逃げようとした奴らに再び火炎の息を吹き掛ける。


「あがああああああああっ!!」


 あっという間に焔に飲まれ、断末魔の悲鳴を上げる逃げ出そうとした奴ら。どうする……唯一の逃げ口はたった今塞がれた。もう逃げる事は出来ない……!


「エレノア、サーク……この命に変えても、お前達だけは……!」

「そんな……ガライド……」


 震えるエレノアの肩を抱きながら、手にした黄色のぎょくの嵌まった杖を固く握り締めるガライド。……そうだ。一年前の俺ならいざ知らず、今の俺には守りたいものがあるんだ。

 自分の全身全霊を懸けて守りたいと思う――大切な親友なかまが!


「ガライド、エレノア! 奴の動きにいつでも反応出来るよう準備をするんだ。他の奴らもだ!」

「!? サーク、何を……!?」


 曲刀を抜き放ち構えた俺に、ガライドが目を見開く。俺はドラゴンの方に向き直り、背後に言葉を返した。


「奴と戦う! 俺達が生き延びる道は、もうそれしかねえ!」

「はあ!? 無茶言ってんじゃねえ、エルフの兄ちゃん! 相手はドラゴンだぞ、敵う訳がねえだろ!」

「ならここでただ黙って死ぬのを待つか!? 俺はそんなの御免だ! ……ドラゴンは確かに最強だ。だが過去に人間に倒されたという伝承もちゃんと残ってる。なら俺は、この手でドラゴンを倒せる可能性に賭ける!」

「……そうだな、お前の言う通りだ、サーク」


 生き残りの冒険者達が戸惑いの反応を返す中、最初にそう言ったのはやはりというべきか、ガライドだった。その声からは、強い決意と覚悟が感じられる。


「強大な敵を前にして、俺も弱気になっていたようだ。だが気付いてみれば、いつもとやる事は変わらない。生きる為に戦う、ただそれだけだ」

「私も……一緒に戦うわ」


 次いでエレノアが言った。毅然と放たれたその声は、もう震えてはいなかった。


「二人が戦うのに、私だけただ見ているなんて出来ない。……それにガライド、あなたについていくと決めたあの日、私は自分に誓いました。生きるも死ぬも、常にあなたと共にあろうと」

「エレノア……」

「お、俺も……俺も戦うぞ」

「俺も、俺もだ!」

「こんなところで、みすみす死んでたまるか!」


 二人の言葉を皮切りとするように、他の冒険者達の間からも続々と声が上がる。気付けばそこに、さっきまでの絶望し切ったムードは欠片もなくなっていた。


「全員覚悟は決まったようだな。他に希望者がいなければ陣頭指揮は俺が取らせて貰うが、我こそはと思う奴はいるか?」

「任せるぜ。黒衣の魔法使いとエルフとシスター……あんたらが最近噂の強え冒険者グループなんだろう? 度胸も判断力もあんたらが一番ありそうだ。俺達の命、預けたぜ!」

「解った。ではまずあのドラゴンを囲むように陣を敷け! 固まれば焔で一網打尽にされる、それを防ぐんだ!」


 ガライドの号令に合わせ、俺達は一斉に動き出す。自分と戦う意志を見せる俺達に、ドラゴンは一声吠えてその意を削ごうと威嚇した。

 背筋が震えるほどのおぞましい咆哮だったが、俺達は誰一人足を止めなかった。そして間もなく、ドラゴンの包囲網が完成する。


「よし! 次に飛び道具を撃てる者は、ドラゴンに向けて射出しろ! 撃てない者は、向こうの攻撃が来た際に撃てる者を守るんだ!」


 その声に従い、弓矢や玉を持っている奴らが次々と得物を構える。弓を得物とするエレノアも弓に矢をつがえ、俺も風の中型精霊を呼び出し攻撃に備えた。


「よし、放て! 『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」


 ガライドの杖から放たれる強烈な雷の束を合図に、一斉に矢や魔法が放たれる。それらは無防備なドラゴンの腹に伸び、そのまま突き刺さるかと思われた。……しかし。


「グウウゥオオオオオオオ!!」


 ドラゴンが忌々しげに、俺達の攻撃に向けて右腕を一振りする。たったそれだけの動作で、総ての攻撃は残さず掻き消えてしまった。


「不味い、皆、下がれ!」


 そうガライドが叫ぶと同時、ドラゴンが体を一回転させ太く長い尻尾で俺達を薙ぎ払おうとしてきた。俺達は全員何とかそれをかわすが、直後に今の尻尾の一撃に巻き上げられた瓦礫が辺りに降り注いできた。


「皆さん、私の側に! ファレーラ様、どうかお力を!」


 咄嗟にエレノアが素早く印を結び、上空に向けてシールドの聖魔法を展開させる。それはエレノアの近くにいた数人の冒険者達を守ったが、エレノアの位置から遠すぎた奴らは間に合わず、そのまま瓦礫が直撃してしまう。

 瓦礫の下敷きになった奴らはまだ息はあったようだが、重い瓦礫に体を挟まれ身動きが取れなくなったようだった。その隙を逃さず、ドラゴンが口を開き焔を吹き掛けようとする。不味い!


「させるかよっ!」


 俺はもう一度中型の風の精霊を呼び出し、ドラゴンの左足目掛けて竜巻を起こした。それは確かに左足に直撃し、火炎の息を吐き出そうとしていたドラゴンは不機嫌そうにこちらを振り返る。そして竜巻を呆気なく踏み潰すと、邪魔をするなとばかりに両腕を振るって自由の身である俺達を叩き潰そうとしてきた!


「うわあああっ!!」


 先程の尻尾の一撃よりも素早く広範囲の攻撃に何人かはかわしきれず、鋭い爪に吹き飛ばされて宙を舞う。吹き飛ばされるだけで、完全に致命傷を負った奴がいないのだけが幸いだった。


「くそおおおっ! 負けるかよっ!」


 残り少ないまだ立っている奴の一人が、がむしゃらにドラゴンに矢を放つ。しかしそれは総てドラゴンの硬い鱗に弾かれ、一向にダメージを与えられる様子はなかった。

 ドラゴンが大きく足を持ち上げ、そいつを踏み潰そうとする。ガライドが未だ矢を撃ち続けようとするそいつを抱えてその場を離れたお陰で、足は空を切りそのまま地面を強く踏んだ。


「駄目だ……全然こっちの攻撃が通じねえ!」

「俺達、もう駄目なのかよお……!」


 一度は拭い去られた絶望が、再び場を満たしていくのが解る。畜生……このままじゃ……!


「……せめて奴に、傷一つでも負わせる事が出来れば……」


 俺もまた絶望に押し潰されそうになった瞬間、ガライドがぽつりとそう呟くのが聞こえた。……ガライドには、勝算があるのか?


「あいつに傷さえ付ければ何とかなるのか、ガライド!?」

「確実に何とか出来る保証はないが……極限まで威力を圧縮した雷を、傷口から直接奴の体内に流し込めれば、或いは……」

「傷口から……」


 玉魔法についてはあまり使い手に会った事がないから詳しくは解らないが、恐らくガライドの力は一般のそれよりかなり高い方だと思う。確かに奴を倒す手があるとしたら、それしかなさそうだ。

 傷を付ける、それが出来るとしたら鱗のない腹だ。だがそれが解っているからこそ、奴も腹は積極的に守ろうとしてくる。飛び道具に頼ったところで、さっきみたいに振り払われるのがオチだろう。

 やるとしたら、奴の攻撃を掻い潜って接近し直接傷を付ける方法。けどあんな七メートルは超えてそうなデカブツ、空でも飛ばない限り……。

 ……空を飛ぶ? いや、もしかしたら、俺なら……。


「……ガライド。お前の長剣、借りてもいいか?」


 ガライドの腰に携えられた長剣に視線を向けながら、問い掛ける。本業は魔法使いのガライドだが実は剣の腕前もかなりのもので、魔法よりも剣の方が有利な場面ではこの長剣を抜き、敵を斬り伏せていた。


「構わないが……何をする気だ?」

「野郎の土手っ腹にぶっ刺してくるのさ。俺の曲刀は刺すのには向いてねえ。ただ斬りつけただけじゃあ、恐らく野郎の内臓までは届かねえ」

「……生きてそれが出来る自信が、あるのね?」


 真っ直ぐな瞳で、エレノアが問い掛ける。命と引き換えにしようとしているなら許さない、そう言っている目だった。


「五分に少し欠けるってとこだな。だが死ぬ気はねえよ」

「死ぬ気じゃないなら、いいわ。ガライド、ここはサークに託してみましょう」

「ああ。……任せたぞ、サーク」

「あ、あんたら、何をする気だ……?」


 今やすっかり戦意を喪失した様子の残りの冒険者の一人が、恐る恐るといった様子で問い掛けてくる。俺はそれに、精一杯の笑みを浮かべて答えた。


「楽しい楽しい……命懸けの竜退治さ」

「来るわ! 皆さん、ひとまず私の後ろに!」


 エレノアの声にドラゴンを見上げると、固まったままいつまでも動き出さない俺達に焦れたのか口を開き焔を吐き出そうとしているところだった。それを見たガライドが、腰の長剣を抜いて俺に差し出す。


「ここはエレノアが守ってくれる、行け!」

「ああ!」

「ファレーラ様、今一度お力をお貸し下さい!」


 長剣を受け取り、焔の範囲内から抜け出すように走る。振り返ると、丁度エレノアのシールドが吹き付けられる火炎の息を受け止めたところだった。

 仕掛けるなら今しかない。俺は風の中型精霊を呼び出すと、焔の下を抜ける角度で自分の体を思い切り強風で吹き飛ばした!

 ドラゴンの目が猛スピードで接近する俺を捉え、焔を止めてこちらに向き直ると爪を振り下ろす。それに対し、俺はもう一体の風の中型精霊を呼んで横から自分に強風を吹き付け、強引に軌道を変える事で対処する。


(くそっ……軌道修正がしづらい!)


 精霊を連続召喚し、その都度自分を吹き飛ばす事で擬似的に空を飛んでいる形の俺は完全に思い通りの形では移動する事が出来ない。その上休みなく、常に精霊が二体になるよう行使し続けている俺の体は急激な疲労感に苛まれていた。


(負け……るか……俺達は、絶対に生き残るんだ……!)


 それでも接近を諦めなかった俺の執念が実ったのだろうか。無我夢中になって攻撃をかわし、接近を試みるうちに俺は無防備なドラゴンの腹の真正面へと飛び込んでいた。


(いける!)


 体ごとぶつかっていけるよう、長剣を前に突き出すように構え直す。その体勢のまま、更に駄目押しで俺はなるべくでかい風の精霊に呼び掛ける!


「精霊よ、頼む……俺をあいつ目掛けて思い切りぶっ飛ばせえええええっ!!」


 俺の全身を後ろから押し上げる重圧が、一気に増したのが解った。そして俺の持つ長剣は――ドラゴンの腹に、根元まで一気に突き刺さった!


「ギュルオオオオオッ!!」

「まだだ! 精霊よ、今度は俺を全力で上へ持ち上げろおっ!!」


 長剣の柄を両手で固く握り締めたまま再度命じると、体が急激に上昇すると同時に風圧に押され、めり込んだ剣が少しずつだがそのまま腹を裂いていく。あと一歩で十分な傷が開くと、俺が笑みを浮かべた次の瞬間。


 ――横から叩きつけられた強烈な衝撃に、俺の体は軽々と宙を待っていた。


「サーーークっ!!」


 エレノアの悲痛な声が遠くに響く。ドラゴンの腕に思い切り弾き飛ばされたのだと理解したのは、回転する視界の中に腕を振り抜いた姿のドラゴンを見た時だった。


「お願い……間に合って!」


 みるみる地面が近付いてくる中、そんなエレノアの言葉と共に体中が何か温かいもので包まれたような気がした。その直後に俺の体は地面に激しく叩き付けられ、バウンドしながらごろごろと転がっていった。

 漸く体の回転が止まり、全身の痛みを堪えながら何とか上半身だけを起こす。あれだけ派手に地面を転がりながらも今こうして起き上がれるのは、エレノアが激突寸前にプロテクションの聖魔法をかけてくれたからに違いない。

 だが起き上がった途端に額に灼熱の痛みが走り、血が視界を覆い始める。どうやら吹き飛ばされた際にドラゴンの爪にやられて、額を深く傷付けたらしい。


「ガライド! エレノア! ……くそっ、無事なのか!?」


 自分の血に奪われた視界に、徐々に焦りが芽生えていく。俺は上手くやれたのか? 二人は一体どうなったんだ!


「サーク……ありがとう、十分だ。後は、俺が片を付ける……!」


 耳に響く、頼もしいガライドの声。それを聞いて、俺は安心する。

 俺は役目を果たせた。ガライドなら、きっと最後を決めてくれる。そんな信頼感が、俺の中にあった。


「これで終わらせてやる! 『我が内に眠る力よ……雷に変わりて、敵を撃て』えっ!」

「グギャアアアアアアアアアアッ!!」


 解放の言葉と、走る雷の音。訪れる、束の間の静寂。そして、俺の耳は……重く大きな何かが倒れる音を、捉えた。

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