スラムにて 1−4

「私の教育は間違ってなかったって訳だ」


 ナスカは誇らしげに銃を腰のベルトにしまい、仲間の男――白装束をまとった男に顎で指図すると、彼は頷いて放置された宝石を回収しに行った。


 すると、突然男の周りを影が覆い、視界が暗くなった。


「ぐああぁっ!?」


 ジュディがその鈍い悲鳴に驚いて振り返ると、どこからか現れたロイが、宝石を取ろうとした男の手を踏みつけて立っていた。よほど高いところから足を落とされたのか、男の手首が折れている。


「な、何なんだいアンタっ!」

 ロイはナスカの叫びを無視し、男の首元に剣を突きつけて尋ねる。

「テメェが強盗か?」

「貴様……!」


 男はロイの眼前に踏まれていない方の掌を向けた。するとそこに描かれた魔法陣が赤く燃えあがり、炎の渦となったそれが、ロイに喰らい付いた。

 炎の渦は直線上にスラムの地面を這った。凄まじい熱風が辺り一面に流れ、砂煙を上げる。


 炎が消えても立ち込める砂煙でロイの姿は確認できず、ただ静寂が響いた。しかしあの距離だ、きっと消し炭になってしまったに違いない。ジュディは震えながら両手で顔を覆った。


 すると、何かがかちゃりとジュディの膝の上で音を立てた。


「ほらよ」


 ロイの声に、恐る恐る顔を覆った手を開くと、ロイは火傷の一つも見られない様子でジュディの目の前にいて、宝石の入った袋を寄越したのだった。


「え、えぇ……?」


 しかもジュディが目を白黒させている間に、彼は既に男の元へ向かっている。


「何ぼさっとしてんだい! さっさととっ捕まえるんだよ!!」


 少しの間、ぽかんと開いた口をそのままにロイを見つめていたジュディだったが、ナスカの声に我に返った。サーペントの連中は突然現れたロイに翻弄されている。今のうちに逃げなくては。ジュディは急いでユエルの応急処置を始めた。ユエルの腰に巻かれていた布を千切り、足首と腿にきつく結んで止血すると、ジュディはユエルを背負おうと立ち上がった。


「ジュディ!!」

 しかしナスカだけは、この姉妹を見逃さなかったのだ。ユエルの叫び声に、ジュディは反射的に振り返る。


 腰に下げていたサーベルを抜いたナスカが、まっすぐに二人に向かって走ってくる。このままユエルを背負っていたら逃げきれない。責めてユエルは守らなくては。しかし、ここで自分がやられてしまったら、ユエルは誰が守る?

 考えがまとまらないまま、ジュディはユエルの前に立ち、ナスカに立ちはだかっていた。こちらに武器はない。でも、戦わなければ勝てない。


 しかし守られたのは、ジュディの方だった。


 ユエルが足の痛みを堪えながらジュディを突き飛ばし、ナスカの峰打ちを食らったのだ。

 ジュディは何が起こったのか分からず、気付いた時にはナスカの肩に、ユエルがだらりと担がれていた。


「あーあ、全く。こんなに面倒なことになるなんて。こっちのクズを売る金だけじゃ割に合わないね。覚えときなよ、ジュディ」


 ナスカはジュディを見下ろして吐き捨てると、女一人担いでいるとは思えないような身軽さでジュディから遠ざかっていく。


「くっそぉ! ま、待てぇっ!!!」


 慌てて立ち上ったジュディは、ナスカを懸命に追いかけた。だがサーペントの仲間たちに阻まれて、その姿はあっという間に見えなくなった。

 一体どこから湧いてくるのか、サーペントの連中は明らかに先ほどよりも増えている。実際は4、50人くらいだろうが、ジュディの目には軽く100は超えているように見えていた。


「お姉ちゃんの、ばか……」


 ジュディは大人数に囲まれながら、今にも泣き出しそうになった。また離れ離れになってしまうのか。しかしこの状況だ。もう2度と会えないかもしれない。この連中を切り抜けながら、この入り組んだスラムでユエルを見つけることができるのか、自信がない。

 どちらにしてももう360度囲まれていた。逃げようにも、逃げられない。すでに心はボロボロになって折れているが、どこかに進むしかないのだ。


 ジュディが進む意を決したその時。あの男を片付けたのか、ロイが建物の2階の窓から飛び出してきて、ジュディの隣に着地した。


「おい、逃げるぞ」

「えぇ……? 逃げるったって、無理ですよぉ……」

「うわ……なっさけねぇ面してんじゃねぇよ」


 ジュディの顔は涙やら血やら砂やらで、ロイが引くほどボロボロだった。でもそんな事気にしてる場合ではない。そうこうしているうちにサーペントの者たちがじりじりと迫ってきている。


「うわぁ!?ちょっと!!」

 ロイはジュディをひょいと肩に担ぐと、信じられない跳躍力で一番近くにあった建物の屋根に飛び乗った。


「逃げたぞ!!」「あっちだ!」「あいつは何者なんだ!」


 サーペントの者たちの叫び声が聞こえたが、その声もすぐに追いつけなくなるほど、ロイは素早く屋根から屋根へ飛び移り、繁華街の方向へ向かっていく。


「お姉ちゃん、お姉ちゃんが……どこかにいるんです、探さないと!」

 ジュディは担がれて身動きが取れないまま、ロイに訴えかけた。


「あのな、ここ一帯はもうあの女が取り仕切ってんだ。ここにいる連中はみんなあいつの手下なんだよ。そいつらとやり合わねぇ事には見つけらんねぇぞ。お前にそれができるのかよ」

「うぅ。で、でも……」

「でもじゃねぇよ。無理だっつの。無駄死にしたら意味ねぇだろうが。だったら一旦退いて、勝てる方法を考えんだよ」


 ロイはジュディよりもずっと冷静だった。だが一旦退いているその間にユエルに何かあったら。そう考えるといてもたってもいられない。不安が心を支配する。「でも、でもお姉ちゃんまでいなくなっちゃったら、もう、アタシ……」


「……少なくとも今日明日くらいじゃ何もならねぇよ。これからそいつを売る気なんだろ? 売る奴の体を傷つけたら値打ちが下がっちまう。足を撃たれてただろ。あのままじゃ大した額で売れねぇよ。売るなら傷が治ってからだ。それと、家族ってのはお前みたいな奴をおびき寄せるための格好のエサになる。搾り取れるだけ搾り取って、使えなくなるまで使う。そういう連中だろ」


「ソレ、あんまり励ましになってないです……」

「誰が励ますんだよこんな状況」

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