スラムにて 1−2

なぜもっと、ユエルの様子を疑わなかったのか。そして分かってやれなかったのか。


(でも、あの強盗はお姉ちゃんじゃなかった……)


 サウストを駆け抜けるジュディは、一度立ち止まって壁に手をつき、息を整えた。石造りの白を基調とした街並みも、繁華街を抜け、さらに路地裏を進めば徐々にその清々しい色を失っていく。トタンや木を粗雑に組み立てただけの建物が、寄りかかるように軒を連ね始める。


 強盗の顔は見なかったものの、身長はジュディよりも高くガタイも良かった。小柄で華奢なユエルでは決してない。だとすれば、魔法陣を設置したユエルは何かの組織に巻き込まれている可能性が高い。

 盗みを働く連中が集まるところ。自分ではなく手下の手を汚す連中が集まるところ。そこは決して織物屋などではない。


 走ってきた道を振り返れば、斜陽が白い街並みを桃色に染め上げて、幻想的な世界を作り出していた。その世界に遮られて、ジュディが立つこの場所には深い影が落ちている。

 この明暗はどうして生まれてしまうのだろう。みんながあの日差しに当たることはどうして出来ないのだろう。

 幼い頃から消えない謎は、未だに解けないままだ。

 ユエルは姉らしいことを一つもしてやれなかったと言ったが、そんな事はない。派閥の人間の目を盗んで、自分よりもジュディを優先して食料を調達したり、ジュディの盗みの失敗を庇って、代わりに派閥の人間に殴られたりもした。

 せめて大好きな姉を、日の当たる場所へ連れて行きたかった。


 ジュディは顎に伝った汗を拭うと、影の街を歩き出した。

 常に誰かに見られている感覚。どこからか漂う異臭。繁華街とは違う、疑心に満ちた噂話。カザを思い出して、ジュディの心は暗く縮こまる。

 しばらく歩くと、少し広い、静かな十字路に出た。その角の、このスラム街の中では比較的大きな建物の前に、ユエルはいた。


「お姉ちゃん!」


 ジュディは建物に入ろうとするユエルに向かって叫んだ。それに気付いたユエルは、ジュディの姿を見て明らかに狼狽する。


「ジュディ、どうして……」

「どうしてじゃないよ! なんで宝石強盗なんてしたの! しかもウチの店で……ねぇ、何があったの、教えて。誰かに使われてるんでしょ? 宝石はどこにあるの?」

「ジュディ、本当にごめん。ごめんね! でももうあなたも、あなたの店も狙われないから……だからお願い、早くここから逃げて!!」


 ユエルは肩を掴んできたジュディを突き放そうとした。だがジュディもユエルの腕を掴みなおして放さない。


「馬鹿言わないでよ! 置いていけるわけないでしょ! お姉ちゃんも一緒に……」


「おやおやぁ、姉妹喧嘩かい?」


 背後から聞こえたその女の猫撫で声に、ジュディの背筋が凍った。

 ユエルは顔を伏せる。その声の主へ振り向くことができないまま、ジュディは手袋をはめたままの左手を、右手でさらに隠すように覆った。


 それから、次々に視線が姉妹に刺さっていく。1人や2人ではない。20人はいるだろうか。今まで静まり返っていた建物から生きた気配が生まれ始める。

 

 囲まれていた。ユエルは、カザの連中に捕まってしまっていたのだ。

 

 だがジュディから見える視界だけでも、服装や肌の色など、カザの雰囲気とは異なるような者が多くいた。ここに仕事をしにきたカザの者と、サウストのスラムの者が合体した集団なのかもしれない。


「久しぶりだねぇ、ジュディ。また会えて嬉しいわぁ。よーこそ、新たな拠点、サーペントへ」


 ジュディは声の主をゆっくり振り返った。ジュディたちが属していたカザの派閥「レオ」のリーダー、ナスカが、十字路の真ん中に立っていた。


 ジュディたちの仕事の命令を出していた彼女は、あの頃と全く変わっていない。胸や足、艶かしい体を大きく露出させる服を着た、相手の隙へつけ込む狡猾な蛇のような女だ。カザを離れ、サウストのスラムの者を巻き込んで、サーペントという新たな拠点を作ったらしい。ここでも彼女がリーダーのようだ。

 ナスカは片手のひらで布袋をぽんぽんと跳ねさせる。恐らくスパークルの宝石が入ったものだろうとジュディは察した。


「宝石を返してください」


 ジュディは暗い過去と恐怖を必死で押し込めて、毅然とした態度で言った。彼女を強く睨む。そうしていないと、ナスカの這いずるような視線にいつ隙を掴まれるか分からない。


「返す? あっははは!! ジュディあんたそれ本気で言ってんのかい? へえぇ、カザから逃げた奴はマトモになっちまうんだ、あぁ、育ててやった私たちのことも忘れちまうんだ。悲しいねぇ」

「育ててやったですって……お母さんを見殺しにしたくせに!!」

「はっ、自分の身も自分で守れないやつの面倒なんて見きれないね。弱いやつは死ぬ。弱かったから死んだ。それだけの事だろ。それを私はわざわざ、クズみたいなあんたたちの面倒を見てやってたんだ。感謝して欲しいくらいさ」


 怒りで体が震えた。噛みしめた歯がが軋んだ音を立てる。

 姉妹の母親も、同じくレオに所属する盗賊だった。そんな母親に守られていた姉妹だったが、彼女が死んだ途端、ひどい仕打ちが始まったのだ。ナスカたちの命令で盗みを働き、食べ物や金品を奪っても、ジュディやユエルのような下っ端には最低限の量の食事しか与えられなかった。仕事をしていない時は縄でつながれて自由も与えられず、逃げることもできなかった。奴隷も同然だ。ユエルが体調を崩せば暴言を浴びせられ蹴られる。そして医者などに診せてもらえるわけもなく、弱った体のまま仕事をさせられた。反抗すれば、きつい仕置きが待っている。これのどこが面倒を見てやったと言えるのか。


「でも、結局こうして二人ともわざわざ私のとこに帰ってくるなんてねぇ、笑えるよ」

「二人とも……?」


 ジュディはユエルを振り返る。ユエルは顔を伏せたまま固まって動かない。

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