サーク編「受け継がれていくもの」 第2話

 ――何も、口に出す事が出来なかった。

 口の中が、みるみるうちに渇いていく。逃げ出したいのに、まるで体が石になってしまったみたいに身動き一つ取れなかった。


「何をしている? ……サーク」


 名前を呼ばれ、びくりと体が震える。頭の中は真っ白で、言い訳一つ浮かんで来やしない。

 ――終わりだ。良くて宿を叩き出され、悪くてこの場で殺されるかも――。

 ガライドは、ただじっと俺の顔を見つめていた。そのままどれほどの時が過ぎたのか、やがて一つ溜息を吐き出すとガライドが再度口を開いた。


「……仕方ないな。どれだけあれば足りる?」

「……は?」


 予想もしなかった台詞に呆気に取られる俺を余所に、ガライドは俺の手から荷物袋を取り財布らしい小袋を中から出した。そして中身を確認しつつ、更に言葉を続ける。


「旅を続ける以上、俺にも路銀が必要だ。全部をやる訳にはいかない。だが、お前が当座を凌げるだけの金なら、無理のない範囲でになるが渡してやる」

「な……な……」


 ……絶句した。今まさに自分の荷物を漁ろうとしていた盗人に、自分から金をくれてやるなんて聞いた事もない。

 こいつ、余程の馬鹿なのか? それともこうやって恩でも売っておこうって腹か?


「そうだな……お前は一人旅だろう? 贅沢さえしないのなら、このぐらいあれば暫くは何とかなると思うが……」

「……っ、馬鹿じゃねえのか!?」


 遂に耐え切れず、俺はそう叫んでいた。何故だか無性に、苛々して仕方がなかった。


「俺はテメエの金を盗もうとしたんだぞ!? 即行叩き出すのが普通だろ! それを金ならくれてやるだと!? 何考えたらそんな反応になんだよ!」


 腹の中に溜まった苛々を、洗いざらいぶちまける。他の客に聞かれて騒ぎになるかもなんて、そう考える余裕もなかった。

 ガライドはやっぱり静かな瞳で、俺の叫びを聞いていた。その何でもお見通しみたいな面が、余計に俺を苛立たせた。


「聞いてんのかテメエ! そうまでして善人ぶりてえのかよ、この偽善者が!」

「……確かに、こんな目に遭ったらいつもなら犯人を叩き出してそれで終いだな」


 不意に、それまで俺の言葉を黙って聞いていたガライドがそう言った。俺を見つめる目は静かなままで、感情は読み取れない。


「だが、お前に対してはどうもそういう気になれない。最初に見た姿が、ボロボロだったというのもあるのかもしれないが……なあ、サーク。俺には、お前が……」


 そこまで言うと、ガライドは続きを言うか迷うように一瞬だけ言葉を止めて。少しだけ優しい目になってから、こう言った。


「俺には、お前が、ずっと泣いているようにしか見えないんだ。サーク」



 ……沈黙が、俺達の間に流れた。ただ視線だけが、お互いを捕らえて離さなかった。

 泣いている? 誰が。……俺が?

 俺は、泣いてなんかいない。人間の世界に出てきてから今まで、泣いた事なんか一度もない。その筈なのに……今のガライドの言葉は、不思議と俺の心を波打たせた。

 再び流れる沈黙。ただ見つめ合うだけのその時間を終わらせたのは――無言で立ち上がった俺だった。


「どこへ行く?」

「盗みがバレた以上、もうここにゃいられねえだろ。出てくんだよ」

「金はいいのか?」

「施しなんざ受けてたまるか。それくらいの矜持は俺にだってある」


 そう言葉にしてから気付く。さっきから俺が妙に苛ついていたのは、ガライドに哀れまれていると感じていたからだと。そしてそれを不快だと思うだけのプライドが、こんな薄汚れた自分の中にまだ残っていた事にも。

 ……この事に気付けただけでも、今夜は収穫かもしれない。とっくに堕ちるところまで堕ちたと思っていた自分。そんな自分の中にも、まだ捨て切れない思いがあったという事。

 この人間の世界に立派に、一人前に暮らしていきたいという――森を出る時に抱いた、あの思いが。


「あばよ。もう会う事はねえと思うが、精々達者でやんな」

「……待て」


 口には出さない密かな感謝を胸に去ろうとする俺を、ガライドはなおも引き止める。そして今日何度目かの、思いもがけない一言を言った。


「お前、冒険者にならないか?」

「ボウ……ケン……シャ?」


 その耳慣れない単語に俺は思わず振り返り、ガライドの方を見る。ガライドは俺を真っ直ぐに見つめたまま、言葉を続けた。


「サーク、お前、喧嘩は出来る方だろう」

「あ、ああ、一対一ならそれなりに……何でそう思ったんだ?」

「治療の時、痣の付き方を見た。酷い痣もあったが、そういうのは腕や背中に集中し、他は範囲は派手でも内出血はそれほど酷くなかった。受けるダメージを咄嗟に減らせる身のこなしが出来る奴にだけ見られる痣の付き方だ」

「……よく見てるんだな」

「これでも荒事はそれなりに経験しているからな。喧嘩が出来、エルフならば霊魔法だって使えるだろう。お前は冒険者に向いていると、俺は思う」

「その……冒険者ってのは、一体何をするんだ?」


 俺が思ったままを聞くと、ガライドはぱちぱちと目を丸くした。そして次の瞬間、まるで子供のように大きく吹き出した。


「……何が可笑しいんだよ」

「いやっ、悪い……見た目は大人なのに、まるで子供のようだと思ったらつい……」

「テメエ、馬鹿にしてんのか?」

「そういう訳じゃないんだが……そうか、今まで誰も、お前に人間の世界での生き方をちゃんと教えてくれなかったんだな。悪い、冒険者についてだったな。冒険者というのは、簡単に言えば何でも屋だ。旅人や村を襲う盗賊を退治したり、国の依頼で古代遺跡を探索したり……他にも雑多な頼まれ事を引き受けたりする。その対価として報酬を得て生活するんだ」


 声を殺して笑い続ける姿に対し睨みを効かせた俺に、ガライドはやっと笑うのを止めそう説明を返した。冒険者……そんな職業が存在する事すら、確かに俺は知らなかった。

 自分の人間社会への無知さを今更ながらに痛感していると、ガライドが不意に穏やかな笑みを浮かべた。そして右手を、俺の方に差し出す。


「どうだ、短い間でいいから俺達と一緒に旅をしないか。お前が人間の世界を正しく学び、一人でも問題なくやっていけるまでで構わない。……どうしても放って置けないんだ。お前の事が」


 差し出された手を、じっと見つめる。……今まで俺の容姿や精霊を操れる力を利用しようとする奴はいても、こんな事を言ってくれる奴はいなかった。

 信じていいのか、この手を。本当に取ってもいいのか。


「決めかねるなら、こう思えばいい。お前は俺達を利用するんだ。自分がこれから生きていく為に」


 悩む俺に、ガライドが更にそう重ねる。その言葉に、俺の腹は決まった。


「――なら、利用させて貰うさ。俺が人間の世界でやっていく為にな」

「ああ。暫くの間、よろしく頼む」


 内心恐る恐る握り返したその手は、とても力強く、温かかった。



 翌朝、エレノアにも俺が同行する旨を伝えるとエレノアはとても喜んだ。曰く、エレノアも俺の事を放って置けないと思っていたらしい。

 それからは今いる国の王都に行って冒険者登録し、二人と共に各地を旅しながら生活した。二人はとても親切に、人間の世界の知識を俺に教えてくれた。

 ガライドに勧められ、武器の扱いも学んだ。色々と試したが、結局一番使っていて動きやすい曲刀を得物にする事にした。

 二人と過ごす時間は、とても心地好かった。二人とも年上の筈の俺を事あるごとに年下のように扱うのだけが困り者だったが、森にいた時ですらこんなに充実した時間を過ごした事はなかったかもしれない。

 そうして、二人と旅をするようになって一年が経過した頃。俺達は若くして腕の立つ冒険者として、同業者の間ではちょっとした有名人になっていた――。



「あっちい……今は真冬なのに何だこの暑さ……」


 ゴツゴツとした山道を登りながら、ついついぼやきが漏れる。地面から立ち上る熱気が冬の冷風を掻き消し、まるで夏真っ盛りのような暑さを周囲にもたらしていた。


「ううん……暑さをどうにかするのはいくらファレーラ様に頼んでも無理ね」


 同じく顔の汗を手で拭いながら、エレノアが呟く。普段はファレーラ教のシスターとして礼儀正しい態度を心掛けているエレノアだが、俺に対してだけはこんな風にすっかり砕けた口調になっていた。


「多少の熱ならば耐えるつもりだったが、流石にこれは堪えるな。……逆に言えば、今が真冬で良かったとも言える。真夏に来た時の事なんて、想像したくもない」


 普段あまり弱音を吐かないガライドも、この暑さには参っているらしくぽつりと愚痴を溢す。ガライドの場合黒を基調にした服装で固めている為、余計に暑く感じるのかもしれない。

 ふと周りを見渡せば、他の奴らも多かれ少なかれこの暑さにはへばっているようで全員疲れの色が濃い。俺は一つ大きく息を吐くと、山道の先の方を見上げた。


 事の起こりは、今いるこのエヴァスター王国のマルタ火山中腹にある村と突然連絡がつかなくなった事だった。


 何が起こったのかと人を寄越しても、その寄越した人間まで消息を絶つ始末。エヴァスターの冒険者ギルドはこれを緊急事態とし、エヴァスターに滞在中の冒険者達を集め調査隊を組織する事にしたのだ。

 そして丁度エヴァスターの王都を訪れていた俺達も、この調査隊に組み込まれる事になり。こうして村を目指し、山を登っているという訳だ。


「しかしこの暑さで、本当に人が住めるのか? サーク、精霊達はどんな感じだ?」

「精霊達? ……そういえば、妙にざわついてる気がするな。落ち着きがないというか……」

「もしかしてこの暑さは、それが原因なんじゃないのか? ここには村があるんだぞ。真冬の今でもこれなのに、もし真夏になったらこんな場所、住むどころじゃない」


 成る程、ガライドの指摘も一理ある。地面の下で炎の精霊が活性化して気温を上げていると思えば、この異常な熱気も納得がいく。

 だとすれば、何が精霊達を活性化させている? 村から連絡が絶えた理由はそれなのか?


「見ろ! 村が見えてきたぞ!」


 深まりかけた思考は、先頭を歩いていた冒険者の声によって中断させられた。見れば遠くの方に、ぽつぽつと家らしきものが見える。

 ……考えるのは後でも出来る。今は、受けた依頼をこなさねえと。

 気力を奮い立たせ、村目指して山道を登る。やがて露になってきた村の姿は、想像を絶するものだった。


「何だ……これは……」


 誰かが、呆然とそう呟く。正直俺も、そう言いたい気持ちで一杯だった。

 村は、酷い惨状だった。まともな家は殆ど残っておらず、大半は焼け落ちるかバラバラに壊されていた。

 何よりおかしいのは、その壊れ方だ。まるで大きく重たいものに、上から踏み潰されたかのような……。


「――いけない」


 その時突然空を見上げ、エレノアが呟いた。その顔面はこの暑さの中なのにすっかり蒼白になり、目は大きく見開かれている。


「皆さん! 早くここから離れ、山を降りて下さい! でないと……私達は全員死ぬ!」

「な……何だ!? どうしたんだ、エレノア!?」


 叫ぶエレノアの肩を、訳も解らず俺は掴む。他の奴らも、エレノアの変化にただ戸惑っている様子だった。

 エレノアは「来る……来る……」と繰り返し譫言(うわごと)のように呟くばかりで、目も焦点が合っていない。どうするべきかと、俺がガライドを振り返った瞬間。


「ああ、駄目……もう間に合わない!」


 悲鳴のようなエレノアの声が響いた瞬間、辺りに影が射した。始めは太陽が雲に隠れたのかと思ったが、そうじゃなかった。

 影はどんどん大きく、色濃くなっていく。そこに来て俺は漸く、大きな何かが空から飛来してきているのだと解った。


「……嘘だろ……」


 震える声で、誰かがそう言った。空から次第にこちらに近付いてくるその姿に、誰もが目を疑った。

 そう、それは――。


「……ドラゴン」


 俺達の絶望の呟きに応えるように――最強と呼ばれるその魔物は、翼をはためかせながら空気を震わせるほどの声で啼いた。

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