第7話 群青日和③

「先輩ぶっちゃけ幾ら貰ってます?」


「何よ?急に」


 西本美織との記憶がよみがえる。


 あの時の俺は、20代で海外でマネージメント業を行い、ハッキリと自分は仕事ができる側だと思っていた。金もあり仕事に恵まれ、そして──


「いやっ………私ってぶっちゃけ年収イッポン無いと嫌なんですよ、相手に。てかそれがフツーだと思ってますし」


「えっ?何ソレ俺の給料を聞いてるの?マジかお前」


 そうですけどーと彼女──西本美織はキヒヒと笑う。イタズラをしたのがばれってしまったのを誤魔化す子供みたいに。無邪気さを存分に含んだようなかたちで。それがあざといと思われても全然カバーできる容姿の可愛さで。


 西本美織はそんな分かりやすいあざとい甘ったるさが感じられる声色で続ける。


「いやー……。だってやっぱり嫌じゃないですか?相手がお金無いって。凄く嫌じゃないですか?お金無いって。私は嫌です。お金を稼げ無いオトコって。てか私は別にぃ……結婚したら専業主婦になるって古臭い夢とかオトコの稼ぎで生きていくって事をしたい訳じゃないんすよ、別に」


 現地スタッフは全員帰った午後10時過ぎを回った海外の工場の事務所で二人、俺と西本美織は口を動かしながらもパソコンを忙しく動かしていた。


 机にはコーヒーやエナジードリンクの缶が数本並んでいた。


 現地のスタッフはだいたい残業をしても二時間程度。残ってるのは山のように残務が残ってる俺と西本美織の二人だけだった。寧ろ海外のスタッフはそんな俺を働きすぎるアジア人のテンプレとして、口には出してはいなかったが、その瞳には若干の冷ややかさを感じられた。


ゴクリと不味そうに西本美織は、ブラックコーヒーを飲みながらも言葉を紡ぐ。


「私は正直、働きたいんですよねバリバリに結婚をして、子供を産んでも。んでもってだからといって相手が逆に働いて無い、私のお金で養う。みたいのも嫌なんですよ。嫌じゃないですか?私はとても嫌です。私は別に安楽?とか嫌なんですよ。なんてユーのかなぁ、こうずっと高め合っていきたい?お互いに。て感じなんですよ。それでやっぱりお金には苦労したく無い。どころか余裕ある生活をしたいんですよ、その方が色々と幸せになれんじゃないですか?お金が無くても愛があれば大丈夫とかって言葉ってマジでカビ生えてません?いやぁ〜〜そんなんあるんだろうデスけどね。けど。私は嫌です。私は。絶対に」


 連日続く長時間の残業に加え度重なる休日出勤。西本はHighになっていた。いやハイならなければやってけなかったのかもしれん。あの時の俺たちは。


「だからソレを俺に何で聞く?てかお前、同じ会社なんだからだいたいの金額はイメージつくだろ。嫌だよ、俺何で金の話をおめえにしなきゃいけない?」


 俺も眠い目を擦りながらパソコンの画面を睨みながら手を止めずに言葉を返した。


 タタンタタンと二人でキーボードを続いてたが、その音が一つだけになる。西本の方が止まっていた。俺も思わずモニターから顔を背け隣の西本の方ヘ顔を向ける。


 西本の表情は複雑だった。白けているのか。顔を染めて呆けているのか。けど瞳は冷たいものが宿っていたり。きっと色んな感情が蠢いていたのだろう。


 そしてソレを俺に向けていた。


「いやっ。ソレわざとですよね。分かってますよね?分かってて私に言おうとさせてませんか?それとも先輩ってそんな事も分かんないんですか?」


「いっや……西本、ちょっとちょっ……」


「ちょっとってなんですか!!」


「うわっ!にしもっ……」


 ガタッと西本が勢いよく立ち上がろうとすると椅子が倒れそうになり、隣の席の俺へとなだれかかる。


 俺達はお互いに倒れる。俺が下で西本がその上に倒れんだよ。


 二人の顔は言葉通り、本当に目と鼻の先だった。西本の垂れ下がる髪の毛が俺の横頬に触れる。


 その状況で西本と俺は固まる。オフィスは俺達二人のところしか明かりは無く、暗く静寂な雰囲気が俺達を包む。


 西本は何かを堪えてるようなかたちで俺に尋ねる。


「………じゃあなんですか?先輩は私を何だと思ってたんですか?」


 その言葉は分かりやすく怒りだった。


「……何って」


 何が何であるのかは分かってるのにソレを逸らそうとする俺に対して西本の怒りはさらに静かになのに燃え上がってるのが分かる口調で続ける。


「……先輩は何回も寝た私が、海外での遊びって事でとかそんな感じだったと思ってるんですか?私がそんなに激ガルの女だと思ってたんすか?ぶっちゃけヤリマンな後輩とか舐め腐った女だと思ってたんですか?」


 俺と西本美織は、二人だけの日本からこの拠点に異動となった二人だった。簡単に言うと会社から期待されてる二人。そしてハードなミッションを若くして二人。であった。


 そしてそんな環境では、やはり否が応でも距離は近くなった。


 正直に言うと彼女と夜を何度も共にしていた。

 最初のきっかけは二人で残業明けにバーで酔いつぶれた西本を介抱するために、彼女の部屋で。


 それから身体を重ね合わせたのは少なくとも数える事はしない、出来ない程度には。


 何と言葉を返せば良いのか分からず、黙り込む俺を西本は見下ろしながら言葉を続ける。怒り。怒りというのが分かりやすいくらいに伝わる表情で。


「馬鹿にすんのはいい加減にしてください。いや、マジで先輩って私ってゆーか女を舐め腐ってませんか?マジで信じられない!!うわぁあ最悪、最悪最悪ぅ。マジであり得ない。こんな人だったのうわぁあ無いわ」


 あざとさなんて霧散するが如く消えていた。そしてこんな激情に駆られる西本美織をその時、初めて見た。


「無いわぁあ。マジで無いわぁ、つか私が無いわぁあ。マジで無いわぁあ。うわーっ、無い無いマジであり得ない。こんなオトコにぃこんなオトコにぃいい」


 社内ではあくまで先輩と後輩の関係だった。


 けど今は剥き出しのオンナとしての感情を西本はぶつけてきた。


「あー。こんなオトコがめちゃくちゃ仕事できて、頼れて。困った時は助けてくれて。やっぱりめっちゃ頼れて」


「けど仕事以外がだらしなくて。私が嫌って言っても部屋で煙草吸ってきて腹立って。嘘みたいに気遣いが出来なくて………」


 涙が溢れできて、おれの頬に当たる。西本は怒りの表情は崩さない。けど涙は止められなかった。


「こんなオトコに……こんなオトコの事がめちゃくちゃ好きで。好きで好きでどうしようもなくて、もう付き合ってると思ってて、将来どうすんのか?て聞いた私が、めちゃくちゃ……馬鹿みたい」


「めちゃくちゃ好きなんですよ。太一先輩の事が。遊びじゃないんですよ。分かってますよね?」



 その後、会社を気まずい形で二人で出た。そして俺の部屋でまた俺達は二人で夜を共にした。


 あの時、俺は西本に対して、ハッキリとした言葉を返せなかった。


 そして、俺は先に日本へと戻ってきて。その後、すぐに会社から逃げ出した。


 海外にいる西本からは、何も連絡は来なかった。


 そして現在。店を変えて東口のコーヒーチェーンの喫煙席にいた。俺と伶、そしてテーブルの向かいには──


「……何から聞けば、分かりませんけど。とりあえず説明してくれますか?高木………さん」


 純度100パーセントの怒りを全身から発している元会社の後輩、西本美織がいる。

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青い空と灰色の雲、ボクらのキックベース 長月 有樹 @fukulama

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