スラムにて 2−3

 先ほどのロイの身体能力を見て学んだのか、サーペントの連中は屋根の上にも見張りを設置しているようだった。

 ロイは、ある建物の屋上にいた見張りの腹を殴って素早く黙らせると、地上で待っていたジュディを屋上まで運んだ。満月との距離がほんの少し縮まる。

 スラム街を少し入ったところの建物だった。ここならエレナが登場しても確認ができそうだ。何やら積まれている木箱を壁にして身を潜める。


「おまわりさん、大丈夫なんでしょうか……」

「さーな。信じてやるしかねぇだろ」


 ロイはジュディが腰に据えている短刀を見つけて言った。


「そういうお前は戦えるのかよ。殴り合いだけじゃ済まねぇぞ。あのナスカって女は強ぇのか?」

「ナスカは、強いです。何人も、命を奪っています」

「お前は?」

「う、奪ってません! 本当です。信じて……」


 ジュディはロイの問いに慌てて返した。人を殺したことはない。でもカザの人間の言うことを信じてくれるだろうか。否定することで逆に怪しまれてはいないだろうか。


「いや別にお前が人殺しだろうが俺はどうでもいいんだけどよ。いざって時に本当にその剣を振れるのかって話だ。……ま、その様子じゃ無理そうだな」


 ロイはジュディとは別の心配をしていたらしい。ジュディは分かってもらえて安心したが、ロイは少し気が重そうだったので複雑な気持ちになる。


「人殺し……私には、出来なかったんです。そういう命令も、ありました。ゾイドと同じように、『自由のため』と思って従おうと思っていた時期もあったんですけど……恐ろしくなったんです。目の前で起こった母の死が、あまりにも辛くて、悲しくて、怖かったから」

 山にした膝の上に両腕を乗せて、半分顔を埋める。

「お母さんは、強い人でした。自分の運命を受け入れて、でも、私たちを必死で守ろうとしてくれた。ナスカに忠誠を誓うことで、派閥に私たち二人の面倒を見てもらえるようにしたんです。それで、いつか隙をみて3人で逃げようって計画を立てていたんですけど……」


 もしかしたら、その計画がバレていたのかもしれない、と今は思う。ジュディたちが酷い扱いを受け始めたのは、母親が死んでからだった。


「……誰もが、誰かにとっての大切な人のはずなんです。それを、私たちがされたように自分勝手に奪うことなんて、私には出来ない」


「じゃあナスカはどうなんだよ」


 ロイはまっすぐにジュディを見て聞いてきた。ジュディは不意を突かれたように「え?」と聞き返す。


「お前の母親を殺したやつだ。そいつは生かしておけるのか?」


 復讐の是非について問う、その彼の瞳は、どこか救いを求めているようにも見えた。


 ナスカについて考えると、黒い気持ちが胸を侵食する。それはまるでカザの砂漠を思わせる砂の粒のように、ザラザラとジュディの心の中を覆い尽くそうとしてくる。それを必死で抑えながら、ジュディは答えた。


「それは……何度も何度も考えた。気が狂いそうなくらい! ……でも、ナスカを殺しても、私は彼女を許せるわけじゃない。彼女に対しての私の心が晴れることはもう永遠にないんです。むしろ、彼女を殺した時のその感触が、感情が、私も彼女と同じ人殺しだっていう事実が、結局死ぬまで私を苦しめる。……そう、思います。もちろん裁きは受けてほしい。でもそれは、おまわりさん達に任せます。私は、私と姉の平穏を望むだけ……」


 ロイは、少しの間ジュディを見つめた後、「あぁ、そうだな……」とだけ力なく言って、スラムの街へ目線を落とした。

 期待外れな返答だっただろうか。彼がその問いの答えに何を望んでいたのかは、ジュディには分からなかった。

 そして、この黒い砂に自分が本当に勝ち続けることができるのかということもまた、正直分からなかった。


 しばらく沈黙が続いた。エレナはまだやって来ない。


 深呼吸をする。このままでは夜の闇と沈黙に肺まで押しつぶされそうだった。本当に生きて帰れるか分からない。でも、なぜだか気持ちは不思議なくらいとても静かだった。

 悔いは残したくないなぁ、とそんなことを呑気に考え始めて、今できる、やり残したことをジュディは実践した。心のこもった営業スマイルで、ロイの顔を覗き込む。

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