スラムにて 2−6

ロイが窓ガラスを突き破って建物の内部に侵入した後、ジュディは3階の窓の下の庇の上で、身を屈めながら銃声を聞いた。心臓が確かに止まったような気がした。同時に体が震え始める。


「ジュディ、今だ!!」


 次にロイの叫び声が聞こえた。反射的に勢いよく立ち上がると、ロイが破った窓からジュディも建物の中に飛び込んだ。


 カザの人間が7人、剣を抜いたロイと対峙していた。いずれも武装を施している。そして目線をロイにやると、その背後に横たわるユエルと、気を失っているのか壁際に座り込んでいるナスカの姿を確認した。


「お姉ちゃん……?」


 カザの者たちがジュディに気付いたその瞬間に、恐らく隙ができたのだろう。一瞬ロイの姿が消えて、ひとり銃を持った男の低い悲鳴が聞こえた。折れた歯が口から飛び出して床に転がる。それを合図にするかのように、カザの者たちとロイの戦闘が始まった。


 だがジュディの視界にはもはやそれは入っておらず、震える体で、血を流しながら倒れている動かないユエルの元へ向かった。ユエルの前に膝をつく。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん……やだ、やだよ……」


 姉まで、奪われてしまったのか。

 息ができなくなる。世界が黒く黒く塗りつぶされていくような感覚に陥った。視界がどんどん消えていく。


 どうして。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。


「落ち着け!! まだソイツは死んでねぇ! 早くこっから連れ出せ!」


 ロイが攻撃を剣で受けながらこちらに向かって叫んだ。

 そして彼は、銃をジュディに向ける別の者へ体当たりをしてその攻撃を未然に防ぎ、その足を剣で突き刺していた。これで2人の男の動きを封じたことになる。

 ロイの叫びにわずかに視界が開け、ジュディはナスカの傍に転がる拳銃を見つけた。ふと壁を見上げると、天井近くにある銃痕から僅かに煙が出ている。


(撃たれてない……?)


 それから即座にユエルの脈を確認した。弱ってはいるがまだ彼女は生きていた。

 しかし出血がひどい。一刻を争う状況に変わりはなかった。ジュディは必死に呼吸をして冷静になろうとしながら、ユエルを背負おうとする。


その時。


「そいつは生かしておけるのか?」


 壁にもたれかかるようにして座り込むナスカが視界に入った途端、頭の中で、先ほどのロイの声が響いた。


 恐らく、ロイは銃口をユエルから逸らすためにナスカを突き飛ばしたのだろう。その時に壁に頭を打ち付けて、彼女は今気絶している。


 ジュディの目がナスカから離れなくなった。

 世界から色と音が消えた。ナスカと、ジュディ。ただその二人だけが生きる空間が、ジュディの中に生まれた。

 母の死体と、ボロボロになったユエルが。数々の罵声と暴力が。像としてジュディの頭の中に次々と結ばれていく。


 黒い気持ちの砂たちが、何本もの腕に形を変えて、ジュディの心を覆っていく。闇に、引き摺り込んでいく。


 今なら。今なら彼女を殺せる。


「馬鹿野郎!! なにぼさっとしてんだボケが! さっさと行けっつってんだろ!!」


 こめかみに血管を浮き上がらせたロイの怒号で、ジュディは水面から出たかのように呼吸を取り戻した。世界は急速に動き始め、色も戻っていく。

 ジュディは大きく首を横に振って窓に向かう。それは自分のやるべき事ではないと分かっているはずだ。ユエルの救出に専念するべきだ。そう思い直すが、呼吸は荒く、心臓はバクバクと恐ろしいほど大きな音を立てている。


「行かせるな!!」


 カザの者の誰かから声が飛んでくると同時に、姉妹の元へ刃のようなかまいたちが襲う。ユエルを背負っているため、その魔法を躱すことができないジュディはぎゅっと目を瞑ったが、全てロイが庇ってはじき返していた。


「アイツが下にいるはずだ! 急げ!」


 ジュディはロイへの返事もままならないほど必死で窓の外へ出て、何とか庇の上に降りることができた。

 下を見下ろせばエレナと、白い警察犬がお利口に座りながら待っていた。エレナの方はあらかた片付いているようだ。


「ジュディさん、急いで!! 大丈夫、私の魔法で衝撃を防ぎます! ユエルさんを背負ったままそこから飛んでください!」


 エレナと合流してからの簡単な作戦会議で、ジュディとユエルはこの警察犬「シロ」に乗ってここから逃げて、警察署の治療室へ向かうことになっていた。

 エレナは魔法陣の描かれた術紙を天に向かってかざしている。「さぁ早く!」

 

 ジュディは、ユエルを下ろした。

 そして彼女をエレナの手に向かって下ろす。


「……え?」


 仰向けになって落ちてくるユエル1人に対し、エレナは動揺しながらも魔法を発動させた。魔法陣から一気に上昇気流が上がり、地面に落ちる前にユエルの体はふわりと宙に浮く。それをシロが背中でキャッチしにいくと同時に、上昇気流は止んだ。


「おまわりさん、どうか、どうか姉をよろしくお願いします!」

「ちょっと、ジュディさん!?」


 そう言い残して、ジュディは建物の中に戻っていった。

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