スラムにて 2−4

「どんな人なんですか? アナタの彼女さん」

「はぁ? 何だよソレ」

「だからぁ、優しとか美人とか!ちょっぴり抜けてるけどそこがカワイイ!とかあるじゃないですかぁ」

「ソレ聞いてどうすんだよ……」


 ロイは照れ臭いのか何なのか、呆れたように目を細めてジュディを見る。


「宝石の販売員たるもの、カップルの情報収拾はモチベーションに繋がるんです! どんな人なのかめちゃくちゃ気になります。いっそアタシも会いに行ってもいいですか!?」


 ジュディはいつもの調子でロイに話す。肺のスペースに少し余裕が生まれ始めた気がした。

 こんな破天荒な人が愛する女性は一体どんな人なのか。ロイと出会った時から気になっていたことだ。それを聞かずには、気になって死ねないと思ったのだ。


 なのに。


「もういねぇよ」

「え?」

「死んだ。……俺の目の前でな」


 予想外の静かな返事に、ジュディは気が動転した。今の自分の状況が一気にどうでもよくなってしまうくらいに。「じゃ、じゃああの指輪は」


 ロイは軽く鼻で笑って、ぽつりと寂しげに言った。


「……ねぇよな。意味なんて」


「そんなつもりで言ったんじゃ」とか、「ごめんなさい」とか、何かとりあえず口走っては見たものの、ロイにとってはまるで意味をなさない言葉のような気がした。

 彼は少し笑って、上を向く。


「アイツも、スラムの人間だったんだ。カザじゃねぇけどな。必死で生きて、逃げて、お前みたいに普通の生活を手に入れた。それから俺に会って……けど、殺された」


 そこまで言ってから、ロイがこちらを向いた。「で、アイツの夢が」


 心臓の鼓動が早くなる。


「花嫁になることだったんだってよ」


 彼は今まで見たことのないような穏やかな優しい表情で言った。

 息が止まった。静寂の風が、二人の髪をさらさらと揺らす。


「……馬鹿な俺は、それをつい最近知った、っつー話だ」

「そ、そんな……そんなのって……」


「今更指輪なんて作ったって意味ねえんだよ。もともとそんなシュミもねぇくせに、ただのキモイ自己満足だ。んな事は俺だって分かってんだよ。けど、なんつーか……」

ロイは頭を軽く掻いて、考える。

「なんだろーな。よく分かんねぇよ」


 ジュディは胸がいっぱいになって、何も言えなくなってしまった。 


 こんな時に、やはり聞かなければ良かっただろうか。彼の言葉や表情にも、胸が締め付けられる。

 彼も大切な人を亡くしていた。指のサイズを聞いてなかったのは、もう聞くことができなくなってしまっていたから。

 きっと彼のことだから、彼女の生前は結婚のことなんて考えたこともなかったんじゃないだろうか。そして彼女の死後、自分の花嫁になりたがっていたことを知ったロイは、一体どんな気持ちになったのだろう。

 どんな気持ちで、この指輪を……


「……オイ。今泣きやがったらぶん殴るからな」


 現在のロイよりも遥か彼方に感情的になってしまったジュディの顔は、今にも決壊しそうな涙腺を堪えるためにしわくちゃになっていた。


「うぅ。ムリです。ムリすぎる……でも殴らないでください……」


「……ま、本当はあのオマワリサンに全部押し付けて、トンズラしてやろうかとも思ったんだけどよ、それじゃアイツが怒るからな……」

 ロイはため息をつきながらも、どこか照れ臭そうに宙を眺めた。


 その時。


 けたたましい獣の咆哮と、スラムの街のどよめきが大気を揺らした。ジュディも驚いて、地上で起こっていることなのに、屋上の辺りを見回す。


「始まったか!? ……ってなんだ、ありゃ」

「い、いぬぅ!? でかっ!!」


 ロイに次いで慌てて街を見下ろすと、真っ白な毛をもつ大きな犬のような獣が、サーペントの連中を蹴散らしながら街をもの凄い勢いで駆け巡っている。

 艶やかな毛並みが月明かりに照らされて、まるでその体から光を放っているようだった。

 そしてその獣に跨っているのは……ふわふわとしたピンクのショートカットに、ブルーの警察官の制服。エレナだった。


「警察犬か。……何だよ、アイツの方が滅茶苦茶やってんじゃねぇか」

 言いながら、ロイはニヤリと笑う。

「ま、魔物じゃないんですか、あんなにおっきい犬! 見たことないです」

 警察犬と言われた白い獣は、あと大人二人は乗せられそうなくらい大きかった。

 「でも確かに、犬なら匂いでナスカの場所がわかりますね!」


「追うぞ!」


「ちょっと待って」と言う間も無く、ロイはジュディを抱えて隣の建物に飛びつく。あちこち屋上で構えていた見張りもいたのだが、下の騒ぎに気をとられてロイたちへの反応が遅れる。当然素早いロイの動きには皆間に合わない。エレナの作戦は今のところ大成功である。


 エレナを乗せた警察犬は、見る見るうちにスラムの中心へと進んでいった。サーペントの者たちも、誰も追いつけない。縦横無尽に街を駆け巡る警察犬は、尻尾をふりふり、何となく楽しそうにも見える。


 エレナの表情まで確認できそうな距離の建物に飛び移った時、ロイの動きが止まった。気づけば警察犬の動きも、ある建物の前で止まっている。


 すると、


「ゥワォーーーーーン!!!!」


 警察犬が遠吠えをした。続けて2発、エレナが空に向けて空砲を撃つ。


「あそこに、お姉ちゃんが……」

ロイはジュディを下ろした。

「みたいだな」


 四角い形をした、3階建ての建物だった。ところどこににひび割れもあり、ボロボロにはなっているものの、繁華街の街の面影を少し感じるような、スラムにしては強固な白い土壁の建築物だ。周りの喧騒とは打って変わって、不気味な静けさを醸している。ここを本拠地としているのかもしれない。


 いよいよだ。


 覚悟を固めて呼吸を整える。

 すると「おい」とロイがジュディを呼んだ。


「ぜってぇ姉貴を取り返せ。あとの奴らは俺がなんとかしてやる。いいな」


 彼がくれた言葉を、ジュディはまっすぐ受け止める。

「はい、必ず!!」

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