屋上にて 1−3

 その後エレナは他の警察官から応援を頼まれてそちらへ向かった。

 今ならシロに乗ってスパークルまで行っても良いと申し出てくれたのだが、ジュディはもう少しここにいると言って断った。もう少し、ここで陽の光を浴びたかった。

 身体中ボロボロではあるものの、歩けないほどではない。疲労の回復を待てば、自力でスパークルに帰れるだろう。


 屋上の端で、ジュディは膝を山にしてスラムや繁華街の街をただぼーっと眺めていた。30センチほどのへりがあるだけで、手すりも何もない屋上は、なかなか景色がいい。


 昨夜の喧騒が信じられないくらい、街は静かだった。何があっても、世界は平常運転だ。日は昇るし、鳥は歌う。


「よぉ。気は済んだかよ」


 急に視界に影が落ちたと思えば、ロイが目の前に現れた。


 いつの間にどうやって現れたのか、屋上の本当の端、縁の上にしゃがんで、覗き込むようにジュディの顔を見ている。


「あ……」

まだ少し頭がぼんやりしているジュディは返答に遅れる。

「相変わらず情けねぇ面だな……」


 急に恥ずかしくなって、ジュディは慌てて腕で顔をこすってみたりする。鏡などあるわけでもないので、今自分がどんな顔をしているのかは分からないが。


「気は……済んだのかな、よく、分からないですね」

 ジュディは正直に答える。

「アタシ、もう少しでナスカを殺すところでした。そんな事しなくていいって、頭では分かっていたはずなのに……怖かった。気が済んだってゆうか、殺してなくて、安心してるって感じですかね」


 憎しみに支配されて、我を忘れていたあの時間のことを思い出す。あのまま止まれなかったら……と考えると、今でも恐怖が心を襲った。


「……そうかよ。ま、これで一件落着ってか」


 ロイはジュディに背を向けて、街を見下ろすように胡座をかいて座った。その姿が、昨夜の屋上での彼と重なる。


「……わざとですよね」

「あ? 何がだよ」

「私とナスカに手を出さなかった事です。なんか余裕そうでしたもん、他のカザの人たちとの戦いだって! いつでもこっちに手を出せたはずなのに」


「あのなぁ、殺さずに相手するのって意外とタイヘンなんだぞ」

 そう言うロイの体には、腹ただしいほど傷は見当たらない。


「……まぁでも、やられた奴の気持ちなんて、やられた奴にしか分かんねぇだろ。まして部外者の俺には、口出しする権利もねぇし。例えお前が死んでも、お前が決めた事の結果なら、俺が後悔してやる義理もねぇ」


 残酷なことをさらっと言うロイに、ジュディは少し苦笑いする。


「でも、あの時間が与えられたから、アタシはナスカを殺そう、っていう目的以上に、大切なものに気づけたんですよ」

 ジュディはポケットから指輪を取り出して見つめた。

「お陰で、アタシは人殺しになることなく済んだ。アナタには、感謝してます」


「感謝ねぇ……ま、何があったか知んねーけどよ。そう思えるお前が羨ましいぜ」


「え?」

 聞き返しながら、ジュディはロイの恋人の話を思い出す。彼の恋人は、殺されたと言っていた。彼も、復讐を果たそうとしたのか。あるいは、


「俺には何も残らなかった。虚しさだけだ。残ってんのは」


 すでに復讐を終えているのか。


「けど、何もしなかったらしなかったで、どうせ今も苦しんでんだろ、俺は」


 自分に言い聞かせるように呟くロイの表情は、ジュディからは確認できない。それ以上は何も聞かなかったし、気の利いた言葉も思いつかなかった。


 彼も、復讐というその行為をした翌日には、こうやって平常運転の街を見つめたのだろうか。心が置いていかれたままでも、世界は進む。それでも、彼は彼なりに置いていかれた心の居場所を模索しているのかもしれない。


 少し間を空けてから、ポツリと言う。

「……指輪、楽しみですね」「あぁ、ショボくなきゃいいけどな」


「ワン!ワン!!」

「あ!いたいた」


 突然聞こえた犬の鳴き声に振り返ると、エレナとシロが走ってこちらに向かってきていた。


「他の仲間が交代してくれたので、私はこれから署に戻ります。良かったら一緒にどうですか?」

 エレナは笑顔で、シロの背中をぽん、と叩く。


 するとシロは無邪気に尻尾を振りながらジュディの顔をベロンベロンと舐めた。


「きゃあーーー!! ふかふか! もふもふ! よしよし!! 実は乗ってみたいって思ってたんですよぉ~」

「ちょっとシロ、ジュディさんも怪我人なんだから……。ごめんなさい、シロも久しぶりの出動で嬉しかったみたいで……」エレナは苦笑いする。


「あなたは?」

「いや、乗らねぇよ……」


 ロイはエレナの誘いを断ると、「また店で」と言って屋上から飛び降りた。


「ちょ、ちょっとここ3階……!!」


 エレナは慌てて地上を確認するが、ロイの姿はもう見えなかったようだ。

「本当になんなの、あの人……」

「ふふ、ホント変な人ですよね。でも、いい人ですよ、多分」


 シロに跨りながら、ジュディは笑った。

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